若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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江見圭司 『ゆとり教育で不足した学力はどこで補完するのか』

10年くらい前にどこかで話題になっていたような気がするんですが、確かなことは忘れました。ともかく、今回はこの論説を検討していこうと思います。思ったより大部になってしまったので、長すぎる、面倒臭い、という方はせめて「4. 学力の国際比較」だけでも読んでもらえると有難いです。また、今回もいつものように筆者の江見圭司氏との対話を追記しようと思います(反応があれば)。

1. ゆとり教育

1.1. ゆとり教育以前に何がおこったのか

1.2. 学習指導要領

特に問題の無い正確な記述だと思います。

2. ゆとり教育

2.1. ゆとり教育のはじまり。

私が中学校に入学した1981年に中学校のゆとりが始まった[5]。英語が週4時間だったのが週3時間になり,英語学力の低下はだれの目にも明らかになった。このことが,補習塾が繁栄する要因を作ったのである。

学力が低下しているか否かは誤りの多い人間の直観によってではなく、適切な手続きを経た上で科学的に検証されるべきものです(後述)。筆者に限らず科学研究に携わる人間の多くが「だれの目にも明らか」「周知の通り」「ひしひしと感じる」といった情緒的な表現で学力低下を論じていた(いる)現実こそ、日本の科学教育の敗北を示唆しているのかもしれません。

英語の授業時数の変遷については別のページにまとめてありますが、ここでも簡単に説明しておきます。77年改訂では英語が週3コマとなったのは筆者の指摘する通りですが、89年改訂では再び週4コマ実施することが可能となりました。ただし、77年改訂と89年改訂の総授業時数が同じであることから分かる通り、英語を週4コマ実施するためには別の教科時数を削減する必要があります。

具体的には、第一学年では「特別活動」、第二学年では「音楽」「美術」「特別活動」、第三学年では「社会」「理科」「保健体育」「技術・家庭科」「特別活動」のいずれかの時数を削減する必要があります。(00年代の)ゆとり教育を批判する文脈においては無前提的に「(89 年改訂の)週4時間から(98 年改訂の)週3時間に減った」とされることもあるのですが、実際にどれだけの学校が英語の時数を増やしたかは定かではありません。

また、98年改訂では必修教科となった英語の授業時数は315コマ(週3コマ)に設定されていますが、これに加え小学校の総合的な学習の時間では年間10コマ程、中学校の選択教科で30コマ程実施されているため*1、実質的には週3+αと表現するのが妥当でしょう。

 

それでも,1974年度生まれまでは第2次ベビーブームだったので,高校入試や大学入試が厳しく,塾のおかげで学力低下はそれほど問題にならなかったのである。(中略)大学入試では一流大学になると浪人は当たり前だった。また,大学・短大への合格が難しかったというのは,合格率からもわかる。合格率が最も低いのは1990年で,1971年度生まれが18歳のときである。

念のために補足しておくと、競争の激しさ(不合格率)と学業時間の相関は2000年代半ば以降に正負が反転しています。なお、ここで「不合格率」としたものは、「1-(過年度高卒者含む四年制大学入学者数)/(過年度高卒者含む四年制大学志願者数)」の値です。

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ちなみに高校だけではなく、他の学校種においても同様の傾向となっていますが、特に大学生の学業時間が著しく伸びています。進学率の上昇と少子化により、必然的に各大学・大学生全体のレベルが低下することを考えると、驚くべきことと言えるかもしれません。少なくとも、統計を参照せずに噂話と実感だけをものを語る人間には生涯辿り着けない知見だと思われます。

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2.2. 第二次ゆとり教育

このような観点から,またもや理数の時間は必然的に減るしかなかったのである。英語(外国語)は1981年以来,時間数は減っていたので,これ以上減ることはなかったようだ。

何を言っているのか良く分からないのですが、以下は小中学校における各教科の授業時数の変遷です。

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89年改訂では小学校低学年の理科が生活科に統合されたため、見た目の時数はその分減少していますが、小学校3年以降の理数科の授業時数は77年改訂と89年改訂で変わりません。もしかすると、中学校理科の時数に幅があることをもって「減った」としているのかもしれませんが、これは先ほど説明した通り英語とトレードオフの関係にあるためです。

つまり、理科の時数が減少すれば英語の時数が増えるのですが、わざわざ「英語はこれ以上減ることは無かった」と書かれていますので、ひょっとすると授業時数の変遷について良く理解されていなかったのかもしれません。

 

1997年の大学入学者あたりから,本格的に学力低下が見られ始めた。教育の情報化や隔週土曜日の休日化をはかるために,1992年小学校,1993年中学校,1994年高等学校で第二次ゆとり教育が断行されたのである。1978年度生まれが中3(1993年)から第二次ゆとり教育で1997年に大学に入学して来ることになるが,大学で「学力低下」が叫ばれたのはこのときからである。その後,年々学力は低下していく。そして,1999年には「分数ができない大学生」という本[7]まで出版されるに至る。

学力低下の根拠が一切提示されていません。また、「分数ができない大学生」は市川(2002)や後藤(2012)、その他論者が指摘しているように、同書の中で分数が理解できないとされる2割の学生は、実際には分数問題5問を全問正答できなかった者の割合です。この5問の全問正答率は78.3%だったため、各問が均等で独立であると仮定すると、1問あたりの正答率は約94%と計算できます。この程度の計算が出来ずに調査結果に衝撃を受けた理系の研究者は数知れません。正に日本人の学力低下を象徴する出来事でした。

また、戸瀬・西村の調査は経年比較調査ではありません。比較対象が設定されていないということは、学力の変化を論じることはできないということです。仮にも理数系の研究者である筆者に科学調査のイロハを教え諭すのは心苦しいのですが、指摘せざるを得ません。実際、国際大規模学力調査であるPISAでは正にこのようなリテラシーを問う問題が頻出します。

 

こで冷静になってほしい。1980年にゆとり教育が始まって以来,一貫して学習した内容は減っているのであるから,経年的な学力低下は,本来は予測できたはずである。しかし,だれも小・中・高と一貫して学習指導要領や教科書を検討した者はいなかったので,いつどのようにどのくらい学力が低下するのかを予想することを怠ってきたともいえる。

その通りです。できれば学力調査の蓄積が無いということは、学力の変動を確認する手段も無いということに、冷静になって気づいて頂ければ幸いでした。

 

2.3. 第三次ゆとり教育

とにかく,数学・算数と理科の内容の削減はすさまじかった。よく知られるのは,小学校で円周率が3.14ではなく3と教えるというものである。これはマスコミがたたきすぎたために,教科書の方では3.14で教えても検定合格になった。

よく知られるようにデマです。詳細についてはこちらのページを参照してください。デマを信じてしまった人があの手この手で自尊心を守ろうとするのは自然なことなのですが、寡聞にしてマスコミが叩いたから検定合格になったという珍説は初めてお目にかかりました。

単純な疑問なのですが、恐らく理数系の人にも円周率3がデマであることを承知している方はそれなりにいるはずです。そうした方達は多くのお仲間が未だこのデマを信じ込んでいることをどのように感じているのでしょうか。20年以上経っても反省の機運が見られれないのですが、自浄作用を期待しては駄目なんでしょうか。

 

また,中学校の理科ではイオンがなくなったため,高等学校「理科」の生物ではイオンという概念を一切用いて説明できないことになった。このことは科学の歪曲と捉えられた。 

指導要領は一言一句守らなければならないものではないので、教えたければ教えても結構です。指導要領の法的拘束力についてはこちらのページを参照してください。

 

1987年度生まれの方が第三次ゆとり教育の始まりであり,高等学校を卒業する2006年までの4年間が第三次ゆとり教育なのである。以下,1988年度生まれの方は第三次ゆとり教育が5年間であるが,1989年度生まれの方は第三次ゆとり教育が7年間になる。

確かに小中学校で指導要領の実施時期がずれることはあるのですが、98年改訂は2002年に小中で一斉実施されたため、89年度生まれは単純に6年間だと思うのですが…移行措置を含めても意味不明な記述なので、詳細を教えて頂けると助かります。また、ゆとり教育における学習内容の削減はもっぱら義務教育期間に限定されていますので、その点も補足しておいた方が良いでしょう。

 

世間では「ゆとり教育」は危ないと騒いでいるが,壊滅的なまでに系統的な知識教育は崩壊した。彼らの一期生が2006年に大学や専門学校に入学してきた。さすがに,あれほど騒がれているので,2006年に入ってきた学生はそれほど問題視されていない。だが,ここで安心してはいけない。2008年から徐々にボディーブローのように低学力効果が現れてくるはずであると筆者は2006年頃に予想していた。事実,2008年頃から急激に学力低下はひどくなっている。

最後まで読んだのですが、結局2008年頃からの急激な学力低下の根拠は提示されていませんでした。

3. 第三次ゆとり教育世代は何を勉強していないのか?

3.1. 小学校算数で排除された反比例

先に挙げたページでも説明しているのですが、ゆとり教育では多くの教育内容が従来よりも上の学年・学校に移行・統合されています。そのため、89年改訂では小学校第6学年に配置されていた反比例が、98年改訂では中学校第1学年に移行されています。この変化がどのような結果をもたらすか浅学な私には分からないのですが、少なくとも筆者は問題だと感じているようです。

 

3.2. 定着しない素因数分解

根拠となるべき事実、統計、調査が提示されていないため詳細は不明です。

 

3.3. 濃度を知らない高卒者

ちょくちょく良く分からない記述が出てくるのですが、89年改訂・98年改訂ともに小学校で「濃度」は基本的に扱いません。勿論、いずれの指導要領においても第5学年でパーセントを、第6学年において水溶液を取り扱うため、その際に濃度を指導することは可能です。また、98年改訂に係る移行措置解説書では、中学校におけるパーセント濃度の指導について、"現行及び新課程の小学校第5学年で百分率を学ぶため、既習事項とみなす"と記述されています(徳久 2000)。実際、百分率を学んだ人が質量分率の計算は出来ないと考える合理的理由が私には分かりません。

 

3.4. 四則演算の順番がわからない高卒者

3.2と同じく根拠が示されていないため何とも言えません。

 

3.5. 大小関係がわからない高卒者

2001年から小学校から不等号が消えた。不等号の記号を見るのは中学生になってからである。いやいや,これは顔文字の記号なのである。(中略)さて,小学校2年生から中学1年生(7年生)に5学年だけ上がるので,6年後にその影響が出てくるのである。2001年から小学校から不等号が消えたので,2007年度の中学校でその影響が本格的になるはずである。

以下は1992年に入学した大学新入生を対象に、不等号の読み方を尋ねるという、ある意味侮辱的とも言える調査の結果です。筆者の指摘する通り、この時期の大学受験は熾烈を極めており、塾産業などからは振り返って「ゴールデンセブン」と呼ばれる時代でもありました。

非理系大学生370名への問題と解答率

問. 2mm<

上記アンダーライン部をどのように読むか
2mmより大 47.0%
2mm以上  4.9
2mm未満  12.7
2mmより小 30.3
2mm以下  5.1

鈴木他, 1992,『教科間における「以上」(≦)・「以下」(≧)の指導上の問題点』

また、2001年に小学校2年生だった世代は、PISA2009を受験した世代に相当します。この点も後で振り返りましょう。

 

3.6. 漢字を読めない高卒者

2006年現在の中学校の教科書にはかなりの割合で「ルビ」が振られている。現場の教員の話によると,とにかく漢字がよめないので授業にならないそうである。実は,東大や京大に進学するための塾講師によると,ハイレベルな学生でさえ小学生レベルの漢字が書けないとのことである。

逆です。戦後の学校教育において恐らく唯一増え続けているのが教育漢字です。1948年に「義務教育の期間に読み書きともにできるように指導するべき漢字の範囲(内閣告示)として881字が示されたのが最初であり、これが小学校の6学年の教育漢字として振り分けられたのが1958年、これに115字が追加され996字となったのが1968年、さらに10字が追加され1006字となったのが1989年、現行ではさらに20字が追加され1026字となっています。

ルビについてはそもそも事実か分からないのですが、仮に事実だったとして何故そこから漢字能力の低下が結論されるのか不明です。一般常識的に言って中学校は基礎的な学習をする場であり、ルビは読み方の分からない漢字の読み方を知るためのものです。この方は一般的な常識に欠けているのでしょうか。

また、以下は毎日新聞と全国学図書館協議会が実施している「学校読書調査」の結果です。

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注目すべきは、筆者が言うところの「第三次ゆとり教育」の前後です。第三次ゆとり教育実施の5年前(1997年)はいわゆる読書離れのピークであり、中高生の不読率は調査開始以来の最高値となっています。一方、実施の5年後(2007年)と比較すると、小学校10ポイント、高校で20ポイント、中学校に至っては40ポイントの低下となっており、中学生の不読率は調査開始以来の最低値となっています*2

 

しかし,ここまでレベルが落ちると識字率100%の前提が崩れるが,漢字ドリルのeラーニングはまじめに取り組まないとどうしようもないだろう。近い将来,大学・短大・専修学校では朝のショートホームルームが実現してその時間に漢字の書き取りまたは計算ドリルを行うこともありうるだろう。

実際には筆者の世代において識字率100%が崩壊しています。詰込み教育からゆとり教育への変化は、筆者の指摘する通り「落ちこぼれ」が問題視されたことにあるのですが、当時濫発された「詰込み教育の弊害」を指摘する調査のうち、最も有名なのが日教組と国民教育研究所が共同で実施した学力調査です。結果が余りにも衝撃的であったため、各全国紙が一面で報じ、国会でも取り上げられました。以下は読売新聞の記事の一部引用です。

 

【国語】
 中学校一年生には小学校で習った九百九十一の漢字、小学校五年生は四年生までに習った漢字の中から主として「読み」「書き」について調査が行われた。その結果、女子が男子を平均点で十点以上上回った。(中学校一年)が、全体としてみると、習得すべき漢字の数が増えているのに、児童、生徒の漢字能力は皮肉にも停滞していることが明らかになった。

<読み>
 中学校一年生。百語の読みの平均点は七七・二点とかなりの成績。といっても七〇点以下が二十六%、つまり四人に一人が教科書をスムーズに読めない状況。男女別にみると女子が八一・七点で男子の七三・七点を一〇点近く上回っている。正答率が低かったのは「勧める」「朗らか」の一〇%台で、このほか「討論」「是非」「休息」なども四〇%台と不成績。
 小学校五年生。平均得点は八四・五点と好成績。ただ、半分以下しか読めなかった子どもが六・七%も。正答率の低かったのは「改める」の二〇%台、「帯」の三〇%。

<書き>
 中学校一年生。五十字の出題で平均正答率は六〇・四%。半分以下しかできなかった生徒は三三・二%で、得点のばらつきが大きい。ここでも男女差が大きく、女子が六九・六%なのに男は一五%も低く五三・四%。できの悪かったのは善の一〇%台を筆頭に、「救」「招」「屈」「己」の二〇%台。
 小学校五年生。平均正答率は五二%。半分以下しか書けなかった子どもが全体の四四・二%。正答率三〇%以下は、五人に一人の二二%。「孫」「燈」「清」「治」の四字が最も不成績で、正答率は一〇%台にとどまっている。

<過去との比較>
 文部省がさる二十五年から二十六年にかけて行った「教育漢字百字テスト(書き)」調査と同一内容について、小学校四、六年生、中学校一、二、三年生を対象に実施。その結果、二十五年前の方が全般的に平均点が高く、学年が進むとともに正答率が上昇しているのに対し、今回は学年が進んでも停滞気味となっている。例えば「底」という字。二十五年前では小学校六年生で正答率が四一%なのが中学校三年生では八四%にはね上がっているのに、今回調査では小学校六年生で五三%、中学校三年生になっても、ほぼ同じの五二%にとどまっている。日教組では、「一九七一年の新教科書から小学校で百十五字漢字が増やされたが、これがかえって児童、生徒に消化不良を起こさせた」と指摘している。

 

基礎学力の低下明白
 日教組の今村彰教育政策部長の話「この調査で、子どもたちの読み、書き、計算といった基礎的な学力が低下、あるいは停滞し、子どもたちの学力の格差が拡大していることが明らかになった。現行の教育課程、教科書の内容について抜本的な検討が必要であることを示すものだ」

意外な結果ではない
 文部省・沢田道也小学校教育課長の話「日教組の調査結果は意外なことではない。どこが調査してもこんな結果になるだろう。現在、教育課程の改訂に取り組んでいる文部省の教育課程審議会でも問題にしているところであり、秋の中間答申もこの方向で作業が進められているところだ」

 

小、中学生“落ちこぼれ”深刻 日教組が実態調査 分数計算、特に弱い中1 小5書き取り、半分間違う 読売新聞, 1976.05.12, 朝刊, 教育, 1(5)

教育政策へ与えた影響としてはPISAに比肩しうる調査なのですが、筆者は1968年度生まれとのことなので、当時のことは良く覚えていないのかもしれません。ちなみに比較対象となっている昭和25-26年はいわゆる戦後新教育が行われていた時期であり、学力低下論が教育界のみならず国民にまで広がっていた時期でもあります。

4. 学力の国際比較

4.1. PISA

まだ PISA2003の結果は発表されていなかったころに,筆者は恐らく PISA2000よりも平均得点は下がるだろうと予測していた。やはりその通りの結果になり, PISA2006の結果はさらに低下すると予測した。なぜなら,2006年に受験する生徒は小学校5年より第三次ゆとり教育を受けているからである。またまた,その通りの結果である。

嘆かわしいことに、PISAについては理系の研究者でも9割9分が基礎の基礎すら理解していないので、ここで私が少しく説明してあげようと思う。

まず、PISA調査において経年比較が可能となるのは、当該分野が主要分野(main domain)となった後のことである。つまり、読解力についてはPISA2003以降、数学的リテラシーについてはPISA2006以降、科学的リテラシーについてはPISA2009以降のことである。つまり、PISA2003やPISA2006の結果から数学的リテラシーや科学的リテラシーを論じている筆者は見えてはいけないものが見えてしまっているわけである。

一応、スケールが確立する前のLink Errorも報告されているので、やろうと思えば検定も出来るのだが、いずれにせよゆとり教育後に数学的リテラシーや科学的リテラシーの有意な得点低下は確認されていない。以上のことはPISA調査を見る上で基礎中の基礎、最低限中の最低限であり、この程度のことも了解していない人間がそれなりの肩書の下に妄言を公にしているのは我が国の知性の敗北である。

何も筆者に限った話ではなく、この程度のことすら理解していない我が国の理系研究者は余りにも多い。PISA調査の調査設計についてはまた改めて詳細を書こうと思っているので、ひとまず以下のまとめを参照して各分野の得点変動、ゆとり教育との関連について確認してほしい。

 

PISA2006の結果発表を知ったマスメディアが学力低下を問題にし,騒ぎだしたので2008年,ようやく文科省ゆとり教育廃止の方向に転換した。その結果学習指導要領が変更されていないのに学校現場では教科書に掲載されていない内容などを教え始めた。どっぷりと第三次ゆとり教育を受けた生徒が受験するはずのPISA2009では若干成績は向上した。しかし依然として成績は悪いのである。

お花畑ご都合脳である。意に沿わない結果が出ると、いきなり脱ゆとり教育が始まるのは様々な論者に共通している。この馬鹿どもに論理的思考というものを叩き込んでやりたい。学習指導要領の最低基準性はその実施前から周知されているし、何よりPISA2009世代はPISA2006世代より3年、PISA2003世代より6年長くゆとり教育を受けているのである。もし教師が多少指導要領外のことを教えた程度で数年間の不足が補われるのであれば、既にタイトルは回収されている。どこでも補完できるという結論になる。そもそも、PISAは国際学力調査という性質上、各国のカリキュラムの違いによって顕著な差が出ないよう問題が設計されているのだ。調査報告書とTechnical Reportを100回読んでこい。

追記

もしかしてお花畑やご都合なのではなく、理系の先生は本当に時系列を考えるのが苦手なのではないか…?というわけで、以下のまとめは「学習指導要領が大規模国際学力調査の結果に大きな影響を与えると仮定した場合、暫定的に採択(棄却)すべき仮説」について、どんな馬鹿でも分かるようにこれ以上は削り様が無いほどに削った時系列である。

…のはずだったのだが、理系の先生にはこれほど簡潔にしても読めなかったという嘘みたいなマジの話なんだなこれが(ジョンたか先生のまとめを参照してください)。

5. ゆとり教育で不足した学力はどこで補完するのか?

大雑把な予想としては,2016年度の大学や専門学校の入学者から第三次ゆとり教育の色が徐々に消えていくことになる。ということは2016年に高校卒業する方まではこのまま単純に学力は下がり続けるしかない。

PISA2009の学力向上傾向はPISA2012でも引き続き確認され、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの全分野において、経年比較が可能な年度の内では過去最高の得点を記録しています。PISA2012世代は義務教育期間中を全てゆとり教育の内に過ごしているため、この結果はPISAの報告書ではむしろ「ゆとり教育」と結びつけられていたのですが(OECD 2013 pp.124-125)、文科省はこれを「脱ゆとり」の成果と喧伝し、マスメディアもこれに追従しました。

実際、PISA2012世代は脱ゆとりの性格が強い移行措置を3年間受けているわけですから、この時点ではゆとり教育の成果なのか、それとも脱ゆとり教育の成果なのか、いずれの解釈も可能です。というわけでPISA2015以降の結果を確認しましょう。PISA2015では全分野において得点が低下し、読解力については有意な低下となりました。続くPISA2018においても再び全分野で得点が低下し、読解力、科学的リテラシーについては有意な低下となりました。以上です。

追記

氏のFacebookにメッセージを送った上で、最新の投稿にもコメントを付けたのですが今のところ特に反応はありません。一応友達リクエストも送信したのですが、今日(12/17)確認したところ、送信済みリクエストに表示されておらず、氏のページにアクセスしても「友達になる」ボタンが表示されていませんでした。これはリクエストが拒否された上で、友達リクエストの設定を変更されたということなんでしょうか。いまいちFacebookの仕様を理解していないので誰か教えていただけると助かります。

2022/04/18

ようやく先生から返事がきました。

鈴木正一 さん、ご存知ないので、返信してあるいませんでした。特にわたしの考えと異論を唱えるような話でないんですが、何が不満なんでしょうか?

はいでました。何の反論もできないので具体的なことは何も言わずとにかく否定だけしておくパターン。無駄だっつーの。いちいち手間をかけさせんな馬鹿が。

鈴木正一
理系の先生は馬鹿のくせにプライドだけは高いんだから…そうですねぇ…一例を挙げるとPISAはどうですか?
PISAの得点が比較可能となるのはその分野が主要分野となった後です。にもかかわらず先生はご丁寧にも数学的リテラシー、科学的リテラシーの2003年、2006年調査の結果を何の注釈もなくグラフにしています。常識的に考えれば先生はPISAの基本的な設計すら理解していなかったと解釈すべきです。
異論はありまちゅかあ?

鈴木正一
つーか第三者が見て私と先生の相違点が分からないはずないでしょ…馬鹿扱いされて熱くなるのは分かりますけど仮にも学究なら批判には誠実に答えましょうや。今の先生は駄々をこねてるだけですよ。

ブロックしやがったよこのゴミ。本邦の理系研究者はバカandクズしかいねーな。お笑い芸人じゃねぇんだぞ。

Facebookの仕様が良く分からないのですがもしかしてブロックされました?無能のくせにプライドだけは一丁前だな。愚にも付かない感想文を恥ずかしげもなく開陳していざ反論されると耳を塞いで聞こえないふりをする幼児の如き無様な振る舞いを自覚してくださいというのは先生の知能程度からすれば高度過ぎる要求でしょうから要求しません。感謝してくださいね。

おらおら理系のゴミども誰か江見先生の仇をとってやれよ。いつでも待ってるぞ。

参考文献

後藤和智 (2012). 「現代学力調査概論 平成日本若者論史」.

市川伸一 (2002). 「学力低下論争」. ちくま新書

徳久治彦 (2000). 「新中学校教育課程移行措置の解説」. ぎょうせい

OECD (2013). PISA 2012 Results:Creative Problem Solving Students’ skills in tackling real-life problems Volume V. 

*1:https://hajk334.hatenablog.jp/entry/2021/03/20/122608#133%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%AE%E4%BE%8B

https://hajk334.hatenablog.jp/entry/2021/03/20/122608#132-%E9%81%B8%E6%8A%9E%E6%95%99%E7%A7%91%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%AB%E3%81%8B

*2:正確には1963年調査の方が低い数値となっているが、調査手法を一新した後の初回調査のためか、前後の結果と比較して連続性に欠けるため除外した。63年調査では小学生の不読率がほぼ0、中学生が1割程度であるのに対し、翌64年の調査ではそれぞれ1割弱、3割程度と跳ね上がっている。

【メモ】日本人の幸福度について

年代別だとどうなんですかねえ。

2021/11/30 14:17

確かに、調査対象の年齢が全く分けられてないな。

2021/11/30 14:01

年齢別はたしかに欲しかったりするかも

2021/11/30 13:57

治安の良さは空気みたいなもの。寄与しているか不明。私の観測範囲と偏見では若い女性は給料を全額使ってる人が多く、そりゃ買い物で浪費したら楽しくて幸せなのでは。/年齢別、平均結婚年齢の前後の比較がほしい。

2021/11/30 15:06

疑問に思ったら自分で調べればいいんじゃないですかね。以下は性別・年齢・婚姻状況をクロスさせた幸福度の集計スクリプト(R)です。こちらのページから"Japan 2019"を選択して"WVS Wave 7 Japan Excel v2.0"をクリックしてください。"F00010946-WVS_Wave_7_Japan_Excel_v2.0.xlsx"がダウンロード出来るので、それを任意のディレクトリに置き、以下のコードを実行すれば各属性ごとの幸福度が分かります。

 

library('openxlsx')
WVS7_JP <- read.xlsx("F00010946-WVS_Wave_7_Japan_Excel_v2.0.xlsx")

#性別(男=1, 女=2), 年齢, 婚姻状況(結婚=1, 独身=6)を指定
WVS7_JP1 <- WVS7_JP[WVS7_JP$"Q260:.Sex" == 1 & WVS7_JP$"Q262:.Age" < 36 & WVS7_JP$"Q273:.Marital.status" == 6,]
FOH <-  WVS7_JP1$"Q46:.Feeling.of.happiness"
#回答を幸福度指数に変換(1:Very → 2, 2:Quite → 1 3:Not Very → -1, 4:Not at all → -2) -1:DK, -2:NAは除外
(length(FOH[FOH == 1])*2+length(FOH[FOH == 2])*1+length(FOH[FOH == 3])*(-1)+length(FOH[FOH == 4])*(-2))/(length(FOH)-length(FOH[FOH < 0]))

ところで、まとめ先のTogetterコメント欄では

dronesubscriber @dronesubscriber
面倒くさいと思いましたが調べました。興味深いことに結婚している女性は35歳以下だと一番幸福度が低く(平均1.28)、独身で35歳以上だと飛び抜けて幸福度が高かったです(2.35)。 男性の既婚者は年齢によってあまり変わらず、未婚者は35歳以下で低い(1.46)という結果になりました。 女性は子育てに忙殺されていると幸福度が上がらず、それ以外は高い幸福度である、ということでしょうか。 https://www.worldvaluessurvey.org/WVSContents.jsp

こんなコメントがあったんですけど恐らく間違いです。実際には35歳以下の既婚女性の幸福度は1.29, 35歳以上の独身女性は1.23, 男性既婚者は1.06, 35歳以下の未婚男性は0.86です。というかグラフを見ても未婚男性全体の幸福度は0.6を切っているんですから、35歳以下未婚男性の幸福度が1.46で"低い"というのは明らかにおかしいでしょう。恐らく回答を幸福度指数に変換する過程でミスが生じたのではないかと思われますが、真相は不明です。

一応2×2×2の結果を置いときます。括弧内はサンプルサイズです。全年齢の数値とグラフの目測がほぼ一致しているので計算に間違いは無いと思うんですが、ウェイティングとかはしていないみたいですね。

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【メモ】FROGMAN 秘密結社鷹の爪団 独立愚連広報部 『ゆとり教育』

あらすじ

「亜呆」と大書されている白地のTシャツを着たヤンキー風の男と紫のアイシャドーが目立つガングロ風の女性が会話している。女性が便意を訴えると、どこからともなく「ゆとりもん」が登場し「どこでもトイレ」と言っておまるを取り出す。

ゆとりもんは二人に仕事をするよう促すが男性は「だりぃよぉ」とこれを拒否する。ゆとりもんは「そうしたゆとり教育の害」を矯正するよう未来の男性から命令されたと説明する。男性は「明日からやる」と渋々承諾した後、何か食べるものを出してくれと頼む。

ゆとりもんは「テラ豚丼」と「フライドゴキブリ」を取り出すが、二人はそれに怒りを見せる。ゆとりもんは「自分もゆとりプログラムで作られたためしょうがない」と開き直る。男性は日本の将来を心配し、自分の未来がどうなっているかゆとりもんに訊ねる。ゆとりもんは「ゆとり介護を受けている」と答え、女性が「放置されてんじゃん」とツッコむ。

ラストは「偽装」「虚偽」「捏造」といったネガティブなワードの羅列と頭を下げるスーツ姿の中年男性の画像をバックに「大人たちも言うほど大したことない!心配するな、ゆとり教育世代!」というナレーターの語りによって終了する。

 

本作の意義

ゆとり言説は2010年前後を境に大きく転換している。90年代若者論の衣鉢を継いだ00年代のゆとり言説は内藤(2006)が言うところの「凶悪系言説」がその中核的信念であり、一言で言えば傍若無人で我儘勝手な消費社会の申し子である。一転して、10年代以降のゆとり言説では「草食系」といった言葉で表されるように「情けな系言説」が主流となった。一言で言えば虫も殺せない右に倣えの嫌消費世代である。本作はこの00年代ゆとり言説の貴重な資料であり、二人の外見的描写が典型的な00年前後のそれであることは注目すべき点だ。

2010年前後のゆとり言説の質的転換について、言説を担った当人たちは気付いていないのか、それとも気付いた上で何らかの合理的説明を自らに施しているのか、或いは全く別の思惑があるのか興味はあったが確かめていなかったので、これを機にFROGMAN氏に聞いてみようと思う。返信があればここに追記する予定である。

 

人の属性で判断すること

その通りだ。たとえば、ネット右翼と俗称される人々は時に在日朝鮮人と犯罪率の高さを結びつけるのだが、これは明確に誤りである。第一に、在日朝鮮人が日本人と比較して犯罪率が高かったとしても、その規定要因が国籍であるとは限らない。規定要因は一般に多変量解析を用いて探索されるが、国籍という属性は変量の一つでしかない。「在日朝鮮人」という属性が犯罪率に対して負の効果を持つ一方で、在日朝鮮人の犯罪率が高くなるという事態は当然にあり得る。

また、当然のことながら大多数の在日朝鮮人は犯罪を犯さない。この種の誤りは「在日朝鮮人」という一つの人格的実体が存在するという直観を原因としている。これはその他の差別的偏見にも通底する要因であり、属性で判断せず個別に対応すべきという氏の主張は至当である。「ゆとり教育世代」という特定の属性を侮蔑する動画を作成した事実とどのように整合性をとっているのか、これも氏に聞いてみようと思う。ちなみに、世代論では一般にAge(年齢), Period(時代), Cohort(世代)の三つの変量を用いて分析されることが多い。これはAPC分析と呼ばれている。

 

参考として

本記事の主旨はゆとり言説の収集にあるため、動画内に見られるゆとり言説について詳細な検討はしない。差し当たって、ニートと若者論の関連については上に挙げた本田・内藤・後藤(2006)を、ゆとり世代の学力ないし知性の低下については以下の記事を参考として挙げるに留める。

追記

最新のツイートにリプライを送ったのですが、何故かログアウトしてから確認すると「攻撃的な内容を含む可能性のある返信も表示する」に分類されていたため、念のため一週間後にも@ツイートを送信したのですが特に反応はありませんでした。

理由は良く分からないのですが、私の紹介文は笑ってもらえなかったようです。余談ですが、私が氏にリプライを送った数日後に「【吉田勝子のヤバイわ!SDGs】第10話 SDGsのジェネレーションギャップ」というショートアニメが投稿されていました。内容の要約は以下です。

"SDGsは日本にそぐわない"と主張する中年男性・苔田に対し、主人公である吉田勝子は「今の子供たちは小中高の12年間でしっかりとした環境教育を受けている(背景に環境教育に係る08年改訂学習指導要領の文言が流れる)。その世代が社会の中核となった時に笑われてもいいのか」と批判する。「笑いたければ笑えばいい」と返す男性に対し、勝子は即座にそれを否定する。SDGsは"誰ひとり取り残さないことが命題"であり、"どんな世代の誰だろうとも幸せにならなければならない"と喝破する。

勝子の話が終わると、別の男性が苔田に対し「あなたも先月孫が生まれたばかりではないか。その孫が苦しむ社会を許容できるのか。我々がすべきことはつまらない意地を張って若者を従わせることではない」と教え諭す。話を聞いた苔田は納得し「分かった。取り組んだらいい」とぶっきらぼうに言い放つ。軽快なBGMと共に勝子が「それでは我が社は何をしましょうか」と問うと、若い女性社員が困ったように「何しましょうか…」と返し、物語は終了する。

氏の本心や自己認識が奈辺にあるのか興味津々ではあるのですが、たかが数分のアニメーションで忖度するのも憚られますから、野暮な分析はやめて氏からの返信を粛々と待ちたいと思います。

don_tacosさんへ

朝日新聞33歳記者が“上層部批判”を遺して自殺した | 週刊文春 電子版

ご冥福をお祈りしますが、記事だけからいうと正直記者が年齢の割にナイーブ過ぎるように思う。世代の人数が少なく、上下同僚のつながりが少ないことや、コロナ体制、紙媒体メディアの変革期にあたることなど原因かな

2021/11/02 19:51

子供や若者の自殺についてはこのブログでも何度か説明しているが、その動機の最たるは「他人の死を肴にしてまでお粗末な社会論や世代論を語りたがるゴミ」がどうにも許せないからである。前置きを書く気にもならないくらいに腹が立っているので早速冒頭の主張を検証してみよう。以前の記事については以下にリンクを張っておく。特に最初の記事では自殺統計について最低限の知識が得られるはずである。

子供の自殺にいちいち騒ぐな - 「趣味は若者論です」

最近の若者は何故すぐに自殺するのか - 「趣味は若者論です」

①若年自殺率の推移について

まずは若年自殺率の推移について確認してみよう。氏の主張する原因はいずれも局所的・限定的な要因ではなく社会構造全体の変化であり、故にそれが妥当であるならば世代全体の傾向に反映されると考えられるからである。若年自殺率の増加が確認されれば氏の主張の傍証となる。以下は厚労省の人口動態統計に基づく20代自殺率の20年間の推移である。

f:id:HaJK334:20211103054245p:plain

グラフを見て分かる通り、20代の自殺率は2010年代以降減少を続けている。少なくとも、氏の主張は世代全体の傾向を決定するまでに強い要因ではないということになる。勿論、だからと言って氏の主張が否定されたわけではない。自殺統計が時に男の生きづらさの証拠として、また一方でナイーヴな若者が増加した証拠として融通無碍に使われているように、自殺率だけでは如何様にも語り得るからである。

そこで、次に原因・動機別の自殺率の推移を確認してみよう。以下の表は現行の集計方法となった2009年から2020年までの「勤務問題」を原因・動機とした自殺率の推移である。全体の自殺率の推移と同じく、勤務問題を原因とした20代の自殺率も2010年代以降に微減しているが、変化の幅は小さく概ね横ばいとなっている。30~40代も同様の傾向であり、特定の世代に特徴的な傾向は見当たらない。

f:id:HaJK334:20211103070514p:plain

ただし、自殺それ自体の解釈と同じく、勤務問題による自殺の増減も、心性の変化によるものか就労状況の変化によるものかを区別するのは困難である。以上の統計は氏の主張の妥当性を示唆してはいないと言うに留まる。

②世代の人数が少ない

良くある誤解だが、日本の若年人口は直線的に減少を続けているわけではなく、団塊団塊Jr世代を除く世代人口にそれほど大きな違いはない。たとえば、以下のグラフは就業人口における25-34歳世代と35-44歳世代の比率の推移を示しているが、2010年代における若年比率の低下はその30年前にも全く同じ傾向が生じている。f:id:HaJK334:20211103074801p:plain

したがって氏の主張を検証するのは簡単である。この時期の若年層の自殺率の変化を調べればよい。実際に、若年比率が0.8を切った1985-1992年の20代の自殺率の推移を以下に示す。変化が分かりやすいように1980-2000年の約20年間分の数値を載せている。

f:id:HaJK334:20211103081454p:plain

結果は氏の想定とは真逆だった。この時期は若年層の自殺死亡率が急減していた時期に当たり、1993年に記録した12.3という数値は統計を開始した昭和53年以来最低の数値である。敢えてこの数値と世代人口の多寡を関連付けるならば、世代人口が(前後の世代と比較して)少ないほど自殺が減ると言わなければならない。

③上下同僚のつながりが少ない

日本人の国民性調査によれば、

#5.6* 上役とのつき合い

あなたが会社で働いているとします。その場合、上役と仕事以外のつき合いはなくてもよいと思いますか、それともあった方がよいと思いますか?

上記の設問について、2013年調査の20代において「あった方がよい」とする回答が急増しており、1973年調査の20代と同等の水準にまで回復している。ちなみに、土井隆義はこれをゆとり世代のコミュニケーション様式が一極集中型へ変化した結果としているが、特に根拠などは提示されていない。また、より下の世代とのコミュニケーション実態については不明である。

④コロナ体制

特に異論はない。氏がなけなしの知性を発揮している。

⑤紙媒体メディアの変革期

抽象的かつ壮大過ぎて検証の方法が分からないが、業界の変革期に業界人の自殺が増えるという実証研究は寡聞にして知らない。探せばあるかもしれないのでご存知の方はご教授いただければ幸いである。

蛇足

たったこれだけの記事を書くのにもそれなりの時間と労力を費やしている。馬鹿が思い付きの妄言を垂れ流すのに要するコストとは比較にならない。これからは他人に迷惑をかけないよう自らの無能を噛み締めながら生きていくようdon_tacosさん(とスター付けた方々)へお願い申し上げます。

追記

この記事を書きあげたと同時にdon_tacosさんのブログに以下のコメントを残してきました。

突然のコメント失礼いたします。実はとある記事について、don_tacosさんのブックマークコメントが大変示唆に富んでおりましたので、憚りながら私のブログにて紹介させていただきました。手前勝手なお願いで恐縮ではありますが、是非ともご一読いただければと思います。https://bit.ly/3CEDTGE

しかし二日以上経っても何の音沙汰もありません。ブログの方は余り更新していないようなので気づいていないのかな、とも思いましたが、はてなサービスの通知は全サービス共通となっています。そしてdon_tacosさんは今日も元気にブコメを残しています。

変だな、不思議だな、と思いつつ今日再びコメントをしに行ったところ、私のアカウントではコメントが書き込めず、他のアカウントで書いたコメントは反映されませんでした。とても悲しいことですが、人が自らの誤りを指摘された際に最も頻繁に観察される反応は無視です。私は今日も3人の方に無視されました。

せめてもの慰みに、これからはdon_tacosさんを見かける度にこの記事のURLを張って死ぬまで粘着しようと思います。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

家庭的背景による日本の学校格差について

OECDPISA調査によれば、日本は家庭的背景による学校間格差が参加60ヵ国の中で最も高い」

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PISAから日本の学力格差をみる―家庭的背景・学習方略を中心に― 垂見裕子 准教授 (2012年6月当時) – 早稲田大学 高等研究所

 

猫も杓子も格差を語る時代でありながら、そもそも「格差」とは何かを理解している人は少ない。ここではPISA調査を例にして親の社会経済的地位(SES)と教育格差の関連について説明する。

というわけで、上掲のグラフは"PISA 2006 Science Competencies for Tomorrow's World: Volume 1: Analysis" p.194に掲載されているが、これはあくまで生徒レベル・学校レベルのESCS(PISA index of economic, social and cultural status)を0.5σ変化させた場合のPISA得点の変化を示したものだ。日本で言えば、生徒レベルのESCSを0.5σ変化させたときにPISA(科学的リテラシー)得点が3点変化し、学校レベルのESCSを0.5σ変化させたときにPISA得点が67点変化するということだ。PISAの得点スケールは標準偏差が100に設定されているので、それぞれ0.03σ, 0.67σの変化ということになる。

このグラフは報告書の中では"Figure4.12"となっているのだが、実はその一つ前の"Figure4.11"にも同様のグラフが掲載されている(こちらはテスト得点とESCSを回帰分析をした際の回帰係数が示されている)勿論ただ同じ図表を並べているわけではない。4.12のグラフには4.11の表には無い情報が含まれている。それが横軸の数字であり、これは学校レベルの平均ESCSの四分位範囲である。

つまり、4.12のグラフは(グラフ中にも明示されている通り)社会的、経済的、文化的指数を変化させた場合の「効果」なのであり、効果が大きいからと言って、直ちにその国の格差が大きいという「結果」が導かれるわけではない。例えば、いくらESCSによる効果が大きくとも、それ以上にESCSの格差自体が小さければ、当然に格差は縮小する。

正に日本がその一例である。日本の場合、学校レベルのESCSの効果は60ヵ国中1位となっているが、ESCSの四分位範囲である0.52と言う数字は60ヵ国中10位の数字である。制度的・文化的に学校選択が殆ど行われないような国が上位を占めていることを考えれば、日本は世界でもトップレベルに「学校間格差」が小さい国であるとも言いうる。このように、どちらの数字を採用するかで180度主張が変わってしまうのだから、このグラフを引用する研究者は絶対にこの点を注するべきである。

次に、生徒レベルのESCS効果を見てみよう。日本は学校レベルのESCSの効果が大きい一方で、生徒レベルのESCSの効果は非常に小さい。具体的には、4.12における日本の生徒レベルESCS効果は3点、これは60ヵ国中3位(同順位他6ヵ国)の数字である。この二つのレベルのESCSを区別しない場合の効果はFigure4.6に示されている。それによれば、得点に対するESCSの回帰係数は39点、これはOECD平均(40点)とほぼ同程度の数字であり、数字が掲載されている55ヵ国(地域)の中では19番目に高い値(同順位他3ヵ国)である。

また、学校レベルのESCS格差と同じく、生徒レベルのESCS格差も非常に小さい。Figure4.8によれば、日本の生徒レベルのESCSの四分位範囲は1.05、これはノルウェーと並んでトップの数字である。つまり、学校レベルと生徒レベル、その効果と実態という4つの指標の内、唯一問題視されるのが「学校レベルのESCSによる効果」であり、正にこの点が集中的に問題化されているのである。なお、言わば最終的な結果、つまりESCSが生徒の成績に寄与する割合はFigure4.6に示されているが、その結果は日本の場合7.4%であり、これは全ての国・地域の中で5番目に低い値である。

以上の結果を「効果」と「実態」と「結果」に分けて簡単に示すと以下のようになる。

【効果】
・学校レベルのESCSによる効果は非常に大きい(0.5σにつき67点/降順1位)
・生徒レベルのESCSによる効果は非常に小さい(0.5σにつき3点/昇順3位)
・レベルを区別しない全体のESCS効果は平均程度(1単位につき39点/昇順19位)

という効果があるが

【実態】
・学校レベルのESCS格差は小さい(四分位範囲0.52/昇順10位)
・生徒レベルのESCS格差は非常に小さい(四分位範囲1.05/昇順1位)

という実態により

【結果】
・ESCSが成績に寄与する割合は非常に小さい(7.4%/昇順5位)

という結果になるわけである。

すももさんの思い出

すももさんの主張

ところで

2000年代半ば以降少年犯罪が急減していることはすももさんの指摘する通りである。ところで、少年犯罪の大きな特徴の一つはそれが専ら男子によって行われるということである。少年による刑法犯検挙人員の女子比率は90年代後半に25%に達したのが過去最高であり、以降は減少は続け現在は10%強程度に留まっている。

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つまり、すももさんが相関を主張している精神的脆弱性もまた男性に生じているはずである*1すももさんが引用している国民性調査ではメンタルヘルスと関連がありそうな設問が三つ置かれている(「#2.80a 病気 頭痛」「#2.80c 病気 いらいら」「#2.80d* 病気 ゆううつ」)。それぞれ見ていこう。

すももさん…?

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それぞれの設問に対し「あり」と答えた割合をグラフにしている。見ての通り、その傾向は男女で大きく異なっている。というより、全ての設問で女性が前回調査と比較して増加しているのに対し、男性は全ての設問で前回調査と比較して減少している*2。すもも式集計表では綺麗に右肩上がりに見えた「脆弱な若者」の増加*3も男女別に見てみればご覧の通りである。

すももさんの反応

と、いったこと(これだけではなく別ツイートでも色々と国民性調査の結果を弄りまわしていたが面倒なのでここでは割愛する*4)をすももさんに伝えた際の反応が以下である。

ああ、20代女性のデータの印象で書いてました。

— すもも (@sumomodane) July 25, 2019

ちなみにこのツイートは5分で削除された。何故削除されたのか2年越しに聞いてみたのですももさんからの返信があればここに追記する予定である。

*1:当たり前だが少年犯罪は男子でも激減している。平成10年の10万人当たり検挙人員は男女それぞれ2,471.5人, 885.9人、令和元年ではそれぞれ495.5人, 86.7人に減少している。減少の内7割が男子による減少である。

*2:#2.80e 病気 不眠症については社会生活基本調査でその実態が明らかな為ここでは除外した。詳しくは以下の記事を参照してほしい。スマホ依存による若年層の睡眠不足について - 「趣味は若者論です」

*3:当然だが以上のデータは「脆弱な女性」の増加を意味しない。たとえば自殺率の増加が男性の生き辛さの証拠として喧伝される一方で、若年層に対してはむしろ精神的脆弱性の証拠として扱われるようにその解釈は融通無碍である。

ちなみに、良く知られている通り20代の自殺率は2010年以降減少している。近年ブームとなっている子供の自殺率の増加については以下の記事を参照してほしい。子供の自殺にいちいち騒ぐな - 「趣味は若者論です」

*4:たとえば、別のツイートでは若者が他者を警戒するようになったとしているが、「#2.12b スキがあれば利用されるか」では「利用しようとしている」と回答した20代女性は前回調査から12ポイント増の31%となっているのに対し、20代男性は前回調査から18ポイント減の22%となっている。すももさんがまとめている「若者の変化」は男性のみに見られる傾向、女性のみに見られる傾向、傾向を無視した単年度の比較によるものが含まれている。

蘇生薬を考案したと称するカナダの青年、公開実験試みてあえなく死ぬ

何らかのメモ。多分面白い死に方とかそういうのを調べていたんだと思う。

ネコを食べた船乗り2人が腹痛で死亡 1人は錯乱/東京・茅場町 1874.11.26
蘇生薬を考案したと称するカナダの青年、公開実験試みてあえなく死ぬ 1879.03.23
祈祷に凝る男がコレラ患者のヘドをなめて見せる 激しい下痢が続き死亡/京都 1879.07.29
同僚とてんぷら食い競争の娼妓、勝利したがコレラにかかり死亡/東京・根津 1879.10.08
飼育牛に横腹を突かれて農夫が死亡 遺言通り家族が屠場で打ち殺す/奈良 1880.08.01
密告うらみ脱監して仇討ちねらう囚人、情報漏れ槍で返り討ちに遭い死亡/大阪 1880.10.03
釣りから帰りの少年、大入道の出現に驚き、逃げる途中に崖崩れ死亡/秋田県 1881.01.09
目まい持ちが竹矢来にぶつかり死亡 臨月の女房が泣き悲しむ/東京・和田倉門 1881.08.10
湯屋で番頭の制止を無視した男、酩酊のうえ強引に入浴、死亡/東京・浅草 1881.11.05
乗客おろした53歳の車夫、片手で賃銭受け取ったまま死亡/東京・上野 1881.11.08
往来で倒れた車夫、通行の官員風の男に気付け薬もらい、自宅送還後死亡/東京 1883.04.21
空砲と思った猟銃の弾丸が隣家の母に命中、死亡 驚いて井戸に投身自殺/京都府 1883.06.06
パリの公園で父親が不品行の娘を狙撃、殺す 愛人も砲台から落ち死亡 1884.02.26
落雷で娘が死亡、飛んだ首を山中で発見 消火の老人が水死/山形県宮村 1884.06.15
増水の渡船場で5厘の増額を拒否した住職 裸で渡り出したが流され死亡/山口県 1885.06.19
婿を迎えたばかり一人娘がコレラで死亡 半狂乱の老母が水がめに落ち死ぬ/東京 1886.08.31
ローマ法王に謁見許可の外国人女性2人 席順巡って殿堂内でけんか、共に死亡 1887.05.21
退治にいったフカに殺される 佐渡・五十里炭屋町の魚商/新潟県 1887.07.16
ネコが赤貝に舌を噛まれ1時間後に死亡/東京 1887.11.23
寡婦が悲憤のあまりか急死 手癖悪いわが子を打ち据えようとして/名古屋 1888.03.09
寝飽きるほど眠りたいと言っていた若い男が、寝込んだまま永眠/東京・麻布 1888.07.18
南洋で清国人2人が炎天下に2時間、裸でいる賭け 耐えて勝った男は既に死亡 1889.06.25
何を悩んだか、牛が池に投身 引き上げたが死亡/愛媛県 1890.08.01
娘の敵と小ヘビ討つ 草刈り山で昼寝中に体内へ、死亡解剖、復讐の怨念/山口県 1892.09.01
南瓜の競食会、人を殺す 若者4人、1・5貫と酒2升平らげ、1人死亡/岐阜県 1894.09.26
学習院教授・美術協会委員の落魄老人が不遇に逆上、深川署で頓死/東京 1898.04.10
挽いている車にひかれ死ぬ/東京 1901.05.11
耕作中に雷鳴 雷ぎらいの青年が駆けて帰宅途中に脳溢血、死亡/東京・江北村 1901.06.02
調剤の過失で腹痛薬服用の患者が死亡 冤を晴らそうと飲んだ医師も死ぬ/岡山県 1906.09.23
棟上式で足袋職仲間が酒宴、口論、大立回り、転倒、皿で尻を切り死亡/千葉電 1911.07.14