若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

MENU

氷河期世代の人生

社会生活基本調査

学業時間

2006年調査では大学生の1日当たり学業時間増加が30分ほど伸びており、以降も増加傾向である。1996年・2001年時点の大学生と2016年時点の大学生を比較すると、1日あたり学業時間は1時間も差がつくことになる。大学生ほどではないが、2000年代以降に学業時間が増加し続けているのは小中高で同様である。

 

余暇時間

f:id:HaJK334:20191125234953p:plain

社会生活基本調査では、社会生活を営む上で義務的な性格の強い活動を「二次活動」、これら以外の活動で各人の自由時間における活動を「三次活動」と呼んでいるが、2001年と2016年の20代前半(通学者)を比較すると、二次活動が68分増加している一方で三次活動は84分減少している。10代後半(通学者)ではそれぞれ46分の増加、49分の減少である。

学習指導基本調査

f:id:HaJK334:20210729193802p:plain
ベネッセ教育総合研究所が実施した学習指導基本調査では、2000年代以降に「個性・自主性」を尊重する教育観が大きく退潮したことが示されている。80-90年代が詰込み教育に対する反動としてゆとり教育賛美の時代であったこと、2000年代がゆとり教育に対する反動として伝統回帰の時代であったと考えれば納得できるかもしれない。

国学校読書調査

f:id:HaJK334:20210729193510p:plain

「子供の読書離れ」は概ね80年代以降に進行し90年代半ばにはそのピークに達している。読書離れが進んだ原因は不明だが、2000年代以降に読書率が大幅に改善しているのは「朝の読書運動」の浸透が主因だろう。

日本人の国民性調査

以下は全て20歳代の集計結果である。

#5.23 能力か功労か

会社で給料や賃金を決めるときに、その人の現在の能力を重視して決めるべきだと思いますか、それとも、その人のこれまでの会社に対する功労を重視して決めるべきだと思いますか?

#7.40 社会は公平か

[リスト]一般的に言って、今の日本の社会は公平だと思いますか。あなたの気持は、つぎのうちのどれに近いですか?

f:id:HaJK334:20210729180709p:plain

#7.5b* 公益と個人の権利

[リスト]つぎのような意見があります。あなたはどちらに賛成ですか。もちろん、場合により、また程度によって違うでしょうが、ひとくちでいうと、どちらを重視すべきでしょうか?

#9.6 日本人・西洋人の優劣

日本人は西洋人とくらべて、ひとくちでいえばすぐれていると思いますか、それとも劣っていると思いますか?

f:id:HaJK334:20210729180459p:plain

#9.12 日本の「科学技術の水準」

[リスト]現在の日本は「科学技術の水準」という点では、つぎの4つのどれに当たると思いますか?

f:id:HaJK334:20210729181028p:plain

いずれの設問においても、2003年調査の20歳代の回答傾向は明らかに異質である。この世代は他世代と比較して能力主義的かつ個人主義的であり、社会を公平だと感じてはおらず、敗戦直後の若者よりも日本の優越性を信じていない。


以上の結果から、学生時代は碌に勉強もせずに漫画やゲームに現を抜かしておきながら親や教師に甘やかされお花畑にも自分は人並みの生活を送れると人生を舐め腐っていたクソガキが社会に放り出されるや否や初めて自分の思い通りにならない事態に直面してなお自らの無能を省みられず全ては国と社会の責任だと二十年近くも不平不満を喚き散らし続けているのが彼の有名な氷河期世代様ということになる。

といったように、断片的な情報を継ぎ接ぎしただけの馬鹿げた物語などつくろうと思えばいくらでもつくれるわけで、いい加減にその粗雑な世界認識と過剰な被害者意識を改めて糞の役にも立たないポエムを垂れ流すのを止めてはどうかね…

アストラ製、40歳以上で検討 厚労省、「臨時接種」対象(共同通信) - Yahoo!ニュース

氷河期世代の人生 小学生→バブルまでを見物 中学→何かが変わった? 高校→これまでと違う 大学→不景気を実感 就職→氷河期 社会人→平成の大不況 30代→リーマンショック 40代→ワクチン臨時接種対象に ひどすぎる…

2021/07/29 14:41

「ながらスマホ」を馬鹿馬鹿しく危険な行為だと認知する人達について

「社会問題」を分析する際、社会学においてはしばしば構築主義と呼ばれる理論的アプローチが採られる。構築主義は社会的事象を言語学的行為と人間の社会的相互作用を通して主観的に創造されるものとして捉え、社会問題は「何らかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動」と定義される(Spector and Kitsuse 1973, 1977)。

「ながらスマホ」という社会問題は構築主義の有用性を示す格好の材料であり、ここでは(誰かがこの現象についてより深く考察してくれることを期待して)「ながらスマホ」の客観的危険性と、それに対する反応をとりまとめておく。

「ながらスマホ」の危険性

近年交通事故は急減している。2020年中に発生した全事故件数は前年比-18.9%の30万9,178件であり、うち死亡事故件数は前年比-11.9%の2,784件となっている。もちろん、交通事故は究極的にはゼロを目指すべきであり、年間3000人の死亡者という数字は無視できる数字ではない。それでは、交通事故を減らすための効果的かつ現実な対策とは何だろうか。

答えは不必要な運転をやめることである。これはITARDAが作成した通行目的別事故統計を見ても明らかであり、たとえば令和2年中「私用ードライブ」*1を通行目的として起きた死亡事故(車両・1当)は176件(2当含め233件)、全事故件数は7,677件(2当含め14,105件)である。つまり、不必要な運転をやめるだけで少なくとも全事故の3%, 死亡事故の6%程度を減らすことができる。

他方で、令和2年中の「携帯等操作」を事故要因*2とした死亡事故は1当・2当/車両・自転車・歩行者全ての事故を併せ10件、全事故件数は887件である。また、このうちの7割以上が車両による事故であり、死亡事故についてはその全てが車両によるものとなっている。数年前に耳目を集めた「ながらスマホによる自転車死亡事故」は3年に1件ほどの頻度で発生する極めて稀な事故であり、現在に至るまで1件も漏らさず全て全国報道されている。

なお、警察庁こちらで紹介しているのは交通事故統計原票上の数字である。念のため引用しておくと、令和2年の死亡事故件数は20件、全事故件数は1,283件である。なぜ数字が異なるかと言えば、「携帯電話使用等」にはカーナビ等注視が含まれるからである*3。このことについて、数年前までは特に注釈も無かった。たとえば、以下の二つの資料では平成29年中の「携帯電話使用等に係る交通事故」に1000件程度の開きがあるが、これは後者にカーナビ等注視が含まれているためである。

https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h30kou_haku/pdf/gaiyo/t14.pdf

https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/r01kou_haku/pdf/zenbun/t12.pdf

他の資料を精査すれば分かることなので別に隠蔽では無いのだが、数字を誇張していると言われても仕方が無いだろう。ちなみに、念のため警察に問い合わせた際の返信が以下である。

keisatu@npa.go.jp
2019/11/12 10:31
To 自分

警察庁ウェブサイトにアクセスしていただき、ありがとうございます。
山田様からの投稿を拝見しましたが、ご質問に対する回答は以下のとおりです。
○平成30年版の「交通事故件数」の「計」の欄には、第1当事者が原付以上の運転者の交通事故件数を掲載しています。
一方で、令和元年版の「交通事故全体」の欄には、当事者の限定のない交通事故件数を掲載しています。
○平成30年版の「交通事故件数」の「事故要因あり」の「小計」の欄には、第1当事者が原付以上の運転者で、その事故要因が「事故要因あり」の各欄に記載の合計を掲載しています。
一方で、令和元年版の「携帯電話使用等」の欄には、第1当事者が原付以上の運転者で、その事故要因が携帯電話等を通話目的又は画像目的で使用していた場合と、カーナビ等を注視中であった場合の件数の合計を掲載しています。
お答えは以上となります。

今後とも警察行政にご理解とご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

警察庁 広報室

「ながらスマホ」に対する反応

2021/07/24 19:21分時点で当該ニュースのヤフーコメントは1時間当たり907件が投稿され、その総数は5,797件、コメントランキングでは全てのニュースの中で4位となっている。「おすすめ順」によってソートした上位10件のコメントが以下である。「ながらスマホ」が原因か、踏切で電車にはねられ31歳女性死亡(TBS系(JNN))のコメント一覧 - Yahoo!ニュース

kdb***** | 6時間前
これはもう病気ですね。自分が踏切を渡り終えたかどうかすら分からないとは驚きです。

go_***** | 6時間前
車もバイクも自転車も、もちろん歩行者も取締りを強化して欲しいです。

相手が避けてくれると思っている人は、かなりの人に迷惑を掛けています。

tom***** | 6時間前
イヤホンもしていたのでしょうか。
徒歩もそうですが自転車に乗りながらイヤホンをしている人を見る度にとても危険だと感じます。

tak | 6時間前
運転手や乗客が気の毒。
歩きスマホは罰則を設けるべきだと思う。

pan***** | 6時間前
気の毒な事でしたが、撥ねられるまで気がつかなかったという事は・・本人とっては良かったのでは?
それに最後まで好きな事に夢中になれたのも幸いでした。
それよりも周りの人達がスマホに夢中で誰も声掛けしなかったのは・・不気味な光景です。

kaz***** | 6時間前
警笛がなっているのに、ここまでとんでもない集中?をする歩きスマホがあったとは…
申し訳ないですが、ご冥福を祈る気にもなれません。

ながらスマホは大変危険な行為であることを伝えなければいけない大人がこれですから、未来は暗いですね。
実際、私は自転車のながらスマホをしている人にぶつかられたことがあります、こちらが歩行者で立ち止まっていたのにもかかわらず。同様なことが複数回も。

ある種の薬物依存と同じ危険度です。大きな社会問題として国が強力に動かなければいけないのではと思います。

pth***** | 6時間前
厳しい言い方になりますが 自分の世代はながらスマホをしているにイラッとさせられています。ながらスマホしなければならない緊急事態など日常生活でそれほどあるものではありません。自分は、外出中のスマホへの対応が面倒なので、よほどの緊急事態以外はスルーしています。

高校生以下の子供の自転車でのながらスマホも多いし、子供のながらスマホを知らないのは親だけだと思います。

人が話しかけているのに、スマホの操作がやめられない人は礼儀として失礼だと思いますし、そういう人はいずれ友人や知り合いが離れていくことでしょう。

h_o***** | 6時間前
自動車やバイクだけでなく、歩行者や自転車でながらスマホやイヤホンしてる人も厳罰にして欲しい。
車を運転していて万が一衝突するようなことがあったらたまらない。

ear***** | 6時間前
大変気の毒ですが、今回じゃなくともいつかは同様な事故でお亡くなりになっていたかと思います。ご冥福をお祈りします。

 

はてなブックマークには同時点で131件のコメントが付いている。「人気コメント」の一覧が以下である。[B! 事故] 「ながらスマホ」が原因か、踏切で電車にはねられ31歳女性死亡(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース

"事故当時も踏切の外にいた人の多くがスマホを見ていて、女性に声をかけた人はいなかった" ここがディストピアだ。 / イヤホンして歩きスマホしてる人多いけど理解できない。怖くないのかな。せめてどっちかにしない?

2021/07/14 14:22

歩きスマホは結局相手に避けてもらってるだけだからね。そして電車は避けてはくれない。

2021/07/14 16:40

ながらスマホにしたって視野が狭すぎないか…。踏切の手前から遮断機の目の前に至るまで1度も周囲を見ないのもすごいな。「ながらスマホ」と一括りにするにはハイレベルすぎる。

2021/07/14 14:44

この前ベビーカー押したママさんがスマホ見ながら横断歩道渡っていて、片側3車線渡って中央に差し掛かった時に信号変わったの気づかず渡ろうとしてた。信号待ちの先頭だったからクラクション鳴らしたら超絶睨まれた

2021/07/14 15:50

本人的には「踏切の音が聞こえて目の前に遮断器が降りて来た」ぐらいの認知で、踏切に立ち入る前に遮断器が降りて踏切の外で電車の通過待ちをしている気持ちだったんだろうな。周りに声をかけてくれる人がいれば…。

2021/07/14 14:40

ダーウィン賞候補

2021/07/14 15:56

今頃異世界スマートフォンと共に過ごしているかもしれない

2021/07/14 14:53

明日は我が身。

2021/07/14 14:29

歩きスマホくらい気にするなと言う者は少なくないが、このような被害を見てもまだ言えるのかね。歩きスマホ同士でぶつかったり、足の弱い相手に無理に避けさせたり、避けられない障害者にぶつかったりもある。

2021/07/14 14:37

19時半で駅の脇なら人通りも多そうだけど、まぁむしろだからこそ正常性バイアスで警報器押せなかったのかなぁ

2021/07/14 14:42
「馬鹿馬鹿しい事故」について

なんだただの自殺か

2021/07/14 13:46

記事を読んだらお気の毒にという思いが全く無くなった。

2021/07/14 13:51

あまりにも間抜けな死因…。しかし、踏切の障害物検知装置にひっかからなかったんだろうか。

2021/07/14 14:48

珍しい女性によるダーウィン賞エントリー。

2021/07/14 14:49

ダーウィン賞候補

2021/07/14 15:56

今頃異世界スマートフォンと共に過ごしているかもしれない

2021/07/14 14:53

スマホから指示が出てたのだろう。「そこから動くな」

2021/07/14 15:03

すさまじいアホな死に方・・・。

2021/07/14 15:17

子ども居なかったらダーウィン賞の有力候補だな。時事性もあるし。

2021/07/14 15:52

命の危険が迫っていても没頭出来るくらい好きなスマートフォンを最期の瞬間まで触れて幸せな人生だったね。

2021/07/14 15:52

ダーウィン賞候補

2021/07/14 15:56

バカは死ぬ それが令和

2021/07/14 16:29

馬鹿が死ぬのは構わんが、運転士さんが可哀想過ぎる。。

2021/07/14 16:31


統計を見る限り、殆どの事故は馬鹿馬鹿しい事故である。上述の通り、昨年死亡した約3000人のうち200人以上は不必要に死んだ馬鹿であり、400人以上は漫然運転により何となく死んだ馬鹿である。カーナビやカーテレビを操作して死んだ馬鹿はスマホを操作して死んだ馬鹿とほぼ同数であり、景色に見とれて死んだ馬鹿はその10倍はいる。ちなみに死んだと書いているがこれは1当の死亡事故件数なので半数近くは殺しているはずである。こうした記述を不謹慎だと感じながら「ながらスマホ」に滑稽味や憤りを感じる人は今一度自分の認知を疑ってみた方が良いかもしれない。

*1:交通事故統計用語解説集では「(10) 「私用-ドライブ」とは、自動車(二輪、原付を含む。)の運転を主な目的として乗り回すことをいう。(例 気晴らし運転、ツーリング等)」と定義されている。

*2:自転車については「携帯電話の操作」、歩行者については「スマホ等の画面注視」。なお、「携帯等操作」には画面注視も含まれている。

*3:他にも齟齬が生じる要因がある。前者(ITARDA)が当該事故について最も影響を与えた主たる要因を計上しているのに対し、後者では影響度に関わらず携帯の使用を要因とする全ての事故を計上している。また、ITRDAが作成した事故要因別統計は通話目的の携帯操作を「雑談・携帯電話等で話していた」に区分しているため、これも警察庁発表の数字より小さくなる要因となるが、いずれもその影響は小さい。

非行少女の強姦経験率について

昭和53年から昭和55年にかけてI女子少年院*1に収容された14歳から20歳の少女200人に対して面接法により強姦経験の有無等を聞いたもの。当該調査の詳細は麦島文夫・坪内順子編『非行少女の心理』(有斐閣新書 1982)に記載されている。

f:id:HaJK334:20210708130051p:plain

200人のうち約半数となる97人の女子在院者が強姦を経験しており、5人に1人は初交時に強姦の被害を受けている。また、S54年入院者に対する調査では76人のうち24人(31%)が妊娠中絶を経験している。

平成3年に法務省が実施した特別調査においても同様の結果が報告されており、9女子少年院在院者401人のうち、初めての性交経験が強姦であった者は13%に上り、5人に1人は妊娠中絶経験を有している。また、売春ないしその類似行為の経験者は全体の45%を占めている。

参考として、内閣府男女共同参画局が全国の20歳以上の成人を対象として3年毎に実施している「男女間における暴力に関する調査」によれば、「無理やりに性交された経験(女性)」は概ね7%前後で推移しており、20-30代では1割強となっている。男女間における暴力に関する調査 | 内閣府男女共同参画局

 

 

*1:記述と著者の経歴から恐らく愛光女子学園のこと。

正規分布おじさんについて

7年前の話題だが「学力」の分布が必ずしも得点の分布と一致するとは限らないことを示す良い例なので取り上げる。

恐らくおじさんは次のような勘違いをしていたと思われる。仮に、ある集団の学力(あるテスト項目に対する正答確率)が正規分布しているとき、

f:id:HaJK334:20210701032247p:plain

学力下位集団・中位集団・上位集団のそれぞれに個別の学力テストを実施したならば、その得点分布もまた

f:id:HaJK334:20210701032220p:plain

このような分布になると思っていたのだろう。つまり得点分布の形=学力分布の形という勘違いである。より正確に表現すれば①世代集団の学力は正規分布しているはず②テスト得点が正規分布している③つまりこのテストは世代の学力分布を正確に反映している、という流れだと思われるが、詳しいことは本人に聞いてほしい。私には良く分からない。

ところで、学力調査の結果というものはそれがどのような調査であれ、概ね正規分布に近い単峰性の分布となることが通常である。たとえば、上掲のグラフのように「あるテスト項目に対する正答確率」によって並べられた各集団(下位・中位・上位)に対して、そのテスト項目と同じ難易度のテスト50問を実施したとき、各集団(50万人)の得点分布は次の様になる。

f:id:HaJK334:20210701032857p:plain

当たり前である。まずは、学力をある一定の値に固定した場合の得点分布を説明しよう。中学レベルの説明をすると、仮に50問で構成されているテストの場合その上限と下限、すなわち50点と0点のパターンはそれぞれ1パターンしか存在しないが、それが49点と1点ならば49パターン、48点と2点ならば{}_{50} C _2、47点ならば{}_{50} C _3…とパターン数は飛躍的に増えるのであり、そのため上限と下限が最頻値とならないことは常識的に考えて明らかである。また、高校レベルの説明をするならば、問題数をn、正答数をr、正答確率をxとして、正答数rの確率P_rと正答数r+1の確率P_{r+1}の比は

\cfrac{P_{r+1}}{P_{r}}=\cfrac{{}_{n} C_{r+1}・x^{r+1}・(1-x)^{n-(r+1)}}{{}_{n} C _r・x^r・(1-x)^{n-r}}=\cfrac{n-r}{r+1}・\cfrac{x}{1-x}

と整理できるため、

P_{r-1}<P_{r}>P_{r+1} \Leftrightarrow\cfrac{n-r}{r+1}・x<1<\cfrac{n-r+1}{r}・x

を満たす整数rを最頻値として単峰性の分布となる事は明らかである。或いは単に個々の受験者の得点分布は二項分布であると説明しても良い。それでは、その重ね合わせであるところの集団の得点分布はどうなっているのか。どうあれ山なりの分布になるであろうことは上記の説明より想像できると思うが、実際にはテストの特性、受験者の特性、見る者の感性等の条件によって変化するため具体的に示すしかない。たとえば、上記の50問・50万人のテストを1000問・50万人(学力下位集団)にするとどうなるか。

f:id:HaJK334:20210701034854p:plain

こうなる。問題数を増やしたことで(受験者特性の)測定の精度が上がったため、左側では重ね合わせの値が小さくなりギザギザが生じている。一方右側ではそもそも重ね合わせ自体が少ないため比較的滑らかな形状となっている。つまりは問題数を増やし、まぎれを少なくすれば、学力分布のヒストグラムに近づくわけである。

それでは逆に50問・1千万人(学力下位集団)にするとどうなるか。受験者を増やしても受験者個人の測定の精度は上がらないため、その分布は以下のように滑らかな正規分布に近い形状となる。ちなみにセンター試験共通一次試験)の得点は正規分布ではなく実際にはワイブル分布となっているそうだ。CiNii 論文 -  共通1次試験総合得点に対する分布のあてはめ

f:id:HaJK334:20210701035110p:plain

火事場の野次馬は日本の伝統

古来彼岸ノ火事ヲ見テ笑フ者アルモ泣ク者アルヲ聞カズ

尚甚シキハ火事ヲ見物スル者アリ人ノ家ヲ焼キ財産ヲ失ヒ老若男女狼狽奔走スル其有様ハ實ニ氣ノ毒ナル次第ニシテ人間畢生ノ大災難ト稱ス可キモノナレドモ遠方ヨリ見物スル者ハ毫モ之ヲ心ニ関セザル歟、古来彼岸ノ火事ヲ見テ笑フ者アルモ泣ク者アルヲ聞カズ然カノミナラズ出火ト聞テ見物ニ出掛ケ頓ニ鎮火スレバ却テ大ニ落膽シテ其顔色不平ナルガ如キ者アリ人間ノ心理實ニ驚駭スルニ堪ヘタリ然リ而シテ此心思ノ動ク所ハ元ト羨ムニモ非ズ妬ムニモ非ズ唯徒ニ一時ノ興ヲ催フスマデノ事ナレドモ世間古今ノ事實ニ於テ然ルトキハ之ヲ一種ノ人情ト伝ハザルヲ得ズ京都ノ俳人梅室ノ句ニ「愛相に、もひとつころべ雪の人」トハ是等ノ人情ヲ寫出シタルモノナラン

福澤諭吉, 『民情一新』, 1879, pp.131-132

火事場に赴くときの心得

〇火事場に行くには提燈を用ふるを宜しとす
〇親族朋友知人の火災なれば十分助力すべし
〇火事場に行きては人の防害になるべからず
自己の慰に行く可からず
〇火煙中を行くには地上を匍匐すべし
〇火災に際しては狼狽すべからず

進藤貞範等編, 『小学作法要録』, 1893, 武内教育書房, p.58

さん/゛\飲食ひして宜い機嫌になつて居る其時に不圖西の方を見ると大阪の南に當て大火事だ、日は餘程落ちて昔の七ツ過、サア大変だ[…略…]吾々花見連中は何も大阪の火事に利害を感ずることはないから焼けても焼けぬでも構はないけれども長與が行て居る[…略…]もう夜になつては長與の事は仕方がない「火事を見物しやうぢやないか」と云て其火事の中へどん/\這入て行た所[…略…]散々酒を飲み握飯を喰て八時頃にもなりましたらう、夫れから一同塾に歸つた所がマダ焼けて居る「もう一度行かうではないか」と又出掛けた、其時の大阪の火事と云ふものは誠に樂なもので火の周圍だけは大變騒々しいが火の中へ這入ると誠に静なもので一人も人が居らぬ位、どうもない、只其周圍の處に人がドヤ/\群集して居るだけである、夫れゆゑ大きな聲を出して蹴破つて中へ飛込みさへすれば誠に樂な話だ、中には火消の黒人と緒方の書生だけで大に働いた事があると云ふやうな譯で随分活溌な事をやつたことがありました。

福沢諭吉, 『福翁自伝』, 1899, 時事新報社, pp.123-125

癸卯天明三年六月廿七日火事場見物御停止被抑出

火事の節火消人數御定の外火事場へ罷越見物等致間敷段先條度々被抑出候得共近年自然と御締相破れ火事見物の者數多有之大勢立止り致見物或は火消人數の内へ交り若氣強勢に任せ又は酔狂の族も有之火消方の妨に相成其上怪敷者入込候節役目の者詮議の紛れに相成候由相聞前々被抑出候を相背き不屈の至に候自令今右體の儀無之様可相心得候若相背者於有之は無見遁姓名承屈奉行所へ申出候様此度改て御使番中并徒目附へ申渡候間懇に支配下へも可申含候事

池田成章, 『鷹山公世紀』, 1906, 吉川弘文館, pp.308-309

近頃向うでは子供の消防隊を造ることが非常に流行して居る、日本では火事があると、騒ぎばかり大きくして、野次馬の出ることが夥しい、其中には子供も居るが、それは皆見物だ。向うでは少年の消防隊を奨勵して消防の補助をさせる。米國ウイルコツクスといふ人は『消防は單に装飾事業のみでなくして、一種の教育的のものである、斯ういふ良い訓練事業はない』といふことを申して居る。

井上友一, 『井上明府遺稿』, 1920, 近江匡男

彼處に一本群を抜いて高い電燈が見えるでせう。あれが本牧の鼻です。私、おや、彼處が變に赤くなつてゐるが、あれは何處です、火事じやないのですか。彼處は鶴見で、いつも赤く見えるのですが、今夜は少し赤過ぎる、ひよつとすると火事かも知れませんよ。夕刊を讀んでゐた乗客の一人が我々の方を振向いて、淺野の事務所と工場が燒けてゐるのです、といふ。我々はお月見と火事見物を兼ねてゐる譯であるが、火事の現場が餘り我々から遠ざかつてゐるので、一團の鬼火のやうに見えるだけで、火事らしい壮観はない。もつと燃ゑてくれゝばよいと思ふ。おつとこれは失禮。

茅原華山, 『湖海静游記 : 一名常総遊記』, 1928, 内観社, p.6

火事見物を稱して彌次馬と云ふ 「彼等は人類共同のエネミーなり」

古來我國では、火事を櫻花咲く公園の花見か、或は海岸に漂着したる青年男女の抱合情死か、乃至は近年各地共大流行の野球試合でも見に行くのと同じ心持で駆け出す者が極めて多い様に思はれる。之を我が香川縣内に於ける最も近い例を以て言ふなればあの高松市内東濱町遊郭に於ける火災の如き恰も蜂の巣をくずした如く四方八方より押し掛けて來て警察官及消防組員の制止も、なか/\聞かず、右往左往し、消防の活動を著しく阻害して居る。所謂彌次馬と呼ぶ連中こそ、即ちそれである[…略…]又夫れを思ふて尚且つ花見氣分やお祭氣分で浮れ見るものがあつたとすれば、それは許すべからざる罪悪否人非人で、人類共同生活のエネミーであると云はねばならぬ。

槙井広一, 『消防実務要義』, 1929, 乃上印刷所, pp.333-335

"旅館の近邊ヨリ出火ス、然ルニ市中少モ不騒、火消人ノ外、餘人ハ其場ニ行ク事ヲ不免、殆ント周章セス、稍アリテ火消人數百人、種々異形ノ非常道具を車上ニ積、馬ニ曳カシメ來リ、皮ヲ以テ丸ク縫綴、如筧爲シ之ヲ屋根ニ投懸、其根元ニテ蒸氣ヲ以テ水ヲ押ス(但シ右皮ヲ以テ筧ノ如ク爲シタル者ヲポンプト云フ)水勢盛ニ噴吹シ、其近傍水溜リテ漣リ立ツ、且ニハ燔石ノ造築故傳燒スルコトナク、火ノ手盛ノ頃、隣家ノ屋根ヨリ一婦人兒ヲ携ヘ出テ見物ス、如斯出火ト雖モ敢テ周章スル事ナク至テ靜ナリ、間モ無ク鎭火ス。(亞墨利加渡海日記)"

"こゝに怪むべきは其隣家少しも騒がず、夫は書を手にして樓上より望み、妻は兒を抱き談笑して之を見る。(航米日録)"


火事は江戸の華とし、野次馬の群衆を恒とせるものと思惟せし一行はその騒がないのを不思議に思ったのも無理は無い。

尾佐竹猛, 『夷狄の国へ : 幕末遣外使節物語』, 1929, 万里閣書房

火事場の野次馬の集合は昔も今も變らぬものと見え、明和九年四月十五日の通達に

"前々より相觸候處出火之節、火事塲へ無用之面々多く相見え、防之節さゝへに相成不埒之至に候。向後各は不及申召仕之者迄も嚴敷申付、火事塲へ無用之者差出間候。(以下略)"

是と同意の通達が安永・天明の兩回に下されてゐる。後家中の人達が悠々火事見物に出た事が知れるではないか。

長岡市編, 『長岡市史』, 1931, p.282

どうか火災現場では消防隊の活動を妨ぐることなく、また消防隊出場途中に於ても社會公共の爲に各人が避譲して通路を開ひて貰ひ度いのである。吾々は何時ながら現場の野次馬には一方ならず作業の敏速を妨げられて居る。又消防作業の理解なく訓練なく加ふるに何等の統制なき圑隊の火災現場に殺到することは如何に消防作業に支障あるかは諸君の想像に一任しやう。

山川秀好, 『日本火災史 : 自大正15年-至昭和10年』, 1936, 雪州会

火事場に野次馬が大勢飛び出すとて、不心得なものが多いと云へん。野次でも一々取り調べれば、概ね普通の人と變りがない。働くべきに働き、人を助くべきに助けるのであり、一寸手のつけやうがないので、十把一束野次馬と見られる。

三宅雄二郎, 1937, 『人の行路』, 実業之世界社, p.193
火事は三國一の見物と申しまして…

一體朝鮮には火災が多く火災の度毎に火事場附近は見物の野次馬で埋つてしまふ。罹災の朝鮮人は多くは周章狼狽、大の男が聲を揚げて泣きくづれるさまは見るも氣の毒であるが、集つた群衆は誰一人として手傳ふでもなく全く面白い見物でもするが如く長煙管をくゆらせつつ悠々たる者もあるといふ風で、少しでも近寄つて見るつもりで押集るから消防上の邪魔になる場合が少なくない。

朝鮮人單獨の時には神妙に歩道を歩くがたまたまニ三人の連れがあると、道路の眞中をしかも一列横隊の形をとつて練り歩く癖がある。それに朝鮮人は些細なことで一人でも十分できることも二人でないと敢てしない性情があるが、三四人の連れがある時にはこの性情が手助つてかなり横暴なことでも平氣でやつてのけるのである。

上述の如き朝鮮人の群衆性に本市に於いていかに現はれてゐるかといふに、彼等は本市に来往するも多く場末に群居して特殊社會を形成し、容易に内地人と融和しやうとしない。彼等は殆んど衝動的に付和雷同性を有し、事ごとに群衆を構成して粗暴なる行動に出づるを常とし、労働争議に、借家争議に、或は學童が殴られたとか、老母が轢殺されたとかいへば、直ちに仲間を糾合し團結の威力を示して不当なる要求をなす風がある。僅かな言葉の行違ひや感情のもつれのために互に徒党を組んで相争ひ、女や酒を原因として血の雨を降らすといふ粗暴残忍なことも敢てする。かかる事實は日々の新聞紙の報道するところであつて、左に五六の實例を摘記する。

大阪市社會部調査課, 『なぜ朝鮮人は渡來するか』, 1930

日本の否定的特殊性を信じる人って彼らが馬鹿にする「ネトウヨ」と変わらないよなぁと前々から思ってるんですが最近はすぐDD論に回収されちゃって肩身が狭いです。あと勘違いされると怖いので念の為注記しておくと太字にしている部分は人間の普遍的本性だよねってことです。

 

 

corydalisさんについて

はてなで15年以上活躍されているcorydalisさんについてのまとめです。本当は時系列順に全て見ていこうと思っていたのですが、量が膨大過ぎたため、テーマごとにいくつか典型的な主張を引用しています。また、いつものようにこの記事を読まれたcorydalisさんの反応も追記する予定です。ちなみに、以下に引用した文章の大半はアニメの感想です。

学力低下

というか、自民盗を頂点とする特権階級が上位に居やすくするために周囲の学力をさげるゆとり教育を実施したわけで、あそこまで機械が発達するかどうかは別として10年か20年経ったら、かなりこのアニメで描写している世界に近づいていくような気はする。

PSYCHO-PASS 第2話 - カタログ落ち

日教組を批判してその実自分たちがゆとり教育を施して着々と日本人を愚民化してきた成果が今アベ政権になって花開いたといったところ。

Joker Game 第1話 - カタログ落ち

制度としていくらでも学問ができる状態なのにそのありがたさがわからなくてモンスターペアレンツみたいなのが出てくるし、果ては安倍のような売国奴が教育を私物化しているし、よりにもよって教育をつかさどる官庁がゆとり教育なんて知識をないがしろにして学力を低下させたしで、これが戦後教育によって急成長した国のなすことなのかね?

まおゆう魔王勇者 第7話 - カタログ落ち

うーん、学習内容を平易化すると基礎学力が向上するとの説明で実施されたゆとり教育のもたらした結果が、壮絶な基礎力低下だったというのと同じ臭いがする。

出張に出掛けて。 - カタログ落ち

60年代に全国学力テストが廃止されて以来、日本では大規模な全国学力調査や学習実態調査が殆ど実施されなかったため、ゆとり教育の影響を測定できる経年比較調査はそれほど多くはありません。私の知る限り、ゆとり教育の前後に実施され、またその結果が比較可能となっている大規模教育調査は以下の四つになります。

①ベネッセによる『学習基本調査』『学習指導基本調査』
苅谷剛彦・志水宏吉による大阪を対象とした学力調査(2001・2013)
OECD・IEAによる国際学力調査(PISA・TIMSS)
文科省による『教育課程実施状況調査』

corydalisさんのご希望に添えず大変申し訳ないのですが、いずれも「ゆとり教育」の実施後に学習習慣の定着や学力の向上傾向が確認されております(私自身はゆとり教育の成果とは考えていませんが…)。詳細については以下の記事をご参照ください。

おまけ

国際学力テスト、点が上がったと大本営発表。どうやら成績の良い生徒を選抜して取り組ませたらしい。知人の教員は新入生の学力が格段に落ちていると嘆いていた。

なんだろうね。 - カタログ落ち

PISA2012の結果が公表された後のcorydalisさんです。ショックの余りまるでネトウヨのようなことを言っています。PISAのサンプリング手順は全て公開されているので、一読することをお勧めいたします。PISA products - PISA ちなみに、上海では実際に優秀な生徒だけがPISA調査を受ける教育システムとなっています。詳細はルーシー・クレハン『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』 を参照してください。

学級崩壊

今の日本の牽引力になるとか、底辺の底上げに繋がったか?と言われると、プロジェクトXのような例もあるが、学級崩壊、学校崩壊、学力崩壊の事態に至っている。弱者に救いの手を差し伸べたはずが、その見返りがモンスターペアレンツだったわけだ。

なんかまた教育関係で政治屋が喧しいですなぁ。 - カタログ落ち

もしかしてお遊びに執心って、ゆとり世代による学級崩壊のメタファーかね?という気がしないでもないが、そういう感じはしない。

屍姫 赫 第2話「遊戯のつづき」 - カタログ落ち

初等・中等教育が、クレーマーの言いなりになってしまった*1ことで、学級崩壊・学校崩壊がおこって初めてモンスターペアレンツという名でようやっと問題化し、しばらく経つ。

カンニング推奨の世の中ってどうなの?。 - カタログ落ち

それまで容認されていた学校での体罰が許されなくなったのもこの時期だ。学校は子供のニーズに従え、子供はお客さまで、学校教育はサーヴィス業だとされたのもこの時期だ。だからこの流れの結果として学級崩壊もしくは学力低下が起こる。

 カンニング犯が未成年だということで。 - カタログ落ち

大変申し上げにくいのですが…PISAでは学力の規定要因を多角的に分析するため、生徒質問紙や学校質問紙を利用した調査も実施しています。設問項目の一つには学級秩序を問うものもあり、参加した41ヵ国中で最も秩序が保たれているのが日本という結果になっています。また、教師側への調査であるTALISにおいて同様の結果が出ており、生徒を落ち着かせるために教師が払う労力は世界最低水準となっております。

ゆとりは甘えとる

ゆとり世代は日本でも一番甘やかされ楽をしてきた世代なので、意識や行動などのあり方を今から変えるのは非常に困難だとは思うんだが、それでもやれと言っているのだろう。

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 第25話「Re;」 - カタログ落ち

個人的には氷河期世代はその直後のゆとり世代や今の若者に比べて甘やかされていたとは全然思っていなくて、というか、こうやって時間が経って結果が出たから結局の所ゆとりと現在の若者こそがポリコレ棒振りかざして甘えることを上の世代に受容させてきたよねということが明らかになったわけなんだが

■ - カタログ落ち

これが学校教育では今のゆとり教育で甘やかされている若者世代(45歳ならおそらく親がモンペ世代ともギリギリ違うはず)とは違い、しかも成人時にまともな社会情勢でもなく就職も厳しく、ならば結婚もできなかった(店長は結婚していたという設定だが)氷河期世代への鎮魂という要素がなかったら

恋は雨上がりのように 第4話 - カタログ落ち

甘やかされているのかを具体的に測定するのは難しいのですが、個人的には次の二つの行動を測定すればある程度推測できるのではないかと考えます。つまり、「やりたくはないがやらなければならないこと」と「やりたいがやってはならないこと」の二つです。前者の典型は勉強、後者の典型は犯罪でしょう。

f:id:HaJK334:20210217034459p:plain

これは「社会生活基本調査」の学校種別学業時間です。社会生活基本調査は自分の行動をリアルタイムで調査票に記入するという方式をとっており、生活時間に関連する調査の中で最も信頼性の高い統計となっています。H3年調査以前の高校生には中学3年生も含まれているため、その前後の単純比較は出来ないのですが、ゆとり教育実施以後(H18年調査)に全ての学校種で学業時間は増加しています。中でも、大学生の学業時間増加が著しく、H8年調査と比較すると20年で1日あたり50分以上の伸びを示しています。少子高齢化と大学進学率の上昇で大学生のレベルが低下していることを考えると、これは異常とも言える変化です。

また、犯罪については周知の通り、昭和58年(corydalisさん世代ですね)をピークとして減少を続けており、近年は毎年のように戦後最低を更新し続けています。ちなみに、(刑法犯少年の検挙件数が5年連続で戦後最低を記録した)2015年に実施された内閣府「少年非行に関する世論調査」では2.5%の人が少年による重大な犯罪が減った(「かなり減った」+「ある程度減った」)と回答しています。corydalisさんも書かれてましたが、世の中マスコミに騙される馬鹿が多すぎて困りますよね。

というわけで、私が調べた限りゆとり世代が甘やかされている証拠は見出すことができませんでした。もし何かご存知でしたら、コメントでお教え頂けると助かります。それにしても、50代にもなって毎日アニメとスマホゲーの話ばかりしている人が甘やかされた若者を嘆くというのはなんだか不思議の国のアリスです。

○○はゆとりのメタファー

世代的にはおそらく就職氷河期あたりだろうけどねぇ。はっちゃけキャラのオオハシとかちょっと冷静だが草食系っぽいトカゲはゆとり世代だし、新人の鶴はネット世代だから世相を意識してるのも間違いない。

■ - カタログ落ち

それと、今回気になったのはおそらく新入部員がゆとり世代のメタファーであるということ。自尊心が高く、かといってそれを裏づけするものが貧弱であり、周囲の気遣いをやたら要求する姿にはあっと思わされた。

ちはやふる2 第2話 - カタログ落ち

人に尽くされて自分から動こうとはしない特性はゆとり世代を思わせる*1のだが、うーん、なんだろ?、主人公以外のキャラはかなり積極性があるような描写なので、別にゆとりを狙っているってわけでもないんだろう。

 RDG レッドデータガール 第1話 - カタログ落ち

今回前向きに捉える部分があるとすれば新入部員の成長のところ。役柄が与えられて仕事の中で自分で判断して成長していく部分は理想的な職場環境なんだよね。教えてくれないからやる気が出ないっていうゆとり世代も初めっから実戦力になっていることを期待して組織内の成長環境を全く整えないポスト団塊経営層もまったくお話にならないわけで、やはりこれも理想的な組織とは…という提示になっている。

 モーレツ宇宙海賊 第18話 - カタログ落ち

先進国でのこういった、頭脳労働主導&実態生産は海外に外注って形が果たして地域経済…というより日本全体…の建て直しになるのか?という疑問が自分にはあって、それは多分にこの前も言及したバカをあやつれ!に見られるように、日本人の総消費者化&ゆとり教育による頭脳労働の基礎をなす知識の浅薄さを懸念してのことなのだが、なんともこの4人の志望が砂上の楼閣なんじゃないかと思えて仕方が無いのだ。

たまゆら曜日…なんだが。 - カタログ落ち

どっちにせよ皆人もしくはそのセキレイには自分たちの実力では歯が立たないことを知っていたわけだろ。いくらゆとり世代を髣髴させるキャラとはいえ、実際の人間ってあそこまで愚かなんだろうか?

セキレイ Pure Engagement 第8話 - カタログ落ち

汚染獣が外にはウヨウヨいるってのは、さすがに現代社会の厳しさのメタファーなんだろうけど、果たして学生たちが今の日本人のメタファーなのか、それともゆとり世代の少年少女のメタファーなのか今一迷う。

鋼殻のレギオス 第5話「死の大地に潜む敵」 - カタログ落ち

しかも真相を知って反省し、何か出来ることは無いかと動いてみるが、ヘタれているって現状のネトウヨの三歩先というか未来を予測しているかのようであるが。で、ピーリスはなにか?、ゆとりかなんかのメタファーなのか?。

機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 第6話「傷痕」 - カタログ落ち

というより、これからゆとり世代が社会に出てくる段階になっているわけだが、入社して研修段階にある新入社員のメタファーといったほうが適切かもしれない。

魔法遣いに大切なこと 〜夏のソラ〜 第7話「岐路」 - カタログ落ち

人と人とが繋がっていく様子が見事に活写されていたと思う。アメリカ人も評価しているという事は、あちらでもゆとり問題はあるということだろうか。

オリジナルもの - カタログ落ち

ちょっと面白かったので引用しました。まるであらゆる物事を韓国と結びつけてしまうネトウヨのようです。

小ネタ

全てはユダヤの掌の上

たぶん今までの日本の生産力を支えて来た技術力とやらが、'80年代にピークを迎え、今、ゆとり教育の成果も挙がって転落真っ最中で、ユダヤにとっては熟した果実を刈っている最中であろう。後に残るのは特権階級を羊飼いとする、残りの大多数の在来の日本人が奴隷として搾取される人間牧場だ。

ユダヤ の検索結果 - カタログ落ち

ヴァーチャル・リアリティ・corydalis

さて、第1話を見て、なんかこっ恥ずかしい感じだな。準スポ根ってことで、コーチがよくある学校の教師でなく、高校生ってのが結構目新しいなと思っていたのだ。選手がなんか純粋というか、ゆとり教育の広まった現在では結構親子共々すれっからしなケースを耳にする事が多いので、このすがりつきようはなんともリアリティが感じられない。

ロウきゅーぶ! 第1話 - カタログ落ち

改訂年度と実施年度は違います

勉強しなくてもいい学習塾って…と思ったら、この作品が公開された1977年は、学習内容が削減されていく、いわゆる「ゆとり教育」の開始年でもある。月に関する豊富な知識といい、なんか今回やけに濃い内容だったような気がする。

タイムボカンシリーズ ヤッターマン 第28話 月世界のかぐや姫だコロン - カタログ落ち

まあとりあえずこんなもんでしょうか。後はcorydalisさんの反応を楽しみに待ちましょう。

corydalisさんからお返事がきました
コメント1

お早いお返事をいただきました。ありがとうございます。また気が向いたらお気軽にコメントしてくださいね。

「50代にもなって毎日アニメとスマホゲーの話ばかりしている人が甘やかされた若者を嘆くというのはなんだか不思議の国のアリス
 個人攻撃が目的のようですので、正直真剣にお答えするのも差し控えさせていただきたいのですが、エントリーを眺めさせていただいた限り、割と高学歴の方だとお見受けいたしますので、中堅や底辺校のことはあまり考慮に入れてはなさらないのかと存じます。

こういうのいっつもやっちゃうんですよねぇ私…それにしても皆さん自分に向けられる悪意にだけは敏感ですよね…

 

PISAは前述のとおり上澄みだけの統計ですので、自分が考えている学力の二極化やその後の中堅層の切り捨てをゆとり教育の成果とすれば、それは統計には現れにくいことになります。

「上澄みだけ」というのが何を意味しているのか良く分からないのですが、PISAの調査対象母集団は「日本の15歳児」なので(本当はもう少し複雑です)、この母集団を上手く代表するようにサンプリングが行われています。たとえば、PISAでは一次の抽出単位としてまず学校が抽出されるのですが、その際に「公立・普通科」「公立・専門学科」「国立/私立・普通科」「国立/私立・専門学科」などのグループに層化されています。

また、僻地の学校や小規模校のデータを正しく反映するために、それらのサンプルサイズを一旦大きくとった後、そのデータに重みづけをすることで母集団の比率に近づけるといった工夫などもされています(オーバーサンプリングと言います)。調査設計の観点から言えば、現時点でPISAのような大規模国際学力調査以上に優れた全国学力調査は存在しないのが現状です。

ちなみに、PISA・TIMSSにおいて学力の二極化傾向は確認されていません。また、学力の「ふたこぶ化」を示した研究としては、苅谷剛彦らが2001年に実施した大阪学力調査が有名ですが、ゆとり教育実施後に行われた後継調査ではふたこぶ化が解消されていたことが分かっています(これを「2003年以降の脱ゆとりの成果」としているのがまたややこしいんですよね…)。

 

あなたが若者を持ち上げて社会をどうしたいのかはよくわかりませんが、自分の若者批判が無意味であるように、あなたの若者に対する「よかった探し」もなにか意味があるとは思えません。

別に持ち上げているわけではないのですが…糞の役にも立たない噂話や直観よりも、データを重視する姿勢がそれほどおかしいのでしょうか?正直言ってcorydalisさんが思い付きで書いた妄言と一緒だと言われると少し傷つきます。

 

自分も最初は自民盗政府に切り捨てられる地方をなんとか盛り上げられないだろうかという視点もありましたが、今やチラ裏と自覚してエントリーを上げております。あなたがそういう立ち位置でないなら、各エントリー群が少しでも社会の向上に役立つものになるものとお祈り申し上げて〆とさせていただきます。

老婆心ながら…「自民盗」のような造語を何の前置きも無く書くと一発で「ヤバい奴」判定されますよ…

コメント2
結局その結果は国の調査報告として公表されたようですから、そうそうあることではないですが、データに関しての信頼は自分の場合参考程度にしかなりません。ましてや行政の主導者として、自分の示した方向性が悪い結果を出したことになったら戦犯扱いされてしまうので、国の発表するデータがそういう都合の悪いものをオミットするだけの動機は十分にあります。
公表されたPISAのデータは国にとって都合の悪いものなのですが…PISA2003の結果が発表されるまで、文科省ゆとり教育推進の立場を堅持していましたし、脱ゆとりの方針が決定された後のPISA2009-2012の好成績は、ゆとり教育擁護派によって成功の証拠として引用されています。また、脱ゆとり実施後のPISA2015-2018では連続して成績を下げてしまったのですが、文科省はこれをテスト設計の変更が原因だと主張しています。もし、私がPISAの結果を自由にできる立場にあれば、いずれも逆の操作を加えます。
 
噂話とのご指摘ですが、小学校が動物園だという感想も、自分の子供の授業参観に参加してその友人は事実を述べてくれたのであり、どこのだれのだかわからない詳細が丸められてるデータより個人的にはより実感が深いと思います
EBMEBPではエビデンスをその強さによってランク付けをする"Hierarchy of Evidence"という考え方が一般に採用されています。その内、十分な実践経験を持つ専門家(専門委員会)の意見は、いずれの定義においても最下層に位置付けられており、そのエビデンスレベルはあまり高くありません。
たとえば、1970年に全国教育研究所連盟が全国の教員に実施した「義務教育改善に関する意見調査」では、小・中学校教師の半数が「児童・生徒の半数が学習内容を理解していない」と回答したことで、全国的な「詰込みバッシング」が起こりました。
その後、日教組と国民教育研究所による学力調査の結果などを受け、文部省は学校教育の方向性を「詰込み」から「ゆとり」へと大きく転換することになります。これは、十分な検討もなされないまま、専門家の意見によって学校教育が大きく変えられてしまった一例です。
(通じているのか不安なので念のため書いておきますが、「専門家ですら」と言う文脈です)
 
後出しじゃんけんで申し訳ありませんが、地方の、中堅校というほどしっかりしてるわけではないが底辺校というほどめちゃくちゃでもない微妙な高校に勤務していた友人は、進学クラスの約半数が〇割引の計算ができなくてビックリしたという話をしてました。
1976年に神奈川県教育委員会が二つの工業高校の高校1年生を対象とした学力調査では、小学4年生レベルの算数を理解していない生徒が18%, 小学6年生レべルを理解していない生徒が64%, 中学1年生レベルを理解していない生徒が68.3%から78.4%という結果になっており、これは当時の参議院文教委員会でも取り上げられています。具体的には次のような問題でした。

-\displaystyle\frac{1}{5}+(-\displaystyle\frac{1}{3})×(-1\displaystyle\frac{1}{15})

この問題の不正解率が64%です。ちなみにですが、どこの誰とも分からない、実在するかも分からないあなたの友人の話を私が信じなければならない合理的な理由はありませんが、私が引用した神奈川県の学力調査の詳細は1977年の百科年鑑に記載されており、誰でも参照することが可能です。

余談ですが、先に挙げた国民教育研究所の調査では、中学3年生の40%が母という漢字を書けず、基礎的な小学生レベルの漢字100字の読みについては、中学生1年生の26%が70点を下回っており、四人に一人が教科書をスムーズに読めない状況にあると分析されています。この調査は当時各紙が一面で取上げ、「詰込み」から「ゆとり」への決定打となったのですが、今では余り覚えている人もいません。

 

あなたのいうデータが本当に現実を反映して学力が向上しているのなら、その割合を理解していない進学クラスの高校生がいること自体がどうにもおかしいことになります。

学力が向上しているのどうかは、厳密な手続きを経て測定するものであり、corydalisさんの実感によって判断されるものではありません。たとえば、鈴木(1992)は非理系大学生370名に不等号の読み方を聞いていますが、正解率は50%を切っています。一般的には「衝撃的」な結果かもしれませんが、ここから当時の大学生の学力低下を導くことは出来ません。

 

ゆとり教育への擁護がしたいようですが、実際現場にいた人たちの話を聞くと、数年は仕方なく従っていたが、あまりにも学力低下が酷いので運用を変えたといってました。一時期話題になった陰山も百マス計算で有名になりましたが、彼の著書を読むと、ゆとり教育に寄り添ったのではなく、むしろ家庭での人間関係に着目して「環境」を改善したとあります。実際調べもの学習をしてもそれを検証したり応用するためのものが地方にはなかったので、現場で基礎学習を徹底したという話もよく聞きました。文部省があとから基礎基本の充実のためにと言い出したのは、アレは確実に後出しじゃんけんです。

良く誤解されるのですが、私は別にゆとり教育擁護派ではありません。たとえば、上に書いた通り社会生活基本調査では2000年代半ば以降に学業時間が増加していますが、それが「ゆとり教育」の成果であるのか否かに余り興味はありません。というか、私自身は素朴にゆとり教育に対するバックラッシュの結果だと思っています(特に根拠はありませんが)。前掲のベネッセ学習調査では調査者達が「2001年はゆとり路線が一番進んだ状態にある」としていますが、概ね私も似たような認識です。ちなみに、基礎・基本の徹底は中教審答申でも「学びのすすめ」でも強調されています。

 

もう十年前の話だと思うのですが、エントリー中でも述べられている通り、二コブの状態から、三ツ山のグラフをベネッセかなんかの資料で見た記憶があります。個人的にはその三ツ山が平準化されたらそりゃ低山カーブになり、格差は見えにくくなるだろうとは思います。

恐らく、言及されている資料は高等学校教育課程実施状況調査に関するものだと思われますが(ちなみに二コブ→三ツ山ではなく、三ツ山→二コブです)、当該調査は生徒の学習到達状況(通過率)を測る調査であるため、問題毎の配点が設定されておらず難易度調整も行われていません。加えて、問題数が少ない(A冊子・B冊子各15問程度)場合は得点の組み合わせが減少するため、そのヒストグラムには極端な凸凹が生じます。このような場合にはkernel分布などを使って平滑化するのが一般的です(移動平均をイメージしてもらえば分かりやすいと思います)。実際に、当該調査のデータを利用した二次分析では2002年のデータが平滑化されており、三ツ山ではなく二峰性の分布となっています。

 

いっちゃぁなんですが自分の場合、いくら手順が公開されていても過程を観察できないデータを信用する段階はとっくの昔に卒業してるのです。上記の通り、そのデータが本当に現実を反映しているのなら、自分の友人から聞こえてくる事実は何なんだというのが新たな出発点になってます。

それは卒業とは言いません。アイドルみたいなことを言うのはやめてください。まるで碌に勉強もせずに「勉強が何の役に立つんだ」と嘯くクソガキのようではないですか。後半の疑問についてはそんなもの友人と自分の胸に聞いてくれと言いたいのですが、一般書として、スチュアート・ サザーランド『不合理』, ハンス・ロスリング他『FACTFULNESS』, ターリ・シャーロット『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』, 北村英哉・唐沢穣(編)『偏見や差別はなぜ起こる?』をお勧めいたします。すべてKindleで購入可能です。

コメント3

あなたは一切自分の疑問について答えていません。

マジですか。

 

それに「ゆとり教育」の実施後に学習習慣の定着や学力の向上傾向が確認といったのはあなたです。前提を真逆にしてわめきたてるのはやめていただきたい。

はい。ゆとり教育実施(2002年)後に学習習慣の定着や学力の向上傾向が確認されています。それが「ゆとり教育の成果」であるかどうかについて私は余り興味がありません(というか確認しようがないです)。一応確認したいのですが、あなたは「(2002年から実施された)ゆとり教育」を受けた世代を「ゆとり世代」と考えているのですよね?

 

自分に都合の良いデータだけを集めて悦に入るあなたこそ、ご提示の書籍を読み直されることをお勧めいたします。

出来るだけ網羅的にデータを収集するようにしているのですが…私がこのようなブログを書いているのも、批判や反論によってより良い認識に近づくためです。何かデータをご存知でしたらお教え頂けると助かります。

若者論の危機

若者論の意義

(恐らくは)古代から今日に至るまで、連綿として繰り返されてきた若者論の存在意義とは何か。私は若者論の逆機能とでも言うべき現象がその一つであると思っている。ここでいう逆機能とは、若者論において特定の若者像が強調されるほど、当の若者の実態がそのイメージから乖離していく現象のことだ。たとえば、90年代後半から2000年代前半に猖獗を極めた「少年犯罪の増加」という言説に反して、2000年代半ば以降に少年犯罪は減少を続け、現在では戦後最低を毎年のように更新している。

この現象に大した裏付けがあるわけではない。むしろ、ラベリング理論や予言の自己成就、ピグマリオン効果等々、他者の認識によってこそ自らの行動が規定されるとする理論は多い。ここで言いたいのは、若者論が逆機能を持っていない限り、その存在意義は無に等しいか、或いは有害でさえあるということだ。たとえば、「子供の読書離れ」が叫ばれた結果、多くの学校では朝の読書運動が導入され、それにより2000年代半ば以降に児童・生徒の読書習慣は大きく改善している。これは若者論の逆機能によって社会が改善された一例だ。

加うるに、若者論の変遷を追っていくと、性交経験率の低下や消費性向の低下、或いは自動車保有率の低下等々、近年の若年層に特有とされる諸問題は、いずれもその直前に全く正反対の事態が問題視されていたことが分かる。草食化の前には「若者の性の乱れ」が、嫌消費世代の前には「大衆消費社会の弊害」が、クルマ離れの前には「交通戦争」が解決すべき社会問題とされていたのである。もし、これらの変化に若者論が多少なりとも寄与していたのであれば、それこそが社会における若者論の存在意義ではないか。

存在意義を失った若者論

然るに、そうした社会的意義の一切を放棄した若者論も存在する。次のような主張だ。 

これが恐らく30代以上の人間によって書かれたかと思うと、その思考と文体の幼稚さに眩暈がする。というのはただの感想なので、まずは事実を検討するところから始めよう。

一瞬で消費できる作品を好んで(プラットフォームの時間の奪い合いだから仕方ないかもしれんが)

シコ以上の価値の無い萌え系やエロやフェティッシズムを好み

ナチュラルに冷笑してて弱者や女子供、外人やボランティアを蔑んで

ひろゆきみたいなクズ系インフルエンサーばっか崇拝して

ウヨの字幕動画やオリラジ中田の動画で間違った歴史を覚えて

ソシャゲでギャンブルもどき嗜んで

ネットのやり過ぎである。いずれもまとめブログで描かれるような若者像であり、実証的根拠は殆ど無い。"一瞬で消費できる作品"が何を指しているのか定かではないが、たとえば漫画と小説の対比ならば、今の10-20代は30-40代よりも遥かに読書量が多い世代である(学校読書調査)。というよりも、今の30-40代は前後の世代と比較して突出して読書量が少ない世代だ。"シコ以上の~を好み"とあるが、性欲を満たしてくれるものは人間にとって至上の価値がある。なお、若年期に性行動が最も活発化したのは今の30-40代である(青少年の性行動調査)。

"ナチュラルに冷笑~蔑んで"とあるが、社会生活基本調査によれば、ボランティア行動者率は50代以上で増加、それ以下の年代で減少しており、中でも30-40代の減少率が最も大きい*1。"ひろゆきみたいな~ばっか崇拝して"とあるが、件の調査におけるひろゆきの得票率は約2%であり、崇敬の念を抱いているかは問うていない。また、他の年代に対する調査が実施されていない以上比較は出来ない。

"ウヨの字幕動画やオリラジ中田の動画で間違った歴史を覚えて"とあるが、『ネット右翼とは何か』によれば、40代以上の全ての年齢層において「年齢」がネトウヨの規定要因として有意になっている。結果として、最もネトウヨが多いのが40代、最も少ないのが20代となっている。"ソシャゲでギャンブルもどき嗜んで"とあるが、いみじくも増田の指摘する通り、ソシャゲとギャンブルは大差がない。競馬や競輪等の公営競技やパチンコの売上が減少し続けていることはレジャー白書に示されるとおりである。

こんなのがデフォの今の若者って明らかに「クズ」だよね? 

連中の為に俺たちが身銭切って「若者に住みよい社会」=「老人に居心地の悪い社会」

なんて作っていきたいか? 

アイツらの好きな社会にしたらそれこそ民主主義なんて紙切れみたいなもんだろ

したがって、増田の基準に照らしてどちらが「クズ」なのかと問われれば、現在の中年世代が「クズ」であるということになる。もちろん、クズだからといって社会的包摂から排除してよいことにならない。

ホントにさ、テレビや雑誌、小説で育った世代とは違うよ

ネットの影響力は今までの牧歌的メディアより遥に強すぎるもん

え? 昭和はヤンキーとか居たって? でもソイツらSNSや発信手段持ってなかったじゃん

田舎でちっさい人生終えるだけだったからほとんど影響なんてなかったよ(バカだから選挙もいかんしな)

今はどんな底辺でもコンテンツになって(というか底辺ほどコンテンツとして強いな)

高学歴すらこのマインドに影響されて、ノブレスオブリージュなんて言葉吹きとんじまったじゃん

先述の通り、今の中年世代(だけ)は小説で育っていない。ネットの影響力が強いのは同意するが、だからこそ情報教育も受けずにネットに触れてしまった中年世代のリテラシーが問題にされるべきだ。2000年代のネット空間が人種差別・性差別・年齢差別・ホモフォビアで溢れていたことを忘れて誇らしげにネット強者面している中年もいる。"このマインド"がどのマインドを指すのかは不明だが、日本の歴代興行収入1位の映画はノブレス・オブリージュの尊さを描いた作品である。やや古い調査となってしまうが、日本人の国民性調査では若年層の利己主義的傾向は明らかに減退している。

若者論の危機

事実の検討はこれくらいにして、若者論の意義というところに話を戻そう。少なくとも80年代までの若者論は、それがどんなものであるにせよ、その根底には必ず「社会と青年の架橋」という視座があった。それは未だ成熟していない青年を社会の成員として取り込む試みでもあれば、若者の「新しい価値観」に社会の変革を期待する眼差しでもあった。それが90年代以降、若者の劣化言説が広まる中で失われていった云々という話は後藤和智の『「あいつらは自分たちとは違う」病』(日本図書センター 2013)を参照していただくとして、ついに来るところまで来てしまった。

後続世代のために社会資源を残す必要は無いと公言し、あまつさえそれを「あいつらがクズだから」と言ってのけるのだから言葉も無い。思うに、増田は若者を異常だと思う以上に、自分達のことを「まとも」な世代だと思っているのではないか。それなりに勤勉で、それなりに道徳心があって、それなりに教養も備えた一般的常識人…残念ながらそのような事実はない。少なくとも、学業時間が最低を記録したのは90年代後半であり(社会生活基本調査)、少年犯罪は80年代前半にそのピークに達した。90年代前半には中学生の半数以上が月に1冊も本を読まなかったのも今は昔である。

とまれ、若者論の未来のためにも、増田のような主張は看過できない。若者論から社会的視座を奪ってしまえば、後に残るのは糞の役にも立たない糞そのものである。この記事を読んで一人でも多くのおっさん*2我が身を省みてくれれば幸いだ。

 

 

 

*1:社会生活基本調査において「ボランティア活動」が調査項目に導入されたのは平成13年調査以降

*2:小谷(1992)によれば、若者論というジャンルの中で女性が対象となることは驚くほど少ない。これについては私も全く同じことを感じており、その理由の一つして、若者論者の多くは男性に偏っているからだと考えている