氷河期世代の不遇について
「氷河期世代」という人格的な実体が存在するとは思いませんが「自分は氷河期世代だ」と宣う人は実在するのでその意を汲んで彼らを氷河期世代と称することにします(面倒くさい前置き)。
大学受験が熾烈を極めた氷河期世代
同世代の人数がとにかく多い。つまり競争相手が多すぎて大学受験が熾烈を極めたのだ。
極めていません。より正確に言えば、受験倍率の高さは増田の想定するほど学生の行動には影響を与えませんでした。以下のグラフは不合格率と学業時間*1の相関を見たものですが、不合格率が右肩下がりを続ける一方で、学生の学業時間は90年代後半から2000年代初頭を底としてその後大きく回復しています。なお、ここで「不合格率」としたものは、「1-(過年度高卒者含む四年制大学入学者数)/(過年度高卒者含む四年制大学志願者数)」の値です
つまり、増田の主張には「必死に頑張ってきたのに…」的な含意があるわけですが、別にそうした事実はありません。特に大学生の学業時間については、大学のレジャーランド化と言われていた時期の学生と今の学生を比較すると隔世の感があります。これは大学生のレベルが必然的に下がっていることを考慮すれば、いっそう驚くべきことです。
国に見捨てられる氷河期世代
人数が多い世代だからといって、大学のキャパを急に増やしてくれるわけではない。
増やしてくれました。いわゆる「臨時的定員」の増員がこの時期に実施されています。まあ臨定の受け皿は殆どが私立だったと言われているので、国公立は余り関係ありませんが…ちなみにこの臨定が後に5割恒常化することで大学全入時代の到来を早めたとも言われています。
おまけ
断片的な情報をつなぎ合わせれば如何様にも物語をつくれるという実例です。