江見圭司 『ゆとり教育で不足した学力はどこで補完するのか』
10年くらい前にどこかで話題になっていたような気がするんですが、確かなことは忘れました。ともかく、今回はこの論説を検討していこうと思います。思ったより大部になってしまったので、長すぎる、面倒臭い、という方はせめて「4. 学力の国際比較」だけでも読んでもらえると有難いです。また、今回もいつものように筆者の江見圭司氏との対話を追記しようと思います(反応があれば)。
1. ゆとり教育?
1.1. ゆとり教育以前に何がおこったのか
1.2. 学習指導要領
特に問題の無い正確な記述だと思います。
2. ゆとり教育
2.1. ゆとり教育のはじまり。
私が中学校に入学した1981年に中学校のゆとりが始まった[5]。英語が週4時間だったのが週3時間になり,英語学力の低下はだれの目にも明らかになった。このことが,補習塾が繁栄する要因を作ったのである。
学力が低下しているか否かは誤りの多い人間の直観によってではなく、適切な手続きを経た上で科学的に検証されるべきものです(後述)。筆者に限らず科学研究に携わる人間の多くが「だれの目にも明らか」「周知の通り」「ひしひしと感じる」といった情緒的な表現で学力低下を論じていた(いる)現実こそ、日本の科学教育の敗北を示唆しているのかもしれません。
英語の授業時数の変遷については別のページにまとめてありますが、ここでも簡単に説明しておきます。77年改訂では英語が週3コマとなったのは筆者の指摘する通りですが、89年改訂では再び週4コマ実施することが可能となりました。ただし、77年改訂と89年改訂の総授業時数が同じであることから分かる通り、英語を週4コマ実施するためには別の教科時数を削減する必要があります。
具体的には、第一学年では「特別活動」、第二学年では「音楽」「美術」「特別活動」、第三学年では「社会」「理科」「保健体育」「技術・家庭科」「特別活動」のいずれかの時数を削減する必要があります。(00年代の)ゆとり教育を批判する文脈においては無前提的に「(89 年改訂の)週4時間から(98 年改訂の)週3時間に減った」とされることもあるのですが、実際にどれだけの学校が英語の時数を増やしたかは定かではありません。
また、98年改訂では必修教科となった英語の授業時数は315コマ(週3コマ)に設定されていますが、これに加え小学校の総合的な学習の時間では年間10コマ程、中学校の選択教科で30コマ程実施されているため*1、実質的には週3+αと表現するのが妥当でしょう。
それでも,1974年度生まれまでは第2次ベビーブームだったので,高校入試や大学入試が厳しく,塾のおかげで学力低下はそれほど問題にならなかったのである。(中略)大学入試では一流大学になると浪人は当たり前だった。また,大学・短大への合格が難しかったというのは,合格率からもわかる。合格率が最も低いのは1990年で,1971年度生まれが18歳のときである。
念のために補足しておくと、競争の激しさ(不合格率)と学業時間の相関は2000年代半ば以降に正負が反転しています。なお、ここで「不合格率」としたものは、「1-(過年度高卒者含む四年制大学入学者数)/(過年度高卒者含む四年制大学志願者数)」の値です。
ちなみに高校だけではなく、他の学校種においても同様の傾向となっていますが、特に大学生の学業時間が著しく伸びています。進学率の上昇と少子化により、必然的に各大学・大学生全体のレベルが低下することを考えると、驚くべきことと言えるかもしれません。少なくとも、統計を参照せずに噂話と実感だけをものを語る人間には生涯辿り着けない知見だと思われます。
2.2. 第二次ゆとり教育
このような観点から,またもや理数の時間は必然的に減るしかなかったのである。英語(外国語)は1981年以来,時間数は減っていたので,これ以上減ることはなかったようだ。
何を言っているのか良く分からないのですが、以下は小中学校における各教科の授業時数の変遷です。
89年改訂では小学校低学年の理科が生活科に統合されたため、見た目の時数はその分減少していますが、小学校3年以降の理数科の授業時数は77年改訂と89年改訂で変わりません。もしかすると、中学校理科の時数に幅があることをもって「減った」としているのかもしれませんが、これは先ほど説明した通り英語とトレードオフの関係にあるためです。
つまり、理科の時数が減少すれば英語の時数が増えるのですが、わざわざ「英語はこれ以上減ることは無かった」と書かれていますので、ひょっとすると授業時数の変遷について良く理解されていなかったのかもしれません。
1997年の大学入学者あたりから,本格的に学力低下が見られ始めた。教育の情報化や隔週土曜日の休日化をはかるために,1992年小学校,1993年中学校,1994年高等学校で第二次ゆとり教育が断行されたのである。1978年度生まれが中3(1993年)から第二次ゆとり教育で1997年に大学に入学して来ることになるが,大学で「学力低下」が叫ばれたのはこのときからである。その後,年々学力は低下していく。そして,1999年には「分数ができない大学生」という本[7]まで出版されるに至る。
学力低下の根拠が一切提示されていません。また、「分数ができない大学生」は市川(2002)や後藤(2012)、その他論者が指摘しているように、同書の中で分数が理解できないとされる2割の学生は、実際には分数問題5問を全問正答できなかった者の割合です。この5問の全問正答率は78.3%だったため、各問が均等で独立であると仮定すると、1問あたりの正答率は約94%と計算できます。この程度の計算が出来ずに調査結果に衝撃を受けた理系の研究者は数知れません。正に日本人の学力低下を象徴する出来事でした。
また、戸瀬・西村の調査は経年比較調査ではありません。比較対象が設定されていないということは、学力の変化を論じることはできないということです。仮にも理数系の研究者である筆者に科学調査のイロハを教え諭すのは心苦しいのですが、指摘せざるを得ません。実際、国際大規模学力調査であるPISAでは正にこのようなリテラシーを問う問題が頻出します。
こで冷静になってほしい。1980年にゆとり教育が始まって以来,一貫して学習した内容は減っているのであるから,経年的な学力低下は,本来は予測できたはずである。しかし,だれも小・中・高と一貫して学習指導要領や教科書を検討した者はいなかったので,いつどのようにどのくらい学力が低下するのかを予想することを怠ってきたともいえる。
その通りです。できれば学力調査の蓄積が無いということは、学力の変動を確認する手段も無いということに、冷静になって気づいて頂ければ幸いでした。
2.3. 第三次ゆとり教育
とにかく,数学・算数と理科の内容の削減はすさまじかった。よく知られるのは,小学校で円周率が3.14ではなく3と教えるというものである。これはマスコミがたたきすぎたために,教科書の方では3.14で教えても検定合格になった。
よく知られるようにデマです。詳細についてはこちらのページを参照してください。デマを信じてしまった人があの手この手で自尊心を守ろうとするのは自然なことなのですが、寡聞にしてマスコミが叩いたから検定合格になったという珍説は初めてお目にかかりました。
単純な疑問なのですが、恐らく理数系の人にも円周率3がデマであることを承知している方はそれなりにいるはずです。そうした方達は多くのお仲間が未だこのデマを信じ込んでいることをどのように感じているのでしょうか。20年以上経っても反省の機運が見られれないのですが、自浄作用を期待しては駄目なんでしょうか。
また,中学校の理科ではイオンがなくなったため,高等学校「理科」の生物ではイオンという概念を一切用いて説明できないことになった。このことは科学の歪曲と捉えられた。
指導要領は一言一句守らなければならないものではないので、教えたければ教えても結構です。指導要領の法的拘束力についてはこちらのページを参照してください。
1987年度生まれの方が第三次ゆとり教育の始まりであり,高等学校を卒業する2006年までの4年間が第三次ゆとり教育なのである。以下,1988年度生まれの方は第三次ゆとり教育が5年間であるが,1989年度生まれの方は第三次ゆとり教育が7年間になる。
確かに小中学校で指導要領の実施時期がずれることはあるのですが、98年改訂は2002年に小中で一斉実施されたため、89年度生まれは単純に6年間だと思うのですが…移行措置を含めても意味不明な記述なので、詳細を教えて頂けると助かります。また、ゆとり教育における学習内容の削減はもっぱら義務教育期間に限定されていますので、その点も補足しておいた方が良いでしょう。
世間では「ゆとり教育」は危ないと騒いでいるが,壊滅的なまでに系統的な知識教育は崩壊した。彼らの一期生が2006年に大学や専門学校に入学してきた。さすがに,あれほど騒がれているので,2006年に入ってきた学生はそれほど問題視されていない。だが,ここで安心してはいけない。2008年から徐々にボディーブローのように低学力効果が現れてくるはずであると筆者は2006年頃に予想していた。事実,2008年頃から急激に学力低下はひどくなっている。
最後まで読んだのですが、結局2008年頃からの急激な学力低下の根拠は提示されていませんでした。
3. 第三次ゆとり教育世代は何を勉強していないのか?
3.1. 小学校算数で排除された反比例
先に挙げたページでも説明しているのですが、ゆとり教育では多くの教育内容が従来よりも上の学年・学校に移行・統合されています。そのため、89年改訂では小学校第6学年に配置されていた反比例が、98年改訂では中学校第1学年に移行されています。この変化がどのような結果をもたらすか浅学な私には分からないのですが、少なくとも筆者は問題だと感じているようです。
3.2. 定着しない素因数分解
根拠となるべき事実、統計、調査が提示されていないため詳細は不明です。
3.3. 濃度を知らない高卒者
ちょくちょく良く分からない記述が出てくるのですが、89年改訂・98年改訂ともに小学校で「濃度」は基本的に扱いません。勿論、いずれの指導要領においても第5学年でパーセントを、第6学年において水溶液を取り扱うため、その際に濃度を指導することは可能です。また、98年改訂に係る移行措置解説書では、中学校におけるパーセント濃度の指導について、"現行及び新課程の小学校第5学年で百分率を学ぶため、既習事項とみなす"と記述されています(徳久 2000)。実際、百分率を学んだ人が質量分率の計算は出来ないと考える合理的理由が私には分かりません。
3.4. 四則演算の順番がわからない高卒者
3.2と同じく根拠が示されていないため何とも言えません。
3.5. 大小関係がわからない高卒者
2001年から小学校から不等号が消えた。不等号の記号を見るのは中学生になってからである。いやいや,これは顔文字の記号なのである。(中略)さて,小学校2年生から中学1年生(7年生)に5学年だけ上がるので,6年後にその影響が出てくるのである。2001年から小学校から不等号が消えたので,2007年度の中学校でその影響が本格的になるはずである。
以下は1992年に入学した大学新入生を対象に、不等号の読み方を尋ねるという、ある意味侮辱的とも言える調査の結果です。筆者の指摘する通り、この時期の大学受験は熾烈を極めており、塾産業などからは振り返って「ゴールデンセブン」と呼ばれる時代でもありました。
非理系大学生370名への問題と解答率
問. 2mm<
上記アンダーライン部をどのように読むか
2mmより大 47.0%
2mm以上 4.9
2mm未満 12.7
2mmより小 30.3
2mm以下 5.1鈴木他, 1992,『教科間における「以上」(≦)・「以下」(≧)の指導上の問題点』
また、2001年に小学校2年生だった世代は、PISA2009を受験した世代に相当します。この点も後で振り返りましょう。
3.6. 漢字を読めない高卒者
2006年現在の中学校の教科書にはかなりの割合で「ルビ」が振られている。現場の教員の話によると,とにかく漢字がよめないので授業にならないそうである。実は,東大や京大に進学するための塾講師によると,ハイレベルな学生でさえ小学生レベルの漢字が書けないとのことである。
逆です。戦後の学校教育において恐らく唯一増え続けているのが教育漢字です。1948年に「義務教育の期間に読み書きともにできるように指導するべき漢字の範囲(内閣告示)として881字が示されたのが最初であり、これが小学校の6学年の教育漢字として振り分けられたのが1958年、これに115字が追加され996字となったのが1968年、さらに10字が追加され1006字となったのが1989年、現行ではさらに20字が追加され1026字となっています。
ルビについてはそもそも事実か分からないのですが、仮に事実だったとして何故そこから漢字能力の低下が結論されるのか不明です。一般常識的に言って中学校は基礎的な学習をする場であり、ルビは読み方の分からない漢字の読み方を知るためのものです。この方は一般的な常識に欠けているのでしょうか。
また、以下は毎日新聞と全国学校図書館協議会が実施している「学校読書調査」の結果です。
注目すべきは、筆者が言うところの「第三次ゆとり教育」の前後です。第三次ゆとり教育実施の5年前(1997年)はいわゆる読書離れのピークであり、中高生の不読率は調査開始以来の最高値となっています。一方、実施の5年後(2007年)と比較すると、小学校10ポイント、高校で20ポイント、中学校に至っては40ポイントの低下となっており、中学生の不読率は調査開始以来の最低値となっています*2。
しかし,ここまでレベルが落ちると識字率100%の前提が崩れるが,漢字ドリルのeラーニングはまじめに取り組まないとどうしようもないだろう。近い将来,大学・短大・専修学校では朝のショートホームルームが実現してその時間に漢字の書き取りまたは計算ドリルを行うこともありうるだろう。
実際には筆者の世代において識字率100%が崩壊しています。詰込み教育からゆとり教育への変化は、筆者の指摘する通り「落ちこぼれ」が問題視されたことにあるのですが、当時濫発された「詰込み教育の弊害」を指摘する調査のうち、最も有名なのが日教組と国民教育研究所が共同で実施した学力調査です。結果が余りにも衝撃的であったため、各全国紙が一面で報じ、国会でも取り上げられました。以下は読売新聞の記事の一部引用です。
【国語】
中学校一年生には小学校で習った九百九十一の漢字、小学校五年生は四年生までに習った漢字の中から主として「読み」「書き」について調査が行われた。その結果、女子が男子を平均点で十点以上上回った。(中学校一年)が、全体としてみると、習得すべき漢字の数が増えているのに、児童、生徒の漢字能力は皮肉にも停滞していることが明らかになった。<読み>
中学校一年生。百語の読みの平均点は七七・二点とかなりの成績。といっても七〇点以下が二十六%、つまり四人に一人が教科書をスムーズに読めない状況。男女別にみると女子が八一・七点で男子の七三・七点を一〇点近く上回っている。正答率が低かったのは「勧める」「朗らか」の一〇%台で、このほか「討論」「是非」「休息」なども四〇%台と不成績。
小学校五年生。平均得点は八四・五点と好成績。ただ、半分以下しか読めなかった子どもが六・七%も。正答率の低かったのは「改める」の二〇%台、「帯」の三〇%。<書き>
中学校一年生。五十字の出題で平均正答率は六〇・四%。半分以下しかできなかった生徒は三三・二%で、得点のばらつきが大きい。ここでも男女差が大きく、女子が六九・六%なのに男は一五%も低く五三・四%。できの悪かったのは善の一〇%台を筆頭に、「救」「招」「屈」「己」の二〇%台。
小学校五年生。平均正答率は五二%。半分以下しか書けなかった子どもが全体の四四・二%。正答率三〇%以下は、五人に一人の二二%。「孫」「燈」「清」「治」の四字が最も不成績で、正答率は一〇%台にとどまっている。<過去との比較>
文部省がさる二十五年から二十六年にかけて行った「教育漢字百字テスト(書き)」調査と同一内容について、小学校四、六年生、中学校一、二、三年生を対象に実施。その結果、二十五年前の方が全般的に平均点が高く、学年が進むとともに正答率が上昇しているのに対し、今回は学年が進んでも停滞気味となっている。例えば「底」という字。二十五年前では小学校六年生で正答率が四一%なのが中学校三年生では八四%にはね上がっているのに、今回調査では小学校六年生で五三%、中学校三年生になっても、ほぼ同じの五二%にとどまっている。日教組では、「一九七一年の新教科書から小学校で百十五字漢字が増やされたが、これがかえって児童、生徒に消化不良を起こさせた」と指摘している。
基礎学力の低下明白
日教組の今村彰教育政策部長の話「この調査で、子どもたちの読み、書き、計算といった基礎的な学力が低下、あるいは停滞し、子どもたちの学力の格差が拡大していることが明らかになった。現行の教育課程、教科書の内容について抜本的な検討が必要であることを示すものだ」意外な結果ではない
文部省・沢田道也小学校教育課長の話「日教組の調査結果は意外なことではない。どこが調査してもこんな結果になるだろう。現在、教育課程の改訂に取り組んでいる文部省の教育課程審議会でも問題にしているところであり、秋の中間答申もこの方向で作業が進められているところだ」
小、中学生“落ちこぼれ”深刻 日教組が実態調査 分数計算、特に弱い中1 小5書き取り、半分間違う 読売新聞, 1976.05.12, 朝刊, 教育, 1(5)
教育政策へ与えた影響としてはPISAに比肩しうる調査なのですが、筆者は1968年度生まれとのことなので、当時のことは良く覚えていないのかもしれません。ちなみに比較対象となっている昭和25-26年はいわゆる戦後新教育が行われていた時期であり、学力低下論が教育界のみならず国民にまで広がっていた時期でもあります。
4. 学力の国際比較
4.1. PISA
まだ PISA2003の結果は発表されていなかったころに,筆者は恐らく PISA2000よりも平均得点は下がるだろうと予測していた。やはりその通りの結果になり, PISA2006の結果はさらに低下すると予測した。なぜなら,2006年に受験する生徒は小学校5年より第三次ゆとり教育を受けているからである。またまた,その通りの結果である。
嘆かわしいことに、PISAについては理系の研究者でも9割9分が基礎の基礎すら理解していないので、ここで私が少しく説明してあげようと思う。
まず、PISA調査において経年比較が可能となるのは、当該分野が主要分野(main domain)となった後のことである。つまり、読解力についてはPISA2003以降、数学的リテラシーについてはPISA2006以降、科学的リテラシーについてはPISA2009以降のことである。つまり、PISA2003やPISA2006の結果から数学的リテラシーや科学的リテラシーを論じている筆者は見えてはいけないものが見えてしまっているわけである。
一応、スケールが確立する前のLink Errorも報告されているので、やろうと思えば検定も出来るのだが、いずれにせよゆとり教育後に数学的リテラシーや科学的リテラシーの有意な得点低下は確認されていない。以上のことはPISA調査を見る上で基礎中の基礎、最低限中の最低限であり、この程度のことも了解していない人間がそれなりの肩書の下に妄言を公にしているのは我が国の知性の敗北である。
何も筆者に限った話ではなく、この程度のことすら理解していない我が国の理系研究者は余りにも多い。PISA調査の調査設計についてはまた改めて詳細を書こうと思っているので、ひとまず以下のまとめを参照して各分野の得点変動、ゆとり教育との関連について確認してほしい。
PISA2006の結果発表を知ったマスメディアが学力低下を問題にし,騒ぎだしたので2008年,ようやく文科省がゆとり教育廃止の方向に転換した。その結果学習指導要領が変更されていないのに学校現場では教科書に掲載されていない内容などを教え始めた。どっぷりと第三次ゆとり教育を受けた生徒が受験するはずのPISA2009では若干成績は向上した。しかし依然として成績は悪いのである。
お花畑ご都合脳である。意に沿わない結果が出ると、いきなり脱ゆとり教育が始まるのは様々な論者に共通している。この馬鹿どもに論理的思考というものを叩き込んでやりたい。学習指導要領の最低基準性はその実施前から周知されているし、何よりPISA2009世代はPISA2006世代より3年、PISA2003世代より6年長くゆとり教育を受けているのである。もし教師が多少指導要領外のことを教えた程度で数年間の不足が補われるのであれば、既にタイトルは回収されている。どこでも補完できるという結論になる。そもそも、PISAは国際学力調査という性質上、各国のカリキュラムの違いによって顕著な差が出ないよう問題が設計されているのだ。調査報告書とTechnical Reportを100回読んでこい。
追記
もしかしてお花畑やご都合なのではなく、理系の先生は本当に時系列を考えるのが苦手なのではないか…?というわけで、以下のまとめは「学習指導要領が大規模国際学力調査の結果に大きな影響を与えると仮定した場合、暫定的に採択(棄却)すべき仮説」について、どんな馬鹿でも分かるようにこれ以上は削り様が無いほどに削った時系列である。
…のはずだったのだが、理系の先生にはこれほど簡潔にしても読めなかったという嘘みたいなマジの話なんだなこれが(ジョンたか先生のまとめを参照してください)。
5. ゆとり教育で不足した学力はどこで補完するのか?
大雑把な予想としては,2016年度の大学や専門学校の入学者から第三次ゆとり教育の色が徐々に消えていくことになる。ということは2016年に高校卒業する方まではこのまま単純に学力は下がり続けるしかない。
PISA2009の学力向上傾向はPISA2012でも引き続き確認され、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの全分野において、経年比較が可能な年度の内では過去最高の得点を記録しています。PISA2012世代は義務教育期間中を全てゆとり教育の内に過ごしているため、この結果はPISAの報告書ではむしろ「ゆとり教育」と結びつけられていたのですが(OECD 2013 pp.124-125)、文科省はこれを「脱ゆとり」の成果と喧伝し、マスメディアもこれに追従しました。
実際、PISA2012世代は脱ゆとりの性格が強い移行措置を3年間受けているわけですから、この時点ではゆとり教育の成果なのか、それとも脱ゆとり教育の成果なのか、いずれの解釈も可能です。というわけでPISA2015以降の結果を確認しましょう。PISA2015では全分野において得点が低下し、読解力については有意な低下となりました。続くPISA2018においても再び全分野で得点が低下し、読解力、科学的リテラシーについては有意な低下となりました。以上です。
追記
氏のFacebookにメッセージを送った上で、最新の投稿にもコメントを付けたのですが今のところ特に反応はありません。一応友達リクエストも送信したのですが、今日(12/17)確認したところ、送信済みリクエストに表示されておらず、氏のページにアクセスしても「友達になる」ボタンが表示されていませんでした。これはリクエストが拒否された上で、友達リクエストの設定を変更されたということなんでしょうか。いまいちFacebookの仕様を理解していないので誰か教えていただけると助かります。
2022/04/18
ようやく先生から返事がきました。
鈴木正一 さん、ご存知ないので、返信してあるいませんでした。特にわたしの考えと異論を唱えるような話でないんですが、何が不満なんでしょうか?
はいでました。何の反論もできないので具体的なことは何も言わずとにかく否定だけしておくパターン。無駄だっつーの。いちいち手間をかけさせんな馬鹿が。
鈴木正一
理系の先生は馬鹿のくせにプライドだけは高いんだから…そうですねぇ…一例を挙げるとPISAはどうですか?
PISAの得点が比較可能となるのはその分野が主要分野となった後です。にもかかわらず先生はご丁寧にも数学的リテラシー、科学的リテラシーの2003年、2006年調査の結果を何の注釈もなくグラフにしています。常識的に考えれば先生はPISAの基本的な設計すら理解していなかったと解釈すべきです。
異論はありまちゅかあ?鈴木正一
つーか第三者が見て私と先生の相違点が分からないはずないでしょ…馬鹿扱いされて熱くなるのは分かりますけど仮にも学究なら批判には誠実に答えましょうや。今の先生は駄々をこねてるだけですよ。
ブロックしやがったよこのゴミ。本邦の理系研究者はバカandクズしかいねーな。お笑い芸人じゃねぇんだぞ。
Facebookの仕様が良く分からないのですがもしかしてブロックされました?無能のくせにプライドだけは一丁前だな。愚にも付かない感想文を恥ずかしげもなく開陳していざ反論されると耳を塞いで聞こえないふりをする幼児の如き無様な振る舞いを自覚してくださいというのは先生の知能程度からすれば高度過ぎる要求でしょうから要求しません。感謝してくださいね。
おらおら理系のゴミども誰か江見先生の仇をとってやれよ。いつでも待ってるぞ。
参考文献
後藤和智 (2012). 「現代学力調査概論 平成日本若者論史」.
徳久治彦 (2000). 「新中学校教育課程移行措置の解説」. ぎょうせい
OECD (2013). PISA 2012 Results:Creative Problem Solving Students’ skills in tackling real-life problems Volume V.
*1:https://hajk334.hatenablog.jp/entry/2021/03/20/122608#133%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%AE%E4%BE%8B
*2:正確には1963年調査の方が低い数値となっているが、調査手法を一新した後の初回調査のためか、前後の結果と比較して連続性に欠けるため除外した。63年調査では小学生の不読率がほぼ0、中学生が1割程度であるのに対し、翌64年の調査ではそれぞれ1割弱、3割程度と跳ね上がっている。