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【完全版】「円周率が3(ないし3.1)」はデマ

※以下の文章は「仮に指導要領を一言一句遵守した場合」にどうような解釈をとり得るか説明したものです。もしかすると、これほど長い説明をしなければ「円周率が3」を否定できないと考える方がいるかもしれませんので、ここで注意喚起しておきます。本文中にもある通り、文科省は円周率の指導は従前と変わらないと再三明言していますので、何らかの理由によって文科省の言葉を信じずにデマを信じなければならない人以外には不要な説明です。
事実の確認

まずは、98年改訂においても円周率が3.14であることを指導要領から確認してみよう。なお、ここでいう「円周率が3.14である」とは「円周率としては3.14を使う」という意味であり、以降の文章も同様である。念のため注記しておくと、円周率デマについて議論となるのは実際に使われた円周率についてであって、ゆとり教育では円周率を3として教える」と文字通りに主張するような人はそもそも論外である。

 

89年改訂・・・(2) 内容の「B 量と測定」の(1)のウ及び「C 図形」の(1)のエについては、円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する必要がある。

98年改訂・・・(4) 内容の「B 量と測定」の(1)のイ及び「C 図形」の(1)のエについては、円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮するものとする。

 

※「B 量と測定」の(1)のイ・・・円の面積の求め方を考え,それを用いること。
「C 図形」の(1)のエ・・・円周率の意味について理解すること。

 

98年改訂の円周率に係る文言は89年改訂の文言と全く変わらない。すなわち「円の面積を指導(学習)する際」及び「円周率の意味を指導(学習)する際」には3.14を用い、目的に応じて(概算等)は3を用いることが明示されている。検証終了である。ところで、円周率デマには「ゆとり教育では1/10の単位までしか使えないため、円周率は3なのだ」と主張する向きもある。これについてはどうだろうか。確かに98年改訂では、小学校第五学年の小数の計算について歯止め規定が置かれている。確認してみよう。

 

「A 数と計算」 (3) ウ・・・小数の乗法及び除法の計算の仕方を考え、それらの計算ができること。余りの大きさについて理解すること。

内容の取扱い(3)・・・内容の「A 数と計算」の(3)のウについては、1/10の位までの小数の計算を取り扱うものとする。

 

この文言については二通りの解釈しかない。つまりこの規定を限定的に解釈するのか、或いは拡大して解釈するかの二通りである。それぞれの解釈の違いを見てみよう。

 

①〔限定解釈〕この文言の適用範囲は「『A 数と計算』の(3)のウ」に限定される。第五学年より後の指導要領において小数計算のキャップが特に明示されていないことも、逆説的にこの文言の適用範囲が限定されていることの傍証になる。従って円周率は当然に「3.14」である。常識的にはこちらの解釈が正しい。なぜならばそう明示されているからだ。第一、小数についての歯止め規定を無制約に解するならば、当然に円周率についての歯止め規定も無制約に解されねばならない。その場合は②のパターンに示すように、文言同士の衝突が起こることになり、学校教育の内容を指示する文書としては可読性が落ちてしまい望ましいことではない。

②〔拡大解釈〕この文言の適用範囲は小数計算全般に及ぶ。その場合明らかに「円周率としては3.14を用いる」という文言との間に矛盾が生じている。それでは実際に円周率を使う場面ではどちらを優先するべきか。これはそれほど難しい問題ではない。仮に小数についての文言を優先させるならば、円の面積計算について3.14を用いることを指示する文言が死文化することになり、従って優先されるべきは「円周率としては3.14を用いる」である。いわゆる「特別法は一般法に優先する」という考え方だ。この文言の衝突について、ネット上では学習指導要領の構造上の問題であると指摘していた学者先生もいたが、問題があるのは先生の頭の構造である。

 

以上のように、限定解釈をとろうと拡大解釈をとろうと、いずれも円周率としては3.14を使う以外はない。このような結論が導かれるのも、結局は指導要領に「円周率としては3.14を用いる」ことが明記されているからである。(限定解釈と拡大解釈の違いが良く分からないという方はコメント欄を参照してほしい)

そもそも、素人が指導要領を勝手読みせずとも、円周率の規定については文科省が直々にその見解を示しているのである。以下のQ&Aは平成12年度文部科学白書にも記載されている文科省の公式見解である。

 

Q4 新学習指導要領では「円周率は3になる」と言われていますが、これは本当なのでしょうか。

A 「円周率は3を使うことになる」という指摘は誤りです。
 新学習指導要領の小学校5年生の算数には「円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する」とあり、現行と同様に円周率として3. 14を使うことが明確にされています。「目的に応じて3を用いる」というのは、およその面積を見積もる場合などに、子どもたちに必要以上の負担をかけず、考える時間を確保するためのものです。こうした扱いも現行と同様です。このようなおよその見積りは、一般の社会においてもよく行われていることです。

新しい学習指導要領のねらいの実現に向けて
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/cs/1321018.htm

 

つまり、文科省公式の見解では円周率として3.14を使うことは現行と同様であり、また、「目的に応じて3」の文言は(当たり前だが)小数の桁数制限に対応するためではなく、こちらも現行と同様に概算を意図した規定だとしている。文科省の見解よりも自分の勝手読みを優先する合理的な理由とは一体何だろうか。

付言すると、「歯止め規定」自体は2003年の指導要領一部改正の際に撤廃されており、従って2004年以降は円周率を3(ないし3.1)とする強制力は一切存在しないことになる。それでも円周率を3として教えることは可能であると思うかもしれないが、可能であるというなら89年改訂でも十分可能である

なぜ円周率は3のままなのか

円周率デマについてはむしろこちらが本題だろう。これほど単純なデマが何故20年も生き永らえることになってしまったのか。指導要領をどう読み解いても円周率は「3.14」を使うとしか解釈できないし、素朴にデマを信じている人はまだしも、円周率デマに否定的な人でさえ「円周率が3はデマのようなもの」「結局は教師の裁量による」と、どうにも歯切れが悪かったりする。どういうわけなのだろうか。

ところで、もし、円周率デマなど何も知らない人が学習指導要領を読めばどうなるか、少し想像してみてほしい。「円周率は3である」などと頓狂な解釈をする人間が果たしてどれだけいるだろうか。恐らく、大方の人は素直に円周率は3.14と読むだろうし、或いは小数の規定に気が付いた人は3.1と3.14の狭間で悩むかもしれない。いずれにせよ3ではない。

そう、3では無いのである。ここで円周率デマの簡略的な時系列を示そう。

 

①98年改訂が公表される。「目的に応じて3」は以前から存在していたはずだが、この文言を根拠に「円周率が3になった」とのデマが生まれる。

②「目的に応じて3」の文言が以前の指導要領にも明記されていたことが判明し、代わって小数の歯止め規定が「円周率が3」の根拠となる。

歯止め規定では円周率が3であることを説明できないはずだが、①の段階で既に「円周率が3」は「事実」となっているため、誰も疑問に思わない。

④現在に至る。

 

重要なのは③のポイントだ。仮に1/10の位までに小数の計算が制限されるならば、円周率は3でも3.14でもなく3.1である。このことは小数説が発見される以前に円周率3言説が成立していたことを示すものであり、翻って小数説が単なる後付けに過ぎないことを示している。逆に言えば、円周率が3というデマが存在しなければ、小数説という珍説も存在しなかったはずである。

これを具体的な事例によって説明しよう。取り上げるのは「小学校理科における『振り子の運動』の実験指導と誤差の扱いについて(塩野 正明 , 松村 敬治, 2011)」である。この論文には次のような記述がある。

 

平成20年に告示された新学習指導要領1)には、小学校3年の算数で割り算と1/10の位の小数を学ぶことが記載されている。小学校5年ではさらに1/100の位の小数まで扱い、円周率として3.14を用いるように指示している。また、数値の扱いとしては、小学校4年では概数と四捨五入を学び、小学校5年で小数の乗法や除法の計算を学んでいる。また、小学校6年では比例・反比例の関係や平均についても学んでいる。

一方、平成10年告示の旧学習指導要領3)の算数では、小数は第4学年からの扱いであり、小学校5年の内容の取扱いの中で、「1/10の位までの小数の計算を扱うものとする」という指示と、「円周率としては3.14を用いるが,目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮するものとする」という指示がある。また、反比例は小学校の範囲になっていない。

以上の記述から、周期の測定は、旧学習指導要領の下では1/10秒の桁の扱いが限界であったが、新学習指導要領の下では1/100秒の桁まで扱っても良いことがわかる。実際の測定では、実験精度に則して、振り子が10往復したときにかかる時間を1/10秒の精度で数回測定し、平均値を1/10秒の桁まで表わし、周期はさらに10で割るので1/100秒の桁まで表わすのが妥当であると思われる。

 

この記述のおかしなところは三点ある。まず第一に、小数の桁数制限を議論しているにも関わらず、何故か円周率の文言が引用されていることである。仮に旧指導要領では1/10までしか小数を扱えないと主張したいならば、「内容の取扱い(3)」を引用すればいいだけであり、何も円周率の規定を引っ張ってくる必要はない。これはつまり、彼らが「目的に応じて3を用いて処理できるよう」の文言を小数の桁数制限に対応するためと解釈したとしか考えられない。そうでなければまるで無意味な引用になるからだ。

第二に、この記述からは、彼らが「小学5年生時の指導要領がそれ以後の学年も規定する」と考えていることが分かる。何故ならば、平均を学習するのは小学校第6学年だからだ。言うまでも無く、彼らが小数の歯止め規定は第5学年に限定されるものと解釈していたならば、「旧学習指導要領の下では1/10秒の桁の扱いが限界であった」という結論には至らないはずである。

そして第三が、「旧指導要領においても1/100の桁を扱うことができる」という事実に関わらず、彼らがそれを全く認識していないという点である。歯止め規定はあくまで小数の計算に適用されるものであり、98年改訂においても1/100の位の数自体は第5学年で取り扱うことになっている。加えて、指導要領では電卓の使用が積極的に推奨されていたのである。文言を以下に引用してみよう。

 

(5)問題解決の過程において,桁数の大きい数の計算を扱ったり,複雑な計算をしたりする場面などで,そろばんや電卓などを第4学年以降において適宜用いるようにすること。その際,計算の結果の見積りをしたり,計算の確かめをしたりする場面を適切に設けるようにすること。

 

文科省の意図は定かではないが、まるで塩野と松村が設定した状況(振り子の周期の平均値を計算する)を想定したかのような記述である。仮に指導要領を遵守するとしても1/100の計算は可能なのであり、にもかかわらずなぜ両氏はこの記述を無視しているのだろうか。

この三つの事実を併せ考えれば、塩野と松村の解釈がいかに不合理なものであるか理解できるはずである。第一の事実については、彼らの解釈が誤りであることは既に説明したので再説は避ける。なるほどそう解釈する人間がいても不思議ではない。

しかし、第二、第三の事実については理解不能である。指導要領では第3学年で3桁×1の乗法を、第4学年では3桁÷2の除法を、第5学年では1/100の小数及び小数の乗法・除法を取り扱っている上、円周率としては3.14を用いることが明示されているのだから、小学校における学習のあらゆる場面で1/10の計算しか取り扱えないと解釈するのは明らかに不合理である。また、仮にそのような解釈に則ったとしても、電卓計算の桁数にまでその制限を持ち込むに至っては不合理の極みだ。

つまり、彼らは「1/10の位までの小数の計算を取り扱うものとする」と言う文言を異常なほど愚直に、そして際限なく拡大して解釈する一方で、「円周率としては3.14を用いる」も、「そろばんや電卓などを第4学年以降において適宜用いるようにする」も、2003年に歯止め規定が見直されていることも、その全てを見事に無視しているのである。

それでは、何故彼らはこれほど奇天烈な結論にたどり着いてしまったのだろうか。その理由を彼らの知的能力に還元させるのは酷だろう。合理的な可能性としては一つしかない。つまり、彼らはあらかじめ「ゆとり教育では小数は1/10の位までしか扱えない」と信じ込んでおり、その信念に合致する情報だけを選択した結果、それ以外の可能性にはまるで思い至らなかったのだろう。確証バイアスである。

何故二度も騙されるのか

以上の記述により、円周率デマの主たる要因は明らかになったと思う。ところが、疑問はまだ残されている。仮に「円周率が3なのは小数の扱いが1/10の位までだから」という事前知識を与えられ、それが確証バイアスによって強化された結果、今なお円周率デマが持続しているというならまだ理解できない話ではない。しかし、多くの人が当初信じていたのは「目的に応じて3を用いるから円周率は3」というデマのはずである。

これはおかしな話ではないだろうか。第一に、主張の根拠が何の理由も無く(というか誤りであることが明らかになって)変更されたのであれば、まずもってその主張の真偽に疑念が生じるはずである。第二に、(繰り返しになるが)1/10の位までしか扱えないのであれば、円周率は3.1のはずであり、やはりこちらも真っ当な思考をもってすれば理解しがたい話である。円周率デマがいかにして人間の理性を突破し得たのか、単一の理由では説明できないように思われる。

こうした"事実や反証が人間の信念を変更しない"現象については、主に社会心理学の領域において(本当に)膨大な研究の蓄積があるため、その一つ一つを紹介することは出来ないが、それらはまとめて"信念固執効果(Belief perseverance)"とも呼ばれており、先述の確証バイアスもその原因の一つと考えられている。人間の信念は理性による修正が効かないのであり、一度誤った信念を受け入れてしまうと、その根拠が明々白々な誤りであったとしても、なお漠然とした「確からしさ」が残ってしまうのである。ましてその信念に新たな根拠が用意されれば、それを何の疑問も無く受け入れてしまうのも当然である。

 

円周率の復活

また、一度確立されてしまったデマに対しては、訂正しようとする努力自体が逆効果となることもある。近年の例を挙げればAEDに関するデマがそれだ。「女性にAEDを使用すると訴訟を起こされる」。このデマに対して千葉県議会は2016年に『AEDの使用及び心肺蘇生法の実施の促進に関する条例』を制定し、"万が一"救助した女性から訴えられた場合には訴訟費用を援助するとしている。これがネットの一部でどのように受け止められたかは以下に示す通りである。

 

千葉県「AED使って!もし女性に訴えられても訴訟費用貸します!」

対策が問題を実体化させるのは普遍的な現象だが、特に人々の恐怖や不安を煽る流言飛語の類においてその傾向は顕著なものとなる。「円周率が3」も同様である。円周率デマも①円周率を3と解釈する余地は万が一にもなく②実例も全く確認されていない③にもかかわらず、デマを信じる馬鹿のせいで対策が必要になり④その対策がかえってデマを強化することになった、という点でAEDデマの事例と相似である。08年改訂で「目的に応じて3」の文言が何故か削除され、それが「円周率が復活した」と騒がれたことは皆さんご存知の通りだ。

勿論これは無意味な削除であり、かえって円周率デマの虚構性を浮き彫りにしている。というのも、仮に「目的に応じて3」だけが円周率3の根拠だと主張するならば、既述の通り、89年改訂にも同様の記述がある時点で主張は成立しない。或いは「1/10の位まで」を根拠とするならば、そもそも「目的に応じて3」を削除する意味は無い。つまり、08年改訂で「目的に応じて3」が削除されたのは完全に無意味であり、有体に言ってしまえばデマを信じた馬鹿に対する配慮である。

また、既に否定されたはずの「目的に応じて3」説が円周率の復活と同一視されたのは、とりもなおさず、08年改訂が公示された時点でもなお多くの人間が「目的に応じて3」説に根強い説得力を感じていた証拠ともなっている。このことは、円周率デマが事実ではなく人々のイメージや感覚によって支えられていることを強く示唆している。

結語

以上、円周率が3(ないし3.1)がデマであること、また、何故これほど単純なデマが未だに訂正されていないのか、まだまだ書き足りない部分もあるのだが、最低限の記述は出来たものと思う。私の説明に納得された方は、是非とも正しい知識を周知して頂きたい。流石に20年も放置するようなデマではないはずである。

 

補足1
98年改訂は2002年に小中学校で一斉実施されたため、1987/4/2~1991/4/1生まれの世代は円周率言説とは関係が無い。また、上述のように2004年度以降は歯止め規定が撤廃されているため1993/4/2生まれ以降の世代も指導要領には拘束されない。したがって、円周率3論者の主張を仮に認めるとしても、円周率3を経験したのは1991/4/2~1993/4/1生まれの世代のみということになる。

補足2
本稿では、実際に円周率を3として教えられた生徒の実在(可能性)を否定しない。円周率デマは広く国民一般に膾炙したデマであり、その「国民」から教師を除外する特別な理由は存在しないからである。ただし、その事情は当のゆとり世代も同じであり、ゆとり教育に関するデマの中で最も有名な「円周率が3.14から3になった」というエピソードを彼らが知らずに育ったと想定するのは難しい。

補足3

本稿では敢えて円周率として3.14を用いていた「実例」は提示していない。これは例示よりも論理的考察による方が説得力が増すと判断したというのもあるが、単純に私が持っている全ての資料(教科書、指導例、プリント等)において円周率として3.14が用いられているため、網羅的に列挙することが不可能だったからである。円周率として3(3.1)を用いていた教材をご存知の方はコメント欄にてご教授いただければ幸いである。