若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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「『それでも若者は自民党を支持する』論はもうやめようや」への批判

anond.hatelabo.jp

何の根拠も提示せずに自分の思い込みだけで「特定集団のせいで国が滅びる」と宣う連中がどの面下げてネトウヨを馬鹿にしているのでしょうか。私がきちんと批判するのではてなの皆さんはちゃんと受け入れてくださいね。

 

元増田について

普段若者と接することが多い仕事をしているので、少なくない若者が自民党を支持しているというか、自民党の批判を嫌がる傾向があるのは身にしみてわかる。

無意味な実感。刑法犯少年の検挙件数が5年連続で戦後最低を更新した2015年に実施された「少年非行に関する世論調査」では2.5%の人間が「少年による重大な犯罪が減った(「かなり減った」+「ある程度減った」)と回答している。

 

別に彼らはネトウヨというわけではない。もちろん主にネットで情報を収集しているので、メディアに対する不信感はすさまじいものがあるが、それでもほとんどの若者はネトウヨとはいえない。なぜなら森元なんかを選挙で選んでいる田舎のじーさんばーさんなんかよりずっと進歩的だしリベラルだからだ。

インターネットもメディアである。総務省の「(令和元年度)情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」では、年代毎の各メディア(テレビ, 新聞, インターネット, 雑誌)に対する信頼度も調査されており、結果*1は以下のようになっている。

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それぞれ10-40代、20-30代が同様の傾向を示している。ネットへの信頼度が高い20-30代でも過半数はテレビ・新聞を信頼しており、最も信頼度が高いメディアとなっている。なお20-30代のテレビ・新聞に対する「信頼できない(「一部しか信頼できない」+「まったく信頼できない」)」の割合は1割程度であり、その意味でも元増田の表現は誇張である。

 

リベラルなのになんで自民党を支持するのか?いろいろな角度から説明ができると思うが、例えば、①今の小学校~高校は空気を読む教育が行われているので、和を乱す、すなわち批判することを許さないこと、②少子化の影響で親に可愛がられて育ってきているので、親に反抗するような態度はありえないということ、などが考えられる。

中学生の感想文程度の考察。若年層の自民党支持については「分断社会と若者の今」(大阪大学出版会 2019)において統計に基づいた実証的考察がなされている*2のでここでは割愛し、①、②について検討する。

そのような教育は行われていない。なんだ「空気を読む教育」って。元増田に限らず同じような主張をされる御仁を時折見かけるのだが、管見の限りこれらの主張に何らかの制度的・実証的根拠が提示されたことは無い。恐らく「手を繋いでゴール」やそれに類するデマによって醸成された「何となくのイメージ」で語っているのだろうと思われるが、詳しいことは分からない。以前同じことを主張されていた小野寺拓也氏にも聞いたことがあるのだが返事は無かった。批判されることが苦手なのかもしれない。

②因果関係が不明だが、恐らく一人っ子の増加によって子供に注がれるリソースが増えたということだろうか。2015年に実施された「第15回出生動向基本調査」では、結婚持続期間15~19年の夫婦の出生子供数は「1人」が18.6%、「2人以上」が75.2%となっている。子持ちの夫婦に限れば8割は兄弟姉妹が存在することになり、若年層の一般的特性とは言えない。

また、人間は説明を重ねれば重ねるほどそれに説得力を感じてしまうものだが、これは当然に非合理的な直観である。たとえば、一人っ子が増えたことにより子供に注がれる愛情が増え、それによって子供の反抗心がスポイルされた結果自民党の支持が増えたという主張があった場合、①一人っ子の増加②愛される子供の増加③反抗心の減退④自民党支持の増加という四つの主張が実証されなければならない。いわゆる連言錯誤の問題である。

 

これだけだとまさに自民党支持者のようだが、①でも②でも、この枠内で、自分に関係のないことであれば、他人が何を考えていようが何をしようが若者は許容する。自分に関係があることでも、将来のためになるなど割り切れれば許容する。逆にここに介入してあーだこーだいうことを「価値観の押し付け」として極端に嫌う。

根拠が提示されていない。一般的なリテラシーとして「極端に嫌う」のような表現は疑わなければならない。数字によって根拠づけられない主張はレトリックによって補強するしかないからである。

 

具体例を挙げると、ゲームの時間を禁止すること、夫婦同姓、同性婚、中絶などプライベートな事柄について上からああしろこうしろということを今の若者は極端に嫌う。若者がリベラルというのはこういう意味だ。

以下のグラフは「社会生活基本調査」によるゲーム行動者率とゲーム行動者数の推移である。ゲーム行動者率は当然ながら若年層の方が高く、仮に「ゲームの時間を禁止すること」に反発しているのが若年層に限られるとしても当然であり、ここに何らかの心的特性を見い出すのは外国人の犯罪率が高い(故にモラルが低い)と主張するネトウヨと同レベルの思考である。

また、ゲーム行動者数は2000年代半ばには10代に代わって30代(団塊Jr)がトップとなっており、現在では10~40代のいずれも800万人程度がゲームをプレイしているため、ゲーム時間の禁止に反発しているのが若年層のみとは限らない。ネットの世界では性別・年齢・国籍の透視によって、ますますその属性へのステレオタイプが強化されることが往々にしてあるため注意が必要である。

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夫婦同姓、同性婚、中絶についての記述は筆者の主張を補強していない。仮にこれらの支持・不支持と自民党がまるで無関係ということであればそれは無関係なのだろうし、逆に自民党の主義主張がこれらに反しているのであれば、当然に若年層の支持率は低下するはずだろう。何を言っているのか本人も良く分かっていないのかもしれない。

 

若者がリベラルというのはこういう意味だ。自民党は今のところ①や②の枠に収まっているので批判するのは良くないということになる。言い換えれば、若者は自民党がリベラルなことも①や②の枠内でやってくれればそれでいいし、やらなければそれでもいいという程度の主義主張しか持っていない。

「①や②の枠」というのが若干不分明(特に②)だが同上である。若年層が夫婦同姓や同性婚などリベラルな事柄について賛同しているというのはそれ以上の意味を持たない。自民党支持はもちろん「プライベートな事柄にのみ反発する」ことすら示されていない。

 

しかしそれは親や学校がそうやって教育してきた結果だ。今の若者は結果よりも過程を重視するように教育されているので、「若者は自民党支持が多い」という結果だけを見て批判したり(ちなみに今の若者にとってはこの事実を指摘するだけで批判になる)すると大きな反感をかうことになる。

結果だけを見てお粗末なご意見を開陳すれば反感を買うのは当たり前である。他人のせいにしてはいけない。念のため注記しておくと、「反論されること自体が自説を補強する」というロジックは危険である。このロジックを採用する人間には反省の契機が存在しないことになるからであり、これは宗教の世界においても多用される論法である。

法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。〔…中略…〕大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害が連続する御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、284㌻)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(266㌻)と述べられている。

また、括弧内の記述(ちなみに〜)はさも事実であるかのような体で記述されているが根拠が提示されていない。

 

若者の土台はリベラルなので、リベラル派の人たちは若者を味方につけたいならどうかこういうことを若者の前で言わないように気を付けてほしい。

若者論の特徴の一つに「若者の不在」がある。これは第一に、当事者である若者以外の人間によって若者が規定されるという意味であり、もう一つは若者論が若者に届くことを前提にしていない、或いは想定していないという意味である。ネットで公開された文章である以上、当然ながら元増田の読者には当の若年層自身が相当数含まれているはずであり、にも関わらずそれをまるで想定していない記述で締められているのは元増田の認知が歪んでいることの傍証かもしれない。

 

ブコメについて

概ね「仮に元増田の主張が事実だとするならば」という仮定の下に批判しているものが多いが、中にはこれを事実として無邪気な賛否を示しているものも少なくはない。なにより、誤った議論に対してはまずその事実の誤りを指摘するべきである。誤った事実を基にした議論は再現性を欠くために無益であり、却ってその誤りを自明の前提としてしまうために有害である。

急いで書いたので筆を尽くしていない箇所も多い。以下はこの記事に寄せられた意見や反論に対する補足や再反論を追記する予定である。反応はまだない。

*1:「全部信頼できる」「大部分信頼できる」「半々くらい」「一部しか信頼できない」「まったく信頼できない」のうち前二者の割合

*2:同書第3章の分析では「伝統主義」と「権威主義」が若年層の自民党支持に関連していないことが明らかにされている。それぞれの質問項目は「伝統や習慣にしたがったやり方に疑問を持つ人は、結局は問題をひきおこすことになる」「男性は外で働き、女性は家庭を守るべきである」「権威のある人々には常に敬意を払わなければならない」である。

“昔なら入れなかったレベルの学生が東大に受かっている”!? 日本人の学力が低下し続ける原因とは

news.yahoo.co.jp

日常業務です。

2003年の結果は「PISAショック」と言われ、ゆとり教育の見直しが始まり一時期は順位も回復傾向にありましたが、2018年は、数学的リテラシー6位、科学的リテラシー5位、読解力は15位。読解力は相変わらず低レベルのままです。

PISA成績の向上と脱ゆとり教育の実施時期に関連は無い*1。PISA2009ではそれ以前の世代よりもゆとり教育を受けた年数が長いにもかかわらず、得点は有意に向上している。PISA2012では過去最高の得点を記録し、これは「脱ゆとり教育(の移行措置)」という文科省の見解をそのままに各全国紙でも報じられたが、その後脱ゆとり教育が本格実施されたPISA2015, PISA2018では「PISAショック」と同等の得点低下が生じている。また、PISAの報告書では特に日本を指してPISA2009以前のサイクルとの比較には慎重を要することが注記されている。詳細については以下の記事を参照されたい。

hajk334.hatenablog.jp

 

 いわゆる難関大学の教員からも「今の学生は総じて幼く思考力が低い」という苦情も聞きます。教育費は上昇する一方で、精神年齢や思考力は低くなっていると言われれている今の子どもたち。一体彼ら彼女らに何が起きているのでしょうか?

仮に観察が事実だとしても、直ちに当該世代の思考力が低下しているとは言えない。大学の定員が一定のままに、少子化と大学進学率の上昇が進行すれば「大学生」のレベルが低下するのは必然である。これは義務教育修了程度の思考力を備えていれば十分に理解できる。加えて、近年は大学生の出席率の著しい改善によってもこの傾向に拍車がかかっている可能性がある。詳細は以下の記事を参照されたい。

hajk334.hatenablog.jp

 

読解力は確実に下がっていると思います。ゆとり教育スマートフォンが行きわたって長い文章を読まなくなったことも関係あるのかもしれません。その昔はテレビが悪者でしたが、今はスマホですね。若い子たちがスマホに時間を取られ過ぎている。スマホに書いてある文章は身につきません。読解力を上げるためには紙に書いてある文章を読んだ方がいいです。

以下は毎日新聞・全国学図書館協議会による「学校読書調査」の結果である。5月1か月に一冊も本を読まない不読者の推移をグラフにしている。注目するべきは1997-2007年間の著しい不読率の急減であり、小中高でそれぞれ10ポイント、40ポイント、20ポイント程度の低下である。これは一般に「朝の読書運動」の成果と見られているが、「ゆとり教育」の実施前にその狙いを周知するために出された「まなびのすすめ」では朝の読書運動が推奨されている。

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また、日本の児童・生徒のスマホ使用時間はPISA参加国中でも最低水準である。そもそもスマホは全世界的に普及したのだから、仮にスマホの使用によって読解力が低下するならば、全世界的に読解力が低下するはずである。PISAの得点は経年比較が可能となっているがそうした傾向は確認できない。PISAの読解力調査では正にこうした一般市民として最低限の論理的思考能力が問われている。

 

そして、やはり一番の原因はゲームではないかと思います。ゲームを悪者にしてはいけないという風潮がありますが、ゲームをやっても読解力は上がりません。ゲームは反射神経でやるものですが国語にはロジックを組み立てる力が必要なんです。ゲームに時間を取られ過ぎると字を読む時間が相対的に減少して、結果的に読解力は低下してしまう。

論理的思考能力の無い人間は説明を重ねれば重ねるほどそれに説得力を感じてしまうが、これは非合理的な直観である。たとえば、ゲームによって文字を読む機会が減少し、それによって読解力が低下するという主張は一見もっともらしいが、実際にはゲーム時間の増加②文字を読む時間の減少③読解力の低下という3つの主張を同時に実証しなければならない。したがって反論する側はそれらの内一つにでも反証を示せば十分であり、ここでは上の読書率の劇的な改善と併せ、総務省統計局の「社会生活基本調査」では2000年代半ば以降に児童・生徒の学業時間が増加し続けていることを示すに留めておく。

 

ゲームに必要とされる反射神経は右脳の力です。一方、国語の問題を解くのに必要なロジックを組み立てる力は左脳の力です。右脳の力はかつての社会では自然界で発揮されていたと思います。例えば、左前方に蛇がいる。前にイノシシがいる。右側にサソリがいる。これを同時処理して一瞬で判断するのが右脳です。ところが、今はその右脳の働きを自然界の中で実践するのではなくゲームの中でやっています。そしてデジタル空間の中で培われた力は実社会で応用が効きません。

ええ…

 

僕が予備校教師を始めたのは1990年代初頭の終わりでしたが、当時は生徒の楽しみと言えば、マンガでした。ところが、今の子たちは本はもちろん、マンガすら読まないので人情の機微がわからないという印象です。

恐ろしい恐ろしい…「本どころかマンガも読まない」はここまで浸透していたのか…この現実とはかけ離れた認識がどのように形成されるのか、社会学者は一度真剣に検討してみてはどうだろうか。清水(2015)は「若者の読書離れ」言説の一要因として、読書に親しんできたち知識人が自らを基準としてしまう"知識人バイアス"を挙げており、それはある程度実証されてもいるのだが(Protzko & Schooler 2019)、それだけではこの著しい認知の歪みは説明できないのではないか。と思ったがそういえば少年犯罪も毎年のように戦後最低を更新しているにも関わらずあの様であった。

 

大学受験に登場する随筆文や小説文はある程度の精神年齢の高さも必要とされます。小説だと込み入った恋愛の話もあります。ある程度の人生経験があった方がいい。ところが、今の子は背伸びしません。「どんな本を読んだの?」と聞くと夏目漱石の『こころ』という回答が多い。教科書に載っているからです。しかも『こころ』が好きだと簡単に言うんですね。僕らの時代はカッコつけで難解な哲学の本や岩波新書も買ったりしたものですが、今の子どもたちは教科書に掲載されている本を好きな本だということを恥ずかしいとすら思っていません。

以下の表は1980年と1990年の学校読書調査における高校生が一か月間に読んだ本の上位20タイトルである。ちなみに高橋廣敏氏は1969年生まれだそうである。

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そりゃそうだろう。確かに1990年代以降は現代的な通俗小説が上位を占める傾向があるのだが、それ以前に読まれていたのはそれはそれで「優等生的古典」ばかりである。どう考えても「こころ」を鼻で笑いながら難解な哲学の本や岩波新書を買う陰気な高校生が一般的であったはずがない。そんなことにすら思い至らない人間が予備校の人気講師を務めロジックの大切さを力説しているのだから人間とは不思議なものである。

 

参考

 清水一彦, 2015, 「若者の読書離れ」という"常識"の構成と受容, 出版研究45巻, pp.117-138.

Protzko J., Schooler J.W., 2019, "Kids these days: Why the youth of today seem lacking", Science Advances Vol. 5, no. 10.

*1:指導要領改訂を除く諸施策を指して「ゆとり教育の見直し」と呼んでいるならば、そもそも「ゆとり教育」はその実施前から見直されている。詳細は次の記事を参照のこと。正体不明の「ゆとり教育」 - HaJK334の日記

プレッシャー世代、或いは「名前のない世代」について

 

1982

1982

  • 作者:佐藤 喬
  • 発売日: 2016/04/20
  • メディア: 単行本
 

「『バブル世代』は見栄っ張り」「『ゆとり』は使えない」など、いつの時代でも居酒屋や職場などでトピックになる“世代論”。団塊、しらけ、新人類、バブル、ロスジェネ(団塊ジュニア)、ゆとり、さとり、脱ゆとりなど、世代ごとに私たちは“きちんと”社会から名付けられ、定義されてきた。多くの人たちが自分の属する世代を良くも悪くも自覚してきたことだろう。しかし、社会から名前をもらえなかった世代がある。1970年代生まれの「ロスジェネ世代」と1987年以降に生まれた「ゆとり」の狭間の世代、81~86年生まれの人たちだ。一時は“キレる17歳”と揶揄された彼ら。少年A、ネオむぎ茶、加藤智大、片山祐輔、小保方晴子など、世間を騒がせてきた特異な人物がいるにもかかわらず、名前がない世代とは――。

少年Aも小保方晴子も、アラサーちゃんもタラレバ娘も 自分語りが好きな「名前のない世代」(2016/06/01 15:00)|サイゾーウーマン

以前の記事にも書いたように、この世代は前後の世代と比較しても少々特異な世代だ。一般に信じられている「ゆとり的」特徴を、Wikipedia的定義による「ゆとり世代」よりも兼ね備えていることから私は勝手に真性ゆとり世代と呼んでいる。これはもちろん「ゆとり世代」の定義をずらしてこの世代を糾弾しようと意図しているわけではない。彼らがゆとり的であればあるほど、つまり、(数字の上っ面を眺める限り)個性自主性尊重の名の下ろくに勉強をせず、本も読まず、異性関係にはルーズであり、就職にもそれほど苦労しなかった(ように見える)この世代に名前が付けられていないという事実*1は、それだけ俗流世代論の虚構性を浮き彫りにしているからである。彼らの存在はゆとり言説に対する生きた反証であるといってもよい。

それではなぜ彼らに名前が付けられなかったのか、については冒頭に紹介した『1982』にて論考されているのでここでは措いておくとして、名前が付けられなかったその結果として何が生じたのかについて、私の妄想を以下に開陳したい。ちなみに紹介文を引用したリンク先では『1982』の著者である佐藤喬氏と、氏と同世代である古谷経衡との対談が掲載されているが、妄想を書き連ねる前に古谷の以下の発言について補足しておく。

ゆとり教育ではなかったですもんね。台形の面積の求め方も、円周率3.14もありましたから。土曜日も完全週休二日ではなくて、隔週でしたね。ゆとり世代への過渡期ではあるが、かといって、ゆとりではないという位置づけです。

台形の面積は発展的学習として取り扱われている。円周率については最早信じる人間が死滅するまで続くのだろうと諦めているがデマである。百歩譲って事実だとしていずれも第五学年の学習内容であるため「ゆとり世代」の4割以上は関係が無い。完全週五日制を経験したのは1984/4/2生まれの以降の世代、土曜休業を経験したのは1994/4/1生まれ以前の世代であり、「脱ゆとり教育」と呼ばれる現在も原則として完全週五日制である*2。そもそも台形の面積も円周率も現在広範に使われている「ゆとり世代」の意味内容を既定するものではなく古谷の発言はトートロジーである。

 

駄文

今後の若者論は、どういう方向に進むのだろうか。(略)しかし、90年代においては、若者論が大きなブームを起こすことは、もうないのではないか。若者に関心の向かう社会は、若く活力に富み、成長の可能性をもった社会である。(略)今後の日本社会は、好むと好まざるとによらず、停滞と成熟に向かわざるをえないだろう。だから若者が切り開くフロンティアに期待をかけ、彼らに熱いまなざしを注ぐ時代では、もはや無いと思うのだ。

小谷敏, 1993, 「若者論を読む」, 世界思想社, p.141 

この小谷の牧歌的な予測を現在から振り返ってみると、半分は正解であり、半分は間違っていたと言えるかもしれない。新人類言説は小谷がいうように「大人たちの、若者への畏怖と侮蔑と羨望の念をあらわす」(同上p.84)ものであった。新人類の特徴と信じられていた、従来の伝統に縛られない価値観、高度化する情報メディアへの対応力、消費社会に適応する洗練された感性、これらのものは新人類の否定的側面であると同時に肯定的側面でもあり得た。それは若者に対する羨望でもあったし、また未来の社会に対する期待でもあった。

しかし、90 年代以降はこうした若者の肯定的側面が語られることは少なくなっていく。
この点は小谷の予測が当たった。90 年代以降、もはや若者に「熱いまなざし」が注がれることはなくなったのである。少子高齢化が喫緊の、かつ解決困難な社会問題とされ、日本の停滞が自明のものと認識されている現在では、若者の活力に期待する者も、若者を羨ましがる者もいない。若者に対する畏怖も羨望もなくなったのである。

かくして侮蔑だけが残った。90年代以降に若者論の主流となったのは「若者劣化言説」*3である。若者の変化は劣化であるという自明の前提の下、あらゆる領域のあらゆる人間が思い思いの若者論を展開してはそれが検証されることも無く蓄積され、ただ劣化した若者という漠然とした、それでいて強固なイメージが形成されていった若者論百花繚乱の時代である。

一方で、90年代若者論の特筆すべき点は、それらの若者論を統合するシンボルとしての世代概念がついぞ共有されなかったことだ。「名前のない世代」の誕生である。これは必然的帰結であり、90年代は若者論の多様化、細分化が進んだ時代であるからこそ、際限もなく拡散した個々の若者論を統合するに足る「分かりやすい一つの原因」を見つけることが出来なかったというわけである。

たとえば"キレる17歳"*4などはそうして細分化された若者論の典型的一例であり、或いは"援交4%世代"、或いは"ひきこもり"、或いは"学級崩壊"……といったように、個別具体的な集団や現象に次々と新たなネーミングが発明される一方で、それらを統合する認知的枠組みが共有されることは無かった。90年代若者論の主因を敢えて一言で表現するならばそれは"時代の変化"であり、従って当時の若者を描写する際に最も頻繁に使用された表現は"最近の若者"である。

しかし、若者論においては必ずしも原因からレッテルが発案されるわけではない。たとえば、新人類はその分かりやすい一例であり、彼らが示す(とされた)奇異な言動の原因を最も端的に表現すれば「新人類だから」となる。つまり、新人類が上司から飲み会に誘われても断ってしまうのは彼らが「新人類だから」であり、怒ると翌日には職場から姿を消すため褒めて伸ばしてやらなければならないのも彼らが「新人類だから」である。

勿論それらの言動には個人主義だのなんだのといった「簡便な」説明が気持ち程度に付されることもあったが、つまりはそうした諸々の原因の集積こそが「新人類」なのであり、これは言うまでも無く再帰的な構造である。すなわち、新人類の言動に対してその原因が追究され、発見された原因が新人類という言葉に再帰的に組み込まれることによって、新人類は正に新人類という言葉によってその言動の全てを説明されるに至るのである。これが新人類大統一理論

この再帰的性質はゆとり言説にも当てはまる。90年代の若者論からは一転、2000年代に爆発的に流行したゆとり言説では、特定の小集団や現象が問題とされるのではなく、むしろより一般的な行為態様に「ゆとり」のラベルを張ることによってその意味内容を急速に拡張していった。「ゆとりすぎる」「ゆとられる」等の品詞の変化からもこの再帰的肥大化のプロセスがいかに簡捷なものであったかを窺い知ることができる。この点、同じく若者論が猖獗を極めた90年代とはその構造に於て好対照であり、それが90年代若者論と以後のゆとり言説を違和感なく接続しえた決定的な要因であったと私は考えるわけである。

つまり、90年代に盛り上がりを見せた種々の若者論とその原因として健全なる一般市民の脳裏に刻まれた現代の病理……すなわち少年犯罪、性的逸脱、過度の内向性、自制心の欠如……或いはその原因としての家庭の教育力の低下、消費社会の弊害、仮想空間での人間関係、物質的豊かさ……等々の要素がそのまま「ゆとり」の名の下に統合されたことが、ゆとり言説肥大化のもう一つの主因であったというのが私の仮説である。まあ若者論が拡大再生産しているという話は別に私のオリジナルではないし、若者論に興味を持つ人ならば大抵気づくポイントではある。ただ90年代若者論からゆとり言説の流れにはそれが一層進行しやすい背景があったよねみたいな話です。おしまい。

*1:それぞれベネッセ『学習指導基本調査』『学習基本調査』, 総務省統計局『社会生活基本調査』, 毎日新聞・全国学図書館協議会『学校読書調査』, 日本性教育協会『青少年の性行動全国調査』, 文科省『学校基本調査』による。就職についての記述は1983/4/2~1987/4/1生まれの大卒者(浪人・留年無し)に限る。

*2:これは古谷が特別アホだからなのではなく、世間一般の「ゆとり教育」に対する基本的認識だと思われる。たった15年程前に実施されていた学校教育すら国民の大半がまともに把握できていない現状でまともな教育議論などできるはずもない。

*3:90 年代における若者劣化言説の成立とその背景については、後藤和智の『「あいつらは自分たちとは違う」病』(日本図書センター 2013)に詳しい。

*4:正確には2000年代の用語である。

鈴木雄介さんについて

news.livedoor.com

茂木さんもたまには良いことを言うなと記事中引用されていた当該ツイートとそのリプライ欄をぼけっと眺めていたら

明らかにヤバい奴がいた。この後も怒涛の連投を続けていたので以降は割愛するが、察するにまあ茂木健一郎の熱心なアンチらしい。それはいいのだが私が興味を持ったのは「若害の無教養ぶりをもちあげ日本人中年男叩きで社会的弱者迫害するのは亡国を早めるのみ」という教養溢れるタイトルが付けられた記事の方だ。読んでみたがタイトル以上の情報量が無かったのでこれも詳細は割愛するが、何やら「ゆとり世代」に一家言を持っていそうな雰囲気を感じたの早速ブログの検索欄で「ゆとり」と入力してみる。

これは凄い…彼の「ゆとり論」については追々紹介することになるが、中でもずば抜けているのが2017年10月25日に投稿された『平成批評』というポエム(揶揄的意味ではない)である。このポエムから「ゆとり」に関連する部分を引用しよう。

中東や極東に送るゆとり兵しねば儲かる米国軍産

シールズがゆとりの中の良心を代表しつつネトウヨが侮蔑

ゆとり脳社畜や徴兵させられつ差別よろこび搾取に服従

ゆとり脳戦争求め和平憎みひたすら群れて悪者になる

シールズをファッション左翼というのならゆとりは無益な戦場にてしね

若害の求める侵略社畜の生やはりゆとりと暮らすのは地獄

格差下で経済しらず社畜して果ては徴兵されるゆとり脳

ゆとり脳無知で暗愚で悪意ゆえ日本のがんの世代とぞおもう

日本国ゆとりは暗愚極悪人政府も企業も腐敗極める

シールズはゆとりで唯一善意ある平和尊ぶ有志とぞ見る

なんという愚かなゆとり若害かこれでは果ても奴隷にすぎざり

ゆとり脳おのれが勝者と妄信す低知能はみな滅ぶが競争

ゆとり脳若害やがて総負けし社民主義なる北欧憧る

ゆとり脳競争を舐め勝てるなど思う市場は絶滅地獄ぞ

若害のゆとりは戦場不条理を知らず勝てるとや思い込む愚ぞ

若害のゆとり脳では落ちぶれて東大ランクも46位ぞ

ゆとり脳右翼を正義と取り違え革新せずに後退し威張る

なんという愚かなゆとり若害かここは地獄か野蛮なる国

極悪のゆとり若害右翼ども侵略戦争求め国売る

極悪のゆとり若害右翼ども格差拡大求め民ころす

われ思うゆとり若害極悪性きっと日本を亡ぼすであろう

若害のゆとり脳では侵略で反撃されぬと妄想の戦

防衛と侵略の違いすら知らぬゆとり若害救いようなし

退化するゆとり若害もどりゆく72年前の戦禍に

われの見る未来は平和なるゆえにゆとり若害の国は嫌なり

なんという劣悪な民か日本はゆとり若害右翼は情弱

ゆとりども全盛期になる2040日本は一気に衰亡するであろう

ゆとり脳サブカル洗脳マスコミで完全に暗愚若害完成

なんという論理思考の足りなさぞゆとり若害本物の悪

愚劣なるゆとり若害のさばれば確実に終わる日本を抜け出せ

途上国未満の民度ゆとり脳10年後には日本は沈没

ゆとり脳若害極め劣悪な判断重ね国は亡びぬ

これどうなんですかね。触れていい人なんですかね。まあこういう人が増えてくれると楽っちゃ楽かもしれません…2000年代のネットを席捲したいわゆる「ネット右翼」と呼ばれる人たちが今は一転して馬鹿にされる側に回っているのは、何もネット民のリテラシーが向上したとか調査研究が進んだ結果だとかではなく、単に彼らの振る舞いが明らかに常軌を逸しているという点が大きいからでしょう。後は名前ですね、「ネトウヨ」という言葉が発明されなければ彼らもここまで勢力を縮小することは無かったろうに。

閑話休題。ここまでの傑物は近年お目にかかったことが無いので一体何者だろうかとプロフィールを確認すると

鈴木雄介(すずき ゆうすけ、1984年 - )は、日本の芸術家(画家、彫刻家、著述家、音楽家、写真家、デザイナー、書家、ゲームプログラマー)、哲学者。茨城県北茨城市生まれ。同市在住。

お前ゆとり世代やないかい…それも割と真性である。詳細は以下の記事に書いているので参照してほしいのだが、基本的に「ゆとり教育」や「ゆとり世代」という用語は教育界においてすら統一された定義はない。それでも「(2000年代の)ゆとり教育」前後に実施された教育調査の結果やそれに対する調査者達の解釈、或いは「読書離れ」や「性的放逸」…等々の一般に信じられている(少なくとも鈴木氏は信じている)「ゆとり的特徴」から敢えて「ゆとり世代」なるものを同定しようと試みるならば、正に鈴木雄介世代こそが「ゆとり世代」そのものということになる。

hajk334.hatenablog.jp

もしかすると物江潤氏(1985年生まれ)のように「ゆとり世代」を自認した上でゆとり批判をしている*1のではないかとも思ったが、ブログを読むに別にそんなことはないらしく自分たちの世代とゆとり世代との間には隔絶した違いがあるらしい。

というわけで、以下は鈴木氏の「ゆとり論」の検証、ひいては鈴木雄介さん世代こそがむしろ彼の言及する「ゆとり世代」の特徴に合致してしまうことを確認し、そしてこの記事を読んだ鈴木氏の反応を記録していきたいと思う。

 

 ゆとりは本を読まない

若者とは思えない日本人達までこの有様なのだから、本もほぼ読まない、ネットで高度な内容読んでるとも思えないゆとり世代の若者一般がもっと同調圧力で群れる為に群れ、あらぬ方向へマスゲームやってても何の疑問もない。

ゆとり教育世代の読書率は致命的なくらい下がっているわけだけど、本当にやばい。
これまでの常識ではありえないくらい文章が読めない、日本語が読めない、文脈や文意が読み取れないという人が20代以下、とっても増えている。

ゆとり教育が「偏見」だと思ってる人は多いだろうけど、本を1度も読んだことがない、とかいうゆとり世代の短大卒の人と会話してみるといい。

 日本全体の単位では、色々若者ら見た感じもう手遅れだと私は思いますし、脱ゆとり世代も『荒野行動』だのティクトクだのばっかやってて全く本とか読まないですし、PCすら使えないほど悪い意味でますます東京京都風俗サブカル消費するだけの末期ローマ民になる同調圧力かけあってるともいえるでしょう。

いわゆるゆとり教育の失敗、これはその世代の一部と標本抽出みたいにかなりのサンプル数と「できるだけ反証的に」接した限り、本当の話だった。まず本を全然読まなくなっていてネットでも長文読まない上に、幼稚園児レベルのアニメを本気で見ている人達が多い。

 

若年層の読書習慣については学校図書館協議会と毎日新聞が『学校読書調査』として半世紀以上にわたり共同で実施している。それによれば小中高校生の不読率の推移は以下のようになっている。

 

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以上である。ちなみに鈴木世代が記録した中学生不読率55.3%という数字は調査開始以来最高の数値であり、恐らく今後も抜かれることは無い不滅の金字塔である。これは「(2002年)ゆとり教育」を軸にして見ると大変に面白い結果だ。ゆとり教育実施5年前(1997年)と5年後(2007年)の結果を比較すると、小学生で10ポイント、高校生で20ポイント、中学生に至っては40ポイントも不読率が減少している。特に中学生の不読率14.6%という数値は調査開始以来最も低い数値である。

以下の記事では「読書離れ」と関連したその他の読書調査についても簡単に説明しているので参照していただきたい。

hajk334.hatenablog.jp

 

ゆとりは勉強しない

ゆとり世代の大部分を形作っているネット右翼ら(以下、ゆとり若害と略す)が愛国主義者や保守主義者といった同国多数派と彼らが目す衆愚に偽装し虚栄心を補強しようとするのは、怠惰で不勉強な彼らに自己効力感が欠けているから

ゆとり世代一般は不勉強なだけでなく日本文明への邪心で最悪政治の独裁者安倍晋三首相を支持している

私ははたちくらいの頃、神の様な全知に到達する目標を立てて、毎日猛勉強してきました。私はその意味で詰め込み教育的な価値観を体現した最後の代表者の一人といっていいと思います。

より正確にいうと、ゆとり教育を受けた世代(1987年4月2日~2004年4月1日生まれ。現32~15歳)と、それ以上の詰め込み教育を受けた世代の学力水準の落差が、その種の若者の保守化にみえる心理現象の一因と思います。

僕は詰め込み教育の最後の頃の世代(1984生)なのだが

総務省統計局が5年に1度実施している『社会生活基本調査』では学生の学業時間が調査されている。それによれば1986年から2016年の高校・大学生の学業時間は次のように推移している。

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鈴木世代が記録した高校生の1日あたり学業時間321分という数字は調査開始以来最低の数値である。この90年代に起こった「勉強離れ」こそ苅谷剛彦や耳塚寛明らの教育学者が「ゆとり教育の弊害」として指摘していたことなのだが…ちなみに社会生活基本調査における2000年代半ば以降の学業時間の増加傾向はベネッセの『学習基本調査』でも確認されており、それを耳塚を含む調査者達が「ゆとり教育からの脱却」と解釈したことは上掲の記事の通りである(正体不明の「ゆとり教育」)。

 

ゆとりは純愛を知らない

醜い恋愛というのが、ゆとり世代の一部の流行なんだろうか? 多分、損得勘定を純愛より優先している所が醜悪なんだろうな。段々わかってきた。彼らゆとり世代の一部の損得愛は、異性を寄生か自分の箔付けかどちらかの目的でしかみていないのだ。それは我々の知っている恋愛や純愛では全然ない。

第一に自己利益のため相手を利用する目的しかなく、第二にそこに性欲のあけすけな表現が加わっていて、しかも周りの下衆なゆとり同世代人に自慢する為にそうしているところが醜悪なのだ。このどちらも旧来みたことがない状態で、しかも大変に退廃したサルもどきの情痴なのだ。

ゆとり世代の一部の中では、男性が自分を飾る道具か、ただのATM的な寄生先、または女性が性欲を満たす使い捨ての道具化されている。しかもこのことを当人達は恥じる気配がなく、当然だと思って周りにもそうしなよ、とかいっている。ものすごく軽薄かつ心の通っていない単なる自慰道具扱いの様な物、或いはすさまじく愚かで同情の余地のない見栄の張り合いが、ゆとり的損得恋愛の実情の様だ。

一方で、ゆとり男の世界観では、女は使い捨ての性欲処理係という扱いが当然視されている。セフレ(sex friendの略で、交尾友達)といい、とかく多数の女をはべらせようとし、誰か一人を愛することは絶対にない。

このゆとり的損得恋愛の2つの事実、「女に貞徳なく、男に純情なし」を聞いただけでいかにこの国が末期的な退廃に包まれているかがわかりそうなものだ。自分が眺めていて嘔吐感がとれないのも当然だ。

結局、ゆとり的損得恋愛劇場の中では、眞子が実に一番ましな部類なのである。佳子のせりふをみてもそのことに全然疑問をもっていないのがわかる。それほどゆとり教育というのは、他世代に比べその世代の人達の知能を劣化させてしまったということなのだろう。サルより醜い恋愛なんてみたことなかった。

というわけで、若年層の性的価値観に関する統計を見てみよう。以下に示したのは第6回青少年の性行動全国調査の結果である。当該調査は2005年に実施されたため、グラフ中の高校生はほぼ「ゆとり世代」に、大学生は「鈴木世代」に該当する。

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以上である。この結果は世代の効果よりも年齢の効果が主因となっている可能性もあるが、参考までに第7回調査(2011)では大学生の性交経験率が調査開始以来初めて減少(女子:61.1→46.8%, 男子:61.3→54.4%)したことを付記しておく(逆に言えば大学卒業時点では鈴木世代が史上最も性交経験率の高い世代ということである)。

 

以下は鈴木世代との比較ではなく、単に鈴木氏の「ゆとり」に関する誤りを列挙していこうと思う。


ゆとりはネトウヨ

更に低教育・低公徳な衆愚である右翼やゆとり若害を啓蒙し直すにも、凄まじい手間が要る。自民党閥が運よく一掃されたとしても、これらゆとり世代の公害や、右翼一般の低民度さには多大な再教育費がかかるのだ。

右翼全般、そしてゆとり若害一般は亡びと不幸のどん底への大きな門を通り、赤信号の元を大上段に構え衆愚となって闊歩しているのに違いない。

なんという劣悪な民か日本はゆとり若害右翼は情弱

この分析結果をみると、二十代に比べると四十代以上の方がネット右翼に、四十代・五十代のほうがオンライン排外主義者になりやすい。つまり、ほかの要素―社会経済的地位や政治的・社会的態度、各メディアの利用の程度など―が同じなら、若年層よりも中高年層がネット右翼や排外主義者になる可能性が高い。(p.32)

これは著者達が2017年に実施したアンケート調査に基づき、「ネット右翼」を目的変数とした多項ロジスティック回帰分析を行った結果である。結果として年齢が「ネット右翼」の決定要因として学歴や年収、就業形態(正規―非正規)よりも大きな効果を持つことが分かっている。ちなみにネット右翼の分布については年代別でさほど大きな違いはない。20代から70代の内、最もネット右翼が多かったのは40代の1.8%, 最も少なかったのは20代の1.2%である。

 

ゆとりは知能が低い

若害の知能驚くほど低くわれは日本の大凋落予知す

上記ゆとり世代一般には、他世代一般に比べた低学力化に伴う批判的思考の欠如と、精神年齢そのものの低下による反抗期の遅延が見られるのだろうと思います。

余りに知能が低いと、学歴差別とか大企業差別、所得差別、資産差別、地域差別の様な、不躾で単純な階級差別に陥り易い。このこともゆとり世代の人達を一般的に観察しているとよくわかる。

フリン効果により日本人の知能は上昇し続けている。これは別に隠された事実でも何でもなくWISCやWAISのマニュアルを読んでいれば当たり前のように記載されている。ちなみに良くネットで「世界の知能指数ランキング」のように知能指数の低い情報が出回っていることがあるが、あの手のランキングは全てRichard LynnとTatu Vanhanenが行った一連の研究に基づいている。何故かあのランキングを見てどこにも書かれていない「ゆとり世代の知能低下」を見い出す人がたまにいるのだが、実はあのランキングからもゆとり世代の知能が上昇していることは確認できる。詳細は以下の記事を参照してほしい。

hajk334.hatenablog.jp

 

ゆとりはPISA成績が低い

既にゆとり教育は終わったから、後は生涯学習の中でその世代の教養水準を自ら高めるしかないのだろうが、知られているよう国際学力テスト成績(PISA)の結果からみるとゆとり世代だけ他世代より成績が悪化していた。令和世代はそれを反例にし、最初から真理探求という本来の目的で学問を学んでほしい。

hajk334.hatenablog.jp

上の記事では閲覧者の知性を信頼して敢えて論文の引き写しなどはせずに手ずから説明しているのだが、それでは納得できない権威による保証が欲しいんだという方は以下の論文を参照してほしい。川口俊明先生は日本では数少ない教育測定の専門家であり、袰岩晶先生は実際にPISAの設計・実施に携わっている当該調査のエキスパートである。高山啓太先生は長年海外で活躍された教育学者であり一昨年からは京都大学に勤められている。いずれも「PISAショック」と呼ばれた現象がデータの誤解釈によるものであることを説明している。

国際学力調査からみる日本の学力の変化

大規模教育調査とエビデンスに基づく政策 PISAと「ゆとり教育」の関係について
The politics of international league tables: PISA in Japan’s achievement crisis debate

 

疲れました…誰だよこんなモンスターを生み出したのは。このブログは副題通り他者からの評価を意図したものではありませんが、今日ばっかりは誰か同情してくれませんかね…コメントだかブックマークだかスターだかをお願いしますよホント。

 

追記

特に反応はありません。

*1:実際は『だから、2020年大学入試改革は失敗する――ゆとり世代が警告する高大接続入試の矛盾と落とし穴』というタイトルに反して、同書では「ゆとり批判批判」にそれなりの分量がさかれている。

ゆとり世代の知能指数について

或いは知能指数の世界ランキングについて。実は、あの手のランキングはほぼ全てRichard Lynn*1とTatu Vanhanenが行った一連の研究に基づいている。中でも直接の元ネタであろうと思われるのが、書籍として公刊された"IQ and the Wealth of Nations (2002)", "Race Differences in Intelligence (2006)", "IQ and Global Inequality (2006)" である。まぁタイトルから察しはつくだろうが、相当の物議を醸した本でもある。英語版Wikipediaの該当ページを眺めれば何となく分かるだろう。

また、この世界知能指数ランキングは「ゆとり世代の知能低下」に説得力を与えている材料の一つでもある。やや回りくどく書いたのは、たとえ冗談でも根拠やエビデンスと書くわけにはいかないからだ。というのも、あのランキングをどう解釈しようと「ゆとり世代の知能低下」という結論は導けないからである。にも関わらず、そう読み取ってしまう人間が一定数存在しているというのは不思議と言うほかはない。

たとえば、以下のページとそのコメント欄を見てほしい。日本の結果をゆとり教育と関連付けている人間が少なからずいることが分かるだろう。ところで、日本のIQは105であり、日本の学生のものとされているIQも105なのだが、一体彼らの頭の中ではどのような論理が展開されているのだろうか…ちなみに「学生のIQ」というのは誤りであって、日本についてはどちらもほぼ同じデータに基づいている。恐らく"who analysed IQ studies from 113 countries"を誤訳したのだと思われる。

日本は3位。IQが高い国ベスト10 カラパイア
http://karapaia.com/archives/52192998.html


ゆとり世代は日本人の知能を下げたのか
さて、それではこのランキングについて、ゆとり言説との関連において少しだけ詳しく説明しよう。まず言っておかねばならないのは、このランキングは「現在の知能指数」を示しているわけではないということだ。恐らくコメント欄で意味不明な妄言を垂れ流している方々は、2015年の調査なのだからその年代の調査結果なのだろうとか、或いはリンさんとヴァンハネンさんが頑張って世界中で知能検査を実施したんだな、とか思っているのだろうがこれはメタ分析である。二人が測定したわけではない。

このランキングにはいくつかの版が存在しているのだが、私が確認した限りで最新のものは以下である。これはRichard Lynnが2015年時点のデータを基に更新した"Race Differences in Intelligence"の第二版であり、日本の平均IQの計算には2014年までに発表された計25本の論文のデータが使われている。

"Race Differences in Intelligence: An Evolutionary Analysis"
https://www.intelligence-humaine.com/wp-content/uploads/2019/03/Race-Differences-in-Intelligence-second-edition-2015-1.pdf

この中で「ゆとり世代」が含まれる知能検査は3つだけである。それぞれ102, 104.4, 110という結果になっている。使われた知能検査の種類や被験者の年齢、出典等についてはリンク先を参照してほしい。なお、102という結果が出たCox et alの調査は2001年に、つまりゆとり教育開始前に実施された調査である。というわけで、これら3つの結果を平均した値は105であり、ゆとり世代の結果は日本人の結果に全く影響を与えていないことが分かる。

ちなみに、この25本という数は他国と比較して抜きん出て多い。これは注にも示した通り、Richard Lynnの経歴も関係しているのだろう*2。たとえば、ランキングで日本を上回っている国の論文の数を示すと、香港が11本、韓国が6本、シンガポールが4本である。1本の論文に示された数値がそのまま代表値となっている国も複数ある。また、各国の平均値を計算するにあたって、サンプルサイズやサンプリングの違いは全く考慮されていない。ただ各論文のデータをそのまま平均しているだけである。


ゆとり世代の知能は他世代よりも低いのか
この節のタイトルを見て疑問に思うかもしれない。ゆとり世代のIQが日本人全体のIQと変わらないのは先述した通りである。それでは何故またゆとり世代と他世代の知能差を検討する必要があるのだろうか。その答えは簡単だ。ゆとり世代と他世代の知能は現に違うからである。具体的に言えばゆとり世代のIQはそれ以前の世代と比較して高いのである。

ゆとり世代のIQは105、ゆとり世代のIQも105となっているが、同じ数値であることは同じIQであることを意味してはいない。何故ならLynnの研究結果にはフリン効果による補正が含まれており、さらには各世代が受検した知能検査の基準IQもフリン効果によって上がり続けているからである。

それではフリン効果を説明…する前にまずは標準化という作業について簡単に説明しよう。知能検査というのは皆さんもご存知の通り「平均が100」のテストである。ところで、日本で一般的に使用されているWAISもWISCも日本で開発された知能テストではない。従って、単純に翻訳したテストを受けさせるとその平均は100にはならない。ここでは日本人に受けさせた結果が平均102点だったとしよう。どうしようか。2点引けばいいだけである。これが標準化だ。要はある知能検査の得点を平均100(標準偏差15)に調整する作業だと思っておけば良い。

フリン効果については正直言って詳細に説明する必要も無いだろう。年々人類の知能指数が向上しているというアレである。フリン効果の解釈については諸説あるが、事実としては極めて頑健な現象であり、定期的に知能検査が再標準化されているのもこれが理由の一つである(放っておくと得点が上がり続けるため)。一般的にはフリン効果によって10年で3ポイント、即ち年あたり0.3ポイントIQが向上するとされている。Lynnが補正に使っているのもこの数字である。

一例を挙げよう。Lynnの研究に含まれる日本の最初のデータは1951年に実施(標準化)されたWISCのデータであり、その平均得点は103点であった。これがまずフリン効果によって1点減点される。WISCがアメリカで開発(標準化)されたのは1947年であり、1951年時点のアメリカ人の平均得点は101点となっているはずだからである(従って日本とアメリカの本当の差は2点だ)。次に、アメリカの得点は白人のみの検査結果に基づいているため(黒人等を含めるともっと低くなるはずなので)日本に2点が加点される。104点である。最後に、イギリスを基準とした尺度に調整される。イギリスの平均IQを100とした時、アメリカの平均IQは98であるため2点減点である。最終的な結果は102点となる。

これが具体的なIQの補正方法である。Lynnは手を変え品を変え様々な補正を行っているが、フリン効果は全ての補正に共通して使われている。以上のことから注意してほしいのは、仮にゆとり世代のIQが以前の世代より数字上低くなっていたとしても、直ちにゆとり世代のIQが低いとは言えないということだ*3。加えて、(こちらが本題である)Lynnはフリン効果を単に開発時点と実施時点のギャップを補正するために使っているが、フリン効果の影響はさらに広範なものである。たとえば次のような架空の事態を考えてみよう。

まずある知能検査Aが開発されたとする。その10年後に開発された知能検査をB、以下同様に10年毎に開発された知能検査をC、Dとする*4。これを日本人が(開発から間を置かず)受けた結果はそれぞれ103,103,103,100であった。100がゆとり世代の結果である。単純平均を四捨五入して日本人の平均知能は102となる。ゆとりのせいで下がってしまった。

これはLynnとVanhanenの計算方法と同じである。彼らもフリン効果による補正はしているが、それはあくまで「ある知能検査」について、その結果を実施年度を問わずに同一尺度上の数値に変換するためであり、全ての知能検査を単一のスケールで表現するためではない。つまり、知能検査Aが数年後に日本で実施されたならば、その得点をA’としてフリン効果による補正はするが、知能検査Bについてはしないということだ。平均値の計算に使われるのは、あくまでその知能検査が開発された時点を基準としたIQなのである。

さらに具体的に説明しよう。たとえば、"IQ and the Wealth of Nations"では日本のIQを10本の論文から計算しているが、そのうち3つだけを抜き出すと次のようになる。

1. WISC 1947年にアメリカで開発(当然平均は100)1951年に日本で実施(平均103点/1点減点)
2.WPPSI 1964年にアメリカで開発(当然平均は100)1967年に日本で実施(平均108点/1点減点)
2.CMMS 1972年にアメリカで開発(当然平均は100)1980年に日本で実施(平均113点/2点減点)

右側括弧内はそれぞれ日本の平均得点(当たり前だがそれぞれの知能検査を日本で運用する時は平均100に調整される。あくまで初めて実施した時の得点である)とフリン効果による補正値を示している。他の要因でも補正されているので、その最終的な結果はそれぞれ102点、105点、109点である。LynnとVanhanenはこの数字を平均して日本の平均IQは105と言っていたわけだ。

つまり、同じ知能検査についてはフリン効果による補正をしているが、別の知能検査についてはフリン効果を考慮していないのである。言っておくが当たり前である。もし最初のテストに基準を置くと、最近テストを受けた国の方が得点が高くなってしまうからだ(たとえば中国や韓国のデータは全て80年代以降のものである)。そして世界の平均IQは115くらいになってしまう。

知能検査A,B,C,Dの話に戻ろう。仮にフリン効果を年あたり0.3として、知能検査Aを基準とした数値でそれぞれの検査を受検した世代の知能指数を確認すると、知能検査A世代:103、知能検査B世代:106、知能検査C世代:109、ゆとり世代:109になる。ゆとり以前の全ての世代がゆとり世代以下の知能指数となっている。数字の上では低下しているように見えても、実際はフリン効果によって基準となるIQが上がり続けていたためである。


まとめ
以上、ゆとり世代と他世代のIQの数値は変わらないこと、そして変わらないということは実際には上がっていることを示した。おしまい。

 

 

 

*1:日本におけるフリン効果を初めて確認したのはRichard Lynnである。

*2:実際25本の内9本がLynnの研究である

*3:フリン効果による一律0.3ポイントの補正は、特に近年の先進国のIQを過小評価するおそれがある。一部の西欧・北欧諸国では既にフリン効果が打ち止め、或いは「逆フリン効果」が生じている可能性が示唆されているからである。なお日本ではWAIS・WISCともに未だにフリン効果は確認されている。

*4:話を分かりやすくするため別の知能検査としているが、同種の知能検査についても同様である。たとえば、WAIS, WAIS-R, WAIS-Ⅲ, WAIS-ⅣをそれぞれA, B, C, Dに置き換えると良い。また、本稿で「開発」「実施」としているものは、正確には全て「標準化(standardization)」と呼ばれる。

公園の遊具が減っているという主張について

少なくとも20年以上前よりは増えている。以下は国土交通省が平成10年より3年毎に実施している『都市公園における遊具等の安全管理に関する調査』における公園遊具の設置状況の推移(H10~R1・都市公園)である。

(別表)都市公園等における遊戯施設等の設置状況(過去のデータとの比較)https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001487380.pdf

おわり。

もう少し詳しく説明すると、「近年の行き過ぎた安全主義によって公園の遊具が次々と撤去されている」という世間の認識とは裏腹に、明らかな減少傾向が確認できるのは「ゆりかご型ぶらんこ」「回転塔」という明確にその危険性が認識されている二つの遊具だけであり、それぞれH10~R1の間に9,791→2,200、3,933→1,457と顕著に減少している。

他方で他の遊具に関しては殆ど変化しておらず、子供人口の減少率以上に減った遊具は確認できない。また2000年代後半から高齢者向けの健康器具系の施設が増加したということもあり、結果として公園の遊具数は増加しているのである。

ところで、Googleの検索フォームに「公園 遊具 統計」と入力すると関連する検索キーワードとして以下の結果が得られた。

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減少していると信じて疑わないその姿勢は立派である。試しに「公園 減少 データ」で検索すると、ボーネルンドという教育玩具会社が2017年に実施した調査がトップに表示された。調査の概要を説明すると、6~12歳の子供を長子に持つ全国の母親・父親 1,600 人に、自身が子どもの頃に遊んでいた「昔の公園」と、自身の子どもが現在遊んでいる「今の公園」について、アンケート調査を実施したものである。

アンケートの中には遊具数に関する設問も含まれており、実に3分の2もの回答者が「昔よりも遊具が減った」と回答している。この調査は日経新聞でも取り上げられていたので以下にその記事を紹介しておく。余談だが、少年刑法犯が5年連続で戦後最低を更新した2015年に実施された「少年非行に関する世論調査」で「少年による重大な事件が減った」と回答した人間は2.5%である。

www.nikkei.com

ちなみに、「公園遊具 減少 グラフ」で検索すると、冒頭掲げた『都市公園における遊具等の安全管理に関する調査』の結果を紹介するサイトがトップページに表示された。(数年前に検索した時は0だったので)ネットなんて馬鹿しかいないと不貞腐れていたが中には真面目な人もいるものである。偉い。rutenzanmai.com

opnihcさんについて

はてな民の投票行動がマジで馬鹿過ぎる

世間とはかけ離れた意見が多数派を占めるくらい村ということ。エコーチェンバーに酔った彼らが選挙のときにあげる断末魔コメントを肴にお酒を美味しく戴くのがはてなの正しい使い方ですよ。

2022/11/12 10:16
id:opnihc
目と耳を塞いでいれば都合の悪い現実から逃げられると思っているお花畑がエコチェンを語っていて若干イラッときたのでopnihcさん専用のページを作っておきます。何か面白そうなブコメがあれば随時追記する予定です。


辛辣なことを言って星を集めようとするも失敗するopnihcさんのブコメです。自分のことはア〇だと思っていなさそうなところもポイントが高いです。

「読んでねーだろ」「馬鹿か?」「文盲検出器」イキりまくるopnihc先生のコメントが読めるのは"はてなブックマーク"だけ…!

はるかかなた on Twitter: "「リベラルがなぜ嫌われるのか?」というテーマが盛り上がっているようですが、政治哲学の分野では50年ほど前に盛り上がったことがある話題なので、簡単にご案内します。リベラルの中の人の属人的な資質の問題ではなくて、あくまでリベラルが抱える理論的な問題だからです。(1/n)"

<a href="/cinefuk/">id:cinefuk</a>は中身読んでねーだろ。むしろリベラル寄りの視点で、最大多数の最大幸福から外れた人たちが功利主義者に立場を理解させるために利権を剥ぎ取るキャンセルカルチャーが暴走している話だぞ。馬鹿か?

2022/11/19 20:15

まるでエビデンスのあるブコメも書けるかのようなブコメです🥺

「スポーツは人格形成に必ず役立つ」はウソである…「アスリートほどルールを軽視する」という衝撃データ むしろ「えげつなさ」を日常生活に取り込んでしまう

体を動かすという意味でのスポーツ(運動)は人格形成に役立つと思ってるが、競技としてのスポーツ(勝負)はチートが当たり前になっているのでダメな面も多いという感想。エビデンスはない。

2022/12/20 21:54

高度な教育を受けたインテリ左派による暴力革命や学生運動の歴史を私は学校で習った気がすします。opnihcさんが「教育」に言及することが多いのは何かコンプレックスがあるのかもしれません。

安倍暗殺を正当化したマスコミのせいで、殺人と暴力による政治を求める人たちが増えている模様

マスコミは良識を失ってなかったが、はてなは本当に酷かった。このエントリーへのコメント然り。政治がいくら酷くても暴力に訴えることを肯定、正当化する人間は一から教育を受け直すべき

2022/12/22 02:11

後のブコメで総ツッコミされていますがopnihcさんが気づく気配はありません。時系列を把握する能力だけでなく自省する能力も欠けているようです。

「『キラキラネーム=頭が悪い』という偏見が…」18歳で「王子様」から改名した男性の現在(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

「悪魔ちゃん」と名付けたバカ親が話題になった頃、キラキラネームはDQNネームと呼ばれていた。父親がまともなのに母親の暴走を止められなかったのが悔やまれる。早めに手を打って本当に良かった

2022/12/24 14:38

メディアリテラシーのない人がメディアリテラシーを語っていると殺したくなりますがきっと自戒のブコメだと思います🥺ちなみに和歌山カレー事件は「ゆとり事件」と発生時期や経緯がよく似ているため10年以上前から注目してきました。20云年経ってから冤罪説が浸透してきたことに感動しました。

〈和歌山カレー事件から24年〉林眞須美さんは本当に犯人なのか? ミス、不正、捏造だらけの鑑定結果にメディア人として思うこと(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

真実は分からん。ただ報道と視聴者がフェアじゃなかったのは事実。お気持ちベースでの報道はリンチや冤罪を生むのでメディアリテラシーって本当に大切。検察や裁判官の誠実さを信じているが怖い事件

2022/12/27 05:36

くだらない妄想に浸る暇があるなら現実と向き合ってください🥺

ミスしたときに「また痛みを知って強くなってしまったな」と言って気分を切り替えてる話。 - フジイユウジ::ドットネット

弱虫ペダルの寿一の「オレは強い」は根拠ない自信が湧いてくるのでやばい状況のときによく使うわ。歌詞とか台詞の力って結構あるのでハードトレーニングのときは洋楽よりもむしろJ流すこと多いな

2022/12/27 05:29


男ってクソバイス&セクハラ抜きで会話できないの?

女性とは言わんけど増田のようなお気持ち共感原理主義(天動説か地動説かを共感で決めるような人たち)の頭に合わせるのマジ苦痛。論理的思考が全くできないのを共感一点突破しようとするから冷笑されるんよ?

2023/02/10 00:25

他人に厳しく自分に甘い男の中の男opnihc

パスタで塩ラーメンを作る方法「スープが簡単なのにめちゃくちゃ旨い」 | ガジェット通信 GetNews

重曹茹でしなきゃ丼に入れたスパゲティだろ。麺つゆ入れて塩ラーメン謳うのもクソだし、作らなくても不味いと分かる。しかも記者が作って味見した形跡がなくツイートまとめただけ。食ってから書け

2023/02/12 06:54

鏡(AA略

フルマラソンを完走して、限界まで追い込まないと人は壁にすらぶつかれないという事を理解した

一回走っただけでこれ語るの薄くないか?

2023/02/17 12:16

発端のツイートをされたポンデべッキオさんはロスジェネ世代なんですがopnihcさんってもしかして私が思っていたよりはるかにご高齢なんでしょうか…いつものイきりは年寄りの冷や水だった…?
opnihcさん

おじさん達がZ世代の貧困に気づかないのはこれが原因らしい→「安価なサービスを上手く使ってるから貧困に見えない」

寝言は寝て言え。学生時代は風呂なしエアコンなしだったし食うに困る奴が身近にいた。女の子は親が大学に行かせなかった。上の世代はもっと貧困だった。その世代の努力で整ったインフラを享受しながら言う言葉?

2023/02/18 09:02

多分これからますます暇アノンの状況は苦しくなっていくと思うんですけど(名推理)どこまでイくんでしょうねこの人たち…社会問題と化したopnihcさん

Colabo「バスカフェ」に相次ぐ妨害 活動再開も先行き不透明 | 毎日新聞

元会検局長の有川教授の解説は不認定の192万に対してじゃなくて1月4日の勧告に対するもの。読解力のない読者騙す気マンマンの毎日新聞の意図通りに<a href="/dd369/">id:dd369</a>が早速騙されてて草。妨害も192万もアウト / 監査の勧告は1/4のみ

2023/05/01 18:45