若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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「名前のない世代」について

 

1982

1982

  • 作者:佐藤 喬
  • 発売日: 2016/04/20
  • メディア: 単行本
 

「『バブル世代』は見栄っ張り」「『ゆとり』は使えない」など、いつの時代でも居酒屋や職場などでトピックになる“世代論”。団塊、しらけ、新人類、バブル、ロスジェネ(団塊ジュニア)、ゆとり、さとり、脱ゆとりなど、世代ごとに私たちは“きちんと”社会から名付けられ、定義されてきた。多くの人たちが自分の属する世代を良くも悪くも自覚してきたことだろう。しかし、社会から名前をもらえなかった世代がある。1970年代生まれの「ロスジェネ世代」と1987年以降に生まれた「ゆとり」の狭間の世代、81~86年生まれの人たちだ。一時は“キレる17歳”と揶揄された彼ら。少年A、ネオむぎ茶、加藤智大、片山祐輔、小保方晴子など、世間を騒がせてきた特異な人物がいるにもかかわらず、名前がない世代とは――。

少年Aも小保方晴子も、アラサーちゃんもタラレバ娘も 自分語りが好きな「名前のない世代」(2016/06/01 15:00)|サイゾーウーマン

以前の記事にも書いたように、この世代は前後の世代と比較しても少々特異な世代だ。一般に信じられている「ゆとり的」特徴を、Wikipedia的定義による「ゆとり世代」よりも兼ね備えていることから私は勝手に真性ゆとり世代と呼んでいる。これはもちろん「ゆとり世代」の定義をずらしてこの世代を糾弾しようと意図しているわけではない。彼らがゆとり的であればあるほど、つまり、(数字の上っ面を眺める限り)個性自主性尊重の名の下ろくに勉強をせず、本も読まず、異性関係にはルーズであり、就職にもそれほど苦労しなかった(ように見える)この世代に名前が付けられていないという事実*1は、それだけ俗流世代論の虚構性を浮き彫りにしているからである。彼らの存在はゆとり言説に対する生きた反証であるといってもよい。

それではなぜ彼らに名前が付けられなかったのか、については冒頭に紹介した『1982』にて論考されているのでここでは措いておくとして、名前が付けられなかったその結果として何が生じたのかについて、私の妄想を以下に開陳したい。ちなみに紹介文を引用したリンク先では『1982』の著者である佐藤喬氏と、氏と同世代である古谷経衡との対談が掲載されているが、妄想を書き連ねる前に古谷の以下の発言について補足しておく。

ゆとり教育ではなかったですもんね。台形の面積の求め方も、円周率3.14もありましたから。土曜日も完全週休二日ではなくて、隔週でしたね。ゆとり世代への過渡期ではあるが、かといって、ゆとりではないという位置づけです。

台形の面積は発展的学習として取り扱われている。円周率については最早信じる人間が死滅するまで続くのだろうと諦めているがデマである。百歩譲って事実だとしていずれも第五学年の学習内容であるため「ゆとり世代」の4割以上は関係が無い。完全週五日制を経験したのは1984/4/2生まれの以降の世代、土曜休業を経験したのは1994/4/1生まれ以前の世代であり、「脱ゆとり教育」と呼ばれる現在も原則として完全週五日制である*2。そもそも台形の面積も円周率も現在広範に使われている「ゆとり世代」の意味内容を既定するものではなく古谷の発言はトートロジーである。

 

駄文

今後の若者論は、どういう方向に進むのだろうか。(略)しかし、90年代においては、若者論が大きなブームを起こすことは、もうないのではないか。若者に関心の向かう社会は、若く活力に富み、成長の可能性をもった社会である。(略)今後の日本社会は、好むと好まざるとによらず、停滞と成熟に向かわざるをえないだろう。だから若者が切り開くフロンティアに期待をかけ、彼らに熱いまなざしを注ぐ時代では、もはや無いと思うのだ。

小谷敏, 1993, 「若者論を読む」, 世界思想社, p.141 

この小谷の牧歌的な予測を現在から振り返ってみると、半分は正解であり、半分は間違っていたと言えるかもしれない。新人類言説は小谷がいうように「大人たちの、若者への畏怖と侮蔑と羨望の念をあらわす」(同上p.84)ものであった。新人類の特徴と信じられていた、従来の伝統に縛られない価値観、高度化する情報メディアへの対応力、消費社会に適応する洗練された感性、これらのものは新人類の否定的側面であると同時に肯定的側面でもあり得た。それは若者に対する羨望でもあったし、また未来の社会に対する期待でもあった。

しかし、90 年代以降はこうした若者の肯定的側面が語られることは少なくなっていく。
この点は小谷の予測が当たった。90 年代以降、もはや若者に「熱いまなざし」が注がれることはなくなったのである。少子高齢化が喫緊の、かつ解決困難な社会問題とされ、日本の停滞が自明のものと認識されている現在では、若者の活力に期待する者も、若者を羨ましがる者もいない。若者に対する畏怖も羨望もなくなったのである。

かくして侮蔑だけが残った。90年代以降に若者論の主流となったのは「若者劣化言説」*3である。若者の変化は劣化であるという自明の前提の下、あらゆる領域のあらゆる人間が思い思いの若者論を展開してはそれが検証されることも無く蓄積され、ただ劣化した若者という漠然とした、それでいて強固なイメージが形成されていった若者論百花繚乱の時代である。

一方で、90年代若者論の特筆すべき点は、それらの若者論を統合するシンボルとしての世代概念がついぞ共有されなかったことだ。「名前のない世代」の誕生である。これは必然的帰結であり、90年代は若者論の多様化、細分化が進んだ時代であるからこそ、際限もなく拡散した個々の若者論を統合するに足る「分かりやすい一つの原因」を見つけることが出来なかったというわけである。

たとえば"キレる17歳"*4などはそうして細分化された若者論の典型的一例であり、或いは"援交4%世代"、或いは"ひきこもり"、或いは"学級崩壊"……といったように、個別具体的な集団や現象に次々と新たなネーミングが発明される一方で、それらを統合する認知的枠組みが共有されることは無かった。90年代若者論の主因を敢えて一言で表現するならばそれは"時代の変化"であり、従って当時の若者を描写する際に最も頻繁に使用された表現は"最近の若者"である。

しかし、若者論においては必ずしも原因からレッテルが発案されるわけではない。たとえば、新人類はその分かりやすい一例であり、彼らが示す(とされた)奇異な言動の原因を最も端的に表現すれば「新人類だから」となる。つまり、新人類が上司から飲み会に誘われても断ってしまうのは彼らが「新人類だから」であり、怒ると翌日には職場から姿を消すため褒めて伸ばしてやらなければならないのも彼らが「新人類だから」である。

勿論それらの言動には個人主義だのなんだのといった「簡便な」説明が気持ち程度に付されることもあったが、つまりはそうした諸々の原因の集積こそが「新人類」なのであり、これは言うまでも無く再帰的な構造である。すなわち、新人類の言動に対してその原因が追究され、発見された原因が新人類という言葉に再帰的に組み込まれることによって、新人類は正に新人類という言葉によってその言動の全てを説明されるに至るのである。これが新人類大統一理論

この再帰的性質はゆとり言説にも当てはまる。90年代の若者論からは一転、2000年代に爆発的に流行したゆとり言説では、特定の小集団や現象が問題とされるのではなく、むしろより一般的な行為態様に「ゆとり」のラベルを張ることによってその意味内容を急速に拡張していった。「ゆとりすぎる」「ゆとられる」等の品詞の変化からもこの再帰的肥大化のプロセスがいかに簡捷なものであったかを窺い知ることができる。この点、同じく若者論が猖獗を極めた90年代とはその構造に於て好対照であり、それが90年代若者論と以後のゆとり言説を違和感なく接続しえた決定的な要因であったと私は考えるわけである。

つまり、90年代に盛り上がりを見せた種々の若者論とその原因として健全なる一般市民の脳裏に刻まれた現代の病理……すなわち少年犯罪、性的逸脱、過度の内向性、自制心の欠如……或いはその原因としての家庭の教育力の低下、消費社会の弊害、仮想空間での人間関係、物質的豊かさ……等々の要素がそのまま「ゆとり」の名の下に統合されたことが、ゆとり言説肥大化のもう一つの主因であったというのが私の仮説である。まあ若者論が拡大再生産しているという話は別に私のオリジナルではないし、若者論に興味を持つ人ならば大抵気づくポイントではある。ただ90年代若者論からゆとり言説の流れにはそれが一層進行しやすい背景があったよねみたいな話です。おしまい。

*1:それぞれベネッセ『学習指導基本調査』『学習基本調査』, 総務省統計局『社会生活基本調査』, 毎日新聞・全国学図書館協議会『学校読書調査』, 日本性教育協会『青少年の性行動全国調査』, 文科省『学校基本調査』による。就職についての記述は1983/4/2~1987/4/1生まれの大卒者(浪人・留年無し)に限る。

*2:これは古谷が特別アホだからなのではなく、世間一般の「ゆとり教育」に対する基本的認識だと思われる。たった15年程前に実施されていた学校教育すら国民の大半がまともに把握できていない現状でまともな教育議論などできるはずもない。

*3:90 年代における若者劣化言説の成立とその背景については、後藤和智の『「あいつらは自分たちとは違う」病』(日本図書センター 2013)に詳しい。

*4:正確には2000年代の用語である。