若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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“昔なら入れなかったレベルの学生が東大に受かっている”!? 日本人の学力が低下し続ける原因とは

news.yahoo.co.jp

日常業務です。

2003年の結果は「PISAショック」と言われ、ゆとり教育の見直しが始まり一時期は順位も回復傾向にありましたが、2018年は、数学的リテラシー6位、科学的リテラシー5位、読解力は15位。読解力は相変わらず低レベルのままです。

PISA成績の向上と脱ゆとり教育の実施時期に関連は無い*1。PISA2009ではそれ以前の世代よりもゆとり教育を受けた年数が長いにもかかわらず、得点は有意に向上している。PISA2012では過去最高の得点を記録し、これは「脱ゆとり教育(の移行措置)」という文科省の見解をそのままに各全国紙でも報じられたが、その後脱ゆとり教育が本格実施されたPISA2015, PISA2018では「PISAショック」と同等の得点低下が生じている。また、PISAの報告書では特に日本を指してPISA2009以前のサイクルとの比較には慎重を要することが注記されている。詳細については以下の記事を参照されたい。

hajk334.hatenablog.jp

 

 いわゆる難関大学の教員からも「今の学生は総じて幼く思考力が低い」という苦情も聞きます。教育費は上昇する一方で、精神年齢や思考力は低くなっていると言われれている今の子どもたち。一体彼ら彼女らに何が起きているのでしょうか?

仮に観察が事実だとしても、直ちに当該世代の思考力が低下しているとは言えない。大学の定員が一定のままに、少子化と大学進学率の上昇が進行すれば「大学生」のレベルが低下するのは必然である。これは義務教育修了程度の思考力を備えていれば十分に理解できる。加えて、近年は大学生の出席率の著しい改善によってもこの傾向に拍車がかかっている可能性がある。詳細は以下の記事を参照されたい。

hajk334.hatenablog.jp

 

読解力は確実に下がっていると思います。ゆとり教育スマートフォンが行きわたって長い文章を読まなくなったことも関係あるのかもしれません。その昔はテレビが悪者でしたが、今はスマホですね。若い子たちがスマホに時間を取られ過ぎている。スマホに書いてある文章は身につきません。読解力を上げるためには紙に書いてある文章を読んだ方がいいです。

以下は毎日新聞・全国学図書館協議会による「学校読書調査」の結果である。5月1か月に一冊も本を読まない不読者の推移をグラフにしている。注目するべきは1997-2007年間の著しい不読率の急減であり、小中高でそれぞれ10ポイント、40ポイント、20ポイント程度の低下である。これは一般に「朝の読書運動」の成果と見られているが、「ゆとり教育」の実施前にその狙いを周知するために出された「まなびのすすめ」では朝の読書運動が推奨されている。

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また、日本の児童・生徒のスマホ使用時間はPISA参加国中でも最低水準である。そもそもスマホは全世界的に普及したのだから、仮にスマホの使用によって読解力が低下するならば、全世界的に読解力が低下するはずである。PISAの得点は経年比較が可能となっているがそうした傾向は確認できない。PISAの読解力調査では正にこうした一般市民として最低限の論理的思考能力が問われている。

 

そして、やはり一番の原因はゲームではないかと思います。ゲームを悪者にしてはいけないという風潮がありますが、ゲームをやっても読解力は上がりません。ゲームは反射神経でやるものですが国語にはロジックを組み立てる力が必要なんです。ゲームに時間を取られ過ぎると字を読む時間が相対的に減少して、結果的に読解力は低下してしまう。

論理的思考能力の無い人間は説明を重ねれば重ねるほどそれに説得力を感じてしまうが、これは非合理的な直観である。たとえば、ゲームによって文字を読む機会が減少し、それによって読解力が低下するという主張は一見もっともらしいが、実際にはゲーム時間の増加②文字を読む時間の減少③読解力の低下という3つの主張を同時に実証しなければならない。したがって反論する側はそれらの内一つにでも反証を示せば十分であり、ここでは上の読書率の劇的な改善と併せ、総務省統計局の「社会生活基本調査」では2000年代半ば以降に児童・生徒の学業時間が増加し続けていることを示すに留めておく。

 

ゲームに必要とされる反射神経は右脳の力です。一方、国語の問題を解くのに必要なロジックを組み立てる力は左脳の力です。右脳の力はかつての社会では自然界で発揮されていたと思います。例えば、左前方に蛇がいる。前にイノシシがいる。右側にサソリがいる。これを同時処理して一瞬で判断するのが右脳です。ところが、今はその右脳の働きを自然界の中で実践するのではなくゲームの中でやっています。そしてデジタル空間の中で培われた力は実社会で応用が効きません。

ええ…

 

僕が予備校教師を始めたのは1990年代初頭の終わりでしたが、当時は生徒の楽しみと言えば、マンガでした。ところが、今の子たちは本はもちろん、マンガすら読まないので人情の機微がわからないという印象です。

恐ろしい恐ろしい…「本どころかマンガも読まない」はここまで浸透していたのか…この現実とはかけ離れた認識がどのように形成されるのか、社会学者は一度真剣に検討してみてはどうだろうか。清水(2015)は「若者の読書離れ」言説の一要因として、読書に親しんできたち知識人が自らを基準としてしまう"知識人バイアス"を挙げており、それはある程度実証されてもいるのだが(Protzko & Schooler 2019)、それだけではこの著しい認知の歪みは説明できないのではないか。と思ったがそういえば少年犯罪も毎年のように戦後最低を更新しているにも関わらずあの様であった。

 

大学受験に登場する随筆文や小説文はある程度の精神年齢の高さも必要とされます。小説だと込み入った恋愛の話もあります。ある程度の人生経験があった方がいい。ところが、今の子は背伸びしません。「どんな本を読んだの?」と聞くと夏目漱石の『こころ』という回答が多い。教科書に載っているからです。しかも『こころ』が好きだと簡単に言うんですね。僕らの時代はカッコつけで難解な哲学の本や岩波新書も買ったりしたものですが、今の子どもたちは教科書に掲載されている本を好きな本だということを恥ずかしいとすら思っていません。

以下の表は1980年と1990年の学校読書調査における高校生が一か月間に読んだ本の上位20タイトルである。ちなみに高橋廣敏氏は1969年生まれだそうである。

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そりゃそうだろう。確かに1990年代以降は現代的な通俗小説が上位を占める傾向があるのだが、それ以前に読まれていたのはそれはそれで「優等生的古典」ばかりである。どう考えても「こころ」を鼻で笑いながら難解な哲学の本や岩波新書を買う陰気な高校生が一般的であったはずがない。そんなことにすら思い至らない人間が予備校の人気講師を務めロジックの大切さを力説しているのだから人間とは不思議なものである。

 

参考

 清水一彦, 2015, 「若者の読書離れ」という"常識"の構成と受容, 出版研究45巻, pp.117-138.

Protzko J., Schooler J.W., 2019, "Kids these days: Why the youth of today seem lacking", Science Advances Vol. 5, no. 10.

*1:指導要領改訂を除く諸施策を指して「ゆとり教育の見直し」と呼んでいるならば、そもそも「ゆとり教育」はその実施前から見直されている。詳細は次の記事を参照のこと。正体不明の「ゆとり教育」 - HaJK334の日記