若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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ゆとり教育論文1000本ノック

CiNiiで「ゆとり教育」をキーワードとして全文検索し、ヒットした全ての論文に短評を加える*1。ただし、レビューする論文はオープンアクセスのものに限定している。また、ゆとり教育言説においては特に理系の研究者による流言飛語やトンデモな言説が目立つため、理系の研究者による論文は区別するために冒頭に【理】を付している。

現在25本まで終了しています。ここから激増するんだよなぁ…誰か代わりにやってくれませんか?

2021年

王, 令薇, 教育議論におけるNHK中学生日記』の役割 --制作者側・視聴者側の語りを中心に--, 京都大学大学院教育学研究科紀要 (67), 43-56, 2021-03-25

そのきっかけは、2002年度のいわゆる「ゆとり教育」の本格導入である。具体的に、完全週5日制と総合的な学習の時間の導入、学習内容の3割削減が行われた。

ゆとり教育に関連する記述はほぼ正確だったが、ただ一点「学習内容の3割削減」だけは事実とは言い難い。「ゆとり教育」を簡潔に記述する際にしばしば使われる説明だが、不正確な表現は控えて「と言われている」「大幅な削減」などとした方が望ましい。

2020年

黒川 直樹, 秋葉 まり子, 教育制度の変化が学業成績に与えた影響について : TIMSS2003~2015を用いた分析, 弘前大学教育学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Education, Hirosaki University (123), 69-78, 2020-03

まず、年間授業日数は。2003年はマイナス有意、2007年及び2011年は有意でなくなり、2015年にはプラス有意へ変化した*2。2003年はゆとり教育導入期による授業時数の減少にもかかわらず、マイナスで有意な値となった。これは2002年以前の学習指導要領の影響が残っていたためと考えられる。その後、ゆとり教育が実施されて授業時数が減少し、2007年と2011年は有意でなくなった。しかし、PISAショックなどによる学力低下への批判を受けてゆとり教育は2008年には転換され、授業時数を増やすことになった。その結果2015年はプラス有意となり、授業時間が増えるほどスコアも向上するようになる。年間授業日数を増やした学習指導要領の改訂は生徒の学力向上に影響を与えているといえる。

率直に言って意味不明だ。分析の結果明らかになったのは、年間授業日数が得点に対して与える影響がPISA2003では負に有意、PISA2007-2011では有意な影響なし、PISA2015では正に有意であったというだけだ。もし、ここから何か意味のある解釈をしろと言われれば、私なら「授業の質が向上した」と無理やりにでも解釈する。何故授業日数が減少すると有意でなくなるのか、何故授業日数が増加すれば有意となるのか、この文章にはその論理が一切書かれていない。せめて、各年度のデータを一つにまとめて推定すればまだ誤魔化しも効いたろうと思うのだが、各年度の得点を等化する方法*3も分からなかったのかもしれない。

恐らく、分析の対象をTIMSSの第8学年数学にわざわざ限定したのは、それがPISA・TIMSSの中で唯一ゆとり教育の実施時期と得点の変化が一致しているからだと思うのだが、思うような結果が出なかったからと言ってヤケになってはいけない。いくらなんでもこれは論理が破綻している。もしかすると回帰分析の意味すら良く理解していないのかもしれない。まあ、学生さんがとにかくデータに触ってみるのは良いことである。

ゆとり教育の制度的記述は概ね問題は無かったが、敢えて細かい点を挙げると授業時数の変遷についてはやや不正確だった。ただ、この点については正確な研究者の方が少ないのでわざわざ指摘することも無いのかもしれない。

中学3年間の数学の授業時数も同様の変化をたどっている。2002年度には315時間まで減少したが、ゆとり教育の転換により2012年からは385時間に回帰した。

ゆとり教育における授業時数の計算は少し複雑である。というのも、ゆとり教育における教科学習は必修教科単体で完結するようには設計されておらず、設定された教科時数に加えて選択教科の時数も主要教科に充てられているからだ。具体的には、2006年時点で選択教科の内144コマが主要5教科に充てられていたことが分かっている。平均して一教科当たり30コマほどの増加である。08年改訂では選択教科が廃止となったため、マスメディアで喧伝された授業時数の「回復」にはこの廃止分の時数が実は含まれている。

2019年

辻井 直幸, 大西 雅博, 新しい時代に向かう鑑賞教育 : 鑑賞教育の実態とその変遷, 奈良学園大学紀要 = Bulletin of Nara Gakuen University 11, 113-123, 2019-09

そこから教育の現場も時代の波に合わせて、先に示した改革が進められてきた。その間に週休2日制も実施され、「ゆとり教育」(一般に2000年~2010年頃を指す)なるものが実施されていった。先の改訂(2008年)で示された現在の教育は「ゆとり教育」の反省から、更に「生きる力」を推進すべく、約10年が経過した。本来「ゆとり」は一人ひとりを大切にし、受験のための勉強ではなく仲間や先生と共に「余裕」をもって楽しく学びあうことを目指してきた。今よく言われている「生きる力」は、実は元々そういう「ゆとり」の中で早くから提唱されていたものだ。しかし、「ゆとり」という言葉自体が大きくなり過ぎ、カリキュラムの削減に伴い、単に休みを増やすような、余った時間として浪費されるようになった。当然、子供達の遊びの時間は増え、学力の低下が目立つようになった。「ゆとり」の時間は、家庭に帰し、親子のふれあいの時間も期待していたが、働く家庭が多く、本来の目的に適った時間を過ごせない生徒も沢山でてきた。そういう家庭は土日に子供が家にいてもらっても困るのである。学校を「託児所」のひとつとしている家庭からすると、「学校にでも行って勉強していてもらいたい」と思っているのだろう。そういう子供たちも10年も経てば成人して社会に出て行くことになる。世間ではこの人々を「ゆとり世代」と呼ぶようになった。本来、「ゆとり」があることは、とても大切なことであり、車で言えばハンドルの「あそび」のようなもので、なくてはならないものである。もっというと私は、ギアチェンジのニュートラルの状態だと考えていた。それは、そこからどこにでもシフトアップやチェンジのできる、切り替えや集中力を備えた状態のことだ。


内閣は2006年から「教育再生会議」(後に教育再生実行会議)なるものを設置し、教員の免許更新や指導力不足認定などの教員の資質向上等をはかってきた。しかし、なかなか「いじめ」や「不登校」の問題など、解決には至っていない。また学校5日制もそのままだ。中には「ニート」や「ひきこもり」も「ゆとり教育」の産物だとしている人もいる。

社会生活基本調査によれば、ゆとり教育実施後に子供の遊ぶ時間(3次活動時間)は減少しており、代わりに学業時間が増加している。また、ニートが(統計上)著しく増加したのは2002年であり(『労働力調査』)、正にゆとり教育が実施された年である。世の中にはとんでもない馬鹿がいるため念のため説明しておくと、若年労働者の下限は15歳であり、他方でゆとり教育実施時に最も年長だったのは15歳の中学3年生である。

加えて、ひきこもりについては近年中高年を対象とした調査も実施されるようになっており、内閣府の調査では若年層(15~39歳)と中高年層(40~64歳)に占めるひきこもりの割合はそれぞれ1.57%, 1.45%と*4さほど変わらないことが分かっている。「所詮音楽教員上り」などと馬鹿にされたくなかったらもう少し数字に基づいて議論してほしい。

 

田中 耕治, 現代日本のカリキュラム改革の特徴と課題, 佛教大学教育学部学会紀要 (18), 127-149, 2019-03-30

(当たり前だが)正確な記述が並んでいる。ただ、一点だけ気になるところがあるとすれば、やはり「PISAショック」についての記述である。PISA2003の得点低下やPISA2009以降の成績向上については、一般的な説明ではなくもう少し専門家らしい注釈を付けてほしいと思わなくもない…まあ教育学者だからといって全員がテスト理論に精通しているというわけではないのでしょうがないと言えばしょうがない。Technical Reportを読んだ研究者なんて1割もいないだろう。この辺りの事情が未だにトンデモゆとり教育言説が蔓延る一因であると思っている。

 

【理】勝部 憲一, 大学看護学教育が置かれている現状と将来展望 : 中等教育との接続と医療現場の革新の間で求められる教育, 東都医療大学紀要 9(1), 3-12, 2019-03

日本の場合1972年に日教組が初めて提唱した「ゆとりある教育」には,こうした時代背景がある.その後教育界だけでなく政財界の反応もあって文部省が1980年から推進したいわゆる「ゆとり教育」では,従来の科目学習の時間が大幅に削減されその代わり「総合学習」という学習ができた.このゆとり教育は2010年代初頭まで続いたが,結果として欧米などの先進国とくらべて理数教育レベルが大幅に低下してしまったことは周知である.

理系の研究者には余り知られていないが、国際大規模学力調査であるPISA・TIMSSにおいて理数能力の低下は殆ど確認できない。また、PISAの数学的リテラシー・科学的リテラシー、TIMSSの第4・8学年の数学・理科の全ての領域において日本が欧米諸国と比較して得点が下回ったことは一度も無い。もしかすると、学力は低下していないが教育のレベルは下がったと言いたいのかもしれない。理系の研究者の思考回路はやはり常人には理解しがたい。

 

間渕 泰尚 , 学習者から見た「ゆとり教育」に対する評価, 児童教育学研究 = Studies in childhood education (38), 279-291, 2019-02

「当事者の不在」は若者論における大きな特徴の一つだが、これは当の「ゆとり世代」に対して「ゆとり教育」の賛否を問うた珍しい論文。特に問題のあるような記述は見当たらなかった。「ゆとり世代」内における「ゆとり」への認識の変化は私も興味があったので普通に面白く読んだ。

2018年

長南 幸安 , 日景 桃夏, 新学習指導要領に向けた電池の実験, 日本科学教育学会研究会研究報告 33(1), 69-72, 2018

特に問題のある記述は無かった。

 

野見山 真弥, 御園 真史, 数学科教員志望者を対象としたゆとり教育に関する意識調査について, 日本科学教育学会研究会研究報告 28(7), 105-110, 2018

間渕(2019)と同様に、「ゆとり教育」に対する「ゆとり世代」の意識調査である。結果を簡単に示せば①ほぼ100%の学生が「ゆとり教育」という言葉を知っており、②約8割が直接的・間接的に「ゆとり世代」と言われた経験があった。他方で、ゆとり教育の制度的特徴については③大半の学生が単に学習内容の削減を挙げるに留まっており、当のゆとり世代ですらゆとり教育についての知識を余り持っていないことが分かる。

これらを実証的に示したことにはもちろん価値があるのだが、正直に言えば容易に予測可能な結果でもある。しかし、これらの事実、たとえば彼らがゆとり世代というレッテルを張られ続けてきたという事実を取り入れた若者論は余りにも少ない。「個性重視の原則」のようにあるのかどうかも分からないお題目よりも遥かに与える影響は大きいと思うのだが…

質問2で96%の学生がゆとり教育という言葉を知っていると答えたにも関わらず,ゆとり教育についてきちんと説明できていた学生はほとんどいなかことがわかった。すなわち,ゆとり教育について理解がなされていないのにも関わらず,ゆとり世代だと言われることに抵抗がある学生が 21 名(40%)いることになる。

論旨が不明である。たとえば、ゆとり教育を知らないにも関わらず、ゆとり教育に肯定的、或いは否定的だと言うならば逆接で結ぶのは理解できる。一方で「ゆとり世代」という言葉は、それが多分に侮蔑的意味を含むという意味においても、特定の属性が望ましくない言動の原因として恣意的に強調されるという意味においても、或いは統計的事実(は逆の事態を示唆しているが)が個人と同一視されるという意味においても、差別的な言葉である。女性が事あるごとに「まんこ」呼ばわりされることに対して抵抗するのに大した生理学的知識は必要ないだろう。

 

【理】津田 光一, ゆとり教育廃止後の工学部学生に見られる数学力の問題点, 大学教育実践ジャーナル = Journal of faculty and staff development in higher education (16), 109-116, 2018

後期の講義の最終日に,講義が終わった直後に,学生がひとり,友達を連れて,当職の所に来た。そして,一緒に写真を撮ってくださいと言った。そんな経験ははじめてだったので,なぜそうしたいのかと聞いたところ,実際の会話は忘れてしまったが,「先生の講義に出ると元気が出るので,講義が終わってしまっても写真を見て元気が出るようにしたい」といった趣旨であった。

その後,その写真がどう使われたかはともかく,今になってみればもっと具体的に,講義の中のどこで元気になったのか,よく聞いてみればよかったと思うが,今となっては後の祭りである。

ほほえましいエピソード。特に問題のある記述は無かった。

2017年

猿渡 智衛, 地域における子どもの放課後の居場所づくりに関する基礎調査Ⅱ─ 神奈川県における保護者への意識調査結果をもとに ─, 弘前大学大学院地域社会研究科年報 (13), 93-112, 2017-03-21

特に問題のある記述はなかった。そもそも要旨に「ゆとり教育路線からの転換によって、学校教育の在り方が見直されている」と出てくるだけである。

 

山本 敏郎, 1990年代以降の教育課程における学力概念の変遷, 日本福祉大学子ども発達学論集 (9), 1-11, 2017-01

このブログでも何度か取上げている「確かな学力向上路線への"転換"」問題を分析した論文。ゆとり教育批判派であった耳塚や志水が、ゆとり教育後に児童・生徒の学習習慣や学力が改善した結果を前にして、それを「(90年代)ゆとり路線から(2000年代)確かな学力向上路線への転換の結果」と解釈したのはリンク先に示した通りである。

このように、ゆとり教育批判派は「ゆとり」や「新しい学力観」と「確かな学力向上」を対立的に捉えているのだが、筆者は90年代以降の中央教育審議会答申や教育課程審議会答申を精査することで、「学びのすすめ」において示された確かな学力向上という概念が、実際には新しい学力観を継承したものであったことを明らかにしている。特に問題のある記述はなかった。

 

小山 京子 , 川畑 昌子, 1990年より2009年までとその後の家政学会誌掲載報文「和服裁縫分野」の解析, 一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集 69(0), 217, 2017

ゆとり教育以降の被服実習では,学生に起因する製作の基本となる運針不出来・ゆかた名称の不理解,教育の立場から被服製作の単位減少・削減等諸問題が生じている.

ポスター発表の要旨。家庭科の授業時数は89年改訂と比較して、小学校では140コマから115コマへ、中学校では210~245コマから175コマへと削減されている。縫い物などは学校教育の中でしか経験しない人も多いと思われるので、十分にあり得る話である。なお、08年改訂以降の脱ゆとり教育でも家庭科の授業時数に変更はない。

 

【理】西村浩樹 , 桑原 教彰, 蛍光マーカーペンを用いた情報整理方法が学習者の視線移動に与える影響の研究, 西村浩樹 , 桑原 教彰

日本において、1980年代に提唱された「ゆとり教育」により、学習内容の削減や指導時間の大幅な削減が行われ、学校は、週5日制授業が導入された。OECD経済協力開発機構)が、2000年から3年ごとに実施している学習到達度調査(PISA)では、読解力において2003年に8位から14位、2006年には15位に順位を大幅にさげ、数学的リテラシーにおいても、2003年には1位から6位、2006年に6位から10位に下げる結果になるなど、「ゆとり教育」におる削減された学習指導要領での指導の影響から日本の学力低下問題が指摘されるようになった。

このため、2008年の「脱ゆとり教育」と称された学習指導要領では、「生きる力」を育むとし、学習面では、主に「基礎的な知識・技能の習得」を目的に改訂され、授業時間数は増加し、学習内容も増加させるなど大きく方向転換が図られた。また、基礎学力以外にも思考力、表現力を身につける必要性が指摘されている。この学習指導要領の改訂により、読解力では、2012年には15位から7位、数学的リテラシーでは、10位から7位に順位を上げる結果となった。つまり、基礎学力を習得することは、思考力・応用力・表現力を育成する上で必要な力であると言える。

順位の低下から学力低下を導くことはできない。PISAは経年比較調査でもあるのだから、学力低下を議論したければ各年度の得点の変化を分析すれば良い。小学生でも分かる理屈を大学教授が理解できない。それでいて思考力を育成しようなどと宣っている。冗談ではなく、日本の知性は危機に瀕している。


山根 成介, ゆとり教育と学力:―PISA調査に注目して―, 日本教育学会大會研究発表要項 75(0), 236-237, 2017

「会社は、ゆとりをもって接し、永く活躍できるよううまく育ててほしい。」とあり、いわゆる「ゆとり教育」を受けた学生が入社してきたのが、平成22年度の新入社員であると解釈されている。つまり昭和63年(1988 年)生まれの世代が「ゆとり世代」の始まりととらえることが出来る。 

平成22年度新入社員は1987/4/2~1988/4/1生まれの世代である。肝心の内容は、PISA2009以降の受験者はゆとり教育を受け続けてきたのだから、ゆとり教育の成果と捉えることも可能であるというもの。まあ中学校の先生ならこんなもんだろう。少なくとも理系の研究者よりは思考レベルが高い。

2016年

宇塚 万里子, 岡 益巳, ボランティアによるチュータリングの現状と課題 : 留学生に対するアンケート調査結果を踏まえて, 岡山大学全学教育・学生支援機構教育研究紀要 (1), 133-152, 2016-12-30

チューターに対する満足度でみると、「2:不満である」と「1:非常に不満である」と回答したチューティが今回の調査では回答者 81 人中 6 人(7.4%)存在する。これに対して、前回の調査では 132 人中 2 人(1.5%)であり(岡・坂野,2006:10)、前回の調査に比べて約5倍に増えている。この原因は、ゆとり教育世代の入学前と入学後の WAWA 学生スタッフの気質の変化に帰することができよう。すなわち、顧問による事前指導にもかかわらず、チューターミーティングを開催しない、チュータリングの基本に関する情報を読まない、チューティのニーズや問題に気付かない、問題が発生しても顧問に報告しない、といった傾向がみられる。

(7)ゆとり教育世代の時期に関しては諸説ある。WAWA にあっては、2006年度にボランティア活動の根幹に関わる問題、すなわち、活動で得た利益を個人に分配しようとする騒動が発生し(岡・安藤,2013:11)、これ以降、WAWA の活動力が低下してきている。このため、2年生が WAWA の活動の中心となることから 2005年度を以てゆとり教育世代の入学時期と考える。

チューターに対する満足度が下がった、顧問の言うことを聞かない、利益を着服する騒動が起こった、それはゆとりのせいだ、という論文。紀要とは言えこの文章が平然と公開されてしまうという事態に大学関係者の皆様はもう少し危機感を持ってほしいのだが…論理的な反論が必要であるか定かではないが、馬鹿馬鹿しいと放置していたら馬鹿が増える一方なので一応書いておこう。

①満足度の低下は「大学生のレベルの低下」で説明できる*5。②統計数理研究所の国民性調査では「しきたりに従うか」「スジかまるくか」「上役との付き合い」等の設問において若年層の保守的傾向が強まっている③犯罪統計によれば若年層の「窃盗」「横領」はこの四半世紀で激減しており、良く知られているように、万引き事犯に占める若年層と中高年層の割合は2010年代以降に逆転している。一応書いたが恐らく届くことは無いだろう。馬鹿は自分の認識を変えられないが故に馬鹿なのである。メールアドレスくらい載せておいてほしい。

 

袰岩 晶, 大規模教育調査とエビデンスに基づく政策―PISAと「ゆとり教育」の関係について, 日本行動計量学会大会抄録集 44(0), 120-121, 2016

日本におけるPISA調査の実施にも携わっている袰岩先生が、PISA調査の基本的な設計に触れつつゆとり教育との関連を説明してくれている。流石に何も言うことは無い。最近はエビデンスエビデンスと言いつつ全くエビデンスを参照しないで放言する学者先(例:中〇先生)も増えているので、袰岩先生の金言を以下に貼っておく。

社会調査が政策決定の「エビデンス」になるとき、調査をする者にとって最も重要なのは「正確に測る」ことである。だが、調査結果を発信する者には、誤解なく理解されるように公表の仕方や報告書を工夫する能力が必要であり、同時に、結果を受信する者には調査結果を読み解く能力が求められる。そういった意味での「調査リテラシー」を研究者だけでなく、より多くの人々が身につけられる教育こそが、「エビデンス」に基づく政策にとって必要なのではないだろうか

 

木内 妙子, 看護基礎教育の立場から, 日本重症心身障害学会誌 41(1), 51-57, 2016 

一方、現在看護教育の主な対象となっているのは、いわゆる「ゆとり教育」を受けた「さとり世代」といわれる若者である。彼らは、1980 年代半ば以降に生まれ、主に 2002~2010年の「ゆとり教育」を受けた世代で、物心ついたときから不景気だったた
めか、浪費や高望みをしない、過程よりも結果を重視して合理的に動く、すべてにおいてほどほどの穏やかな暮らしを志向するなどさとりきったような価値観を持つ若者が多いことから「さとり世代」と呼ばれる。

「さとり世代」はその名前から察せる通り、馬鹿が思い付きで考えた言葉なので定義がぶれているのだが、ゆとり教育を受けたことをその定義としているのは珍しい。ただし、後段では単に「ゆとり世代」と表記しているので、特に何の含意も無くゆとり世代とさとり世代を同一のものと理解しているのだろう。

 

【理】寺野 隆雄,  研究のネットワークがつながるとき, 人工知能 = journal of the Japanese Society for Artificial Intelligence 31(2), 287-298, 2016-03-01

7・1 ゆとり教育と教育施策の検討
ゆとり教育の導入で子供の学力が低下していることが報告されて久しい.我々は,この制度が始まった直後,荒井篤子氏らの発案により,学習者の意欲,所得格差,与えるカリキュラムのみをパラメータにしたごく単純なモデルを用いてこの現象を分析した [Arai 05].
それによると,次のような興味深い現象が観察された.「ゆとり教育」によって学習者全体の学力が低下する.特に,中位・下位の社会階層において学力低下が著しく,上位層との学力格差が拡大する.また,「ゆとり教育」によって受験競争が緩和されても,その恩恵を受けるのは上位層が多い.格差の原因は,階層を特徴づける初期値の学力や財産の多寡ではなく,学習者の課題達成への行動ルール,すなわち学習意欲が大きな影響を与える.
十分,政策意思決定者が賢ければ,このような結論は容易に得られ,ゆとり教育の悲劇が実際に生じるのを防ぐことができたはずである.しかし,人間が頭の中で考慮できるシナリオの場合の数は極めて少ない.社会シミュレーションによるさまざまなシナリオ分析は,今後の意思決定には,欠くべからざる方法であると考える.

現在までにゆとり教育の導入によって学力が低下したという報告はない。また、同様に(SESによる)格差拡大についても格差が増減する時期とゆとり教育の実施時期は一致していない。たった一つのシミュレーションから一国の教育政策の正否を判断できると考えているのだから恐ろしい。PPBSの失敗はこのような人間によって引き起こされたのかもしれない。

 

松下 佳代, 「読むこと」とディープ・アクティブラーニング, 国語科教育 79(0), 6-8, 2016

とりわけ日本では、 2004年の日本版PISAショックを機に、ゆとり教育から学力向上へ政策転換が図られ、学校評価や全国学カ・学習状況調在によって「エビデンスに基づく検証改善サイクルの構築」への構造変化が進められてきた。

概ね正しい。補足として、「ゆとり」から「学力向上」への方針転換をどこに見るかは論者によって若干の違いがある(前掲)。

 

浅野 俊雄, 教科書から見た地学教育の変遷, 地学教育と科学運動 75(0), 55-62, 2016

造山運動について教科書の記載が混乱していた時代,理科も各科目の必修から選択へと変わった.生徒の学力低下による「ゆとりある充実した学校生活の実現一学習負担の適正化」ということで ,昭和52〜53年改訂で理科1が導入された(理科は理科1が必修で,物理 ・化学・生物 ・地学の各科目が選択で ある).

検索にヒットしたが「ゆとり教育」の語は見られなかった。代わって80年代のゆとり教育についての記述が確認できた。なお、浅野氏は高校教員である。

 

【理】廣岡 秀明, 能動的かつ継続可能な学修教材の開発—試験運用の報告—, 北里大学一般教育紀要 21(0), 59-72, 2016

また、2002年に改定された学習指導要領で初等・中等教育を受けてきた、いわゆるゆとり教育世代の学力低下問題も相まって、大学入学者の学力や学習意欲の多様性も、幅広く分布する傾向が見られるようになっている。この点については、2015年度入学の学生より脱ゆとり教育世代が始まると言われているが、2011年に改定された学習指導要領によって、小学校から脱ゆとり教育を受けてきた生徒が進学してくるのは2023年のことであり、この問題はしばらく続くと考えられる。

ゆとり教育世代の学力低下を裏付ける証拠はない(前掲)。なお、次の段落では大学生の学習時間を問題としているが、社会生活基本調査によれば2016年時点の大学生の学業時間は2000年前後と比較して1日あたり50分以上増加している。

 

岩﨑 宇雄, ポスト「失われた20年」のマーケティング戦略 : 新しい成長戦略を求めて, 桜美林論考. ビジネスマネジメントレビュー (7), 1-21, 2016-03

山岡拓著、『欲しがらない若者たち』によると、「さとり世代」はバブル後の1990年代に生まれ、2002年から2010年度の学習指導要領を基にした「ゆとり教育」を受けた世代で、一般には、“恋愛に淡泊” な「草食系」という言葉で呼ばれることもある。特に女性よりも男性にこの傾向が強くあらわれているといわれ、「草食系男子」といわれることもある。この「さとり世代」は、ゆとり世代と区別して「ゆとり世代」の次世代とも言われている。草食系とも呼ばれるこの世代は、ガツガツと自己顕示欲を満たしたり向上心を持つこともまれであり、与えられた環境であるがままの自分に満足し、淡々と日々安穏と暮らしていくことに幸福を感じる傾向がある。

アカデミックポストを譲ってほしい。

 

天野 由以, 介護福祉士を志す学生の現状(1)-志望動機と進路選択要因-, 目白大学総合科学研究 (12), 139-147, 2016

また、今回の調査対象となった学生達は平成10(1998)年から平成14(2002)年に小学校に入学した世代である。平成14(2002)年より導入された「総合的な学習の時間」を契機に、学校教育の場で高齢者とのふれあいや高齢者福祉施設への訪問の機会に恵まれたであろう事が推測できる。今後、ゆとり教育の見直しと共に方向転換を余儀なくされ、三世代同居率はますます低くなる現代社会において、祖父母を含めた高齢者と若年世代の関わりが今以上に少なくなることは想像に難くない。

「総合的な学習の時間」が高齢者を含む地域社会との接続をその理念の一つとしていたのは事実だが、総合の実態については驚くほど資料が少なく実際にどの程度高齢者との接触機会が増えたのかは定かでない。やや牽強付会な印象。

2015年

【理】篠 政行, 文科系2大学における2015年度入学生の情報教育の履修に関する意識調査, 駒沢女子大学研究紀要 = The faculty journal of Komazawa Women's University (22), 85-92, 2015-12

また、その他に2003年頃から始まった「ゆとり」教育において、学生は、その「ゆとり」教育の最後の世代であるため、情報教育に充分な学習時間を持つことができなかったのではないか。

何を言っているのか不明。2015年度入学生もその比較対象となっている2009-2014年度入学生も指導要領上の教科時数は同じである。そもそも高校教育において「情報」が設置されたのはゆとり教育以降である。理系の研究者はゆとり言説の流行によって論理的思考能力を毀損された人が多い。

 

【理】村田 隆紀, 物理教育研究の国際的な動向と日本の課題(物理教育研究の現代の潮流), 物理教育 63(4), 278-281, 2015

その中でも,20世紀の終わりに導入された「ゆとり教育」は ,当時米国の一部で行われていた構成主義的な教育手法を,さしたる検証もなしに持ち込んだために ,その後 の初等中等教育への影響は大きいものがあり,未だにそれを克服できたとはいえない状 況にある。

また日本から発信されるものについても,正しいものが送られているのかを確かめなければならない 。さもないと,「ゆとり教育」のときに犯した過ちを繰り返すことになりかねないからである。

根拠が明示されていない。少なくとも義務教育修了段階に実施されるPISA・TIMSS等の国際学力調査において日本の児童・生徒の理数学力は高レベルで安定している。さしたる検証も無く騒ぎ立て教育現場に混乱を齎した理系の先生方は一体いつになったら反省するのだろうか。

*1:2017年以降は全文検索ではヒットしないため論文検索を使っている。したがって、2016年以前の論文数が著しく多くなっている。

*2:TIMSSでは学校質問紙に年間授業日数を問う設問があるため、各年度の数学得点との回帰分析を行っている。

*3:TIMSSではConcurrent Caribrationが使われている。

*4:平成28年若者の生活に関する調査報告書』『平成30年生活状況に関する調査 』より。この数字は広義のひきこもり群に該当する割合であり、狭義のひきこもり群についてはそれぞれ0.51%, 0.21%である。

*5:"偶然"で説明しても良いが世の中にはこの概念を理解できない人もいる。