若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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それでゆとり教育ってのはどこのどいつだよ

Wikipedia

今日、何の気なしにWikipediaの「学力低下」の項を眺めていると、とんでもない記述が目に入ってきた(既に修正済み)。

苅谷他が行った学力調査では、89年と01年の同一問題との比較では、小学国語で78.9%→70.9%(-8.0%)、小学算数で80.6%→68.3%(-12.3%)、中学国語で71.4%→67.0%(-4.4%)、中学数学で69.6%→63.9%(-5.7%)へと下がっていることがわかっている(調査報告「学力低下」の実態(岩波ブックレット))。

01年と13年の同一問題との比較では、小学国語で70.9%→56.3%(-14.3%)、小学算数で68.3%→68.0%(-0.3%)、中学国語で67.0%→72.4%(+5.4%)、中学数学で63.9%→53.3%(-10.6%)と学力が低下傾向にある。

苅谷剛彦らは2002年に『「学力低下」の実態』で、1989年と2001年とで同じ問題を小中学生に答えさせる学力に関する調査を比較し、基礎学力の低下を指摘した(学習指導要領は、1991年に「知識詰め込み型」から「自ら学び、主体的に考える型」に改訂されている)。

同調査では

* 1989年と2001年では、小中学生の学力は明らかに低下している

* 2001年と2013年では、小中学生の学力は更に低下している

何がとんでもないのか、大方の人は良く分からないだろうから、ここで簡単に説明しよう。苅谷剛彦が行った調査(以下、苅谷調査)というのは、01年に大阪を対象として実施した学力調査であり、1989年に大阪大学の池田らが行った『学力・生活総合実態調査』(以下、池田調査)と同様の問題・アンケートを利用することで学力の経年比較を行っている。

そして、13年に行われた調査というのは(Wikipediaには一切記述されていないが)苅谷調査のメンバーでもあった志水宏吉が実施した後継調査(以下、志水調査)であり、池田調査・苅谷調査に続く3回目の調査として、過去の調査と同一の問題を使うことで経年比較を可能としている。

簡単にまとめると、次のようになる。1989年実施:池田調査, 2001年実施:苅谷調査, 2013年実施:志水調査。それぞれ12年の間隔で実施されていることから、学習指導要領の影響を測定するには格好の学力調査となっている。それ故、Wikipediaではこの調査が「ゆとり教育による学力低下」を示す証拠だとされていたわけである。

で、何がとんでもないのかという話だが、実は13年に実施された志水調査の報告書ではWikipediaとは正反対のことが書かれている。つまり、志水調査においては明らかな学力向上傾向が確認されているのである。誤読したという可能性はあり得ない。当該報告書では13年調査の学力向上傾向は一貫して分析のテーマとなっているからだ。そもそも、Wikipediaに記述されている数字は報告書のどこにも現れない謎の数字である*1

志水調査

で、まあこれだけならばWikipediaはやっぱりカスだなという話で終わるのだが、事はそう単純ではない。この志水調査で確認された学力向上傾向、当の報告書でどのように分析されているのかと言えば、何と03年から始まった脱ゆとり教育の成果とされているのである。具体的に該当する箇所をいくつか引用してみよう。

文部科学省が『ゆとり教育路線』から『確かな学力向上路線』にかじを切ったのは,二〇〇三年のことであった(中略)そして今回の調査である。二〇〇一年から二〇一三年へといたるこの一二年間は,間違いなく『確かな学力向上路線』の期間であった(志水他, 2014, pp.2-5)。

本書の最大の特徴は、三時点での学力調査の結果を比較したことにある。その三時点は、「ゆとり以前」(一九八九年)→「ゆとり時代」(二〇〇一年)→「ポストゆとり」(二〇十三年)のそれぞれの時期に小・中学校生活を送った子どもたちを対象にしていると、大まかに見積もることができる。つまり、第一回調査はゆとり教育の前の状況を、第二回調査はゆとり教育の影響を、そして今回(第三回)の調査はゆとり教育以降の「確かな学力向上路線」の影響をそれぞれ反映していると見ることができる(同上, p.64)。

また、以下の引用にも示すように、報告書ではゆとり教育からの脱却こそが学力を向上させた要因であると何度も力説されている

まず、指摘しなければならないのは、政策の重要性である。私たちの調査結果が示しているのは、「ゆとり教育路線」から「確かな学力向上路線」への政策転換が、子どもたちの学力形成に大きな影響を与えたという事実である。(同上, p.66)

のだが、肝心の「脱ゆとり」や「確かな学力向上路線」の具体的内実には一切触れておらず、当然ながら、苅谷調査にあったような「伝統的学力観」「新しい学力観」を軸とした分析なども皆無である。ついでに言うと槍玉に挙げられている「ゆとり教育」や「新しい学力観」についての記述も無い。ちなみに、志水自身はその実施前からの強硬な反ゆとり教育派である。

このように、本来「ゆとり教育による学力低下」説の反証となってもおかしくはない結果(01-13年間における学力向上傾向)が、二重にその説を支える証拠として扱われているわけである。

ベネッセ教育調査

で、まあこれだけならばそういうこともあるでしょ、と終わらせてもいいのだが、実のところこの論法、つまり論者の都合によってゆとり教育の時期が(事後的に)変わってしまうというのは、ゆとり教育言説に広く見られる問題点なのである。

たとえば、ベネッセがゆとり教育の前後に実施した学習基本調査・学習指導基本調査がそれだ。この調査では(2002年から実施された)ゆとり教育の後に、学習時間の増加、学習習慣の定着などが確認され、教員の指導観も個性尊重から画一性重視へ、自主性尊重から強制重視へ移行したことが分かっている(いずれも2006・2007年の結果である)。

この結果を調査者達がどのように解釈したかと言えば、「ゆとり」から「脱ゆとり」への変化と解釈したのである。その理屈は志水と同じである。曰く、我々教育学界の強烈な批判により*2が、文科省はその実施前にゆとり教育路線を放棄したのであり、我々の調査結果に表れたのは「脱ゆとり」の結果であり「確かな学力向上路線」の成果である、というわけだ。

PISA

研究者をしてこの様であるのだから、況や我々一般人においてをやである。この手のいつの間にか始まる謎の事後的脱ゆとり教育実例*3は挙げればキリ*4が無いが、中でもやはりPISAに関する報道は抜きん出てカスである。あるのだがもう疲れたし別のページにこれ以上なく詳細に記しているのでリンクだけを貼っておこう。

PIAACを含む、PISA2006以降の全ての調査で「ゆとり教育による学力低下」に反する結果となっている。それが如何にして学力低下の揺ぎ無き証拠となったのか、興味がある方はご一読いただきたい。

以下はその簡易版である。

 

結語

ゆとり教育とはいつの時期を指すのか」

この問いに自信を持って即答できる人はそう多くはないだろうが、それも無理からぬことである。これほど(恐らく日本人の9割以上に)知られている教育制度が、その定義すらもイマイチ判然としない原因の一つは、論者によってその定義が都合よくコロコロと変えられてしまうからであり、何故変える必要があるのかと言えば、一般に思われているほどゆとり教育による学力低下を示す証拠は存在しないからである。

志水にしろ、耳塚*5にしろ、もし学力低下や学習離れを示す結果が出てきていれば、喜んでゆとり教育と結びつけたはずだ。PISAの報道にしたところで、ゆとり教育の実施時期と得点が低下した時期が綺麗に重なっていれば、意味不明な主張を紙面に展開する必要は無かったのである。これらは全て望んだ結果を出せないゆとり教育が原因なのであり、ともあれゆとり教育は滅ぶべきである。

関連記事

以下のページではベネッセ調査・志水調査についてもう少し詳細に説明している。

参考文献

苅谷剛彦・志水宏吉・清水睦美・諸田裕子 (2002). 「調査報告―『学力低下』の実態」. 岩波ブックレットNo.578

志水宏吉・伊佐夏実・知念渉・芝野淳一 (2014). 「調査報告―『学力格差』の実態」岩波ブックレットNo.900

ベネッセ教育研究開発センター (2007a). 「第4 回学習基本調査・小学生版」. http://berd.benesse.jp/shotouchutou/research/detail1.php?id=3228
ベネッセ教育研究開発センター (2007b). 「第4 回学習基本調査・中学生版」. http://berd.benesse.jp/shotouchutou/research/detail1.php?id=3227
ベネッセ教育研究開発センター (2008). 「第4 回学習指導基本調査」. http://berd.benesse.jp/shotouchutou/research/detail1.php?id=3247

*1:刈谷(2001)と志水(2014)では使われた共通問題数が異なることから、後者の報告書では89,01年の結果を改めて100点換算した上で13年調査の結果と比較しており、当然にその数値は前者とは異なっている。

にもかかわらず、Wikipediaの記述では89,01年の数値として苅谷調査時点の数値がそのまま使われていることから、少なくとも志水(2014)を参照していないことは間違いない。

恐らく、志水調査で新設されたB問題(いわゆるPISA型問題)を含む正答率と勘違いしたのではないかと思われるが、あいにく報告書ではB問題について詳細な数値は記載されておらず、Wikipediaの記述にも出典が全く示されていなかったため、真相は藪の中である。

*2:ちなみに志水も「我々の前回調査(苅谷調査)が文科省をしてその方針を撤回させたのだ」と全く同じことを言っている。

*3:07年度から始まったのは文字通りただの見直しであり、指導要領が改訂されたのは08年、それが実施されたのは小学校で11年、中学校で12年である。また、小学校では移行措置により授業時数が増えているが、中学校での変化は無い。

以上のことを本川先生にも教えて差し上げたのが返信は無かった。ちなみにこのページについても返信は無かった。理由は不明である。

*4:江見氏からの返信も無い。

*5:学習基本調査・学習指導基本調査の代表者