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ゆとり教育・ゆとり世代の定義

ゆとり世代」の第一義的な意味は「ゆとり教育」を受けた世代である。ただし、ゆとり教育という言葉には公式の定義が存在しておらず、教育研究者の間でもその用法は統一されていない。また、殆どの人は複数の学習指導要領の下で学校教育を受けているため、ゆとり教育の定義からゆとり世代を一意に決定することはできない。

そこで、ゆとり教育ゆとり世代について、いくつか代表的な用例とその解説を以下に示しておく。本来は指示対象すら曖昧な言葉を使うべきでは無く、個別具体的な指導要領や教育制度の名称を使った方が混乱も少なく適切だと思うのだが、どうしても使いたいという人が世の中には多いので是非とも利用していただきたい。Wikipediaを引き写すよりはマシなはずである。

 

Ⅰ.1977年改訂学習指導要領以降

1977年に改訂され、1980年に実施された学習指導要領、及びそれに基づいて行われた学校教育以降を「ゆとり教育」とするもの。この改訂では「ゆとりある学校教育」がスローガンとして掲げられ、小学校高学年では週当たり4時間、中学校では3~4時間の授業時数削減と、それに伴う学習内容の削減が実施された。

この削減された時数は「ゆとりの時間」と呼ばれ、「学校が創意を生かした教育活動を行う」ものとされていた。ゆとりの時間は指導要領に記述がなく、その基準も示されていないが、文部省の「授業時数の運用に関する調査」によれば、その殆どは運動や飼育・栽培、音楽活動などの集団的レクリエーション活動に充てられていたようである。

ゆとり教育」を最も広義に解する場合、この1977年改訂指導要領がその嚆矢ということになり、上にその概略を示した通り「ゆとり」というキーワードが最も前面に押し出された指導要領でもある。実際に、70年代後半には既に「ゆとり教育」と言う言葉が紙面に登場しているが、これは77年改訂学習指導要領のことを意味していた*1

この定義の代表的な論者としては『分数のできない大学生』『学力低下が国を滅ぼす』などを著した西村和雄がいる。たとえば、西村(2018)では60年代以降の学習指導要領を、古い順に「学習系統性」、「教育現代化」、「ゆとり」、「新学力観」、「生きる力」と区分しており、ゆとり(77年改訂)以降30年にわたって実施されてきた学校教育を「ゆとり教育」としている。

このように、80年代以降一貫して実施されてきた政策(授業時数・授業内容の減少等)を指して「ゆとり」という用語を使う場合、1977年改訂学習指導要領以降を「ゆとり教育」、その教育を受けた世代を「ゆとり世代」とするのが妥当だろう。「ゆとり教育」「ゆとり世代」内の区分については一期、二期、三期等の語を付せば十分だと思われる。

 

Ⅱ.1989年改訂学習指導要領

1989年に改訂され、1992年に実施された学習指導要領、及びそれに基づいて行われた学校教育を「ゆとり教育」とするもの。この改訂の中心となったのは、時の首相である中曽根康弘が組織した「臨時教育審議会(臨教審)」であり、その中核的理念は「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「変化への対応」の三つであった。これらはまとめて「新しい学力観(新学力観)」とも呼ばれている。

これらの理念が90年代の教育にどの程度の影響を与えたのかは定かではないが、一部の教育学者はこの時期の学校教育を指して「失われた十年」「ゆとり路線」と表現しており、2000年代以降の「確かな学力向上路線」と明確に区別している。代表的な論者としてはベネッセの教育調査等を主導している耳塚寛明、ゆとり教育批判が過熱する契機となった大阪学力調査を実施した志水宏吉がいる。

それぞれの調査の詳細については以下の記事にまとめているが、ここで概略を示しておくと、いずれの調査も98年改訂指導要領(2002年実施)の前後に実施された経年調査であり、結果は新指導要領実施後に学習時間の増加、学習習慣の定着、学力の向上等が見られた。いずれの調査者もこれを「90年代ゆとり路線」から「2000年代確かな学力向上路線(脱ゆとり路線)」への移行の結果と解釈している。

このように、90年代に推進された教育観( 個性重視の原則、自主性の尊重等)を指して「ゆとり」という用語を使う場合、89年改訂学習指導要領を「ゆとり教育」、その教育を受けた世代を「ゆとり世代」とするのが妥当だろう。ただし、調査の結果としては確認できなかったものの、耳塚や志水が批判していた「新しい学力観」は98年改訂以降にも文言上は(むしろ強調されて)引き継がれており、その意味では90年代を「ゆとり」、2000年代を「半(反)ゆとり」、2010年代以降を「脱ゆとり」と表現するのが良いだろう。

 

Ⅲa.1998年改訂学習指導要領(入学試験準拠)

1998年に改訂され、2002年に実施された学習指導要領、及びそれに基づいて行われた学校教育以降を「ゆとり教育」とするもの。その制度的特徴は、週五日制、授業時数の削減、指導内容の精選、「総合的な学習の時間」の創設などである。最も広範に使用される定義でありながら、その用法には若干の混乱が生じているため、ここでは冒頭に述べた「ゆとり教育」と「ゆとり世代」が一対一に対応しない問題を軸に説明する。

特定の指導要領と特定の世代集団が一対一に対応しない原因は、多くの人は複数の指導要領の下で教育を受けているという事実にある。指導要領は約10年に1度のペースで改訂されるため、単一の指導要領で学ぶ人はせいぜい2割程度しか存在しない。仮に「ゆとり教育を1 年間でも受けた世代」をゆとり世代と定義すると、20年間弱の世代が含まれ、世代概念として扱うには大きすぎるというだけでなく、世代概念が重複してしまう。

そこで考えられるのが、高校・大学入学試験が準拠する学習指導要領によってゆとり世代を定義するという方法である*2。この定義の利点は二つある。第一に、学習指導要領と世代を一対一で定義することができる。高校入学試験の内容は学習指導要領が切り替わると同時に切り替わるため重複が無い*3。つまり、約10年ごとに重複のない世代が定義できることになる。ゆとり教育、つまりは学習指導要領によって世代の特徴が決定されたとする「ゆとり言説」を議論するにはこの定義が有効である。

第二に、入学試験と紐づけることで学力に関する議論が容易になる。例えば、1987年4月2日生まれのAと2003年4月2日生まれのBを比較してみよう。二人とも「ゆとり教育を一年間だけ受けた世代」である。しかし、Aは高校・大学入学試験をゆとり教育に準拠した内容で受験することになる一方で、Bは高校・大学入学試験ともに脱ゆとり教育に準拠した内容で受験することになる。受験が学力の全てを規定するわけではないだろうが、公教育においても受験対策は一定のウェイトを占めているはずである。学力を問題とする事も多いゆとり言説を議論するにはこの定義が有効になるはずである。

以下の表は、ゆとり教育のそれぞれに定義にしたがったゆとり世代を示している。生年は学習指導要領の改訂ごとに区切ってある。ただし、理系科目については1年前倒しで新課程に準拠した問題がセンター試験で出題されているため、理系科目の議論に限定するならば、「ゆとり世代」は1987/4/2~1996/4/1生まれの世代となる。

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Ⅲb.1998年改訂学習指導要領(ゆとり教育を受けた年数準拠)

上の定義は簡便かつ分かりやすいが、その分弊害もある。たとえば、上の定義に従えば1987/4/2~1988/4/1生まれの世代はゆとり世代であり、1997/4/2~1998/4/1生まれの世代は脱ゆとり世代である。ただし、それぞれの削減された授業時数で比較すると、前者は70時間、後者は525時間の削減である*4。こうした齟齬が生じるのは、指導要領の変更が小中学校の全学年で一斉実施されるからだ。

これを回避する一つの方法は、ゆとり教育を受けた年数によって世代を定義付けることである。たとえば、以下の表は各年度のPISA受験者が「ゆとり教育」を受けた年数を示している。網掛けの部分がその年数となっているが、2009年から実施された移行措置については新指導要領(08年改訂)の前倒しという性格が強かったためグレーにしている。

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このように、ゆとり教育を受けた世代がそれを何年間、いつ受けたかを把握しておけば、ゆとり教育の影響をより正確に理解することができる。たとえば、PISA調査に関連する報道では、PISA2003の結果をゆとり教育の弊害、PISA2012を脱ゆとり教育の成果としていることが多いが、実際にはPISA2006以降の全ての調査でこの仮定に反した結果となっている。詳細については以下の記事を参照されたい。

まとめ

人間は言葉でしか物事を考えることが出来ない生き物です。曖昧な言葉を使えば思考も曖昧になっていきます。つまり馬鹿になります。皆さんも気を付けてください。

 

 

 

*1:ただし、当時は「ゆとりの教育」「ゆとりある教育」という表現の方が多い。「ゆとり教育」という言葉を見出しに使っている記事としては次のようなものがある。
「小学生の学力伸びる “ゆとり教育”成果? 思考や応用力には難点」読売新聞, 1984, 09, 29, 朝刊
「『ゆとり教育、失敗だった』推進した文相、否定」読売新聞, 1984, 10.21, 朝刊

*2:特に断りの無い限り、基本的に当ブログではこの定義を採用している。

*3:指導要領は小・中において(基本的に)一斉実施されるが高校では変わらないので、大学入試は指導要領実施の3年後に切り替わる。ただし、数学・理科のH20改訂については高校1年生も対象となったため、この2教科のみ1年前倒しで新課程に準拠した問題がセンター試験で出題されている。

*4:98年改訂指導要領では週当たり2時間、年間70時間の授業時数が削減されている。ただし、09年以降は新指導要領の移行措置期間であり、小学校では授業時数が週当たり1時間増加している。中学校では選択教科の時数を割り当てているため総授業時数の変化は無いが、移行措置以前から選択教科は主要教科の時数に充てられていたため、正確な時数の増減は不明である。ここでは年間70時間の削減としている。