より正確に表現すれば「曽野綾子は夫である三浦朱門に訴えてそれまで中学校で教えていた二次方程式の解の公式を高校へ移行させたのか」という問いになるが、結論から言えばしていない。ただし、このエピソードの出典である週刊教育Pro1997年4月1日号がどうにも入手できなかったため、断腸の思いで孫引きの文章を以下四つの資料から引用する。
まずは一番正確に引用していると思われる西村(2009)の文章から見てみよう。
中学からは、二次方程式の解の公式も消え、高校に移された。このことについて、教課審の三浦朱門会長は、週刊教育PROの1997年4月1日号のインタビューの中で、
「曽根綾子のように『数学大キライ』な人がいて、『私は二次方手式
もろくにできないけど、六十五歳になる今日まで全然不自由しなかっ
た』というような委員がいれば、恐らく『何のためにそのようなことを
教えなければならないのか』というようなことを言うはずです。つまり、
そのような委員が半分以上を占めなければいけないのです。」
と答えている。(引用者注:原文ママ)
念の為付記しておくと、改訂指導要領が公表されたのは1998年であり、三浦朱門が解の公式を高校へ移行させたことについての確定的な証言は存在しない。改訂作業中の教課審会長の発言であることを鑑みればそこに因果関係を推定するのは自然だが、基礎・基本の徹底と言う98年改訂の眼目にも合致するため、移行の正確な要因を決定するのは困難である*1。
これだけではイマイチ三浦発言の文意は判然としないのだが、それは後の引用に譲るとして、以下『分数ができない大学生(1999)』、『小数ができない大学生(2000)』、『学力低下が国を滅ぼす(2001)』に登場する「二次方程式が消えた」エピソードを時系列順に引用してみよう。余談だがこの三つの書籍全てに西村和雄は編著者として名を連ねている。
分数ができない大学生
二次方程式は必要ない?
ある文化人が、「主婦には二次方程式は必要ない」といったとの話が広まり、二次方程式の勉強が必要かということが話題になっている。すべての女子高校生が主婦となるわけでもなく、主婦の全員が二次方程式をまったく使わないというわけでもない。主婦でも、仕事をする人はいるし、子供に中学の数学を教えることもある。(岡部・戸瀬・西村編, 1999, p.28)
少なくとも先の引用を読む限り、三浦は主婦という言葉は使っていない。数学が大嫌いでありながらも数学を使わずとも立派に生きてきた人間として妻を例に挙げているだけである。明らかに誤った引用だが、この文章を書いたのは他ならぬ西村和雄である。
また、同書の別の箇所では東京大学数理学科研究科の松本幸夫によっても二次方程式エピソードが語られている。
最近、ある高名な士が「二次方程式など解けなくても立派に生きてこられた」という趣旨の発言をしているのを読んで、いろいろと考えてしまった。筆者自身のことをいえば、数学の教師をしている関係上、二次方程式が解けなければ商売にならないのだが、果たして、自分自身の個人的な日常生活の必要から二次方程式を解いたことがあるか、と自問自答してみると、あまりはっきりとした記憶がない。(同上, p.113)
管見の限り、先に挙げた週刊教育Proのインタビュー記事以外に三浦朱門が同様の発言をしたという記録はない。したがって、松本が出典を実際に読んでいたかはいささか怪しく、発話者が曖昧になっているのはそのせいかもしれない。
小数ができない大学生
次の『小数ができない大学生』では、京都大学の上野健爾によって三浦発言の背景が語られており、その文意もより明瞭になっている。
教育課程審議会会長の三浦朱門は雑誌『週間教育Pro(ママ)』一九九七年四月一日号のインタビュー記事「『教育』今後の方向」の中で、教科内容の厳選に関して、教科のエゴをなくすために、たとえば数学では「曾野綾子のように『私は二次方程式もろくにできないけれども、六五歳になる今日まで全然不自由しなかった』という」数学嫌いの委員を半数以上含めて数学の教科内容の厳選を行う必要があると発言している。この発言から一年二カ月ほどたった今年の六月に教課審の審議のまとめが出され、二次方程式の解の公式は中学数学から姿を消すことになった。(岡部・戸瀬・西村編, 2000, p.132)
学力低下が国を滅ぼす
最後に『学力低下が国を滅ぼす』から引用してみよう。この箇所を執筆したのは埼玉大学の岡部恒治である。
数学の学習の必要性についても触れておきます。今回の学習指導要領の改訂時に教課審会長だった三浦朱門氏は、「私の妻(曽野綾子)は二次方程式が解けなくとも、日常生活に不便はなかった」なる趣旨の発言をなさったそうです。曽野さんは、そう感じたのでしょう。しかし、教課審会長の立場でこれを言えば、個人的な感想で済まされなくなります。(西村編, 2001, pp.191-192)
済まされたのか済まされなかったのかは教育課程編成の手続きが公開されていない以上不明である。敢えて言うなら教育改革国民会議(2000年設置)において曽野綾子が提言した一年間の強制社会奉仕という狂気の政策と比較して、現に実施された(解の公式が高校へ移行した)分だけ済まされなかった可能性が高いと言い得るくらいである。
結局…?
以上の引用を確認する限り、発言の主体は明らかに三浦にあり、要は「うちの妻は数学などできんでも生きてこれた」と言っているのである。曽野綾子黒幕説は彼女に対して二重に失礼であると言わざるを得ない。
ところで、曽野綾子の著書には正に「二次方程式もろくに解けない」という語句が登場する書籍がある。1984年に出版された『あとは野となれ』というエッセイ集である。何とも示唆的なので最後に引用しておこう。
男女の共同作業の中で、女に必要なのは、私の体験からすると、むしろべとべとした女らしさを捨てて、男と同じように働こうと思うことであった(中略)私から見て、女らしいという特徴には、次のような形をとることが多い。それは「私には××ができないのよ」か「××なんて怖い」という表現である。
私自身の場合を考えても、リンゴ一つまともに描けないのに、そのうちに絵描きになれるとか、二次方程式もろくに解けないのに、日曜毎の楽しみに、数学を解くような心理にはまずならないだろうと思う。しかし本当にやろうと思えばできないことはない、と思っていたい(曽野, 1984, pp.130-131)