若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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筒井勝美, 2012, 『学力低下問題、その後の学力推移と40年前との学力格差』

私が管理している別ブログで「このような論文があるのだがどう思うか」というコメントを頂いたので書きました。私は若者論研究者を自称しているくせに若者論の収集はめったにやらないものぐさなのでこうした情報提供は本当に有難いです。論文・記事・ブログ・Twitter・5ちゃん等々メディアは問いませんので、私に調べてほしい言説がありましたら大歓迎ですのでお気軽にお問い合わせください。

ci.nii.ac.jp

http://sfi-npo.net/ise/quality_education/no4_downloadfile_3.pdf

1.はじめに

1990 年代前半から、当館では、小・中学生の学力低下が顕著になっていることに気づき、教師間で話題になっていた。この現象は、当館だけでなく、他塾の塾長達も集まる会合等で、必ずといっていい程、誰もが口にしていた。
そこで、技術畑出身の私は学力低下を抽象論としてでなく、具体的事実として検証するため、当館生(中学 3 年生、約 2500 人)を対象に、毎年同一時期(全課程学習終了時)、同一問題で 94 年度から 96 年度まで 3 年連続で、学力テスト(数国理社英の 5 教科)を実施し、5 教科合計での学力推移の調査を行った。
すると、当館受験生の平均点は 95、96 年度と前年比約 3%ずつ下がり続けたのに反し、合格実績は逆に前年比 15%、16.5%と大幅な伸びを示した。つまり、このことは、当館生の学力は年 3%近く下がってはいたが、当館生以外の福岡地区の生徒の学力は、さらに大きく下がっていることを、明白にするものであった。

私は、一般の人よりはるかに教育に関心あるはずの大学や高専、高校の先生方が「ゆとり教育」の実態を知らないことに危機感を抱き、翌 99 年「理数教育が危ない」を PHP 研究所より出版した。

ここで筒井が言及しているように、当初の「ゆとり教育」批判が直接にその対象としていたのは90年代の教育なのだが、今では何故か綺麗さっぱり忘れ去られて30代・40代の世代が「これだからゆとりは~」などと言っているのを見ると隔世の感がある。論者によってはこの世代を真性ゆとり世代と認定していたりする。以下の記事が参考になるかもしれない。

hajk334.hatenablog.jp

 

以上のように、学力低下が深刻さを増している折りもおり、文科省は「ゆとり教育」転換後、第3回目の「理数教科内容を 3 割削減する」と公言した学習指導要領を、02 年度から実施すると発表した。かくして、学力低下への危機感が“るつぼ”と化し、学力低下論争に火がついた。(その時、“こういうことになるなら、94 年度から 3 年間取り続けた学力テストを、そのまま継続しておけばよかった。”と私は思った。)

このブログでも何度か言及しているが、文科省の「3割削減」について定量的な根拠はない。ちなみに文科省次官であった小野元之の独自教科書調査によれば1割の削減だそうである(調査手法明示せず)。また正確には3割の「削減」ではなく「軽減」である。このことについては以下の記事の冒頭部分で軽く触れているので参照してほしい。その内詳しく書こうと思う。

hajk334.hatenablog.jp

 

学力低下論争後、寺脇研氏は、「学習指導要領の取り扱い内容のレベルは、上限ではなく、下限である」と長年、上限としてきたものを、唐突に変更したり、「学習指導要領の改訂は、10 年に 1 度でなくても、もっと早目に見直していくことがある。」などと、内容削減の酷さに気づいたのか、従来と逆の方針を突如打ち出し、その狼狽振りが露呈した。

市川伸一が『学力低下論争』でも指摘しているように、「指導要領の最低基準性は文科省が苦し紛れに打ち出した方針である」というのは良くある誤解であり、むしろ学力低下議論の当初より文科省(寺脇)の側から積極的に明示していた方針である。同書はゆとり教育議論を語る上では必読の書なのだが読んでいないのかもしれない。

また、新指導要領の実施前後に早くもその見直しが図られたのは、実は「ゆとり教育」が初めてではなく、68・69年改訂指導要領、いわゆる「詰込み教育」も同じである。実施前から強く批判され、実施直後には「指導要領の弾力的運用」ですぐさま撤回されるという流れは「ゆとり」と「詰込み」でパラレルなのだが、これを指摘する人は何故か少ない。恐らく知らないのだろうと思われる。この辺りの事情については佐藤(2015)に詳しい。

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多くの「ゆとり教育」派の文科省御用立つとおぼしき教育学者や教育評論家等の白い目の中、実証データなどを示し学力低下の警鐘を鳴らしてきた、西村和雄京都大教授など、多くの勇気ある学者や学習塾・予備校の有志がいた。それに耳を貸さなかった文科省関係者や教育学者、寺脇研氏等が、学力向上への教育施策を大幅に遅らせるなど、事態を悪化させた。まさに、2012 年度の本格的改訂まで、空白の 20 年間を招いたと言っても過言ではない。

情緒的な記述と言わざるを得ない。これまでにも何度か指摘しているが、「ゆとり教育」に関するデータの誤用・濫用に基づく理系界隈のパニックは「放射脳」と揶揄される人々の振る舞いにとても良く似ていると思う。思うのだがこれを認めた人はこれまでに一人もいない。「知性の守護者」という自認が脅かされるからだろうか。以下の記事が参考になるかもしれない。

hajk334.hatenablog.jp

 

2.2010 年 12 月実施の学力テスト結果から、“その後の学力推移”を検証する 

まず、“その後の学力推移”とは何を意味するのかについて説明する。前章で詳細に述べたが、02 年度から実施された学習内容と授業時間の大幅削減を機に、03 年度に当館の中学 3 年生対象に理数教科の学力テストを実施した。
その後、遠山文科大臣提唱の「学びのすすめ」や宿題の増加、中山成彬文科大臣による「ゆとり教育」の抜本見直しと全国一斉学力テストの再開、発展的学習を含む教科書の段階的な充実など、前章で触れたが、10 年に 1 度の学習指導要領改訂(2012 年改訂)を待たずに、異例の学力向上に向けた追加措置が次々に打ち出された。その間、国際学力テストの PISA や TIMSS(IEA)の結果が発表されたりした。そこで、当館としてもそれらの学力推移の検証もかね、04 年度、2010 年度に同一問題による学力テストを実施し、03 年度からの推移を“その後の学力推移”として調査した。

素晴らしい試みだとは思うのだが、その検証方法に致命的な欠陥があるので以下詳しく見ていこう。ちなみに、先述した通り詰込み教育の時も実施3年と持たずに実質撤回され様々な施策が実施されたので異例ではない。

調査の方法は、02 年度の福岡県立高校入試問題の数学と理科を使い、毎回、当館で中学全学年の学習内容が終了する 12 月中旬に、主に福岡地区在住の中学 3 年生に実施した。また、戦後最も理数教科の学習内容が充実していた、約40 年前(70 年度、昭和 45 年)の福岡県立高校入試問題の数学と理科を、同じ生徒達にさせ、40 年前との学力格差を調査した。因みに、70 年当時の福岡県立高校入試の平均得点率データはないが、私の記憶では(他の多くの同窓生や、先輩、後輩からの記憶収集からも)、当時でも県下の平均得点率は 60%前後であった。(出題者側の意図として、県立高校入試ゆえの難易度が継続的に現在まで平均点が 60%前後になるように設定されていることは、見事というほかはない)

以下、70年問題の平均正答率が60%であったという想定に基づき全ての分析が進められる。塾生の質的変化についてはクラス別の得点を出しているのでまだ許容できるが、これについては言語同断である。仮に当時の平均得点の記憶を皆が持っているならば、当然に元となったデータがあるはずだ。比較調査において比較対象となるデータを提示せずに比較するとは一体いかなる了見なのか。知的怠慢を通り越して知的荒廃の極みである。

ちなみに結果の概要は次の通りである。数学については02年問題に対して03年度受験生*1から緩やかな学力向上傾向が見られ、平均正答率はいずれの年度も7割前後である一方、70年問題についてはほぼ変化が無くその平均正答率は4割強程度である。理科については02年問題に対して2010年度受験生に若干の学力向上傾向が見られ、平均正答率はいずれの年度も5割前後である一方、70年問題についてはこちらも数学と同様にいずれの年度も4割強程度の平均正答率となっている。

つまり、2002年問題を受験した「ゆとり世代」の平均正答率は数学で7割、理科で5割となっているが、70年問題を受験した場合の平均正答率は4割強であるため、学力低下は明らかという趣旨である。当然だがこの主張を検証するには70年当時の平均正答率のデータが必要不可欠である。

 

つまり、今から 40 年前(70 年度)の中学生といえば、現在 55 歳前後の日本人であるが、今の 2 倍近い豊富な内容の理数教科書で学び、その頃は遊びもしたが遥かに多くの勉強をし、圧倒的に数学力が高かった。私の過去の教科書調査などでは、70 年頃をピークに、その 15 年前頃(55 年前後)までと、その 10 年後頃(80 年前後)までは、理数の授業時間数や教科書内容が豊富で、日本人の理数学力は世界トップレベルであるとの自負があった。
実際、81 年度調査の IEA(TIMSS,国際教育到達度評価学会)での国際学力テストでは、日本は数学で世界第1位、83 年度の調査では理科が世界第 2 位で、共に世界トップレベルであった付表1)。また、日本の優れた科学技術力や産業力は、高い理数学力効果と日本人独特の勤勉さで、少し遅れて現実のものとして現われ、70 年代半ばから 80 年代後半にかけ、“Japan as no.1”と言われるほど、米国に次ぐ産業大国、優れた技術立国となり、米国を脅す時代があった。
つまり、これら理数学力の高かった現在 45 歳前後以上の日本人が、厳しい環境の中で培われた逞しい精神力と努力で、日本の繁栄を築いてきたといっても過言ではない。今や、日本全体が過去築いてきた遺産を食い潰しながら、下降線を辿っているような気がしてならない。

 IEAが1981年に実施した調査はTIMSS(Trends in International Mathematics and Science Study)ではなくSIMS(Second International Mathematics Study)である。TIMSS以降はIRTを利用した評価手法を採用しているためそれ以前の年度と直接比較することは不可能である。順位については日本の学力変動だけではなく他国の学力変動によっても変化するため順位の低下によって学力低下を結論付けることは出来ない。また、2000年代以降のTIMSSにおいても日本の生徒の学力はトップレベルにある。

 

最近では、付表1)の PISA や TIMSS の国際学力推移を見ても明らかなように、アジアの中だけでも、日本の国際学力はシンガポールや韓国、香港、台湾、(上海)などより、下位にくることが多い。この実態に対して、文科省をはじめ教育学者や政治家、一般市民までもが、それが当然のごとく麻痺し慣れきってしまっているようだ。今から、40 年以上前の昔の日本人にとって、言葉は不適切かもしれないが、そのような数学力や技術力で、それらの国々に日本が負けることは、屈辱的なことと誰もが感じていた。それほど日本のレベルは高かった。

これまでにも何度か指摘しているが、「ゆとり教育」に関するデータの誤用・濫用に基づく理系界隈のパニックは「ネトウヨ」と揶揄される人々の振る舞いにとても良く似ていると思う。思うのだがこれを認めた人はこれまでに一人もいない。

 

理科については、(表4)~(表 6)及び図表 4 で明らかなように、短期的には 04 年度を底に学力低下傾向に歯止めがかかり、2010 年度では上昇傾向に転じている。このことは、理科は数学よりはその傾向がややはっきりしており、PISA や TIMSS の国際学力推移とも概ね符合している。この背景には、数学でも同様だが、1995、96 年頃から学力低下への様々な警鐘による危機意識、2000 年~03 年にかけての遠山文部科学大臣による「学びのすすめ」「ゆとりから確かな学力へ」の提唱、04 年~05 年の中山文部科学大臣による、学力低下を初めて認めての「ゆとり教育」の抜本見直しや「全国一斉学力テスト」の約 40 年ぶりの再開、宿題の出題頻度を世界最低レベルから増加への転換、理数教科中心に発展的学習の段階的増加など、学校現場をはじめ、国や地方の学力向上への意識が高まった結果だと考える。

冒頭に掲載した「正体不明の『ゆとり教育』」でも同じことを書いているのだが、「2000年代のゆとり教育」の前後に学習調査を実施した人間は不思議なことに皆同じ解釈を採用している。つまり「90年代ゆとりから2000年代脱ゆとりへの転換」である。このことはもっと広まってもいいのではないか。中年世代に大反対されそうだが結果が出ているのだからしょうがないではないか。

 

70 年当時の理科教科書内容や授業時間数は豊富で、1 例を紹介すれば中学で学習する化学反応式の数は 53 個、95 年頃の教科書には 1/5 の 12個、02 年からの教科書には僅か1/10 の6 個である付表2)。漸く、学力低下問題の浮上で、最近理科学習内容が充実してきたが、それでも09 年度教科書での化学反応式は僅か 9 個と非常に少ない。日本の理数学力が、70 年代をピークに 60 年代から 80年代にかけて、世界トップレベルであり、その結果、70 年代から80 年代後半にかけ、日本の科学技術力が、如何に世界を席捲したかは前述の通りである。

教科書については書き出すと長くなるので簡単にまとめておくと、80年代以降の教科書のページ数と学習内容の多寡はさほど関連が無い。たとえば、77年改訂と98年改訂の小学校第六学年社会科は授業時数・学習単元ともに殆ど変化は無いにも関わらず、教科書のページ数だけが244ページから172ページへと約3割減少している*2。これは歯止め規定が原因である。

歯止め規定自体はもともと教科書のページ数を抑制するために導入されたものである。当初は「教科書検定基準」を設けることで教科書の記述内容を削減しようという案があったが、それでは教科書の検定基準と指導基準(学習指導要領)の二重基準になってしまう。そこで学習指導要領に歯止め規定を設け、それを検定基準に反映させることで教科書の記述内容削減を実現したという経緯がある。

実際に、歯止め規定が見直されたことによって教科書のページ数は増加している。指導要領が一部改正されたのは2004 年度のことであるが、翌2005 年度からは改正された指導要領に準拠した教科書が使われている。社会科教科書の場合、ページ数は172 ページから196 ページへと20 ページ以上増加した。もちろん、指導要領の一部改正によって授業時数が増加したり、学習内容に追加があったわけではない。ただ歯止め規定が見直されただけである。

補足すると、歯止め規定は2004 年度に一部改正され、指導要領の最低基準性を明確にしているが、現行指導要領となる08年改訂では歯止め規定の完全な廃止が決定されている。「脱ゆとり教育で教科書が○○ % 増加」という話はよく聞くが、教科書のページ数が増えたのは実際の学習内容が増えたことに加え、歯止め規定の廃止を反映していることも大きい。実際に08年改訂では、小学校第6 学年社会科の授業時数は5% しか増加していないが、教科書のページ数は20% 増加している。学習単元についてはほとんど変化がないにも関わらずである。

 

2.2.成績上位層と下位層の学力格差の拡がり

母集団に対する栄進館の塾生のデータが無いため何とも言えない。参考として①格差が拡大している層だけを恣意的に抜き出しているケースと②サブカテゴリの結果を合成すると正反対の結論が導かれるケースを紹介しておく。ちなみにベネッセの『学習基本調査』によれば2000年代以降、進学塾の通塾率が高まる一方で補習塾の通塾率は下がっている*3。これをそのまま栄進館のTZ~Aクラスに当てはめると、上位クラスほど層が厚く下位クラスほど層が薄くなるため当然に格差が拡大することになる。

hajk334.hatenablog.jp

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最近、「ゆとり教育」を推進してきた教育学者のなかに、「ゆとり教育」の効果や総合学習の成果が、漸く実りだしたから、PISA 等の国際学力が向上してきたと言う人達がいるかと思えば、「学力低下は錯覚である。」とか、「学力低下論“批判”」などの著書では、「学力低下なんて騒ぎすぎだった」とか「学力低下はないとか、錯覚だ」と言わんばかりである。著者は共通して文科省の息のかかった大学教育学部系の教授等、教育学者、国立教育政策研究所の研究員だ。

学習塾を運営しているお前が言うんかい。ついでに言うとPISA2009以降積極的に「ゆとり教育の失敗」と「脱ゆとり教育の成果」を喧伝しているのは文科省の方である。調査の設計者も報告書も日本での調査主体も「ゆとり教育PISAとの関連」を否定しているにも関わらず何故文科省の言うことを信じるのだろうか。*4

私は、実際に国が実施する学力テストのからくりを、国立教育研究所の幹部から聞いた事がある。学力テストの平均正答率は問題の難易度でどうにでも変わる。日本の場合、国も地方も、出題の難易度はおよそ目標正答率が 60%前後になるように設定されている。今の「ゆとり教育」下の学力テストは、低レベル削減カリキュラムに沿った易しい問題での想定通過率に基づき、学力テストの実施結果を出しており、学力推移を判断するには不適切である。同一問題によるテストでの定点観測でなければ学力推移の精度を著しく欠くのである。

「幹部から聞いたここだけの話」を論文に書くという大学1年生ですらやらない所業を恬として恥じないその面の皮の厚さはともかく、太字部分はその通りである。何故実践できないのか。同一問題とは当然にその結果も含めてである。ちなみに論文の後段では「全国学力調査は全員に受験させるべき」と主張しているのでIRTはおろか学力調査の基本思想についても良く理解していないではないかと思われる。以下の本をお勧めしたい。

 

 

また、苅谷剛彦東京大学教授が、岩波の「科学」、2000 年 10 月号、特集「日本の教育はどこに向かおうとしているのか」で、明確に中学生の学力低下を指摘している。(829~830 頁)それも文部省が学習指導要領改訂に際し、1995年~96 年に実施した“教育課程実施状況調査”のうち、何故か報告書の刊行されなかった中学3年生理科で、明確に同一問題部分で、学力低下が判明している。(文部省は、この時点で大学生の学力低下は認めつつ、義務教育段階での学力低下はないと公式見解を出していた時期である。)

その通りである。ちなみに2004年に実施された教育課程実施状況調査では中1社会及び中1数学を除いた全ての教科学年において前回を有意に上回る問題数が有意に下回る問題数よりも多いという良好な成績を示したのだが「文科省の実施した調査は信頼できない」という一言のもとに打ち捨てられたのは周知の通りである。

40 年前と今の中学生との数学力の驚くべき学力格差は、2-1の図表 1~図表 3 で報告の通り、疑う余地のない事実である。また、70 年当時の数学教科書内容と 02 年版教科書との難易度比較ができるように、共著「どうする理数力崩壊」に数例を記述済みなので、ここでは省くが、40 年前の理数教科書は分厚く、圧倒的に内容が豊富で難しく、文章問題、図形その他の証明問題が豊富だった。

アメリカで使用されている教科書は日本と比較して遥かに分厚く内容も豊富である。他方でPISA・TIMSSのいずれの年度・調査領域においてもアメリカが日本より好成績を示したことは一度も無い。ちなみに今の学校教育では教科書と問題集が分離されていることが通常である。

また、当館では学力推移の正確さを期すため、同一問題にて、学力テスト日を予告せずに抜き打ちで、実施してきた。

傾向と対策は受験の基本だと思うのですが。念のため再説しておくと調査に使われたテストは福岡県の高校入試問題である。

 

3.2.何としても食い止めなければならない、教育の負の連鎖

ゆとり教育」が 1980 年に始まって、早くも 30 年を経過し、ゆとり世代が父親や母親となり子育てや社会へ進出をしており、悪いが、不安を感じずにはおれない。付表3)、付表4)の「わが国の義務教育の変遷とゆとり教育の流れ」に、「ゆとり教育」の内容や特色、その他を時系列で記載しているが、「ゆとり教育」になってから、理数教科の学習内容削減に加えて、学校が勉強の場から遊びの場、楽しさだけを追求した「ゆるみ教育」となった。その結果大切な成長期の子ども達を、自己中心的で、ぬるま湯にどっぷりつからせ、厳しさを知らない、環境の中に置き、精神的な悪影響を与えてきた。

90年代に学生、特に高校・大学生の学習時間が激減したのは事実だし余暇時間が最長となったのも事実なのだが、2000年代以降はその傾向が一転しているのでいい加減日本社会は「ゆとり教育(世代)」という言葉の用法を統一してくれないか。個人的には詰め込大バッシングに端を発する80~90年代のゆとり賛美の時代が「真性ゆとり教育」時代、一転して90年代後半のゆとり大バッシングに始まるのが「反ゆとり教育」時代、指導要領の改訂も行われ名実ともに「脱ゆとり教育」時代となったのだが2010年代以降というのがしっくりくる区分だ。そうしたレッテル貼りと図式的理解自体がいかんのだというのはその通りなのだがどうせ複雑なことを言っても分からんではないか。

 

私が、特に印象的で奇異に感じたのは、1980 年は、私が当館を僅か 16 名
の生徒から、創業したばかりの頃であり、二人の息子がちょうど小学 4 年生、2 年生だったから、私が育った頃の教育に比べて余りにも、その違いに驚いた。また、私は、ある大手電器メーカーの新製品開発技術者、管理職を経験してきたばかりだったので、妻や保護者から聞く話と生徒達の言動から、健全な競争意識の欠落に驚いたり、実社会の常識から逸脱した公教育現場のぬるま湯に愕然とし、日本の科学技術力を衰退させるような教育が、しかも国の税金を使って何故行われているのかと、怒りが込み上げてきたことを鮮明に覚えている。

怒りは人を狂わせるので自制した方が良いだろう。巷でネトウヨと馬鹿にされる方々も本当に馬鹿なのではなく、ただ国家の危機という刺激に生存本能が過剰に反応しているだけなのである。

話は変わるが、「ゆとり教育」を進め、学習内容削減に大きく関わった人物の 1 人に触れる。90 年代半ば、中央教育審議会会長だった文筆家で文化人である三浦朱門氏と直接会い、02 年からの学習指導内容の大幅削減の資料(化学反応式の激減など)を見せて抗議した。すると、その削減振りには驚きながらも、彼は「日本はもう立派な経済大国になったんだから、今までのキャッチアップ型教育から、もう少しゆったり型のゆとり教育でいいと思うよ」との返答が返ってきた。

三浦朱門氏は教育者でも教育学者でもないので。

PISA(読解力)や TIMSS の国際学力比較でも、当館の調査でも、ほぼ同様の結果で、2003 年から 06 年前後にかけて、日本の義務教育史上最悪の理数学力レベルとなったことが判明した。02 年度から実施の文科省公言の「理数教科 30%削減」の数年前から、学力低下が表面化し、慌てた文科省は、10 年後の 2012 年からの学習指導要領改訂を待たずに、異例の学力向上の追加措置を行った結果、2000 年代後半の理数学力は前述の三つの調査結果でも、上昇傾向がみられるようになった。

PISAの結果は以下の記事にまとめてある。PISA2003・PISA2006における理数科目の得点はそもそも比較不能である。また、比較可能な部分に限定しても得点に有意な低下は見られない。TIMSSにおいて有意な低下が見られたのは小学校理科・中学校数学の分野だが、4年後の追跡調査では中学校理科で得点差は消失しており、中学校数学についてはゆとり教育の前・中・後のいずれも台湾・韓国・香港・シンガポールに次ぐ5位となっており甚大な変化は見られない*5。TIMSSは1995年、PISAは2000年からスタートしたため日本の義務教育史上最悪の得点であったのかは不明である。

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最後に、資源小国の宿命を背負い、少子高齢化の進行、先進国中最悪の借金国家など日本の未来は、考えただけでも空恐ろしい。それに加えて「ゆとり教育」世代の人口がやがて、働き盛り労働者の半分以上を占めるようになる。日本再生の道は極めて厳しいが、科学技術力発展と産業力の復興のため、理数教育のさらなる充実と優秀な人材教育のため、教育への国家予算の増額と総合的教育のレベル向上に努めることが重要である。

子供の学力と国力の関係を検証するのは簡単である。たとえばTIMSSの結果とWEFの世界競争力指数の順位相関係数を計算するとその値はほぼゼロとなる。こんなド文系の私ですら30分でできる単純な計算すらせずに国家の競争力と教育の関係を論じる自称技術畑の人間がいるだろうか。いやいない。ちなみにPISAの結果とはそこそこ相関があるらしい。PISAでは今の20代前半の世代が最高の成績を収めているため日本の未来は明るいに違いない。

 

 

*1:当該調査は2003年度・2004年度・2010年度の3年度に実施されている。

*2:計算に使用した教科書は東京書籍が発行したものであり,ページ数の情報は公益財団法人教科書研究センターの教科書目録情報データベースを利用した。

*3:同調査では2006年調査以降に勉強を「ほとんどしない」が減少しているため、これをもって格差が拡大しているとすることはできない。学校の授業や宿題などで「基礎・基本の徹底」が図られた結果と理解することも可能である。

*4: Wu, M. 2009. Issues in Large-scale Assessments, Keynote address presented at PROMS 2009, July 28-30, 2009, Hong Kong.

OECD 2016. PISA 2015 Results:Excellence and Equity in Education Volume I p.161, p.172

袰岩晶 2016. 『大規模教育調査とエビデンスに基づく政策』日本行動計量学会大会抄録集

*5:TIMSS1995からTIMSS2007の期間において前回調査との差の絶対値総和がもっと小さい国も日本である。言い換えれば「ゆとり教育」期間中に世界で最も得点が安定していた国が日本である。