門信一郎, 2015, 『理科教育の現場にプラズマ・核融合を』
※下記の文章は2か月程前に書いたのですが、当時は仮釈放中(文字通りの意味です)で色々と制限があったため*1、今になってこの記事をアップすることになりました。理系の先生が反論を突きつけられてまともに返事を下さるのは本当に珍しいことであり、その分余り対話できなかったことが悔やまれます。
1.「(PISA2003の結果について)しかしながら,成績の低下に1年という時間は十分長い,ということは,体験ないし実感されておられるのではないだろうか」
PISA2003の読解力低下の原因をゆとり教育に求めるならば、PISA2006以降の全ての結果が説明できない。PISA2006の受験者はゆとり教育を4年間受けているが、その成績はPISA2003と同水準であり変化はない。PISA2009の受験者はゆとり教育を7年間受けており、08年改訂の移行措置も受けていないが、その成績はPISA2000と同水準にまで回復している。PISA2012の受験者はゆとり教育を6年間、08年改訂の移行措置を3年間受けているが、その成績は7回のPISA調査で最高の成績を収めている。また、いやしくも学究ならば個人の実感や体感を持ち出すべきではない。
2.「逆に成績の向上,特に国語・算数に年月がかかるのは想像に難くない」
成績向上とその期間の関係については想像するものではなく実証するものである。また、この仮説を受け入れるならば、PISA2009-2012の結果は一層不可解なものとなる。
3.「実際,脱ゆとりの導入と時期を同じくして,学力低下は盛り返しているようにみえる」
学力の低下傾向が盛り返したのはPISA2009であり、上記の通りPISA2009の受験者は脱ゆとり(08年改訂)とは一切関係がないため事実誤認である。実際、PISA2009の結果が公表される以前にその好成績を予見していた論者を筆者は知らない。逆ならばいくらでも知っている。仮にPISA2009の成績が低下していれば、軽々に「ゆとり教育」と結びつけられたであろうことは想像に難くない。
また、PISA2012の受験者は、移行措置を脱ゆとりに含めるならばゆとり教育を6年間、脱ゆとり教育を3年間受けた世代であり、移行措置を脱ゆとりに含めないならば、義務教育期間の全てをゆとり教育の下に過ごした世代である。いずれの解釈がより妥当であるのかは、PISA2012の結果だけでは分からない。その後のPISA2015-2018では、いずれも「PISAショック」と同等の得点低下が生じているため、前者の解釈は採用できない。PISA調査とゆとり教育の関連については以下の記事で詳しく説明している。
上の記事をPISA調査に対する文科省の見解、及びその報道の変遷に注目してさらに要約したのが以下のまとめである。
以上の点を簡潔かつ丁重に説明するメールを著者に送ったのだが返信はない。ちなみに、氏のTwitterプロフィールページには「要らないもの:芸のゆとり,学のゆとり」とあるので、恐らくPISA2018の結果が公表された現在においてもその考えは変わっていないと思われる。単純な時系列すら理解できない学者の存在こそ技術立国日本の脅威ではないだろうか。
2022年3月22日追記
先生にお送りしたメールは送信したアカウントごと紛失してしまっていたのですが、先生に問い合わせたところ、ご厚意で原文を送っていただきました。長いので以下に折りたたんでおきます。なお、先生からの返信は先生ご自身も紛失されてしまったそうで、以下の箇条書きに先生の意図と異なる箇所があれば修正する旨伝えています。
簡潔で丁重な私のメール
先生の『理科教育の現場にプラズマ・核融合を』を拝読いたしました。内容に誤りや矛盾点がありましたので以下お伝えさせていただきます。
1.「しかしながら,成績の低下に1年という時間は十分長い,ということは,体験ないし実感されておられるのではないだろうか」
PISA2003の読解力低下の原因を1年間のゆとり教育に求めるならば、PISA2006以降の全ての結果がその仮説に反しています。PISA2006を受験した世代はゆとり教育を4年受けていますが成績は変わらず、PISA2009を受験した世代は7年間受けていますが得点は向上しています。いずれも移行措置は受けておりません。また、個人の実感は全くの無意味です。学究たる先生ならばそのことを重々承知しておられるのではないでしょうか。
PISA2003-2006の日本の読解力低下については留保が必要です。PISA報告書でもこのことについて多少触れておりますが、PISA2015のTechnical Report(p.161, p.172)では日本を名指しにしてその具体的原因が推定されておりますから、お読みになられると良いかもしれません。後述しますが、PISAの得点変化の時系列を見る限り、PISA2003-2006の読解力低下はテスト設計の変更が主因であったと考えるのが最も整合的かと思われます。
また、PIAACでは成人を対象として、PISAの読解力問題と定義が同じ問題が出題されており、PISA2000-PISA2009を受験した世代のその後を追跡調査することが可能となっておりますが、そちらの調査でもPISA2003-PISA2006受験者が他国・他世代と比較して読解力が低下しているという事実はありません。
2.「実際,脱ゆとりの導入と時期を同じくして,学力低下は盛り返しているようにみえる」
念のため確認しておきますと、PISA2009を受験した世代はゆとり教育を7年間、PISA2012を受験した世代は9年間受けています。ところで、先生も指摘する通りPISA2012の受験者は08年改訂(脱ゆとり)の移行措置を3年間受けています。したがって、この時点では、PISA2012の結果に対して相反する二通りの解釈が存在することになります。つまり、PISA2012の好成績は「9年間のゆとり教育の成果」であるという解釈と「3年間の脱ゆとり教育の成果」であるという解釈です。
どちらの解釈が正しかったのかはその後の結果を見て判断するべきでしょう。PISA2012の結果を脱ゆとりの成果とする解釈は、残念ながらPISA2015,PISA2018の結果によって否定されたと考えざるを得ません。私自身は学習指導要領の改訂とPISAの結果を関連付ける必要性をさほど感じておりませんが、敢えて結びつけるならばゆとり教育によって学力が向上したと考える方がまだしも合理的です。ゆとり教育による学力低下を根拠づけるのは唯一PISA2003の結果のみであり、そのPISA2003の結果も留保が必要であることが明記されていますから。
不躾なメールを送り付けてしまい申し訳ございませんでした。疑問や反論がおありでしたら、詳細を拙ブログに掲載しておりますのでご一読の上ご連絡ください。
返信
と思い込んでいたがすぐに返信が来た。内容を簡潔にまとめると
1.ゆとり教育を受けた年数よりもいつ受けたかが重要ではないか。自分は特に中学時代の教育が重要であるとの仮説を持っている。
2.大学の授業で基礎的な素養のアンケートをとっているが、ゆとり世代は高校教科書(物理)の後半を学ばずに大学生、大学院生になっているという結果が得られている。
3.それは中学の学習内容が薄くなったために、高校、大学にまでしわ寄せがきた結果ではないか。
4.脱ゆとり世代が配属されてからはかなり改善されているという実感がある。
5.当時の仮説を含め再検討すべき時期と認識しているが、本業の研究が逼迫しているため余力がない。
だそうである。正直メールの文面から余り絡んでほしくなさそうな気配をひしひしと感じたので、ここに簡単な反論を示すだけに留めておく。ブログのURLは伝えてあるので多分問題ないだろう。
ちなみに先生の反応はこれまで私が対話を試みてきた理系の先生方の中でも大分理性的な方である。2022年3月22日追記 実際は仮釈放中でゴタゴタしており議論を続けるだけの精神的余裕が私になかった(そもそも本来はネットへのアクセスも制限されていたので…)
再反論
1について
PISA2006の受験者は中学校3年間のゆとり教育を受けているが、PISA2003の受験者と比較しても得点に変化がない。PISA2009の受験者はPISA2006と同じく中学校3年間のゆとり教育を受けているが、PISA2003,2006と比較して有意に得点が向上している。PISA2012の結果は中学校3年間のゆとり教育、或いは3年間の脱ゆとり教育(移行措置)の成果のいずれにも評価できるが、脱ゆとり教育が本格実施された後のPISA2015、2018の得点が前回調査から有意に低下していることから、後者の仮説は説得力を失う。
ゆとり教育を受けた年数にせよ、いつ受けたのにせよ、いずれにせよ学習指導要領の変更時期とPISA2006以降の得点の変化に整合的な関係はない。なぜこれが反論として機能すると考えたのか分からない。私の伝え方が悪かったのか、それとも日本の研究者の知的レベルが低下しているのだろうか。人間の認知を変えることがいかに難しいかつくづく思い知る。ネトウヨや放射脳と揶揄される人たちは決して特別な存在ではない。
2について
アンケートの詳細が分からないため特に反論はない。
3について
考えにくい。たかだか中学校の学習内容先送りが、高校、大学、果ては大学院の教育内容まで逼迫するというのは疑問である。或いは事実それほどの学習内容削減が行われたのだとすると、PISA・TIMSSの結果と辻褄が合わなくなる。PISAでは義務教育修了段階における科学的リテラシーの得点は低下しておらず、TIMSSではむしろ得点が有意に向上している。大学院の学生にまで影響を与えるほどの中学校教育の劣化が、当の中学生には影響を与えないというのは不思議である*2。
4について
私も実感で飯を食いたい。というか脱ゆとり世代にはアンケートをとっていないのだろうか。
5について
私も副業で飯を食いたい。というか理系の学者先生によるモラル・パニックが学力低下論に説得力を与えてしまったのだからもう余計なことはしないでほしい。
2022年3月22日追記
上述の問合せの際に、再反論に対する再々反論があれば追記する旨お伝えしています。2年経っても「要らないもの:芸のゆとり,学のゆとり」とあったのできっと反論してくれるとは思うのですが、理系の先生は批判されるのが大嫌いなので駄目かもしれません。
まあ応答したら全力で殴るのですが…
*1:仮釈放の際に一悶着あり、ネットへのアクセス制限も含む宣誓書を書かされた。
*2:この点について、氏の実感と学力向上を矛盾せずに擦り合わせることもできる。学習内容の三割削減は義務教育に限定されたものであり、その意図するところは、義務教育段階でゆとりを生み出すことでそれ以降の教育の土台となる基礎・基本を徹底させることにあった。文科省のスポークスマンであった寺脇研の「学力は落ちて当然」発言もこのことを意味している。寺脇は「中学校を卒業した段階で学力が落ちるのは当然」であり、「高校・大学で学力は以前と同じ水準になる」と主張していた。
しかし、実際には中学校修了段階でも学力低下は殆ど確認されていない。加えて、「2006年問題」という言葉に象徴されるように、大学の教員が学習指導要領の変更にこれほどの熱意をもって対応したのは日本の歴史上例を見ない。98年改訂と同様に指導要領の大きな変更があった68・69年改訂、77年改訂では、それに応じた大学カリキュラムが編成されたという事実は私の知る限り存在しない。
学力が落ちて当然と言われた義務教育段階でも学力は低下せず、にも関わらず学力が低下しているという認識の下これまでになく手厚い教育を授けられた世代が、大学卒業時点において以前の世代より高い学力を有していると考えるのはそれほど不合理ではない。一方、98年改訂では確かにいくつかの学習内容が削減されている。三割もの削減であったのかどうかは何故か誰も確認していないが、削減されたのは確かである。
この場合、仮に世代集団の学力が向上していたとしても、実感としての「学力低下」は生じうる。世代の全体的な学力向上は、大学進学率の上昇による「大学生のレベル低下」の効果に埋もれて見えなくなってしまうからだ(近年の大学生の変化について)。他方、指導要領で削減された学習内容は大学生のレベルに左右されないため、現場の教員にとってもより目につきやすい。この仮説でも氏の実感を説明することができる。