若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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竹内薫は科学リテラシーが欠如している

論点をメモ。後で清書する。

 

・08年改訂指導要領における「物理基礎」+「物理」の構成はそれまでの指導要領構成とは異なるため単純比較は不能。1978年改訂の「物理」、1989年改訂の「物理IB」、1998年改訂の「物理I」がそれぞれ比較し得る科目であり、いずれも履修率は3割程度。2008年改訂の物理履修率は2割程度だが、それまでの「基礎理科」や「理科総合」よりも高度な内容を扱った「物理基礎」の履修率は6割を超えている。

 ・高校物理が必修化されていたのは1960年改訂指導要領が実施された10年間(1963~1973)のみ。続く1970年改訂(1973~1982実施)の時点で高校物理は必修から外されているが、実際の履修率は8割程度はあったらしい。高校物理の履修率が激減したのは1977年改訂以降。以来30年に渡って物理履修率は30%の状況が続いた。つまり日本では「ゆとり」時代の方が長く伝統的な教育である。ちなみに狭義のゆとり教育(98年改訂)に話を限定すればむしろ履修率は僅かに上昇している。

 

 ・気になる。私の手持ちの資料では上述の通り物理Ⅰに相当する科目の履修率は80年代~2000年代を通じて3割のはずであるし、物理Ⅱに相当する科目は戦後一貫して2割にも満たない。何がどうなってこの数字になったのか、後で自分で計算してみよう。

 

2歳の息子がいるらしいので50代ではないだろう。そうであるならばきしこさんの時代から既に高校物理の履修率は3割にまで落ち込んでおり少数派である。このツイート以前に親切なフォロワーから各年代ごとの履修率データを提供されているというのに、まるで読んでいなかったのだろうか。それ以前に科学的精神を少しでも尊重する気持ちがあるならば実感で物を語るのはやめなさい。

 

理系の学者先生の被害者気取りはいつ見ても不愉快である。日本の学生の理数科目における学力は少なくともこの20年間一貫して世界トップレベルを維持している。その学生を指導することに困難を覚えるならば世界のどこに行っても通用しないだろう。近年日本の研究レベルが落ち込んでいるというのもむべなるかな。

 

雑誌自体が死んでいる。いわゆる「活字離れ」の実態は雑誌離れと新聞離れが主体である。ちなみに書籍購入額は20代を除く全年代で減少している。プログラミングはいくらなんでも80年代~90年代よりも大衆に浸透しているだろう。そもそも当時のPC普及率が何%だったと思っているのか。この認識は余りにも狂っている。

 

PISAにおける「科学的リテラシー」はゆとり教育中にも低下は見られず、脱ゆとり後のPISA2018ではPISA2012と比較して有意な低下が見られた。TIMSSの理科ではTIMSS2015で過去最高の成績を収めているが、その前回調査であるTIMSS2011の時点でゆとり以前と比較して有意に得点は向上している。理系を自称する方々の深刻な科学的リテラシーの欠如。

 

反日教育亡国論を信じるネトウヨと何が違うのか。どちらも資料の独自解釈により特定の集団を社会の脅威と見なす憂国の烈士様ではないか。それに理系を自称するならば教育水準と国力の関係くらい自分で検証してほしい。試しにWEFの世界競争力報告の順位とTIMSS順位の相関係数を計算してみるとほぼゼロである。ちなみにPISAの場合だとそこそこ相関があるようだ。

 

世界競争力報告で常に日本の上位に立つアメリカの高校物理履修率は日本よりも遥かに低かったと記憶しているが…記憶違いかもしれない。