若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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竹内薫は科学リテラシーが欠如している

論点をメモ。後で清書する。

 

・08年改訂指導要領における「物理基礎」+「物理」の構成はそれまでの指導要領構成とは異なるため単純比較は不能。1978年改訂の「物理」、1989年改訂の「物理IB」、1998年改訂の「物理I」がそれぞれ比較し得る科目であり、いずれも履修率は3割程度。2008年改訂の物理履修率は2割程度だが、それまでの「基礎理科」や「理科総合」よりも高度な内容を扱った「物理基礎」の履修率は6割を超えている。

 ・高校物理が必修化されていたのは1960年改訂指導要領が実施された10年間(1963~1973)のみ。続く1970年改訂(1973~1982実施)の時点で高校物理は必修から外されているが、実際の履修率は8割程度はあったらしい。高校物理の履修率が激減したのは1977年改訂以降。以来30年に渡って物理履修率は30%の状況が続いた。つまり日本では「ゆとり」時代の方が長く伝統的な教育である。ちなみに狭義のゆとり教育(98年改訂)に話を限定すればむしろ履修率は僅かに上昇している。

 

 ・気になる。私の手持ちの資料では上述の通り物理Ⅰに相当する科目の履修率は80年代~2000年代を通じて3割のはずであるし、物理Ⅱに相当する科目は戦後一貫して2割にも満たない。何がどうなってこの数字になったのか、後で自分で計算してみよう。

 

2歳の息子がいるらしいので50代ではないだろう。そうであるならばきしこさんの時代から既に高校物理の履修率は3割にまで落ち込んでおり少数派である。このツイート以前に親切なフォロワーから各年代ごとの履修率データを提供されているというのに、まるで読んでいなかったのだろうか。それ以前に科学的精神を少しでも尊重する気持ちがあるならば実感で物を語るのはやめなさい。

 

理系の学者先生の被害者気取りはいつ見ても不愉快である。日本の学生の理数科目における学力は少なくともこの20年間一貫して世界トップレベルを維持している。その学生を指導することに困難を覚えるならば世界のどこに行っても通用しないだろう。近年日本の研究レベルが落ち込んでいるというのもむべなるかな。

 

雑誌自体が死んでいる。いわゆる「活字離れ」の実態は雑誌離れと新聞離れが主体である。ちなみに書籍購入額は20代を除く全年代で減少している。プログラミングはいくらなんでも80年代~90年代よりも大衆に浸透しているだろう。そもそも当時のPC普及率が何%だったと思っているのか。この認識は余りにも狂っている。

 

PISAにおける「科学的リテラシー」はゆとり教育中にも低下は見られず、脱ゆとり後のPISA2018ではPISA2012と比較して有意な低下が見られた。TIMSSの理科ではTIMSS2015で過去最高の成績を収めているが、その前回調査であるTIMSS2011の時点でゆとり以前と比較して有意に得点は向上している。理系を自称する方々の深刻な科学的リテラシーの欠如。

 

反日教育亡国論を信じるネトウヨと何が違うのか。どちらも資料の独自解釈により特定の集団を社会の脅威と見なす憂国の烈士様ではないか。それに理系を自称するならば教育水準と国力の関係くらい自分で検証してほしい。試しにWEFの世界競争力報告の順位とTIMSS順位の相関係数を計算してみるとほぼゼロである。ちなみにPISAの場合だとそこそこ相関があるようだ。

 

世界競争力報告で常に日本の上位に立つアメリカの高校物理履修率は日本よりも遥かに低かったと記憶しているが…記憶違いかもしれない。

 

門信一郎, 2015, 『理科教育の現場にプラズマ・核融合を』

※下記の文章は2か月程前に書いたのですが、当時は仮釈放中(文字通りの意味です)で色々と制限があったため*1、今になってこの記事をアップすることになりました。理系の先生が反論を突きつけられてまともに返事を下さるのは本当に珍しいことであり、その分余り対話できなかったことが悔やまれます。

ci.nii.ac.jp

1.「(PISA2003の結果について)しかしながら,成績の低下に1年という時間は十分長い,ということは,体験ないし実感されておられるのではないだろうか」

PISA2003の読解力低下の原因をゆとり教育に求めるならば、PISA2006以降の全ての結果が説明できない。PISA2006の受験者はゆとり教育を4年間受けているが、その成績はPISA2003と同水準であり変化はない。PISA2009の受験者はゆとり教育を7年間受けており、08年改訂の移行措置も受けていないが、その成績はPISA2000と同水準にまで回復している。PISA2012の受験者はゆとり教育を6年間、08年改訂の移行措置を3年間受けているが、その成績は7回のPISA調査で最高の成績を収めている。また、いやしくも学究ならば個人の実感や体感を持ち出すべきではない。

 

2.「逆に成績の向上,特に国語・算数に年月がかかるのは想像に難くない」

成績向上とその期間の関係については想像するものではなく実証するものである。また、この仮説を受け入れるならば、PISA2009-2012の結果は一層不可解なものとなる。

 

3.「実際,脱ゆとりの導入と時期を同じくして,学力低下は盛り返しているようにみえる」

学力の低下傾向が盛り返したのはPISA2009であり、上記の通りPISA2009の受験者は脱ゆとり(08年改訂)とは一切関係がないため事実誤認である。実際、PISA2009の結果が公表される以前にその好成績を予見していた論者を筆者は知らない。逆ならばいくらでも知っている。仮にPISA2009の成績が低下していれば、軽々に「ゆとり教育」と結びつけられたであろうことは想像に難くない。

また、PISA2012の受験者は、移行措置を脱ゆとりに含めるならばゆとり教育を6年間、脱ゆとり教育を3年間受けた世代であり、移行措置を脱ゆとりに含めないならば、義務教育期間の全てをゆとり教育の下に過ごした世代である。いずれの解釈がより妥当であるのかは、PISA2012の結果だけでは分からない。その後のPISA2015-2018では、いずれも「PISAショック」と同等の得点低下が生じているため、前者の解釈は採用できない。PISA調査とゆとり教育の関連については以下の記事で詳しく説明している。

上の記事をPISA調査に対する文科省の見解、及びその報道の変遷に注目してさらに要約したのが以下のまとめである。

以上の点を簡潔かつ丁重に説明するメールを著者に送ったのだが返信はない。ちなみに、氏のTwitterプロフィールページには「要らないもの:芸のゆとり,学のゆとり」とあるので、恐らくPISA2018の結果が公表された現在においてもその考えは変わっていないと思われる。単純な時系列すら理解できない学者の存在こそ技術立国日本の脅威ではないだろうか。

2022年3月22日追記
先生にお送りしたメールは送信したアカウントごと紛失してしまっていたのですが、先生に問い合わせたところ、ご厚意で原文を送っていただきました。長いので以下に折りたたんでおきます。なお、先生からの返信は先生ご自身も紛失されてしまったそうで、以下の箇条書きに先生の意図と異なる箇所があれば修正する旨伝えています。

簡潔で丁重な私のメール

先生の『理科教育の現場にプラズマ・核融合を』を拝読いたしました。内容に誤りや矛盾点がありましたので以下お伝えさせていただきます。

1.「しかしながら,成績の低下に1年という時間は十分長い,ということは,体験ないし実感されておられるのではないだろうか」

PISA2003の読解力低下の原因を1年間のゆとり教育に求めるならば、PISA2006以降の全ての結果がその仮説に反しています。PISA2006を受験した世代はゆとり教育を4年受けていますが成績は変わらず、PISA2009を受験した世代は7年間受けていますが得点は向上しています。いずれも移行措置は受けておりません。また、個人の実感は全くの無意味です。学究たる先生ならばそのことを重々承知しておられるのではないでしょうか。

PISA2003-2006の日本の読解力低下については留保が必要です。PISA報告書でもこのことについて多少触れておりますが、PISA2015のTechnical Report(p.161, p.172)では日本を名指しにしてその具体的原因が推定されておりますから、お読みになられると良いかもしれません。後述しますが、PISAの得点変化の時系列を見る限り、PISA2003-2006の読解力低下はテスト設計の変更が主因であったと考えるのが最も整合的かと思われます。

また、PIAACでは成人を対象として、PISAの読解力問題と定義が同じ問題が出題されており、PISA2000-PISA2009を受験した世代のその後を追跡調査することが可能となっておりますが、そちらの調査でもPISA2003-PISA2006受験者が他国・他世代と比較して読解力が低下しているという事実はありません。

2.「実際,脱ゆとりの導入と時期を同じくして,学力低下は盛り返しているようにみえる」

念のため確認しておきますと、PISA2009を受験した世代はゆとり教育を7年間、PISA2012を受験した世代は9年間受けています。ところで、先生も指摘する通りPISA2012の受験者は08年改訂(脱ゆとり)の移行措置を3年間受けています。したがって、この時点では、PISA2012の結果に対して相反する二通りの解釈が存在することになります。つまり、PISA2012の好成績は「9年間のゆとり教育の成果」であるという解釈と「3年間の脱ゆとり教育の成果」であるという解釈です。

どちらの解釈が正しかったのかはその後の結果を見て判断するべきでしょう。PISA2012の結果を脱ゆとりの成果とする解釈は、残念ながらPISA2015,PISA2018の結果によって否定されたと考えざるを得ません。私自身は学習指導要領の改訂とPISAの結果を関連付ける必要性をさほど感じておりませんが、敢えて結びつけるならばゆとり教育によって学力が向上したと考える方がまだしも合理的です。ゆとり教育による学力低下を根拠づけるのは唯一PISA2003の結果のみであり、そのPISA2003の結果も留保が必要であることが明記されていますから。

不躾なメールを送り付けてしまい申し訳ございませんでした。疑問や反論がおありでしたら、詳細を拙ブログに掲載しておりますのでご一読の上ご連絡ください。

 

返信

と思い込んでいたがすぐに返信が来た。内容を簡潔にまとめると

1.ゆとり教育を受けた年数よりもいつ受けたかが重要ではないか。自分は特に中学時代の教育が重要であるとの仮説を持っている。
2.大学の授業で基礎的な素養のアンケートをとっているが、ゆとり世代は高校教科書(物理)の後半を学ばずに大学生、大学院生になっているという結果が得られている。
3.それは中学の学習内容が薄くなったために、高校、大学にまでしわ寄せがきた結果ではないか。
4.脱ゆとり世代が配属されてからはかなり改善されているという実感がある。
5.当時の仮説を含め再検討すべき時期と認識しているが、本業の研究が逼迫しているため余力がない。

だそうである。正直メールの文面から余り絡んでほしくなさそうな気配をひしひしと感じたので、ここに簡単な反論を示すだけに留めておく。ブログのURLは伝えてあるので多分問題ないだろう。

ちなみに先生の反応はこれまで私が対話を試みてきた理系の先生方の中でも大分理性的な方である。2022年3月22日追記 実際は仮釈放中でゴタゴタしており議論を続けるだけの精神的余裕が私になかった(そもそも本来はネットへのアクセスも制限されていたので…)

 

再反論

1について

PISA2006の受験者は中学校3年間のゆとり教育を受けているが、PISA2003の受験者と比較しても得点に変化がない。PISA2009の受験者はPISA2006と同じく中学校3年間のゆとり教育を受けているが、PISA2003,2006と比較して有意に得点が向上している。PISA2012の結果は中学校3年間のゆとり教育、或いは3年間の脱ゆとり教育(移行措置)の成果のいずれにも評価できるが、脱ゆとり教育が本格実施された後のPISA2015、2018の得点が前回調査から有意に低下していることから、後者の仮説は説得力を失う。

ゆとり教育を受けた年数にせよ、いつ受けたのにせよ、いずれにせよ学習指導要領の変更時期とPISA2006以降の得点の変化に整合的な関係はない。なぜこれが反論として機能すると考えたのか分からない。私の伝え方が悪かったのか、それとも日本の研究者の知的レベルが低下しているのだろうか。人間の認知を変えることがいかに難しいかつくづく思い知る。ネトウヨ放射脳と揶揄される人たちは決して特別な存在ではない。

2について
アンケートの詳細が分からないため特に反論はない。

3について

考えにくい。たかだか中学校の学習内容先送りが、高校、大学、果ては大学院の教育内容まで逼迫するというのは疑問である。或いは事実それほどの学習内容削減が行われたのだとすると、PISA・TIMSSの結果と辻褄が合わなくなる。PISAでは義務教育修了段階における科学的リテラシーの得点は低下しておらず、TIMSSではむしろ得点が有意に向上している。大学院の学生にまで影響を与えるほどの中学校教育の劣化が、当の中学生には影響を与えないというのは不思議である*2。 

4について
私も実感で飯を食いたい。というか脱ゆとり世代にはアンケートをとっていないのだろうか。

5について
私も副業で飯を食いたい。というか理系の学者先生によるモラル・パニックが学力低下論に説得力を与えてしまったのだからもう余計なことはしないでほしい。

2022年3月22日追記

上述の問合せの際に、再反論に対する再々反論があれば追記する旨お伝えしています。2年経っても「要らないもの:芸のゆとり,学のゆとり」とあったのできっと反論してくれるとは思うのですが、理系の先生は批判されるのが大嫌いなので駄目かもしれません。

まあ応答したら全力で殴るのですが…

*1:仮釈放の際に一悶着あり、ネットへのアクセス制限も含む宣誓書を書かされた。

*2:この点について、氏の実感と学力向上を矛盾せずに擦り合わせることもできる。学習内容の三割削減は義務教育に限定されたものであり、その意図するところは、義務教育段階でゆとりを生み出すことでそれ以降の教育の土台となる基礎・基本を徹底させることにあった。文科省のスポークスマンであった寺脇研の「学力は落ちて当然」発言もこのことを意味している。寺脇は「中学校を卒業した段階で学力が落ちるのは当然」であり、「高校・大学で学力は以前と同じ水準になる」と主張していた。

しかし、実際には中学校修了段階でも学力低下は殆ど確認されていない。加えて、「2006年問題」という言葉に象徴されるように、大学の教員が学習指導要領の変更にこれほどの熱意をもって対応したのは日本の歴史上例を見ない。98年改訂と同様に指導要領の大きな変更があった68・69年改訂、77年改訂では、それに応じた大学カリキュラムが編成されたという事実は私の知る限り存在しない。

学力が落ちて当然と言われた義務教育段階でも学力は低下せず、にも関わらず学力が低下しているという認識の下これまでになく手厚い教育を授けられた世代が、大学卒業時点において以前の世代より高い学力を有していると考えるのはそれほど不合理ではない。一方、98年改訂では確かにいくつかの学習内容が削減されている。三割もの削減であったのかどうかは何故か誰も確認していないが、削減されたのは確かである。

 この場合、仮に世代集団の学力が向上していたとしても、実感としての「学力低下」は生じうる。世代の全体的な学力向上は、大学進学率の上昇による「大学生のレベル低下」の効果に埋もれて見えなくなってしまうからだ(近年の大学生の変化について)。他方、指導要領で削減された学習内容は大学生のレベルに左右されないため、現場の教員にとってもより目につきやすい。この仮説でも氏の実感を説明することができる。

最近の若者は何故すぐに自殺するのか

識者の意見をまとめてみました。

近頃青年の自殺が流行するので、世間にはいろ/\に其の原因を研究するものがあるが、吾輩は青年の自殺に同情もしなければ別に大問題とも思はない。蓋し人生問題を哲學的に見る日には複雑限りないが、眞理は極めて簡単である。活きんとするものは大に努力し、活きて努力するの力なきものは勝手にクタバッて了へといふのだ。

 固より自殺の流行は感服したことではないが、其原因が何であるにせよ、自殺するものは大概意志薄弱にして、人生の荒波を押切るだけの勇気のない奴等ぢや。生れ落ちるなり死神に取附かれて居るのぢや。唯だ書の片端を齧ったものは、同じ死ぬにも一種の虚名心から、ヤレ死の勝利とかヤレ哲学的懐疑とか妙な理屈を附けて自分の死を飾らうとする。華厳の滝土左衛門になった藤村某の『厳頭の感』だつて、本氣の沙汰だか何だか分りやしない。吾輩などは馬鹿者の獨心中位に思うて居る。それを文士どもがサモ哲學的大文字の如く囃し立てるから、馬鹿の摸倣家が後から後から飛出すのである。世の中には少し許りの困難に煩悶して精神的に死ぬものが多い。其精神的自殺が嵩じると本物の自殺になるのだ。

 昔シーザーは朝會に於てブルタス一派に心臓を刺される前、妻のカルバニアに向ひ、臆病者は一生の内に幾度も死ぬものであるが、大丈夫は死を味ふこと一回だけあると言つた。今日の青年自殺者はシーザーの所謂る臆病者である。薄志弱行の徒なら生きて居たつて碌な事の出来るものでないから、寧ろ死んだ方が本人の爲にも社會の爲めにも結局好いか知れぬ。

鵜崎鷺城, 『頭を抱へて』, 1915, 興成館書店

 

 今之を『帝國統計年鑑』に徴するに、青春妙齢にして自殺する者固より決して少しとせず、去る明治卅六年一個年にして、十六歳以上二十歳以下の自殺者、男子二百五十四人、女子四百四十八人の多きを算へたり、就中其の原因の知られたるものは精神錯乱に由るを最も多しとし、業病に困んでいつそ一思ひに自殺を遂ぐる者も亦あり、活計の困難に堪へず、空しく薄命を喞ちて自殺を遂ぐる者も亦あり、一方に痴情、嫉妬に由る者あれば、又他方には悔悟、慚愧に出づるものあり、千差萬別、一々列挙し難きが、尚原因不詳と録されたるも亦尠からず、知らず、藤村の如く、又松岡*1の如きは果して其何れかに属すべきか。

(中略)

 或いは曰く、學校の課業困難にして、記録を労する度に過ぎ、身心疲倦の極、終に自殺に赴く者ありと、是れ實に然らずとせず、或いは曰く、試験を気遣ひ、落第を恥ぢて身を殺す者ありと、是亦實に然らずとせず、普魯西の某學校に就いて調査統計したる者、確に之が例証と為すべきあり、果して然らば、吾人教育者は先づ日常学校の教授、管理の上に於て、深く反省し、適宜手加減を施すことを怠るべからず、徒に難きを責むるは決して眞の良教育法にあらずと知るべし。

(中略)

 某心理學者は嘗て青年自殺の動機を彙類して、四つとなせり、其一は、所謂面當に自殺する者なり、其二は、幻妄を看破し、失望落胆して自殺する者なり、而して失恋に由るを第三とし、哲学的自殺を第四とせり〔…略…〕即ち余輩は男女青年自殺の動機としては、寧ろ面當にあらざれば失望に出づるを以て頗る多しと看破し、所謂教育の昂進と理想の向上とは、愈々此の失望を多くすべきが故に、又自殺の増加を来すなりと断言せんとす。

谷本富, 『時代と思想』, 1915, 日月社

 

 私は高等學校の生徒某氏の自殺の記事と前後して文部省の某高等官が「かう云ふ厭世自殺者は出来るだけ攻撃して世の戒めにせねばならない」と云ふ意味の批評を加へて居るのを讀み、また数日の後に文部大臣一木氏が自殺青年の頻出に對して「青年の氣風の頽廃」と云ふ数語を以て評し去り、其原因を文學書に帰して居るのを讀んで、今の官僚の無情と無考察とを例ながら憎まずには居られなかった。私達両親が明日にも卒然と死んだら私達の子供は皆路頭に迷ふのである。偶ま十二の子供が篤志家の恩恵を由つて學生生活を続けて行くやうなことがあつても、高等學校の生徒某氏が實母を養つたやうに學資の中で他の弟妹を食はせて行かねばならないとしたら、私達の子供もまた自殺する氣にならないとも限らない。そして時の官僚と學者と新聞記者と群衆から「青年の頽廃」と云ふ意外な汚名を着せられて冷罵されるであろう。其れを思ふと親たる私達は子供の爲にも飽迄生きて行かねばならない。

与謝野晶子, 『人及び女として』, 1916, 天弦堂書房, pp.90-91

 

 この頃の青年間には、いろ/\不思議な病氣が流行る。厭世病とか煩悶病とか虚栄病とか、これ迄名も聞かず、昔から云ひ傳へられた四百四病の中にも、その名の見えないやうな奇病が続々流行して来た。茲に説かうとする自殺病と云ふのも、この頃流行る青年病の一種である。

 それなら自殺病とは、如何した病氣かた云ふに、これは讀んで字の如く、無闇矢鱈に自殺したがるの癖である。どんな突飛な青年でも命は惜しい。その惜しい命を捨てると云ふには、何か茲に深い理由が秘んで居るに相違ない。その理由は果たして何か。

 理由はいろ/\ある。恋愛のためとか、人生苦のためとか、家庭の不和とか、病弱の身を憂へてとか、又は試験に落第したるがためとか、一々数へ上ぐれば、十指を折るも尚且つ足らざる程であるが、之等諸種の理由は通じて、イヤその根底にたゞ一つの根本的原因がある。それは果たして何であるか。

 吾人を以てみるに、この最大原因と云ふべきは所謂青春の悩みである。〔…略…〕今医家の言を徴するに、誰れでも青春の時期に達すると、生殖器官に異變を来す結果、心身の組織が一變する。〔…略…〕その當然の結果として、神経系統にも、急劇なる衝動を與へるのであるから、自然神経にも狂いを生じ、甚だしきはこの期間に於て發狂するに至り、然らざるまでも重き神経衰弱に罹るのである。實際神経衰弱という病氣は青年通有の病氣と云ふも差支えあるまい。

オリソン・スエット・マーデン著, 宮地猛男訳, 1916, 『修養実訓青年諸君へ』, 山口屋書店

[参考]

修養実訓青年諸君へ

目次

其一  生活能力に缺けたる青年諸君へ
其二  生活の用意を缺ける青年諸君へ
其三  飲酒喫煙の悪癖を有する青年諸君へ
其四  規律を重んぜざる青年諸君へ
其五  簡易の美徳を解せざる青年諸君へ
其六  些事を顧慮せざる青年諸君へ
其七  勇氣と活力に乏しき青年諸君へ
其八  経済思想に乏しき青年諸君へ
其九  人生の趣味を解せざる青年諸君へ
其十  天分を發揮し得ざる青年諸君へ
其十一 悲観病に罹りたる青年諸君へ
其十二 常識と謙譲を軽んずる青年諸君へ
其十三 一時に熱中し得ざる青年諸君へ
其十四 研究心に乏しき青年諸君へ
其十五 自衛心なき青年諸君へ
其十六 虚栄病に罹りたる青年諸君へ
其十七 自殺病に罹りたる青年諸君へ
其十八 大臣病に罹りたる青年諸君へ
其十九 健康に注意せざる青年諸君へ
其二〇 情欲の抑制に苦しむ青年諸君へ
其二一 時間と精力を空費する青年諸君へ
其二二 雑書を乱読する青年諸君へ
其ニ三 失敗に頓挫する青年諸君へ
其二四 病難に辟易する青年諸君へ
其二五 努力せずして徒らに幸運を待つ青年諸君へ
其二六 自己の缺点を顧みざる青年諸君へ
其二七 持久心なき青年諸君へ
其二八 決断力なき青年諸君へ
其二九 家庭と調和せざる青年諸君へ
其三〇 志望を一定せざる青年諸君へ
其三一 生家の貧困を嘆ずる青年諸君へ
其三二 冒険心に乏しき青年諸君へ
其三三 数學の不得手たる青年諸君へ
其三四 人生の解決に迷ふ青年諸君へ
其三五 心身遅鈍なる青年諸君へ
其三六 中學を卒業して前途の方針に迷ふ青年諸君へ

 

 此遠因を以てして、加ふるに近時の直接原因あり、日本の不平者失意者煩悶者が爲に精神に異状を来して自殺を敢へてするを怪まんや、乃ち華厳、田子の浦の水死となり耶馬渓の悶死となり、果ては阿蘇山頭の焚死となりぬ、鉄道往生、ブランコ往生、鉄砲腹、劇薬自殺の如きは言はずもがな、而して世界の自殺季節と称せられたる梅雨期に入り、三伏の炎暑に入らんとす、これ近時自殺の頻々たる所以に外ならず。然らば則ち其自殺の直接原因とは何ぞや、曰く生活難なり、曰く自由恋愛なり、曰く投機熱の流行なり、曰く煩悶的学問の幣是なり、厭世自殺を外にして、煩悶病栄え、自然主義行はれ、自称見神者出で、将た出歯亀の輩出する、豈に故なしとせんや。

足立栗園, 『大正青年と修養』, 1916, 富田文陽堂

 

 學生の自殺はひとり我邦に於てばかりではなく、外国に於てもまた問題となつてゐる。殊に独逸に於ては議會の問題となつたことがある位で新聞雑誌に往々討議せられて居る。それで學生自殺の原因は學課過重、殊に試験であるといふので、數年前普魯西の文部省は突如として最も生徒を苦しめた臨時試験を廃止した。〔…略…〕併し乍ら更に他の方面から考へると之は果して學課過重のみによるのであるか、或はその原因は學校以外の家族、又は社會の生活にあるのであるかをよく研究しなければならないのである。自分は之は必しも學課過重に基くとは思はない。〔…略…〕今日に於ても矢張り學生の自殺者をよく調べて見ると、その原因は必しも學課過重ばかりでなく、家庭生活並に家庭生活以外の種々の事情、例へば惡小説或は惡活動寫眞等の惡影響といふやうなものである。それで又更に進んで是等の原因の原因ともいふべきものは、結局は現代社會の通弊たる所謂過度文化に存するといふことになるのである。

 我國に於ても矢張りかの華厳の瀧の自殺以来、學生の自殺が往々に行はれてゐるのであるから、識者は宜しくその都度實際の事情を研究せねばならぬと思ふ。何等の研究もせず、之を以て一概にその罪學校にありとなすのは軽率である。自殺者の多くはその原因は何等か自己の人生観に存するやうに言つて居るから、哲學や小説こそ自殺の原因であらうと論ずる人もあるけれども、幾ら哲學や小説を耽讀しても、心身の健全なるものには左程の害を與へない。害を受ける人は心身共に故障がある而してその心身の故障は過度の勉強に基くかと云へば必らずしもそうではない。即ち家族的関係とか、或は生来の虚弱とかの外に、精神病の遺傳によるものが殊の外に多いのである。

湯原元一, 『教育及教育学の改造 : 実際的教育の主張』, 1916, 岩田僊太郎, pp.514-517

 

 近時生活の困難と共に、自殺者の増加するは、東西共に同一の現象なるが、特に教育者の注意せざる可からざるは、學校生徒たる少年自殺者も亦著しく増加しつゝあること是なり。我が國に於ける最近の統計は、未だ十分ならざれども、男女共に、中等教育以上の學校生徒に於て著しきものゝ如く、又往々小學校高學年児童にして自殺を遂げたるものなきに非ず。

(中略)

 學生自殺の原因は種々なれども、惡行爲を犯し、之が處罰を恐れて自殺する者最も多く、全數の三分の一以上に居ると云ふ。特に女児にはこの種のもの大多数なり。次で精神病(十分の一)病的名誉心、失望、恋愛等又之に次ぎ、或は他人の暗示に依り、漫然之を模倣するものなきに非ず。元来少年は想像力強烈なるを以て、大人に比して案外死を恐れざることあり、特に童話其の他の記憶に依り、死を以て假死の如く考へ、眞の死の意を知らざるものなきに非ず。

(中略)

學生自殺に関し、教育上注意すべき要件を示せば左の如し。
1.意志の鍛錬、性格の陶冶に最も意を用ひ、常に奮励努力不屈不撓の意氣を養はしむること。
2.運動を奨励し、摂生に留意せしめ、常に快活々溌の氣分を有せしむること。
3.課業の過重、宿題の過多に陥るべからざること。
4.某種の才能を缺ける兒童に對しても、高壓的、脅威的態度を取らず、其の長所を認め之を信頼すべきこと。
5.處罰に當りては、厳責と共に慰藉と鼓舞とを併用すべきこと。
6.名誉心、羞恥心を過度に刺激せざること。
7.特殊の性質を有する兒童の養護に注意すべきこと。
8.教師は一面に厳格なると共に、他面に於ては、信頼すべき相談相手たることを表明すべきこと。

小川正行, 『欧米対照小学校教育の実際』, 1916, 東京宝文館, pp361-364

 

 七月七日、大嶽山の山上で、短刀を以て見事に頸動脈を切断して死んだ青年が發見された。是は貴族院議員工學博士石黒五十二氏の三男九六(一九歳)であつた。遺書の示す所に依ると、其の自殺の理由は、死に依つて平生の哲學的思索の解決を得ようとしたと云ふのである。然し一九歳の青年では、哲學的思索などゞと云つた所で大抵知れたものである。つまり煩悶の結果、病的心理を起したに過ぎぬ。美男で人好のする質であつたと云へば、先づ氣の弱い一個の若様と見るべきである。

 然らば其の煩悶の事件は何かと云ふに、一つは継母との関係、一つは學業の不成績であるらしい。

 然し継母との関係は、この場合、大した問題になるべき筈ではない。既に一九歳と云ふ屈強な年齢に達して居る。家が厭なら飛出して獨立すれば済む事である。所が、そこが気の弱い若様である。前年来、同じく継母との関係に苦しむ友人と共に、世をはかなんで死を約した事もあつた。そして其の友人は昨年品川で轢死自殺を遂げた。そこで彼は今度亡友の後を追うて其約を果したと云ふ譯になつて居る。誠に憐れむべき心情ではあるが、又餘りに腑甲斐なき神経質の若者と謂はなければならぬ。

 學業の方では、彼は仙臺の高等學校の入學試験を受けに行きかけて居たので、恐らくそれに及第する自信が無かつたのであらう。彼の長兄は京都大學を卒業し、次兄は第一高等學校に在るので、彼は遺書の中に『兄は成績抽んで自分は凡々』と云ふ嘆聲を發して居る。地位に對する渇望と大學に對する迷信とは、斯様な家庭に有りがちの事で、其間に置かれた力の足らぬ青年の苦痛は深き憫察に値する。

堺利彦, 『猫のあくび』, 1919, 松本商会出版部, pp.250-251

 

 世の學者ほど無責任、不注意、否、迂闊なものはない。渠等はただ死んだ歴史と理屈とをいじくつてそれで満足してゐるのだ。先づ融通の利かない定木を拵へて持つてゐて、何か世間で問題が出来ると、その内容も知らないで、あたまから自分の定木を當てゝ實際ありもしない説明をつける。それで世を教えるとか、導くとかいふのだが、實は世を偽り、誤り、誤解さすばかりだ〔…略…〕特に社會學を専門にした遠藤博士が、社會の一現象なる自殺に就ての観察ではないか?それがたゞうわッつらの議論であつて、實際に観察しない前から定つてゐる平凡な結論を以て終つたのは、學者の迂遠と浮薄とを責めるのに加へて、實際の研究力と熱心の度とを疑はなければならなくなる。渠等は外形的材料と断定とを用意し過ぎて、頭脳の内部が空虚になつてゐるのだ。

 遠藤氏は現今自殺の原因を大略三個に分類し、第一に『自然主義の流行』を數へた。そこで、『現今の自然主義は即ち野合主義である』とは、どんなことを關聯さしてゐるのか、判然しないが、いづれ例の浮薄な速断的な態度を以て、肉欲主義の實行と見なしてゐるのだらう。〔…略…〕若し青年男女の堕落を見てゐることなら、僕が嘗て某雑誌にで云つた通り、それは何も今更ら甚しくなつたのではなく、これまでは地方の村祭りなどで密會してゐた男女で、東京へ遊學するものが多くなつた爲、鎮守の森かげか下宿屋の二回に變はつただけだ。全國一般から云ふと、大した増減はないのを、近頃、新聞の三面記事で特に學生に對する摘發が激しくなつたに過ぎない。

 次に、氏は『女子教育の變調』を挙げた。然し、それも空想に過ぎない。如何にも女子にして、女子の力に餘る哲學思想を『持ち出して』失敗するものがないではないが、それは千萬人中の一二人しかない。そんな些細な原因を數へるなら、自殺者は皆別々な原因を持つ廣ゐるのだ。次に、また、氏は『新舊思想の衝突』だが、これは意味が廣いだけに、説明も何も入らないほど分かつてゐると同時に、決して現代に於ける特別な項目とはならない。〔…略…〕かう考へて来ると、氏の議論はどこに現代に對する痛切な説明があるのだ!現今博士諸氏の多くは、宗教家の言説と同様、ただ愚夫愚婦の手前を胡麻化してゐればいいのだ。

岩野泡鳴, 『悲痛の哲理』, 1920, 隆文館図書, pp.422-425

 

 最後に青年の自殺について一言する。自殺は老・壮・青少年何れかの時期に多いかと言ふに、五十年以上の老年に多いことを示して居るが、最近青年者の自殺の増加する傾向あるは諸學者の共に認むる所で一般に春機發動期と多大の関係があるものと言はれる。我國の統計に於ても十六歳乃至二十歳のものは男女とも最も急速なる増加を示して居る。今でこそ社會の健全なるか否かを検するに足る鋭敏な指針は自殺の統計にありと迄見られて居るが、昔時は之を以て人間特有の権利であるかの如くに思ひ、毫も怪しまなかつたものである。一般に自殺が罪惡であると認められるやうになつたのは實に近代の事である。而して此の犯罪位食物・職業・氣候・年齢・性別等に関係の深いものは少ない。

 仏蘭西のコール氏は狂者と自殺とは文明の進歩と共に増加すとの結論に達しているが、これ慥に多くの學者の一致する議論で、文明の反面には斯様な犠牲者を生みつゝあるは悲しむべく悼むべき事實である。然らば青年者自殺の原因は何れかにあるかと言ふに、精神錯乱といふが如き病理的のものを除き、余輩は左記の四者を以て其の主なるものと思ふ。

 人生上の煩悶、病苦によるとか、學業成績が不良であるとか、親族間の不和によるとか、人前で恥辱を受けたとか、主家の使に出で金銭を遺失したとか、生計の困難薄命によるとか、損失や負債やのためとか、身體の不具をなげくとか、前非を悔いて懺悔の情に堪へぬとか、煩悶の程度に大小軽重の別こそあれ、何れも同性質のものである。

 報復的、親や主人から怒らせられ、辱められ、一層の事面當てに死んで、思ひ知らせてやれと短慮一徹に死出を急ぐものである。

 哲學的、青年期は概して知識経験の不充分なるが上に空想妄想の盛んなる時代であるから、人生の意義如何、何の爲に生れ、死して何處に行くかなど、一身には到底背負ひきれんう程の大問題を引き受けて哲學上の瞑想宗教上の思索に耽り、微力解決の覚束なきを見るや、直に人生を以て不可解なりと獨断し、煩悶を重ねた結果厭世観を抱き華厳の瀧に飛び込むが如き挙に出づるのである。

 恋愛的、所謂青春の血燃ゆるが如く、動もすれば意馬心猿を狂はす譬に漏れず、遮二無二盲目的に邁進するのであるが、其の反動として意中の人を掌中から失ふとか他のために妨害を受けたとかすれば一途に思ひ詰め絶望の極は御定まりの如く、自殺となるのである。其の他痴情嫉妬によるもの、離縁を悲しむもの、婚姻を忌むもの、私通妊娠を憂ふるもの等は皆この恋愛関係から起こつて居る。

白井規一, 『青年期男女の心理研究』, 1920, 目黒書店, pp.316-318

 

 どうして、(死にたいという)そんな考へが浮かんでくるかといへば、第一はその人は安息を求めてゐるのであります。第二は變化を求めてゐるのであります。第三は迷信をもつているのであります。第四は生に對する徹底が足らないのであります。第五にはあまりに快樂を現代に要求しすぎてゐるのであります。

(中略)

 殊に自殺する人は、若き人に多いのでありますが、若い人々が一時の感情にかられて『人生不可解』などいうて自殺を急ぐのは、實に誤ったことであります。不可解であるも不可解でないも、まだ充分見當のつかないうちに、不可解と断定するのは恐ろしい冒涜であるといはねばなりません。〔…略…〕十七歳の美少年藤村操が『人生不可解』を唱へて、華厳の瀧で自殺しましたが、それが流行になつて後から後から華厳の瀧に死ににいつたことがありましたが、近頃はまた自殺が流行するやうですから、私は年若き人々に特に注意したいのは、この點であります。繰返して申しますが、僅か十七歳で『人生不可解』と解つて了へるものでないといふことです。

(中略)

 更に近頃は虚無主義といふのが流行しまして、無政府主義と聯絡させてみたり、破壊主義と思想上の聯絡をとつてみたりしてゐる人もありますが、若い人には虚無といふことがよく理解できないで、自殺することが虚無思想のどん詰まりであるかの如く考へる人もありますが、これも誤つた考へであります。

賀川豊彦, 『生命宗教と生命芸術』, 1922, 警醒社書店

 

 人に對して行はれる犯罪の中に、自己と云ふ人に對する犯罪の極端な形として、自殺を挙げなければならない。青年と云ふものはまだ世の中の風波に當つた譯でなく、此世智辛ひ世の艱難辛苦を體験しないのであるから、青年の間には成熟後の人間のやうに自殺者を多く出すことはない。〔…略…〕然し少年の間に自殺者を出した場合には、其處に完全な動機に稍近い程のものすらも無い。蓋し自分自からの手で自分の玉の緒を断つほどの少年は、決して大人の自殺者のやうに窮困して居るとか、憐れむべき境遇に陥つたとか云ふのではなく、寧ろ暖衣飽食、自分の望むものは一つとして得られないと云ふ事無く、思ふ存分氣分や氣紛れに耽ることが出来、唯ほんの想像に過ぎない位な些細の軽蔑を受けたとか又は害をされたとかと云ふだけで、忽ち憤怒して、怨恨するが儘に委せられた甘やかし者乃至不良少年に多いのである。

 青春期に於て此自己破滅が行はれる場合には、事情が稍異るのである。茲では春情發動期の苦しみと緊張とを考量中に入れなければならない。〔…略…〕然も此春情發動期と云ふ事は甚だ重大な問題で、既に前にも述べたやうに、殊に女子に於て甚だしいのである。そこで當然の結果として、十二歳乃至十九歳の自殺者は女に多く男に少いと云ふ事となる。

 然し春情以外に他の原因も夥しい。其中で恐らく最も普通なのは道徳上非衛生的な生活状態であらう。人生の奢侈や刺激に餘り早くから慣れさせるが如き、只徒らに少年少女の神経を疲らせ、精神的に激しく嫌悪を感ずるやうになり、人生の単純な感覚のみしか有たない時代の来る前に、既に飽きる程食ふと云ふ習慣をつけられると云ふに過ぎない。社交、美服、流行、刺激等は、少くとも子供にとつては、不自然であり、彼等の生活にはなるべく之を少くしてやることが絶対に必要である。

フレデリツク・トレーシー著, 根津勉譯, 『青春期心理学』, 1923, 大鐙閣

 

 然るに青春の熱情に燃えて、人生の一切を肯定し、清濁の如何を問はず、満杯を挙げて一呑みに呑みほさんとする意氣と勇氣を持つた青年男女にして、往往、鼠を眞似て「猫入らず」の厄介になり、或は華厳の瀧に赴き、又琵琶湖畔の風流に月影を砕いて白波を散らす。

(中略)

 世には往々責任を回避せんが爲めに自殺するものがある。そは生活の負担に堪へ得ないで自殺するのだ。〔…略…〕近くは某少女の如く、三年間も同棲せる最愛の夫を棄てゝ自殺した。其表面に現はれた理由は、親が其結婚を承認して呉れないからだと云ふのであるけれど、既に自由結婚せるほどの婦人が親の許否位に躊躇すべきではない。〔…略…〕彼女が軽率にも自殺したのは畢竟、自由結婚より来る重大なる家庭的責任を負ふて戦つて往くだけの勇氣が無く、又其自から選んだ夫に對して苦樂を共にしようと云ふ意氣がなかつたからだ。彼女は自由恋愛の夫婦としての愛情を裏切つた卑屈なる弱者だ。

帆足理一郎, 『人間苦と人生の価値』, 1923, 博文館

 

 自殺者に青年が多いことは、否定すべからざる事實である。新聞の三面記事を見ても分る通り『心中』『自殺』の題目の下に報道せられる人物の十中の八九迄は二十代の青年である。そして近頃に至つては這般の傾向が一層顕著となつて来たので、種々の新聞雑誌には、青年自殺の心理或はその外部の事情境遇等に就いて、色んな観察や評論を掲げてゐる。自殺の原因が、失恋、生活難、家庭に於ける新舊の衝突、人生に對する懐疑的煩悶、氣候の影響、不健全なる文學の中毒、神経衰弱症、精神異常等になることは、今更こゝに呶々する迄もないことであるが、『特に青年に於て多くの自殺者を看出すことは、吾人の須らく注意すべき一種の社會的現象である

(中略)

 自分共の観るところでは、今日の青年學生の中には軽重の差異こそあれ、神経衰弱症に罹つてゐるものが甚だ多いやうで、之がために生来意志のそれほど弱くない者でも漸次弱くなつて、些少の刺激に遭つても、容易に顕著なる反応的興奮を惹起するやうになる。そして青年學生の神経衰弱の原因をなすものは、注入教育の過重と試験制度の厳酷とであることは、今更こゝに絮説するまでもない。

(中略)

 世人は厭世自殺を企てた青年學生を以て、意志薄弱の輩とか低能の愚物とか冷評してゐるが、しかし此の如き意志薄弱の青年學生が近年以来甚だしく増加し、厭世自殺者といへばその大部分は青年學生なるが如き有様となつた原因に浙つて、精思一番して見るがいい。自分共は先づ第一に、過重なる詰込教育と、厳酷なる試験との二者を以て、今日の青年を神経衰弱に陥らしめた主要の原因と認めるものである。尚ほその他に不健全なる哲學や文學の悪影響が、さらぬだに意志薄弱なる彼等をして、益々懐疑思想を抱かしめ、徒らに煩悶苦悩せしめる極、自殺者を多く出だすやうになつたのも、固より明白なる事實である。〔…略…〕それ故、このやうな人間に對しては、意志を訓練せしめる外に何の良策もない。

田中香涯, 『現代社会の種々相』, 1924, 日本精神医学会

 

 私の友達が一時自殺しさうな傾向を有して居た時、彼の親族では、彼を保険に入れたらばよからうといふ議があつたさうです。それは自殺しては保険金が取れぬから自殺は思ひ止まるだらうといふ目論見からです。此等は滑稽なほど極端な例ですけれども、世間の青年の心事に對する観方のカリカチュアだと思ひます。

 青年の自殺と哲學書といふことは、離す可からざる様に考へられて居ます。新聞紙では水死の女を美人と呼ぶ套習になぞらへて、自殺青年は必ず哲學書の愛讀者として居る様です。私は生死の問題に迷ふ青年が、その解決を得ようとして哲學書に走ることは極めてあり勝ちのことと思ひます。〔…略…〕生死の問題に悩む青年の自殺する原因が哲學書にあるいふよりも、かかる青年が哲學に求めた救が功無かつたといふ方が適切あらうと思ひます。

(中略)

 然し私は現在の青年學生の自殺の原因を尋ねるならば、入學試験の現状の如きは、その最も主要なものでらうと思ひます。所謂成功の門戸が狭くして、それに洩れた青年が将来の生活に對する希望を損はれ、年少くして已に生活の不安を感ずるといふことが、頗重大な原因であらうと思ひます。

安倍能成, 『思想と文化』, 1924年, 高陽社, pp.277-279

 

 殺人と同じく自殺も、暗示、摸倣によつて行はれる場合が甚だ多い。色々の事情で自殺しようか自殺すまいかと迷つて居るときの如き、新聞などで自殺の記事を讀み、自殺の決心をするものは少なくないであらう。ゲーテが「ヴエルテルの悲哀」を書いて、若い主人公を自殺せしめたゝめ、その小説の発表された頃、ドイツに自殺が流行したことは有名な話である。猫イラズによる自殺が日本で一時流行したことは讀者の記憶に新なる所であらうと思ふ。

 近時年少者の自殺がどこの國でも増加したことは識者の等しく憂ひて居る所である。ストラハンは「五十年前には少年自殺者は比較的少なかつたが、第十九世紀の後半から欧州各國で追々増加して、近時は非常に増えた」と言つて居る。年少者の自殺心裡にはこの暗示摸倣の心理が大に関係して居ることは争はれざる所であつて、教育者はこの點に餘程注意を拂はねばならぬ。

小酒井不木, 『近代犯罪研究』, 1925, 春陽堂, pp.231-232

 

 大正十四年一月二十九日の夜千葉縣東葛飾郡船橋町字五日市地先で京成電車が進行中に幼い兄弟が線路に飛込んで無惨な自殺を遂げた新聞記事を見て私は先づアゝ可愛相に!と直感し、同時に其れはドンナ小供であろうか、亦ドンナ理由に依てゞあろうか、と考へた。

(中略)

 私は此記事を讀で先づ泣かされた、十三才や七才の小供をして、コンナ悲惨な最後を遂げさせる現代の日本を、世界の列強だと誇て居る我等同胞の愚かさよ、二人の少年は決して低能兒ではない、亦精神病者でもない、〔…略…〕現今の社會は學校の増設を渇望して居る、軍費の充實を強要して居る、勿論夫等は大切なことだ、けれ共友愛を基調とせる社會的施設の更に顧みられないとは私の返へす/゛\も憤慨に堪へざる所であります、而して智的教育の発展に焦慮せる現代の社會は……友愛を基礎とせる教育を忘却して、我も人も唯利己主義に傾いて、孫をも甥をも愛することを忘るゝに至らしめ現代社會は、さながら氷の如く砂の如く石の如くに成果てたことを悲しまざるを得ない、〔…略…〕之こそ實に現代の社會が友愛の熱情を有せざることを有辮に立証せるものであつて、我々は共/゛\に其責任を感せなければならないのであります、而して此の如き祖父と叔母を出せることに對しても現代社會の欠陥として我等が其責を負はねばならないのであります。

小笠原誉至夫, 『私の宗教』, 1925, 良友協会, pp.48-53

 

 フエリツクス・バウマンは、「日本は近来、急速の進歩をなした國家で、精神發育の水平線以下にある日本人は、到底その文化に平行する能力がないので、自殺する。日本に「華厳病」が流行して自殺者が頻出するのはこれがためである。」と、日本の自殺の高率である所以を、解釋して居るのである。バウマンは、日本人傳統の自殺観を無視して居るので、到底議論する程の価値はないが、民族によつて、自殺率の相異するとの統計的事實はある。勿論モンテスキユーが、「霧多き英吉利は、自殺の本場である。」と云ふたのは無實であり、決して英國人は、自殺の代表者ではない。

(中略)

 猶太教の法典に、安息日にコツプを破壊したのを後悔し、自殺した少年の記録がある以上、少年自殺は決して近来の出来事ではないが、十四歳未満の少年自殺は、十代の社会問題の一つである。〔…略…〕嘗つて、ゲーテの「ウエルテルの悲しみ」が出版せられた當時、「ウエルテル熱の流行」と云はれた程、青年の自殺が流行したが、少年自殺が、一旦新聞紙等に発表せられ、世人の視聴と同情とが集注せらるゝと、とかく、少年の心理の特質である、摸倣性に基いた自殺が流行するは、無理からぬことであるが、入学試験等の制度があつて、極度に少年の虚栄心を煽ふるのは、その半面に、失望落胆の深淵を設くると、同理であり、その失敗者には、境遇の大變化を惹起する機會となつて、少年自殺を増加する一因であるは、無論と云ふべきである。しかし少年自殺も、決して教育制度の缺陥にのみ原因するものでない、少年の素質と環境が、何處までも意味あるもので、近代文明の副産物である自殺を、到底教育に全責を帰する譯には、行かぬのである。

金子準二, 『現代犯罪の精神病学的研究』, 1926, 白揚社

 

 人間は一體何の爲に生まれて来たのか。我々はこうして毎日、何の爲に生きて居るのか。こんな苦しい、こんな情ない、こんな馬鹿々々しい目に、我々はいつまで會はされて居なければならないのか。我々はどうかすると、ツイそんな考へを起す場合がある。昔風の哲學めいた考へ方をするブルジョア青年、半ブルジョア青年などは、兎かくそんな場合、謂ゆる悲観厭世に落入りやすい。人生は不可解なり、吾人は宜しく此の生を否定すべし、あゝ死は美なる哉などと云つて、何だかこう大變に崇高らしい、神秘的な氣持で自殺したりする連中もある。嘗てそんな事が少々流行氣味を呈した時代もあつた。

 然し近来でもそれに似たのが無いではない。一かど分別らしい、まじめくさつた顔をしながら、自分のブツつかつた苦しさを紛らす爲に、歓喜だの、満足だの、極致だの、法悦だのと云つて、むざゝと死んでいく、云はゞ道樂自殺の立派な人達が折々ある。そんな半病人や半きちがひは、もちろん可哀そうでもあり、気の毒でもあるに相違ないが、手のつけ様もないから先づ放つて置くより外はない。

堺利彦, 『貧富戦と男女戦』, 1930, 中央公論社, pp.3-4

 

 此の自我感情の亢進は強ち神経變質者ならずとも、順境に生育して今迄少しも艱難を知らなかつた所謂驕兒の如き、又は生来性に又は環境の生育(武士道等)によつて名誉尊重の念慮の強盛なる者等には往々起ることがある。だから初めから失ふべき地位も財産も有しない下級無産階級者又は何等さういふ情操の發達しない低能者などに於ては、自殺の現象は極めて少いのが事實である。而して病的に自我感情の亢進を呈するものはヒステリイ性異常性格者にあることであつて、之に在つては甚だ屡々虚栄心、虚飾心乃至地位財産に對する驕慢的の執着心が強く、従つて些細の蹉跌によつてよく自殺企図をなすに至る例が多いのである。

(中略)

 たゞし茲に注意しなければならぬのは少年者の自殺である。統計では少年者自身の發意による自殺も、年長者の示唆によつて之と相共に死に赴いた又は赴かしめられた者も一様に自殺の中に數へられてゐるから、その實相は十分に分らないものが多いのであるが、少年期には本能的非自覚的に生長欲求、生存欲求が甚だ旺盛なものであるから、死の観念は自然的には殆ど發しないものと看做されて居り、その上に尚少年には必ず経済的又は扶育的に保護者を有し居り、孤兒などに對しても国家的保護機関がある筈で、その他の少年保護事業も各國共年々増設されて行きつゝある程である。然るにも拘らず、少年自殺者數は欧州に於ては近時著しく逓年増加の傾向を示してゐる。我國ではまだ左程でもなく左の如く年々百名内外に過ぎないで、しかも著しい逓年増加の傾向は示してゐないが、しかし何れにせよ少年自殺はその殆んど全部を内因的神経變質の現象と見ざるを得ない。

 實際に臨床上に少年自殺者中の著しいものに就いてその自殺原因の眞相を調査して見ると眞に希死の衝動から出るよりも寧ろ摸倣によるもの家族にあてつけに死んで見せるもの等が多く、要するにヒステリイ性又は其他の異常性格を有せる神経變質者が一時的感動又は強勢なる他人の示唆に應して行ふものであうて、其直接誘因の性質や程度の比しては、いつも不適應なる反應行為なることが認められるのである。されば独逸國統計などでは此の少年自殺者の年々増加する傾向の著しい事實を以て國民の精神的並に神経的變質の進み行くことの確徴と認めて甚だしく學者の心を寒からしめてゐる。

杉田直樹, 『医学と現代生活』, 1930, 春秋社, pp.137-145

 

 最近、半歳ばかりの間に、三原山の投身自殺者は、既遂未遂を合して、幾百を以て數へられ、今なほ、依然として減少の傾向を示さず、しかも、その多くが、生命力の最も旺盛なるべき青年である、と云はれてゐる。

 投身者が青年である、といふ場合、その原因として、たゞちに想像されるのは恋愛葛藤であるが、統計の示すところによると、恋愛事件による投身者は、僅に総數の一割にも達してゐないやうである。或人は、その主原因を、新刺激を求めてやまない現代人の、猟奇的興味に帰しようとしてゐるが、単にそれだけで、あれほど多くの人々が自殺を企てやう、とは思はれない。やはりその大多數は、統計の示す如く、生活苦に伴ふ生への執着の喪失に、その主なる原因を有してゐる、と見るべきであらう。

(中略)

 この程度の窮迫で、多數の青年自殺者が出ると云ふことは、何としても、我國青年全體の無氣力を物語るもので、青年団としても、黙してやむことの出来ない風潮である。この風潮を匡すの道は、いふまでもなく、青年諸子が、各々自己の生命の価値を認識し、使命に見覚め、自ら深くその心を養ふと共に、それぞれの職業技術を錬成するにある。

下村虎六郎, 『教育的反省』, 1936, 泰文館, pp.224-226

 

 本子さんの自殺の原因を一言で盡せば、家庭教育の缺陥であると云ふことが出来ると思ふ。然しお父さんが惡かつたとか、お母さんに責任があつたとか云ふやうな問題は暫く擱いて、兎も角もお父さんが家庭に不在勝ちであつたことが、その主因であつたと思はれる。家庭は申すまでもなく父と母とがあつて始めて成立するものであつて、家庭教育には父と母が絶對必要条件である。従来家庭教育と云へば直ぐに母を聯想し、母さへ居れば家庭教育は出来るもののやうに考へ、父の立場を忘却したかの如くに見えたが、これは確かに片手落ちであつた。

(中略)

 一般にかゝる家庭の子女は男女に拘はらず、空想的となり、著しく自信を缺き、屡々厭世家となり、勇氣の乏しい、臆病な子供となるものである。斯かる子供はよく云へば温厚な子供と言ふ事が出来るが、他面から見れば氣力の缺けた意志薄弱な子供と言って差支はない。

 斯かる見地から本子さんの場合を見ると思ひ當る事が多々あるやうである。色々の話を総合して見ると本子さんの性格は非常に遠慮勝ちであつて、少しも意志の強さがなかつたやうである。或る人々が言つたやうに本子さんにこの強さが少しでもあつたなら、お母さんの惡い處は意見もし、お父さんの改む可き點は改めて頂くやうに忠言も出来たであらうが、本子さんにはそんな氣力は持ち合せて居らなかつた。本子さんはそれ所か、遺書も書かずに淋しく死んで行つたのである。然し考へて見ればこの意志の弱さも本子さん一人の罪ではなく、家庭教育の缺陥に帰する事が出来るのである。

今村正一, 『最新家庭教育 : 精神衛生より観たる』, 1934, 三省堂

 

 古より樂天主義の本場なる我が國土には、「死んで花實が咲くものか」「命あつての物種」などゞといふ諺をさへ生じたものである、然るに近来は之と反對に、世間一般が生を軽んじ、命を大切にせず、兎角死を樂むやうな傾向を生じて来た、而して春秋に富める青年すらが、同じく此の渦中に捲き込まれて、貴重なる生命を損し、甚だしきは、自分一人死ぬのを者足らずとして、三途の川の道伴を誘ひ、共に手を携へて之を渉らうとする、世に所謂心中なる者が流行するのである、何と情けない現象ではないか。

(中略)

 所で世上一般の自殺は、此の如く大に同情すべしとして、さて同情すべからざるは青年男女の心中沙汰や自殺である。思ふに青少年特に學生などの、入學試験に落第して、大に世を悲観し、敢なくも轢死したり水死したりするのは、一片同情すべき點もあるが、然し何も學校に入るのみが出世の登龍門ではない、学問が出来ぬとか才能が足らぬと自覚したならば、サツサと其の目的を放棄して己が出来得るだけの技倆を以て、適當の地位を認め、労働でも出稼でも、何でも、手ツ取り早く転換すればよい、人間到る處に青山あり、又棄てる神あれば拾ふ神もある、何を苦んで自殺するに及ばう。若夫れ其の自殺するだけの勇氣があるなれば、それを転用して活世界に立ちて、死力奮闘するなれば、必ずや何時しか幸運は芽生へて来るのである。それまで辛抱するといふ忍耐力がなくては、青年たるの価値はない〔…略…〕こゞが現代青少年の大に反省すべき點であらうと思ふ、〔…略…〕先づ何よりも第一に、青少年の意氣精神より改造せしめるのが、實に目下の急務なりと知らねばならぬ。

青年修養社編, 『日本精神と修養 : 日本精神作興』, 1935, 宏元社書店

 

 また我國の切腹は武士道の一つに數へられて、君への申譯とか、世に對して罪を謝するとか、その身の恥辱を雪ぐとか、或は他を激励するためとか、或は一死他生の大観念に生ずるとか、必ず何等かの道徳分子を含みし最後の手段で、たゞ単に自己の悲境を免るゝが如き外國の自殺とは、よほど異なる點がある。

 ところが今日の我國の自殺も段々その価値の下落せる結果、薄志弱行の極度を現はした苦しまぎれの狼狽へものと、再起奮闘の新生涯に出直すべき勇氣のない臆病ものと、過まれる哲理の間違ひから大詩人めいて人生の不可解を抱いた學問の中毒者と、流行性を帯びた近代的の自殺病に罹りし自殺患者が多い。おまけに未遂の死損ひが自殺を遂げたものゝ三倍以上。うろ/\生き残るに至りては、いよ/\始末が悪い。

 自殺の方法もまた猫イラズ、カルモチン、青酸加里、瓦斯、高い屋上からの飛び降り、火山口への飛び込み等々で、刃物、ピストル、鉄道往生、首吊り、水死の類は、ありふれた過去の古い手段として、自殺にも新らし屋の多い今日、もし世人の意表に出るやうな自殺法を發明するものあれば、忽ち謳歌し傳播し争ふて頻々その真似をするに相違ない。

 或人の曰く、生存すべき社會に奮闘すべき勇氣なくして現世を遁げ出すやうな弱虫ども、どうせ生きて居ても何の役に立たない。無理に引止めると却つて世間の迷惑になるところを幸ひの自然淘汰、どし/゛\厄介拂ひに自殺せしむべしと。聊か酷なれど、たしかに一面の眞理はある。

村上浪六, 『毒か薬か』, 1940, モナ

 

 参考

 北アメリカ原住民の間では、年端もいかぬ幼い女の子が、母親からごくささいな叱責を受けたという理由で、みずから溺死することがまれではなく、何の激情も示さぬまま、"あなたはもう二度と娘をもってはならない"と言い残すだけで遂行される。

アダム・スミス道徳感情論』

夢野久作が記者時代に著した『街頭から見た新東京の裏面』にもこれと同様の記述がある。

 こうしたバラックの安ッポイ強烈な神経にあおられ、交通機関の物凄い雑踏に押しもまれた東京人の神経が、如何にデリケートなセンチメンタルさにまで高潮されているかは、想像に難くないであろう。警察で自由恋愛論をやる女学生……今の夫を嫌って前の夫の名を呼びながら往来を走る女……それを間男と間違えて追っかける男……世を厭うて穴の中に住む男……母親にたった一度叱られただけで自殺した女生徒……五円の金を返せないので自殺した妻……逃げた犬を探して公園のベンチに寝る男……なぞいう、狂人に近いあわれな人間の事がこの頃の新聞に多く見受けるようになったのは、そうした東京人の心理状態を強く裏書しているのではあるまいか。

▲備考 この傾向は紐育のような大都会になると一層烈しいので、同市の自殺原因の統計の中には、朝牛乳瓶が割れたためとか、ヘアピンをなくしたためとか、又は学校に遅刻したためとかいうような物凄いのが驚くべき多数に上っている。

追記

最近のおっさんは若者論を知らないから困る。「怒られた経験の無い若者」はこの半世紀鉄板の若者論でありいくらでも引用することができる。できるのだが今はPCが押収されたままなのでGoogle Booksのスニペット表示を利用していくつか紹介する。いずれも今の40代を対象とした論説である。

 

◆説教に感動されてしもうた

権利の主張はするけれど、義務や責任はついては忘れている。これはまことに困ったことです。ある朝、大学に着くと、守衛室の屋根の上で写真を撮っている男がいました。〔…略…〕大人の悪いとこばっかりを見習うとるんですよ。「自然なのがいい」とか言うて、それはかまわないけど、撮る前に一言、「よろしいですか」と断ることができない。こういう基本的なことが、無茶苦茶になっているんです。〔…略…〕講義に遅れそうになりながら、説教しました。彼はといえば、感動しているんです。おそらく、親に怒られたこともないんでしょう。その後で、「集合写真を一時の撮りますから、来てください」と頼まれたんですけど、「そんなもん行けるかボケ、その時間は忙しいわ」と言ったらすっかりシュンとして、そのへんは、かわいいのです。

桂文珍, 『日本の大学』, 1992, 桂文珍

 

今、現場の上司は、自分たちの部下を叱れない状況になっています。「明日から来なくていい」と言ったら、部下は本当に来なくなってしまうからです。最近の若者たちは、会社に入るまで、親にも先生にも叱られたことがない環境で育っています。彼らは誰かに意見されたり、忠告されたり、叱られたり、厳しいことを言われたりした経験がないのです。そういう経験がないのは本人のせいではなく、叱ることをしなかった側の問題ですから、彼らが育った環境の悲劇です。だから少し叱ると、すぐひねくれてしまったり萎縮したりしてしまう。一歩間違うと、突然ポーンと辞めてしまう。

中谷彰宏, 『一生この上司についていく』, 1998, PHP研究所

 

 

わがまま言って親の言うことを聞かない子どもと同じです。だいたい今の若い社員は、学生の時、学校の先生は自分たちと平等だと馬鹿にしてきたし、先生に刃向かうことが格好のいいことぐらいに思ってきました。研修に来ると、講師が学校の先生と同じに見える。研修に来た社員たちが抵抗するのは、最初の2泊3日の研修。強制的に号令をかけて、「起立、気をつけ、礼」とやると、それだけで抵抗を感じてしまうわけです。最近の学校では、こうしたことはやらないし、やったとしても生徒が立つか立たないかは自由になっているからです。そのうえ、講師の言うことには素直に従うことを要求されるわけですが、これにも抵抗を感じます。嫌々来て、講師からちょっと注意されるとむくれる。それで講師が「やる気あるのか、もう帰れ」と言うと、本当に帰ってしまうのです。「帰れと言われたから帰る」という発想の仕方です。

新潮社, 『新潮45』, 2002

 「怒られた経験の無い若者」言説の典型的3パターンを示した。この言説は主に「怒られたことが無い」という共通の原因から「萎縮する」「反発する」「感動する」という全く相異なる結論を導き出す。いかなる結果に対しても応用できるということは、つまりは全く無意味な論説ということである。

 

*1:1906年に服毒自殺した松岡千代のこと。以下は読売新聞データベースによる関連記事見出し一覧。

女の藤村操 私立山陽高等女学校2年生・松岡千代 26日、寄宿舎で自殺/岡山 1906.01.29
女の藤村操・松岡千代、16歳の絶筆「悩める少女」 1906.01.31
自殺生徒を出した山陽女学校、哲学書禁制を打ち出す/岡山県 1906.02.05
岡山女学校の恐慌 厭世少女の服毒自殺で生徒の神経衰弱症に注意 1906.02.06

久しぶり

1月10日(110番の日)にうっかり逮捕されてしまい、今までブログを更新することができなかった。これからは週1ペースで更新していこうと思う。折を見て逮捕時の話や留置場での生活のことでも書こうと思う。

若者のPC離れについて① PC世代である若者世代とPC離れが進む子供世代

若者のPC離れ

以下の表は『通信利用動向調査』において、「インターネットの利用機器」としてパソコンを選択した者の割合である(全体・複数回答可・無回答含む)。パソコン利用率はスマホが登場するまでは右肩上がりであり、かつ、スマホが爆発的に普及したのは2013年である。したがって、少なくとも2013年に大学を卒業した世代はそれ以前のどの世代よりもPC利用経験が豊富だと考えられる。学年としては1990/4/2~1991/4/1生まれの世代であり、この世代は現在28~29歳である(2020/1/10現在)。

 

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また、『青少年のインターネット利用環境実態調査』によれば、2009~2013年度の高校生のPC利用率は8~9割、その内の9割以上が高校入学より前にPC利用を開始しているため、2013年時点で高校を卒業した世代も十分にパソコンに慣れ親しんでいると考えられる。少なくとも、高校卒業時点でそれ以前の(ほぼ)全ての世代よりもPC利用経験が豊富なのは確かである。学年としては1994/4/2~1995/4/1生まれの世代であり、この世代は現在24~25歳である。 

子どものPC離れ

舞田先生は良く分からない主張をされることも多いが、これについてはコメントの方が頓珍漢であると思う。PISAの質問紙調査の結果は以下のページで公開されており、調べたい年度をクリックした後、compendiaのquestionnaireをダウンロードすれば各国の結果が確認できる。10分とかからないはずであり、この程度のことも調べられない人がPCスキルやITリテラシーについて語っているのは何とも不思議である。

Data - PISA

 

・なぜノートPC限定なのか

舞田先生がなぜノートPCの数字しか示していないのか私にも分からないが、PISA調査では当然ながらデスクトップPCの方も調べている。PISA2009の利用率は46%、PISA2018の利用率は37%であり、ノートPCの傾向と殆ど変わらない*1。ちなみに、ノートPCの利用率が最も高かったのはPISA2012であり52%となっている。

 

 ・金が無いから

これは本当に話にならない。先生も悲しんでおられる。元の設問では利用可能機器と実際の利用率を同時に尋ねており、「次のもののうち、自宅であなたが利用できる機器はありますか」という問いに対し、「はい、使っています」「はい、でも使っていません」「いいえ」の三択から選ぶことになっている。日本の利用率が低いのは先生も指摘する通りだが、それよりも際立っているのが「はい、でも使っていません」の割合の高さである。日本の値は33%となっているが、これは2位アイルランドの20%を大きく引き離している。当然ながらその他全ての国・地域は10%台以下の数値である。

 

 ・大人のリテラシーも低い

間違ってはいない。同じOECDによるPIAACでは、16~65歳の各年代いずれにおいても、ICT利用状況は全参加国中最低の水準となっている。また、総務省が平成9年に日米を対象に実施した情報リテラシー調査*2では、各年代で米国優位となっているが、なかんずく10代における日米格差が最も大きくなっている。日本の10代の情報リテラシーの低さは過去四半世紀を通じて一貫したものだろう。

 

スマホのせい

今の10代のスマートフォン所有率は他国と比較しても突出して高いわけではない。インターネットの利用時間は世界最低水準であり、娯楽や実用を目的としたデジタル機器(携帯含む)の利用実態は他国とさして変わらない。

 

・ゲームやチャットの利用率が世界一

ゲーム目的の利用率が高いのは事実だが、尋ねているのはあくまでもデジタル機器(携帯電話含む)の利用率であり、一人用ゲームの利用率が高い一方で多人数オンラインゲームの利用率は平均程度である。デジタル機器にはゲーム機も含まれるので、常識的に考えれば家庭用ゲーム機で遊んでいるのだと思われる。

また、チャットに関しては日本語の質問紙では例としてLINEが挙げられているため、割合が高くなるのは必然である。当たり前だが、代わりにEメールの利用率が突出して低く、日本の「まったくか、ほとんどない」の割合は61%、他国では40%に達したものさえない。

なぜ子どものPC利用率が低下したのか 

学校教育が原因である(多分)。PISA2018ではIC010Q01からIC010Q12の12の設問で学校の勉強に関連したデジタル機器の利用率を尋ねているが、いずれの設問においても日本の利用率は突出して低い。中でも、IC010Q10, IC010Q12では携帯電話・モバイル機器に限定した設問を置いているのでその結果を簡単に示す。

IC010:あなたは、次のことをするために学校以外の場所でデジタル機器をどのくらい利用していますか(携帯電話での利用も含む)。

【IC010Q10:携帯電話やモバイル機器を使って宿題をする】

「まったくか、ほとんどない」のOECD平均は34%であるのに対し、日本は堂々の72%である。2位アイルランドの53%を20ポイント近くも引き離し独走状態となっている。

【IC010Q12:携帯電話やモバイル機器を使って学習ソフトや学習サイトを利用する】

 上の設問と全く変わらない。日本の「まったくか、ほとんどない」の割合は73%であり、2位ベルギーの53%をぶっちぎっての1位である。

当然だが「携帯電やモバイル機器」の部分を「コンピュータ」に変えた設問(IC010Q09, IC010Q11)でも同様の結果となっている。つまり、(直接的にも間接的にも学校教育を原因として)日本の学生はスマホやPCに限らずICT機器全般の利用率が国際的に低いのであり、ICT機器の利用レベルが低いために、携帯電話によって容易にPCが代替されてしまうのである。

いつだったか「スマホで卒論を書く大学生」という風説が流布したが、あれがPC離れを象徴するエピソードとして語られてしまうこと自体が日本のICT教育の現状を端的に示している。スマホで学業をこなせるほど日本の学生がICT機器に馴染んでいればPC離れなど心配する必要は無いのである。

補足

上にも書いた通り、PISAの質問紙調査の結果はわざわざ自分で集計せずともOECDのホームページでExcelファイルが提供されている。しかし、(compendiaに)公開されているデータと舞田が示しているデータには若干の誤差がある。その理由の一つは舞田が無回答を除く利用率を出しているからであり、もう一つは舞田が適切なサンプルウェイトを利用していないからである。

PISA調査を分析する際のウェイトの重要性については以下の資料を紹介するに留める。

ともあれ、PISAのデータを分析するならばサンプルウェイトの利用は必須であり、仮にも教育社会学者を名乗る人物がその基本すら押さえていないことには失望せざるを得ない。私が確認した限り、舞田は生徒の回答データをそのまま単純集計している。SPSSSASなどの統計解析ソフトウェアならばウェイトの処理は簡単であるし、Rで分析するとしてもintsvyなどの定番パッケージを使えば意識せずともウェイティングされるというのに、一体舞田はこれまでどうやってPISAのデータを分析してきたのか。

続き

*1:後述するが舞田が提示したデータは不正確である。正確なPC利用率(無回答含む・ウェイト調整済み)はPISA2009:44%, PISA2018:35%となっている。

*2:

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/policyreports/japanese/papers/98wp1-3-1.html

若年層の支出行動はどのように変化したのか 俗説と統計の乖離

そこに一番来てほしい若手社員が来ないことが内内で問題になっていたところが、SNSの中では来ないほうの社員の側が「忘年会スルー」という共通の言葉で共感しはじめていることが判明したわけです。彼らは少数派ではなく多数派になりつつあったのです。

若年社員が仕事とプライベートのどちらを優先するのかという問いについては以下のアンケート調査が参考になる。調査目標に「結果を『新人類』といったような固定的な枠をはめ分析するようなことをせずに」とあるように、現代の新入社員は「新人類」であるという固定観念に影響された設問が並んでいる。

その中には、「友人との先約と職場の飲み会のどちらを優先するか」という設問も含まれているが、結果は「職場の飲み会に出る」が45.4%(688名)、「友人とのコンパに出る」が51.6%(781名)となっており、プライベート優先派が多数派になりつつある状況が窺える。

また、経年比較には数理統計研究所の『日本人の国民性調査』が参考になる。同調査の「#5.6* 上役とのつき合い」という設問では、98年調査以降20代の「なくてもよい」とする回答が大きく減少しており、2013年調査時点では「あった方がよい」と「なくてもよい」の比率は1973年調査とほぼ同等の値となっている。ちなみに、土井隆義によれば、この結果は「ぼっち」を嫌うゆとり世代の性向を示したものだという*1

それで何人かに具体的に話を聞いてみると、これは当然サンプルとして偏りがある話ではあるのですが、共通点としてはモノにはほとんどお金をかけない。一方でスマホにはアプリやアクセサリーを含めてたくさんお金を使う。映画を見たり飲食店にもよくでかけるしタクシーにも乗る……というようなことが見えてきました。

外食費とタクシー代については全国消費実態調査でも該当品目があるが、いずれも減少している。特に若年層の食費の減少については消費者白書でも取り上げられているのだが、それすら参照していないとは驚きである。以下に30歳未満の単身世帯の支出推移を示す。

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*1:信念を否定する事実が示されてもなお信念が持続する現象については既に膨大な研究の蓄積がある。Chinn, C. A., & Brewer, W. F. (1993)によれば、反証例を提示された時に人が示す反応は①無視②却下③例外④留保⑤解釈⑥修正⑦変更のいずれかであり、中核的な信念が変更されることは稀であるという。

正体不明の「ゆとり教育」 / 「ゆとり教育の失敗」はどうつくられたのか

ゆとり教育」という言葉の意味は一意ではない。私が確認した限り、初めてこの言葉が紙面に登場したのは70年代後半であり、この時は77年改訂学習指導要領のことを意味していた*1。したがって、最も広義にゆとり教育を解する場合、80年代以降がゆとり教育の時代となる。ただし、一般的には2002年に実施された98年改訂指導要領がゆとり教育とされており、中には「新しい学力観」や「個性重視の原則」が打ち出された89年改訂指導要領をゆとり教育とする向きもある。文科省は公式にはこの言葉を使っていないため、その正確な定義を決定することはできない。

論者によって意味が異なる用語を使えば議論が混乱するのは必然である。特に、2000年代以降に実施された「ゆとり教育の影響」を測定する教育調査においては、正にこの言葉を原因として解釈の混乱が生じている。具体的には、調査の良好な結果を「(90年代)ゆとりからの脱却が要因」と調査者達が説明することで、それが「(2000年代)ゆとり教育の失敗の証拠」と捉えられてしまう可能性がある、或いは現にそうなっているということである。以下にその具体例を示す。

ゆとり教育に対する実証調査

ゆとり教育の失敗はあらゆる調査によって証拠立てられている」

こうした俗説とは異なり、実際にはゆとり教育の影響を測定できる経年比較調査はそれほど多くは無い。60年代に全国学力テストが廃止されて以来、日本では大規模な全国学力調査や学習実態調査が殆ど実施されなかったからである*2管見の限り、ゆとり教育の前後に実施され、またその結果が比較可能となっている大規模教育調査は以下の四つである。特に①、②、④については、調査の目的として「ゆとり教育による変化」を捉えることが明確にされている。

①ベネッセによる『学習基本調査』『学習指導基本調査』
苅谷剛彦・志水宏吉による大阪を対象とした学力調査(2001・2013)
OECD・IEAによる国際学力調査(PISA・TIMSS)
文科省による『教育課程実施状況調査』
 

同時期に、同一の対象に実施されたこれら四つの調査の結果はそれなりに一貫している。すなわち、①、②、④の調査では、いずれもゆとり教育実施後に学習時間の増加や学力の向上傾向が確認されており、また、PISA調査では2006年調査以降、ゆとり教育を受ける年数と得点の変化が一致している。これは私が無理な読解をした結果ではなく、いずれの調査においてもその改善傾向を調査者自らが認めている。中でも①、②の調査はその結果と解釈が驚く程似通っており、この二つの調査をここでは重点的に説明する。

 ①ベネッセによる『学習基本調査』『学習指導基本調査』

『学習基本調査』はベネッセ教育研究所が1990年より実施している調査であり、主に児童・生徒の家庭学習の実態を調査することを目的としている。また、『学習指導基本調査』も同じくベネッセ教育研究所による調査であり、小学校・中学校における学習指導の実態、教員の意識を調査することを目的として1997年より実施されている。いずれの調査も、経年比較を可能にするため質問紙には同一のものが使われている。

 調査の結果についてはネット上でも報告書が公開されているため詳細は述べない。簡単に示せば、ゆとり教育実施後の調査(2006・2007年調査)では学習時間の増加、学習習慣の定着、学習態度の改善等が確認され、また、教員の教育観が個性尊重から画一性重視へ、自主性尊重から強制重視へ移行したことが明らかとなった*3

※一応グラフを追加しておきます。詳細はこちらをご参照ください。

この結果を目にした調査者達の衝撃は察するに余りある。学習基本調査報告書の冒頭にある「結果は、エキサイティングである」との言葉は本音であろう。明らかに調査者達はこの結果を予測していなかった。それでは、彼らはこの結果をどのように解釈したのか。

「ゆとり」から「脱ゆとり」への変化と解釈した。この点、第4回学習指導基本調査、第4回学習基本調査のいずれの報告書にも共通した認識となっているが、最前述べた通り一般には2000年代の教育が「ゆとり教育」とされているため、何を言っているのか良く分からない人も多いかもしれない。そこで、報告書の中から具体的に該当する箇所をいくつか引用してみる。まずは、第4回学習基本調査報告書(中学生版)における西島央の序言である。

分析結果の概観に入る前に、第3回調査が行われた2001年以降の中学校教育をめぐる動きを簡単に確認しておこう。

この間の中学校教育に何より大きな変化をもたらしたのは、2002年度から完全実施された学習指導要領の改訂である。完全学校週5日制、学習内容の精選、「総合的な学習の時間」の導入、選択教科等にあてる授業時数の拡大など、ゆとり路線と、一人ひとりの個性にあった教育という新自由主義的な発想に従って、それまでの中学校教育のしくみを大きく変える内容となっていた。

ところが、1998年に告示された学習指導要領の移行措置が進む過程で、新しい学習指導要領に基づく教育では子どもたちの学力低下を招くのではないかとの批判が起こった。そこで文部科学省は、学習指導要領の完全実施の直前に『学びのすすめ』を発表して、「確かな学力」の向上を目指す姿勢を打ち出した。学習指導要領の示す内容をより深める「発展的な学習」を扱うことが認められたり、基礎・基本の確実な定着を目指す指導や学ぶ習慣を身につけるような指導機会の充実が求められたりするようになった。

(中略)

つまり、第3回調査が行われた2001年は、ゆとり路線が一番進んだ状態にあり、2002年度からは、しくみはゆとり路線をベースにしながらも、実態は、確かな学力の向上とそのもとでの学校の多様化へとシフトしてきているととらえることができよう。

 
西島によれば、2002年に実施された「ゆとり教育」は始まった瞬間にその終わりを迎えたらしい。そこまでは言わずとも、2002年を「確かな学力向上路線」の端緒と捉えていたことは確かである。また、この引用の前段では中学生の学習態度の改善、学習量の増大を指して「この2つの特徴からは『ゆとりから脱ゆとりへ』という流れを読み取ることができよう」としており、確かな学力向上路線=脱ゆとりという認識であることが分かる。

 それではここで言う「ゆとり路線」とはいつから始まったものなのか、西島の説明からは判然としないが、第4回学習基本調査報告書(小学生版)では、この点について樋田大二郎がより詳細な説明をしている。

1. 「確かな学力」は浸透したか

今日の学校教育に強く影響している学力観は大きく3つある。まず、1970年代の詰め込み主義が落ちこぼれ・少年非行・校内暴力などの教育問題・社会問題を招いたことへの反省から生まれたのが「新しい学力観」(1987年)である。関心・意欲・態度の強調と自ら学ぶ意欲と社会変化に主体的に対応できる能力の強調が特徴である。この「新しい学力観」をさらに展開したものが「生きる力」(1996年)である。心の教育や身体の教育にまで踏み込んだのが特徴である。

これらの学力観は文科省が教育課程審議会や中央教育審議会で提案してきたものであり、まとめて「ゆとり路線」と呼ばれることもある。しかし、文科省の「ゆとり路線」は、大きな障害に出合う。子どもの自主性の過度な尊重による教育指導の後退、および学力低下への懸念である。

文科省はマスコミをあげての教師批判と学力低下批判の高まりのなかで、「ゆとり路線」を守るために「確かな学力」の学力観を提案した。この「確かな学力」は『学びのすすめ』(2002年)の中で提案され、今、日本の学校教育を方向づけているのはまさにこの学力観である。

(中略)
以上、学習基本調査小学生版は、小学生の学習行動と学習意識が大きく向上したことを明らかにしている。まず、学習行動と意識の面で「確かな学力」が目標としたような状況が出現しつつある。『学びのすすめ』の効果があった可能性を強く示唆している結果といえよう。 

樋田の認識によれば、1987年の「新しい学力観」以降の学力観が「ゆとり路線」であったということになる*4。また、樋田もやはり『学びのすすめ』をゆとり路線転換の契機としている。なお、「新しい学力観」に基づき学習指導要領が改訂されたのは89年、実施されたのは92年以降であり、「生きる力」に基づき学習指導要領が改訂されたのは98年、実施されたのは2002年以降である。

最後に、調査全体の代表者である耳塚寛明の言も引いておく。耳塚はいずれの報告書の序言においても、また記者会見の質疑応答の場でも、第4回調査の結果を「脱ゆとりの成果」と明言している。

それから十数年。それまで不易と考えられてきた日本の教育システムは、音を立てて動きました。未曾有の変動を教育界は経験したといってよいかもしれません。識者の中には、1990年代の教育界を日本経済になぞらえて、「失われた教育の10年」と呼ぶ人もいます。

(中略)

新学習指導要領は2002年に小・中学校で、翌年から高校で実施されました。同時に完全学校週5日制もはじまります。しかし、その導入の前からすでに新学習指導要領への批判が高まっていました。高等教育関係者からわき上がった学力低下への懸念の声は、メディアや世論をも席巻する勢いでした。文部科学省(以下、文科省)は2002年に『学びのすすめ』を公表して、ゆとりから脱ゆとりへと、舵を切り始めました。文科省自身は当初躍起になって否定をしていましたが、確かな学力への路線転換がどれだけ現場を動かすものであったのかは、読者の皆様がご存じのとおりです。

 以上がベネッセ調査における公式の見解である。一般には「ゆとり教育」が始まったと信じられている2002年こそが、その実「脱ゆとり」へと転換した年であるというのはいずれの報告書にも通底した認識となっている。私自身はこうした認識を肯うわけではない、というかはっきり言って随分とご都合的な解釈だと思うが、全くの不合理であるというほどでもない。問題なのは、この調査者達の見解が正しく伝わらなかったことである。或いはそもそも伝える気が無いということである。

 たとえば、2015年に実施された第5回ベネッセ学習基本調査の結果はNHKニュース7」でも取り上げられていたが、その(第4回調査に引き続き)良好な結果の要因を問われた耳塚は次のように答えていた。

ゆとり教育からの脱却がストレートに学習行動の変化へと反映したと考えている」

 恐らくこの言葉の意味を正確に理解できた人間は絶無に近かったろうと思う。念のため再説しておくと、耳塚たちによれば90年代(89年改訂)が「ゆとり路線」の時代であり、それが2000年代(98年改訂)の「ゆとり路線をベースとした確かな学力向上路線」を経て、2010年代(08年改訂)の完全な「脱ゆとり路線」に結実したという流れである。

 したがって、耳塚の説明は間違っているわけではない。少なくとも一貫性はある。ただし、それは耳塚にとっての話である。多くの視聴者はこの説明を聞いて「ああ、最近脱ゆとりが始まったし、(2000年代の)ゆとり教育はやっぱり失敗だったんだな」以上の感想は抱かなかったと思われる。

また、耳塚は他の媒体においても第5回調査の結果を解説しているが、第4回調査の報告書であれほど強調されていた『学びのすすめ』は殆ど出てこない。単に「脱ゆとりの成果」とするか、或いは第4回調査の時点で既に確認されていた「宿題の増加」を要因として挙げるに止まっている。こうしてベネッセの調査はめでたく「ゆとり教育失敗の証拠」となったのである。

 

補足1:ベネッセの調査で確認された学習時間増加の傾向は、総務省の社会生活基本調査の結果とも整合的であり、平成23年調査と平成8年調査を比較すると、一日当たりの学業時間は中学で20分、高校で14分、大学で40分伸びている(小学校ではこの年から「脱ゆとり教育(08年改訂)」が実施)。なお、ここでいう学業時間とは学校での授業、家庭での予習や復習、学習塾や通信教育の全てを含めた学習時間である。ちなみに、社会生活基本調査は実際の生活時間を15分刻みで記録する方式をとっており、また、ベネッセの調査とは異なり無作為抽出であるためその数値は全国の代表値となっている。つまり、社会生活基本調査はベネッセの調査よりも信頼性は高いのだが、何故かその結果は余り引用されることが無い。

補足2:ベネッセ調査の結果について、私自身はゆとり教育に対するバックラッシュの結果であったと素直に解釈している。例えば、学習指導基本調査では小・中学校の教員の教育観について、「個性―画一性」「自主性―強制」を対立軸にした設問がそれぞれ10問ずつ用意されているが、97・98年調査と2007年調査の結果を比較すると(2002年は設問無し)、計20問のうち全ての設問で個性から画一性へ、自主性から強制へと教員の教育観は変化している。耳塚らの解釈ではこの現象を説明することができない。『学びのすすめ』でも当然のように個性・自主性の尊重が謳われていたからである。

ただし、ベネッセ調査の結果をゆとり教育の真面目と解釈することも不可能ではない。基礎・基本の徹底や学習習慣の定着は『学びのすすめ』以前から、ゆとり教育の主要な目標とされていたからである(そもそも同文書の目的は新指導要領のねらいを改めて周知することにある)。また、耳塚ら一部の教育学者が主張する(そして一般にもそう信じられている)、子供をただ甘やかすだけの牧歌的な「個性」や「自主性」は89年改訂でも98年改訂でも提唱されていない。ベネッセ調査で示された「反ゆとり的」傾向は、あくまで耳塚らが考える「ゆとり教育」を基準として「反ゆとり的」なのである。

苅谷剛彦(2001)志水宏吉(2013)による大阪を対象とした学力調査

 まずは苅谷剛彦らが行った調査から説明する。この調査は2001年に大阪を対象として実施された学力調査であり、その主要な目的の一つが、指導要領の変更が学力に与える影響を調べることにあった。苅谷らは1989 年に大阪大学の池田らが行った『学力・生活総合実態調査』と同様の問題・アンケートを利用することで学力の経年比較を行い、また、調査対象者を「伝統的学力観」に基づく授業を受けたのか、「新しい学力観」に基づく授業を受けたのかを軸として分類し、各種の分析を行っている。

 結果、苅谷調査では甚大な基礎学力の低下、及び「ふたコブ化」している学力格差が確認され、苅谷らはこれを「ゆとり教育(=新しい学力観)」が原因であると解釈した。ただし、苅谷調査はあくまで77年改訂と89年改訂を比較しているのであり、世間一般に認識されている「ゆとり教育」、つまり98年改訂の影響を直接的に調べた調査ではない。

 勿論、直接的に調べたわけではないとしても、まるで無関係というわけではない。上述の樋田の説明の通り、「生きる力(98年改訂)」という理念は「新しい学力観(89年改訂)」を継承しさらに発展させたものだからである。89年改訂によって学力低下が生じたとするならば、当然に98年改訂でも学力低下が生じるはずである。苅谷自身も「調査報告―『学力低下』の実態」の中で次のように言及している。

八九年という時点は、子どもの興味・関心、意欲などを重視し、教師は指導者ではなく子どもの支援者であることを強調した「新しい学力観」導入以前の時期にあたる。一方、二〇〇一年は、八九年改訂の指導要領が本格実施された年である九二年以後、十年にわたり新しい学力観に沿った教育が行われ、さらには今回の「総合的な学習の時間」の施行等を含む、現行指導要領の移行期の最終年にあたる。したがって、この二時点間を比べることで、二〇〇二年四月から始まった新指導要領のもとでの教育の問題点を予測することができると考えるのである(苅谷他, 2002, pp.8-9)。

 89年改訂の影響を調べることで、98年改訂の問題点を予測できるとする苅谷の考えは妥当であると思う。ただし、あくまでも予測である。前節で述べたように、ベネッセ調査ではゆとり教育実施後に明らかな「反ゆとり的」傾向が生じており、従って、苅谷調査の結果がそのまま98年改訂に適用できるかは分からない。

仮に、苅谷調査と同じフォーマットで、その10年後に実施された学力調査があれば話は簡単である。その学力調査は苅谷調査と同じく二つの指導要領、すなわち、89年改訂と98年改訂の影響を比較できる調査となっているはずである。しかし、そんな都合の良い調査があるものだろうか。

あるんだなこれが…実は、苅谷調査が実施された12年後に、苅谷調査のメンバーでもあった志水宏吉が池田調査、苅谷調査に続く3回目の調査を実施している。結果としては学力が向上していたのだが、ここで詳細は述べない。重要なのは、学力向上と言う結果を志水がどのように解釈したのかである。

志水調査が実施されたのは2013年であり、中学校において新指導要領が実施された翌年のことである。したがって、「脱ゆとりの成果」と主張することも不可能では無かったろうが、流石に実施から1年しか経過していない新指導要領に学力向上の要因を求めてはいない。それでは、志水は調査の結果を「ゆとり教育の成果」と認めてしまったのか。勿論そんなことはない。志水は自らの調査、及びそれに先立つ二つの調査を次のように解釈した。

文部科学省が『ゆとり教育路線』から『確かな学力向上路線』にかじを切ったのは,二〇〇三年のことであった(中略)そして今回の調査である。二〇〇一年から二〇一三年へといたるこの一二年間は,間違いなく『確かな学力向上路線』の期間であった(志水他, 2014, pp.2-5)。

本書の最大の特徴は、三時点での学力調査の結果を比較したことにある。その三時点は、「ゆとり以前」(一九八九年)→「ゆとり時代」(二〇〇一年)→「ポストゆとり」(二〇十三年)のそれぞれの時期に小・中学校生活を送った子どもたちを対象にしていると、大まかに見積もることができる。つまり、第一回調査はゆとり教育の前の状況を、第二回調査はゆとり教育の影響を、そして今回(第三回)の調査はゆとり教育以降の「確かな学力向上路線」の影響をそれぞれ反映していると見ることができる(同上, p.64)

 志水調査においてもベネッセ調査と同じ解釈が採られた。「90年代ゆとり路線」から「2000年代確かな学力向上路線」への転換である。つまり、2001年時点の苅谷らの予測は外れたのであり、調査のメンバー自身がそのことを認めたということになる。なるのだが、苅谷調査と違い余り話題になることも無かった。

ところで、報告書には

まず、指摘しなければならないのは、政策の重要性である。私たちの調査結果が示しているのは、「ゆとり教育路線」から「確かな学力向上路線」への政策転換が、子どもたちの学力形成に大きな影響を与えたという事実である。(同上, p.66)

という記述もあるのだが、不思議なことに、その「確かな学力向上路線」の具体的内実については全くと言って良いほど触れられていない。志水は2003年をゆとり路線の転換点としているが、その年に何が起こったのかすら説明していないのである。当然ながら、苅谷調査にあったような「伝統的学力観」「新しい学力観」を軸とした分析なども皆無である。本当に何の記述も無い(ついでに「ゆとり教育」や「新しい学力観」についての記述も無い)。

恐らく、2003年というのは指導要領の一部改正のことを指していると思われるが、それでは志水の主張との間に齟齬が生じる。一部改正で変更があったのは、主に指導要領の最低基準性に関連する部分であり、授業時数や指導内容、或いは志水らが学力低下の主犯と目する「新しい学力観」等の部分に変更はないからである。

そもそも、『学びのすすめ』と同じく、指導要領の一部改正はあくまで(少なくとも文科省の立場としては)新指導要領の周知・定着のためであり、むしろ「ゆとり教育的」要素は一層強調されているとすら言える。一部改正の通知は学習指導要領データベースにアップロードされており、また、具体的な変更箇所は赤字で記載されているため、興味がある方は自分で確認してほしい。

 

 

このように、何を意味するのかも分からない「ゆとり教育」とその対概念である「確かな学力向上」は、ご丁寧なことに報告書の表紙にも書かれている。表紙の文言を目にしただけの人はその正確な意味を理解できなかったろうと思うが、まさか読んでも分からないとは買った人も思わなかったろう。少なくとも私は思わなかった。

 

 

補足1:苅谷調査の最大の問題点は地域的な制約を無視していることにある。調査が実施された大阪では、全国学力テストにおいて未曽有の順位低下が生じており、64年調査では6位であったのが、07年調査では44位にまで後退している。この結果は、大阪固有の学力変動が生じたことを示唆しているが、調査当時の苅谷らがこのことに注意を払っていたとは思えない。他ならぬ志水が次のように述べているからである。

他方大阪では,2007年10月に第1回目のテストの結果が発表された際に,文字通りの激震が走った。ここ数年にわたって,大阪府の学力向上・学力保障の取り組みを研究者の立場からサポートしてきた筆者自身にとっても,その結果は衝撃的であった。あまりよくないだろうとは覚悟を決めていたが,まさかここまで悪いとは夢にも思っていなかったというのが本当のところである(志水, 2009, p.33)。

 ちなみに、苅谷調査・志水調査のいずれの報告書においても地域的制約については明示されているのだが、それが分析に活かされた形跡は全くない。

たしかに,限られた地域の,限られた数の子どもたちを対象とした調査の結果であり,これだけをもって,日本全体の教育を語ることには慎重でなければならない(苅谷他, 2002, p.32)。

と言った舌の根も乾かぬうちに大阪という地域的限定は地の果てへと消え去る。以降の記述では一度も「大阪」という言葉は出てこない。

二〇一二年のPISA 調査の結果によれば,日本の子どもたち(一五歳児)の学力はかなり回復傾向にあると言われているのだが,より年少の子どもたちにはどのような変化が生じているのだろうか。『大阪』という地域的な限定はあるものの,その問いに答えようとしたのが今回の第三回調査であり,その分析結果を速報的にまとめたのが本書である(志水他, 2014, p.6)

同上である。

OECD・IEAによる国際学力調査(PISA・TIMSS)

PISA・TIMSS調査におけるゆとり教育の扱いについては以下の記事で触れている。

文科省による『教育課程実施状況調査』

この調査は文字通り、教育課程における児童・生徒の学習達成状況を調査するものであり、1981年から文部省が実施している。第3回調査と第4回調査はそれぞれ2001年、2003年に実施されており、調査年度からも分かる通り「ゆとり教育の影響」を調べることを目的とした調査である。ゆとり教育実施の前後1年に実施されたため、用語の混乱は生じていない。

 結果は、中1社会及び中1数学を除いた全ての教科学年において、前回を有意に上回る問題数が有意に下回る問題数よりも多いという良好な成績を示した。ただし、この調査結果は「文科省の実施した調査は信頼できない」という声によって現在では殆ど黙殺されている。PISAの結果を「脱ゆとりの成果」とする文科省の見解を無邪気に受け入れた時の素直さとは好対照である。

結語

以上、ゆとり教育(98年改訂)の前後に実施された教育調査において、「ゆとり教育」という言葉が一般の用法とは異なって使用されていること、また、それによって調査結果が真逆に解釈されうることを示した。このような混乱を防ぐのは容易であり、「ゆとり教育」という言葉に代えて、その改訂年度でそれぞれの指導要領を表記するだけで良い*5。それだけで良いのだが、その程度のことすら覚束ないのが日本の教育議論の現状であり、知的怠慢の極みと言う他はない。

補足

この記事の副題は「ゆとり教育の失敗はどうつくられたか」である。記事中には敢えて示さなかったが、耳塚も志水も強硬な「反ゆとり派」であり、彼らの一見して奇妙な解釈も、単に彼らの信念に合致するように修正されたものだと考えれば納得がいく。書かずに示そうと思ったが念のため付記しておく。

参考文献

苅谷剛彦・志水宏吉・清水睦美・諸田裕子 (2002). 「調査報告―『学力低下』の実態」. 岩波ブックレットNo.578
志水宏吉 (2009). 「全国学力テスト―その功罪を問う」. 岩波ブックレットNo.747
志水宏吉・伊佐夏実・知念渉・芝野淳一 (2014). 「調査報告―『学力格差』の実態」岩波ブックレットNo.900
ベネッセ教育研究開発センター (2007a). 「第4 回学習基本調査・小学生版」. http://berd.benesse.jp/shotouchutou/research/detail1.php?id=3228
ベネッセ教育研究開発センター (2007b). 「第4 回学習基本調査・中学生版」. http://berd.benesse.jp/shotouchutou/research/detail1.php?id=3227
ベネッセ教育研究開発センター (2008). 「第4 回学習指導基本調査」. http://berd.benesse.jp/shotouchutou/research/detail1.php?id=3247
文部科学省 (2003). 「平成15年度 小・中学校教育課程実施状況調査」. https://www.nier.go.jp/kaihatsu/katei_h15/index.htm

*1:ただし、当時は「ゆとりの教育」「ゆとりある教育」という表現の方が多い。「ゆとり教育」という言葉を見出しに使っている記事としては次のようなものがある。
「小学生の学力伸びる “ゆとり教育”成果? 思考や応用力には難点」読売新聞, 1984, 09, 29, 朝刊
「『ゆとり教育、失敗だった』推進した文相、否定」読売新聞, 1984, 10.21, 朝刊

*2:全く実施されなかったわけではない。たとえば、1975年には日教組と国民教育研究所による共同学力調査が実施されており、その結果は77年指導要領改訂にも影響を与えている。また、文部省は1981年より現行の指導要領の達成度を測る「達成度(到達度)調査」「教育課程実施状況調査」を実施している。

*3:ゆとり教育の象徴と信じられている「個性・自主性偏重の教育」が、実態とかけ離れていることは強調しておきたい。教員の教育観など強制できるわけがないというのに、何故あれほど多くの人が「ゆとり教育では個性・自主性を尊重している」と素朴に信じたのかは今もって謎である。ちなみに、2002年に実施された第3回学習指導基本調査では学校の教育目標が調査されているが、33の目標の内「ゆとり」を選択した学校は小・中学校共に5%前後であり、これは全選択肢の中でも最低の数値であった。

*4:樋田は「1970年代の詰め込み主義が落ちこぼれ・少年非行・校内暴力などの教育問題・社会問題を招いた」としているが、これは余りにも雑駁な認識である。落ちこぼれ・少年非行が問題とされたのは確かに詰込み教育(68・69年改訂/71・72年実施)の時代だが、校内暴力が問題とされたのは80年代、つまり「ゆとり教育」の時代である。

実際に、89年改訂が告示された翌日の毎日新聞には次のような記述がある。「現行の『ゆとりの教育』のもとでは校内暴力、いじめのあらしが吹き荒れた。今回の改訂で学校が子供にとって、居心地のいい場所に生れ変わるだろうか(1989年3月16日付毎日新聞)」。念のため書いておくと「現行の『ゆとりの教育』」とは77年改訂を、「今回の改訂」とは89年改訂を指している。

*5:或いは指導要領改訂に係る教育改革全般について言及する場合は、その審議会答申の中で提示されたキーワードによって区分すれば良い。たとえば「ゆとり教育」批判の旗手である西村和雄は、80年代以降の教育をそれぞれ「ゆとり(77年改訂)」「新学力観(89年改訂)」「生きる力(98年改訂)」と位置付けている。(西村 2017 「学習指導要領の変遷と失われた日本の研究開発力」)