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デマを訂正するコストについて

一般に、デマが拡散する容易さとは対照的にその訂正はきわめて難しいとされている。その主因の一つは、面白おかしい、衝撃的なデマ情報に比べ、訂正情報は往々にしてつまらないからである。しかも自らの誤りを認めることになるため、デマを拡散した主体は訂正情報の拡散に非協力的となる。

もう一つの主因は、デマを訂正する側に発生する種々のコストである。そのコストは大まかに1.調査コスト2.説明コスト3.心理的コスト4.数的コストの四つに分けられる。本稿ではこの四つのコストを詳述する。折よく新しいデマに遭遇したので、この事例を都度参照しながら書いてみよう。

1. 調査コスト

まず第一に発生するのは、その情報がデマであるかどうか確認する調査に係るコストである。この調査コストは分散が大きく、殆ど0の場合(既にデマだと知っている場合)から、莫大な労力を要するもの(e.g."日本人は欧米に比べ集団主義的である")まで幅広く分布している。

ただし、デマの訂正において調査コストがネックとなることは余りない。多くのデマは数分、ものによっては数十秒あればデマであることを確認できる事例であり、にもかかわらずデマを訂正する試みはことごとく失敗に終わるからである。

コムケイの場合は小程度のコストだろうか。筆者は合格者の名前がどこに掲載されているか知っていたため、確認に係るコストは限りなく0に近かったが、そうでない場合は何を検索すれば良いか少し迷ってしまうかもしれない。

一瞬の逡巡でもあればそれが実行に移される確率は限りなく低くなる。私が訂正ツイートをするまでに約2500ほどのいいねが付いていたが、これはつまり彼らの誰一人として真偽を確かめようとしなかったということだ。

ちなみに何故覚えているのかというと、どれだけ訂正されようと(この後すぐにツイート主も訂正ツイートをしている)、このツイートが消されない限りどこまでも拡散すると確信していたからだ。訂正されてからの差分を示すことでデマを訂正する困難さを示そうという趣旨だった

のだが、私の思っている以上に伸びた。当該ツイートが投稿された約30時間後の現在、このツイートには約4.3万件のいいねがついている。これに対し、ツイート主の訂正ツイートに対するいいねは2000件強である*1つまり、訂正情報の約20倍はデマ情報が拡散された計算になる。

話が逸れたが、デマを訂正しようとする主体にとって調査コストは余り問題にならない。むしろ問題となるのはその調査の結果を受け取る側である。彼らに少しでも調査コストを要求すればデマを訂正する試みは失敗に終わる*2。なんとなれば、デマを訂正する試みはデマが拡散するシステムを利用するほかなく、そのためには何らの主体的動作も要しない、一目で理解できる分かりやすい情報が必要とされるからである。

2. 説明コスト

読んで字のごとく説明に係るコストだが、これは1の調査コストと相関している。つまり調査に要するコストが増えれば増えるほど、説明するコストも増える傾向にある。これは説明という行為が、自分が結論へ到達するまでの道のりを他者に再体験させる行為であると考えれば納得がいく。

しかし、調査コストの場合と同じく、説明コストはデマを訂正する側ではなく、訂正される側がより強く感じるようになっている。訂正する側は何らかの信念に基づいているため説明に負担を感じないことも多いが、他方、説明される側にとってそれは単に自分の誤りが暴かれる不快な体験でしかない。

一般に、その仕事が難しければ難しいほど、その報酬も大きくなるべきだと素朴に信じられている。デマを訂正するという行為はこの一般的な信念に反している。そこでは調べるのが難しければ難しいほど、説明するのも難しくなり、したがってその説明を聞き入れる人は少なくなってゆく。

コムケイの場合はどうかというと、説明するコストは殆ど0に近い。単に画像が合成であることを伝え、(確認しないだろうが)実際の合格者名簿のリンクでも張れば終わりである。うっかりデマ画像を信じてしまうことは誰にでもあるだろうし、それほど恥ずべきことでもない。

にもかかわらず、デマ情報を信じる人が絶えなかったのは、1で説明した通り、クリック(タップ)してリプライを確認するという僅かな作業を要求したからである。デマを訂正する側は(相手に負担させる)調査コスト、説明コスト共に0にしなければならないが、それは極めて難しい。

ただし、一定の場合には説明コストを省略することができる。それは何がしかの権威がお墨付きを与えた場合である。たとえば、日本心理学会が「血液型性格診断はニセ科学である」と公表すれば、多くの人は日本心理学会の権威によってそれが事実であると認識する。この場合は説明が不要であり、デマを訂正する側はどの権威が味方になっているのかを知らせるだけで良い。

この点において研究者の責任は極めて大きい。研究者による承認は世間においては最高位の信頼が与えられているからである。特に、テレビに出演したり一般向けの書籍を執筆する研究者*3にはこれ以上ない良識と能力が要求されなければならない。現状そうなってはいないのは残念である。

3. 心理的コスト

一般に、他者と議論を闘わせることを好む人は少ない。これは議論によって生じると予想される様々な不利益―侮蔑や嘲笑、誹謗中傷、なかんずく自分の意見をまげなければならない事態―を恐れているからである。

デマを訂正するという行為は、必然的に意見の異なる他者を相手に、正にその異なる意見が間違っていると伝える行為だ。そこに衝突が生じることは殆ど不可避であり、どれだけ丁重に伝えても好意的な反応が返ってくることは稀である。

こうした他者との衝突によって生じる心理的コストは、人によっては甚大なものとなる。そこでコストを低減する何らかの仕組みが必要なのだが、残念ながら現在に至るまでそうした仕組みはつくられていない。したがって、この点に関しては個々人のレジリエンスに恃むしかない。

ただし、SNSが発達した現代においては必ずしも他者と闘う必要はない。十分な数のフォロワーがいれば彼らに向けて情報を発信すれば良い。デマを終息させるために必要なのは、直接相手を説き伏せることではなく、大多数の第三者を味方につけることだ。相手が間違っているという「空気」が醸成された時が、デマが事実に敗北した時である。

4. 数的コスト

説明不要だろう。コムケイの事例を引けば4.5万人(書いている内に増えた)がデマに騙されたということであり、彼ら全員に事実を説明してまわるコストを個人が負うのは不可能である。しかし、デマを訂正するためにはこちらも何らかの手段で数万、数十万の人に事実を伝えなければならない。

この「何らかの手段」はマスコミを措いて他にない。この点においてマスコミの責任は極めて大きい。数百万、数千万の人に一瞬にして情報を伝える彼らの力は、現代社会においては無上の武器である。デマを訂正するには彼らの力を借りるしかない。

しかし、多くの人にとってはこれも現実的には不可能な手段だろう。残された唯一の方法は、先述したように、十分な数のフォロワーに事実の拡散を願うことである。ただし、これが上手くいく可能性は相当に低い。大抵の人は「十分な数のフォロワー」を持っていないし、持っていても彼らが拡散に協力してくれる保証はないからだ。

したがって、市井の人がデマに遭遇した時、できることは何もない。せいぜい0.1%の人に事実を説明して反発されるのが関の山である。デマを訂正するのが難しいのは、何よりこの莫大な数的コストを解決する手段が無いからだ。少なくとも現時点では無いし、将来的にできるとも筆者の貧弱な脳味噌では思えない。

まとめ

デマを訂正するという行為には甚大なコストが要求されるのですが、それを受け入れてもデマを訂正することはできないということです。それでもやろうとするならば相当の覚悟が必要です。私は修行だと思ってやっています。おわり。

*1:私に対しては30件ほど。

*2:たとえば、URLを張りつけて「この先に事実が書かれている!」といくら喧伝しても(それが事実であっても)その情報は拡散されない。

*3:Twitterで管を巻いている研究者を加えても良い。