若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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いまこそ活かせ “いま時の若いもの”の力 申すまじ“青二才”/高橋大将談

 若い者は(判読不能)よくやつてゐる。こんどの戦争で若い人のほんとうの力をいくども私たちは見た、日本の歴史をふりかへつてみてもわかるごとく、歴史を創るものは常に若い人の力である〔…略…〕では銃後はどうであるか、(判読不能)維新の際御奉公の中心となつたのも若い人であつた、かく(判読不能)あるひは歴史の激動期における若き力の役割の偉大さを疑ふものはもはや一人もないだろう、さう思つて銃後を見るときこれでいヽといへるだらうか、私は機會あるごとに"いまの戦を勝抜くものは君らだ"と若い人に呼びかける、これは同時に"若いものを眞に働かしめよ"といふ世の中への(判読不能)へでもあるのだ、もちろん銃後の若い人たちは眞剣にやつてゐる、だがこの若い力を世の中は果して存分に働かせてゐるだらうか、私の歯痒さはここにある。

 若さにみち/\た人と老境の人とをくらべては、なんといつても若い人の精神、肉體が勝つてゐる〔…略…〕もちろん老人といつても全部が全部おいぼれではない、中には體も丈夫で、精神も溌剌として"なにをいふ、若いものに負けるものか"とりきむ者もあるだらう、しかしなんとしても萬難を排除してゆくあの気概は若いものの前に兜をぬぐだらう、歴史を大きく回復するものはこの力である、いふまでもなく老人にもすぐれたところはある、例へば若いものヽとかく陥り易い軽挙、(判読不能)をためる力である。

 きびしい(判読不能)の段階はいまやこの両者の結びつきを早急に求めてゐる、どんな結びつきか、それは若い立派な人を各方面の重要な位置に据ゑ、老人は若い人の缺點を補つてこれを補佐する、いはば相談役となつて御奉公するやうな態勢にすることである、もはや、いやいまこそかくすべき(判読不能)そしてここで考へなければならぬことは"あいつは若いから、あいつは経験が浅いから、あいつは(判読不能)がないから…" "青二才どもが、何をするものぞ…"とすぐ言ひたがる日本人の癖をサラリとすてることだ"いま時の若いものはなどと口はばつたきことは…"と山本元帥もいつてゐられるではないか。

讀賣報知 1945.01.19