若者論を研究するブログ

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若者論の構造①―若者論のつくりかた

若者カテゴリーの系図

若者論に取り組むにあたって,最初の障害となるのはその「膨大さ」である。若者論は政治・経済・文化の諸問題から,国家論,社会論,日本人論に至るまで,ありとあらゆる分野で論じられている。しかも,それらの若者論は首尾一貫した体系を持っているわけでもなく,互いに相反する言説が対立することもなく共存している。そのため,いざ若者論を分析してみようとしても,一体どこから手をつけてよいのか途方に暮れることになる。

しかし,種々雑多な若者論にも一定の構造を見出すことはできる。その一つが若者論における「若者カテゴリーの系図」である。日本社会の研究を行っているロジャー・グッドマンは,日本の若者論における若者カテゴリーは,その根底にある「道徳的語彙(moral vocabulary)」において繋がっており,特徴ある「若者問題の系統」を形成することを指摘している(Goodman・井本・Toivonen 2013 pp.50-51)。以下の表はグッドマンが示したその一例である。

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この表は1970年代から2000年代までに日本で注目を集めた若者問題,すなわち若者論のカテゴリーである。もちろん,この他にも「太陽族(50年代)」「全共闘世代(60年代)」「しらけ世代(70年代)」「新人類(80年代)」「キレる十七歳(90年代)」「ゆとり(2000年代)」など,各年代を代表する若者論は複数存在する。しかし,グッドマンがこの表で明らかにしているのは,若者カテゴリー間の類似性であり,その道徳的語彙における繋がりである。

たとえば,「登校拒否」と仕事を拒否する「ニート」,いつまでも自立せずに親に依存する「独身貴族」と「パラサイトシングル」,自己を未決の状態に留め,そこに安住する「モラトリアム人間」と「フリーター」,一種病的な特異性が強調される「オタク」と「ひきこもり」。これらのカテゴリーは異なる年代の若者カテゴリーであっても,そこには確かな類似性がある。

また,これらのカテゴリーの根底には「未成熟」「甘え」「非社会化」といった道徳的語彙が通底していることも分かる。70年代以降(もちろんそれ以前も),未成熟な若者が他者に依存し,社会から距離を置く・孤立化していくという言説は何度も繰り返されてきた。

グッドマンは若者カテゴリーについてもう一つ重要な指摘をしている。それは若者カテゴリーが過去の若者論の「組み合わせ」によってつくられていることだ。若者論は過去の若者論の単なる焼き直しではないのである。たとえば,こに示した若者カテゴリーについて,グッドマンは次のように述べている。

新しいカテゴリーの中には,おおむね二つ以上の古いカテゴリーの「リミックス版」と思われるものがある。たとえば「ひきこもり」には「モラトリアム人間」(1970年代)や「オタク」(1980年代),そして「アダルトチルドレン」(1990年代)の特徴が多く再現されている。同じ傾向として,「ニート」は「パラサイトシングル」「ひきこもり」「フリーター」の融合とみなすこともできる(前掲 p.51)。

グッドマンが指摘するように,「ひきこもり」と「ニート」という2000年代を代表する二つの若者カテゴリーは,過去の若者論に見られる若者カテゴリーの特徴を色濃く受け継いでいる。

たとえば,「ニート」は「パラサイトシングル」のように自立することもなく親に依存し,「ひきこもり」のように未成熟で歪んだ内面を持っており,時として「フリーター」のように分不相応な夢を追いかける存在として描写される。まるでこの世の全ての悪徳がニートに凝縮されているかのようである。少なくとも若者論の世界では,若者は順調に劣化している。

若者論の「言いがかかり資源」

2000年代初頭のニート論を分析した『ニートって言うな!』(光文社 2006)において,著者の一人である内藤朝雄もグッドマンと同様の指摘をしている。内藤は若者劣化言説を「青少年ネガティヴ・キャンペーン」と名付け,そのメカニズムを,「いいがかり資源」の組み合わせによる「ヒット商品」を創出するモデルで説明している。以下の図である。

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内藤のモデルでは「言いがかり資源」の組み合わせによって若者論が作られるが,同じ「言いがかり資源」を利用しているからといって同じ若者論が生み出されるとは限らない。言いがかり資源とそれに対応する言説は論者によって異なっており,主に「凶悪系言説」と「情けな系言説」という二系列に派生する。

たとえば,「ヴァーチャル」という言いがかり資源からは「ヴァーチャルの世界と現実の世界の区別がつかなくなった子どもが凶悪犯罪を犯す」という「凶悪系言説」と,「ヴァーチャルの世界に逃避し現実と向き合わない子ども」という「情けな系言説」が生み出される。

加えて,内藤もグッドマンと同様に若者論の再帰性を指摘している。若者論という「ヒット商品」は同じ言いがかり資源を使いまわしつつ,「過去のヒット商品」のイメージに上乗せされる形で再生産されていく。親に甘え,自立しようとしない「パラサイト・シングル」は,その特徴を一層際立たせたものとして「ひきこもり」や「ニート」といった若者カテゴリーに受け継がれていくのである(本田・内藤・後藤 2007)。

また,「ニート」と「ひきこもり」がしばしば混同,あるいは合成されるように(「ひきニート」など),同時期に流行した言説が相互に影響を与え合うこともある。

若者論のつくりかた

グッドマンと内藤の指摘をあわせて考えると,若者論が「道徳的語彙」と「いいがかり資源」の組み合わせで成立していることがわかる。

たとえば,「共感」という道徳的語彙と「少子化」という言いがかり資源の組み合わせでは,「少子化によって他者と触れ合う経験が少なくなった現代の子どもは共感性を失った」などの言説をつくることができるし,「甘え」と「少子化」の組み合わせなら,「少子化で少なくなった子どもは親の愛情を一心に受け甘やかされている」といった言説をつくることができる。
若者論をこの二つの要素の組み合わせとみるとき,若者論が日々膨大な数うみだされている理由,またそれが短期間のうちに生滅を繰り返す理由を説明することができる。すなわち,若者論の量的拡大は言いがかり資源と道徳的語彙の組み合わせの数に対応している。
一つの言いがかり資源からは,組み合わせる道徳的語彙によって複数の異なる若者論を容易に作り出すことができる。以下の表は筆者が作成した道徳的語彙といいがかり資源の組み合わせである。ここでは,内藤が示した四つの「いいがかり資源」と四つの「道徳的語彙」を組み合わせている。生み出されたのは都合十六の若者論である。

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若者論は一種の連想ゲームである。ある言いがかり資源と道徳的語彙を組み合わせたときに,直感的に浮かぶイメージをそのまま表現してやれば,それだけで一つの立派な若者論ができあがる。ある若者論が世間の支持を得ることができるかどうかは,そのイメージがどれだけ多くの人間に共有されているかによって決定される。

ただし,若者論はありとあらゆる道徳的語彙といいがかり資源の組み合わせでつくられている。その必然的帰結として,若者論は常に一貫した体系を持っているわけではなく,しばしば若者論同士が矛盾する関係にたつこともある。

それでは,この相矛盾する言説がなぜ対消滅もせずに共存することができるのか、という謎は次の記事で説明するとして,この記事では一先ず若者論の基本的な構造を示した。このページを参考にして、みんなも身の回りの言いがかり資源から自分だけの若者論をつくってみてね(教育的配慮)

その2