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打ち捨てられた知性の墓場

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【メモ】ダンプカー規制の歴史的経緯について

この増田に同意するわけではないが、実際日本における(恐らくは海外も)交通規制は、実証的な調査に裏付けられた建設的な議論…ではなくして専らマスコミの扇情的な報道とそれに首尾よく煽られた市民感情によって推し進められてきたという経緯がある(それが悪いと言っているわけではない)。

最新の事例としては「ながらスマホ」や「暴走老人」、一昔前なら「飲酒運転」、最古の事例としては「神風タクシー」が挙げられる(栗山 1994)。ここでは、かつて「一姫、二虎、三ダンプ」と呼ばれ、交通戦争の主役でもあったダンプカーが規制された経緯について簡単にメモしておく。

というわけで、読売新聞データベース(ヨミダスパーソナル)から、60~80年代におけるダンプカー報道の見出しを確認する。検索期間は大雑把に1950~1989年、検索キーワードは「交通戦争 ダンプ」「暴走 ダンプ」「殺人 ダンプ」とした。ある一時期に報道が集中していることが分かる。

酔いどれダンプが暴走 停電や交通マヒ騒ぎ 板橋でバーの“つけウマ”乗せ 1961.06.24
無免許ダンプ暴走 雨ですべり工場こわす/東京都大田区 1961.06.26
ダンプ、バスに追突 暴走し店先もこわす/東京・杉並 1961.08.16
無免許ダンプ暴走 浦和、2人死に2人ケガ 1961.09.04
[交通戦争]=11 ダンプに特別免許(連載)1961.12.18
祝い酒で暴走4件 ひき殺し、追突、食堂へ▽無免許ダンプ 店に突っ込む 1962.01.03
酔いどれダンプ暴走 江戸川 電柱折り1000戸停電/東京都江戸川区小松川 1962.01.09
“交通安全日”雨でさんざん トラック衝突、死ぬ▽ダンプに追突して死ぬ/東京 1962.01.10 
ダンプ斜めに暴走 突っ込み2軒こわす/東京・板橋区 1962.01.19
ひき逃げ見物の6人ひき逃げ 平塚でダンプ2台暴走 1962.03.18
パトカーの“壁”も突き破り 盗んだダンプで暴走 横浜-都内35キロ 1962.03.19
ダンプが歩道暴走 街灯、標識折り2人ケガ/東京・五反田 1962.06.10
坊やダンプにひかる 葛飾 1962.12.21
酔いどれダンプ暴走 車6台に接触や衝突/東京都渋谷区 1963.02.01
杉並の“殺人ダンプ”つかまる 板橋でも学童ひき逃げ▽お手柄の通行人/東京 1963.02.16
愛されるダンプ運転手に 70人が安全運転誓う 会社側も負担かけぬよう協力 1963.03.14
交通安全運動 さんざんな最終日▽ひき逃げして追突▽酔っぱらいダンプ/東京都 1963.05.21
[キミだけの世の中ではない]第4次交通戦争=2 スピードに酔って(連載)1963.09.10
ダンプ、民家への無情の暴走 内職の主婦即死 東京・墨田 通行女性らも死傷 1963.10.15
居眠りダンプが暴走 車に衝突、信号機こわす/東京都品川区 1964.01.20
ダンプ暴走3人死傷 2晩連続運転の末 居眠りで屋台なぎ倒す/東京都目黒区 1964.02.08
こんどは無人ダンプ暴走 京橋の工事場/東京 1964.05.08
[気流]中小企業の倒産に思う▽暴走ダンプに根本的対策を 1964.05.09
[気流]お手盛り撤回区議会見習え▽「ダンプの走らない日」提唱 1964.05.22
暴走ダンプとタクシー 深夜のオニごっこ 電柱折ったり砂まいたり/東京 1964.07.11
また歩道へ暴走 小岩でダンプ 黄色い旗もつ少女重体▽神田では乗用車衝突 1965.09.13
バス停の11人死傷 大阪 ダンプ衝突し暴走 1966.07.10
ダンプが奪った始業式 黄旗の少女ひかれる 青梅街道 夏休みの作品が散乱 1966.09.01
相乗り幼女即死 おかあさんも気をつけて 自転車から転落 ダンプにひかれる 1966.10.07
園児や学童3人死ぬ 横浜 横断の列へダンプ/横浜市 1966.12.05
違反常習のダンプ 横浜の園児らなぎ倒し/横浜市 1966.12.06
「歩道橋すぐ作れ」 横浜のダンプ事故現場 建設相、異例の指示 1966.12.08
園児ら10人が死亡 20人重軽傷 愛知 横断の列へ殺人ダンプ 1966.12.15
あまりにむごい 愛知の交通惨事 行儀よい園児の列へ 襲いかかる“凶器” 1966.12.15
ダンプ取り締まれ 警察庁が緊急通達/園児交通惨事 1966.12.15
ダンプの規制強化 免許年齢引き上げ 通学路は通さぬ 首相きょう指示 1966.12.16
[あとをどうする]=7 殺人ダンプ 事故の元凶、零細企業(連載) 1966.12.16
無法、殺人もう許せぬ ダンプ緊急取り締まり けさ38か所で警視庁 1966.12.17
[サイドライト]野放しダンプカー 1966.12.20
ダンプ、こんどは登校の列へ 学童4人がケガ 雪の県道で“暴走”/青森市 1966.12.21
[吹きっさらしのまちかど]=6 おそすぎた信号機 母が涙の渡りぞめ(連載) 1966.12.21
暴走ダンプを追放 警察庁が通達 殺人罪も適用する 市民の通報制設け検挙 1966.12.23
さっそく市民通報 ダンプ取り締まり ナンバーの確認を 1966.12.23
ダンプ業者立ち入り監査 1966.12.23
街頭抜き打ち検査つづける/ダンプ・砂利トラ取り締まり 1966.12.28
違反は管理者も責任 取り締まり当局の態度/ダンプ・砂利トラ検査 1966.12.28
またダンプが殺人 2人にケガ 巣鴨の横断歩道、札つき運転手/東京 1966.12.28
“新入りが運転”と偽証 雇い主ら口裏あわせ/足立ダンプ惨事 1966.12.28
ダンプ暴走に自主規制 トラック協会 1966.12.28
ダンプ対策に1億円 政府 きょう閣議で支出決定 1967.01.06
[果たせ公約]=5 ダンプには岩を(連載) 1967.02.10
それでもダンプは笑う 「罰則?!関係ないネ」 助手台の同乗記 1967.02.27
子供の死、ムダにしないで 愛知ダンプ事故のおかあさんら 佐藤首相に涙の訴え 1967.03.30
横断歩道橋 もう待てない 同じ場所で幼女重傷▽中学生3人を殺す 暴走ダンプ 1967.05.14
あすから春の交通安全運動 暴走ダンプ追放 通学の安全守ろう 1967.05.21
ダンプ事故業者 入札しめ出す 福井で7社処分 1967.05.25
ダンプ規制立法は絶望 交通戦争絶滅の期待よそに 与野党が調整難 1967.07.12
ダンプ規制なぜできぬ 望み薄の法案成立 建設業者が圧力? 1967.07.12
酔いどれダンプ暴走 地下鉄工事の3人死傷/東京・千駄木 1967.10.04
突入ダンプと3か月 泣き寝入りしないぞ 師走のすき間風にたえて/熊谷 1967.12.12
暴走ダンプ締め出し 1日から規制法実施 車の長期使用禁止も 1968.01.30
“無法ダンプ”相変わらず 非力な警察の摘発 「規制法」1か月 1968.02.29
バス停の3人死傷 東京・練馬 大型ダンプが暴走 1969.01.08
ダンプ規制強化 10月から 1969.07.11
[気流]積載オーバーの暴走ダンプ 1970.04.11
横断歩道へ暴走ダンプ 老女と孫即死 南品川 車を縫って突っこむ/東京 1970.09.17
[気流]ダンプが憎い 1970.11.07
[気流]ダンプの走行規制で提案 1970.11.15
歩道の3人はね飛ばす ダンプ暴走/東京都葛飾区亀有 1971.05.15
ミキサー車に衝突、死ぬ▽幼女、ダンプにひかれ死ぬ/東京 1971.09.05
ダンプ交差点で“大の字” 九段 信号待ち2台に砂利の雨 1972.12.26
11トンダンプ、2店刺す 居眠り暴走 スナック客けが/東京都板橋区 1974.03.31
捜せ!人殺しダンプ つぶれた自転車と坊や 立川/東京 1975.04.16
狭い市道でダンプ暴走事故 「坊やの死、市も責任」 千葉地裁 親の訴え認める 1975.06.26
下り坂駐車のダンプが暴走 アッ子供が…、仁王立ち死ぬ/横浜市鶴見区 1975.12.15
ダンプ暴走 1500世帯停電/東京都大田区 1977.04.20
[気流]夜道、暴走のダンプ 1978.06.21
狂気のダンプ大暴走 民家壊し、主婦殺す パトカーなど14台に衝突 鹿児島 1979.09.05
暴走ダンプ12台壊す 妄想の運転?9人重軽傷/東京都文京、豊島区 1982.04.26
バスに暴走ダンプ 36人けが/神戸 1982.08.20
暴走ダンプが信号へし折る/東京・調布市 1985.07.15
ダンプ暴走、1人死ぬ 信号無視で衝突/東京都練馬区 1988.06.30
青梅街道ダンプ暴走 街路樹なぎ倒す 1988.12.10

注目するべきは1966年12月に起こった横浜市と愛知県の事故からの一連の流れである。印象的な事故が世論を大きく動かし、それによって法規制が進んでいくプロセスが見出しにも表れている。(ちなみに、後者の「猿投ダンプ事件」はダンプ規制の要因となった歴史的事故として今でも言及されるが、その10日前に横浜市で起こった前者の事故は今では殆ど知られていない)

また同時に"ダンプ規制立法は絶望"だとか、"ダンプ規制なぜできぬ"だとか、マスメディア様の逆張り悲観無責任煽りテクニックも確認することができる。もちろん、その後の展開を見ても分かる通りダンプ規制法は問題無く成立しているわけであり、当時の関係者もこの報道には大いに困惑したようである。第055回国会 交通安全対策特別委員会 第14号