若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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一体われわれは何を見ているのか

 イギリス首相を注目している人たちのうち、英語を読むことのできない人が何百万もいる。文字は読めても理解できない人がさらに何百万もいる。読みも理解もできる人たちのなかでもゆうに四分の三の人たちが、この言葉のために一日三十分以内しか使っていないと思われる。たったそれだけの時間で自分のものとした言葉が、この人たちにとっては一連の思考全体を解く糸口であり、最終的にはそれに基づいて無数にある結果のうちの一つが選ばれることになる。われわれが読む言葉は、さまざまの考えをわれわれに呼び起こす。そしてそれが必然的にわれわれの意見の第一次資料の大部分を構成するのである。世界は広大であり、われわれに関わってくる状況は錯綜しており、伝えられてくるものは少ない。したがって、意見の大部分は想像の中で組み立てられなければならない。

W.リップマン, 1922 『世論』 掛川訳, 1987

どうやらわれわれが見ている「現実」は常に括弧つきで表記されなければならないものらしい、ということはリップマンが同書のエピグラフに選んだプラトンの"洞窟の比喩"以来、洋の東西古今を問わず数多の賢哲が同様の洞察を得てきた。そして近年では主に社会心理学認知心理学、或いは進化心理学行動経済学といった諸領域において研究が進められている…

いるんですが、なんかそれ以前の問題じゃねぇ?と思うことがブログを書いていてしばしばあります。というのはつまり、構築主義とか二重過程理論とか、そういう小賢しい話をする前に、本当に目の前のものが見えていないというか、3秒考えれば分かることが分からないというか…まあリップマンも「読むことのできない人」「読めても理解できない人」が相当数いると書いてますからね。

といっても別に彼らが特別アホだから分からないのだとか、或いは自らの思想信条によって現実を捻じ曲げているのだとか、そういう話をしたいわけではなく、なんというか、われわれ人間の現実認識能力というものは本当にお粗末なんだよ、それを自覚しておこうね、と、そういう話をしたいのです。まあ何を言ってるんだか良く分からないと思うのでいくつか実例を挙げていきましょうか…

ヒトの目、驚異の進化 視覚革命が文明を生んだ

まずは比較的理解可能な事例から紹介します。この記事を簡単に説明しますと、とある記事において若年層右傾化の証拠として示されていた表が、実はそのまま読んでも何のこっちゃ分からん表だった、ということを説明したものです。元記事のリンクが切れているようなので、ここでその表を再掲しておきましょう。

この表をどう見ますかね。見方が分からなくとも「リベラル層は年齢が高い層に多く、保守的傾向はデジタルネイティブ層に見られた結果となっている」なんて一文を付されたらなんか段々そういう感じに見えてきましたね。たとえばG,Hのリベラル列を見てください。若年層(35歳以下)と中高年層(36歳以上)でなんと最大30ポイントも差が付いています…!

ということはなくてですね、実際には以下の表が、恐らく大方の人が最初の表を見た時にそれと誤認したもの、つまり「各年代に占める各政治クラスタの割合」です。最初の表から受ける印象とは随分異なるんじゃないでしょうか。もちろん、最初の表からこの表の数値が導かれたわけですが、一瞥しただけで暗算できる人はそれほど多くないはずです。

また、この表には他にも不思議な点があります。たとえば、(表頭除く)表の2行目から4行目、「保守/リベラル」の項目を見てください。え?そもそも1行目が保守/リベラルの分布じゃないの?意味わかんなくない?Gなんてリベラルなのに保守の方が多いじゃん、って思いませんか。私は思いました。

詳しくは上掲の記事を参照してほしいのですが、この表の意味を理解するにはMFT(Moral Foundations Theory=道徳基盤理論)という理論の知識が必須となります。しかし元記事ではこのMFTについて一切説明がありません。つまり、大方の人にとってこの表はなんだかよく分からない表でしかなかったはずです。

にもかかわらず、(800人弱にブックマークされ200人以上がコメントしたこの記事の)表に対する疑問はおろか、言及すら一切ありませんでした。彼らは一体この表に何を見い出していたのでしょうか。

現実を変えたいあなたへ: 自分が望むパラレルワールドに移行する方法

まあ最初の事例はまだしも理解可能です…世の中の大半の人にとって図表というものはただの飾りでしょうし、なにより筆者の主張自体は(多少不正確ですが)正しいからです。

ですが今回は違います。文字通り無から有が生み出されてしまった神話的事例です。上の記事はネットに蔓延しているなぞの「IQ世界ランキング」を解説したものなのですが、その中の一つ、カラパイアに掲載された以下の記事が、私に自らの正気を疑わせました。
https://karapaia.com/archives/52192998.html

このカラパイアの記事では日本の平均IQは105であり、世界3位となったことを紹介しています。続いて学生の国別IQランキング*1も紹介しているのですが、そこでも日本の学生は平均IQ105で世界3位となっています。そして、コメント欄では複数の人が日本の低迷を「ゆとり教育」や特定の世代*2と関連付けています。一体わたしは何を見ているのでしょうか…

この事態をパラレルワールドの存在以外によって説明するならば、恐らく彼らは「日本に追いつき追い越せで奮励する中韓ゆとり教育で自滅していく日本」のような物語、或いはイメージをあらかじめ持っていたのではないでしょうか。それに断片的に合致する情報(韓国・香港の順位が日本より上)を見た時、彼らの脳内には殆ど自動的に、かかる物語が呼び出されてしまったのでしょう。

なるほど彼らの誤りは現実的に解釈することが出来るかもしれません。しかし、200件弱のコメントの中でこの誤りを指摘するものが一つとしてなかったという事実(私のコメント除く)はどう解釈するべきでしょうか。狂っているのは俺か、世界か…?余談ですが最近アマプラでジョーカーを観ました。面白かったです。

1日5分! オトナのためのやりなおし算数ドリル

私はよく他人の意見を「糞の役にも立たない感想文」「n=1ですらない電波妄言」「ノイズ」「ゴミ」と罵ってしまう悪癖があるのですが、今回の事例を見れば少しは私の悪行もご寛恕いただけるやもしれません。事の発端はすももさんの以下のツイートでした。


このツイートがバズり、Togetterやはてなブックマークのコメント欄では喧々諤々の議論となっていたのですが、いつものように自分で調べると死んでしまう呪いにかけられた人のために、各属性をクロスした統計表をつくっていた時のことです。私は不思議なコメントに出会いました。



この手の話題で元の資料に当たる人はオオサンショウウオ並みのレア度です。気持ち悪いですが大事に保護しなければなりません。私も感心して読んでいたのですが、どうにも書かれていることが理解できません。

もう一度、すももさんが引用したグラフを見てみましょう。このグラフでは「未婚/男性」「有配偶/男性」「未婚/女性」「有配偶/女性」の幸福度について、それぞれ目測で0.55~0.60、1.00~1.05、1.25~1.30、1.20~1.25となっています。

他方、@dronesubscriberさんによれば「男性の既婚者は年齢によってあまり変わらず、未婚者は35歳以下で低い(1.46)という結果になりました」とあります。未婚/男性の平均幸福度は0.55~0.60なのですから、私の目か頭がイカレていない限り、これはあり得ない結果です。(女性の結果もおかしいですが微差なのでスルーします。ちなみに本当は独身の高齢男性がぶっちぎりで低いです)

というわけで、@dronesubscriberさんに一体どのような手法で計算されたものか聞いてみたのですが、残念なことにお返事はいただけませんでした。ちなみに、1000件を超えるコメントの中で私と同じ疑問を抱いた方は一人もいませんでした(ソースが不明だと指摘した方は一人いました。「いいね」は一つも付いていませんでした)。

結語

一体われわれは何を見ているのでしょうか。ここに挙げた事例はいずれも、特別な注意や複雑な作業を要せずともその誤りに気づけるものです。ちなみにこういう事例ああいう事例は特別な注意や複雑な作業に分類されます。大半の人にとって出典を調べるというのはどうやら極めて知的負荷の高い作業だからです。私も諦めています。ですがここに挙げた事例はどうでしょう、何か特別な資質が必要でしょうか。

注意しなければならないのは、これらの事例から誤った教訓を導いてしまうことです。世の中には馬鹿しかいないと斜に構えたところで糞の役にも立ちません。われわれがなすべきなのは、人間の理性とはかくもお粗末なものであり、そのお粗末な理性によって構築されたわれわれの「現実」もまたお粗末なものであると自覚することです。自覚したところで賢くなるわけではありませんが、少なくとも幼稚な自己憐憫よりは役に立つことうけあいです。

*1:単なる誤訳であり実際は学生のIQデータではない。

*2:コメントによれば「やたらと多いなんとかの世代」が平均を引き下げているらしい。