若者論を研究するブログ

打ち捨てられた知性の墓場

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ルーシー・クレハン 『日本の15歳はなぜ学力が高いのか? 5つの教育大国に学ぶ成功の秘密』 書評

第7章より

そこで政府は、子どもたちに「成長する余地」、すなわち「ゆとり教育」が必要だと考え、一九九〇年代の後半から二〇〇〇年代の前半にかけて、カリキュラムの三分の一を減らし、土曜日を段階的に休日化していき(最終的にはすべての土曜日を休日とした)、子どもたちに自分の興味を追究させるための「総合的な学習の時間」を設けた。

 出たよ三分の一説。三割と三分の一を間違えるなど円周率が三どころの話ではない。念のため確認しておくと、ゆとり教育(1998年改訂)における学習内容削減は、1998年教育課程審議会において示された「義務教育段階における約三割の削減」の方針が大元である。たとえば、読売新聞が学習内容削減に初めて触れた記事では以下のようになっている。

学校週五日制時代の幼稚園から高校までの教育内容について検討してきた教育課程審議会(文相の諮問機関、三浦朱門会長)は二十二日、審議のまとめを公表した。小中高校とも授業時間数を週当たり二時間(単位時間)削減するとともに、基礎・基本を確実に身につけさせるため、小中学校では教育内容を厳選し、現在の内容から約三割削減する。
(中略)
これについて文部省は、「約三割の削減となる。五日制で減る授業時間数以上に内容が削減されており、現在の八割程度の時間で教えられる内容」と、子供たちのゆとりの確保になることを強調している。

読売新聞, 1998.06.23, 朝刊, (1)7

ちなみに、教育課程審議会答申では「三割」という数字はどこにも出てこない。答申で示されたのはあくまで新授業時数との関連における学習内容の目安であり、次のような記述に留まる。

児童生徒にとって高度になりがちな内容などを削減したり,上級学校に移行統合したりなどして,授業時数の縮減以上に教育内容を厳選する。例えば,算数・数学,理科などは,新授業時数のおおむね8 割程度の時数で標準的に指導しうる内容に削減(『教育課程の改善のポイント』 教育課程審議会 1998)

この「新授業時数のおおむね8割程度」というのはどの程度の時数なのか、という問いに答えたのが上掲記事の「約三割の削減となる」という発言なのである。ただし、この方針が実行に移されたのかどうかについては、このブログでも何度か指摘している通り不明である。参考までに、中学校数学の学習内容は以下のようになっている。「三割削減」呼ばれるものの殆どは移行・統合ないし軽減されたものである。「移行・統合」はもちろん「軽減」された内容も高校以上では当然に学ばれる学習内容となっている。

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刈谷剛彦教授は、一九七四年から一九九七年までのあいだに、学校外で子どもが勉強に費やす平均時間が減少したことを発見した。これは何より、やる気の問題だという。(中略)この事態は労働者層の家庭の子どもたちにいちばん打撃を与えた。このことは、やる気の減退は貧しい家庭の子どもたちにいちばん顕著だったという、刈谷教授の第二の発見とも符合する。しかしゆとり教育の導入は、この傾向にさらに拍車をかけたと彼は述べている。刈谷教授によれば、ゆとり教育は、労働者層の子どもたちに、勉強しなくても大丈夫だと誤った安心感を持たせてしまい、彼らを就職戦線で、より不利な立場に陥らせたという。

残念ながら刈谷の考察は2000年代以降に有効性を失った。社会生活基本調査によれば、80年代・90年代を通して低下し続けていた学習時間は、ゆとり教育(98年改訂)以後に回復しており、またその中で最も増加傾向が顕著であったのは、川口(2013)によればボリューム層である「親が高卒の子ども」である。川口の分析はなぜか「ゆとり教育による格差拡大」を実証したものとして未だに流布されているが、川口は恣意的に親が高卒の子どもをグラフから除外しているだけであり、そもそも平均値の計算方法が間違っている。

hajk334.hatenablog.jp

刈谷の信じる「良い学校に行けば良い仕事に就けるという信念があった時代」というのも幻想に近い。第1回国際数学教育調査(FIMS)のデータを分析した森(2016)でも刈谷の説は斥けられている。複眼思考を有する刈谷先生ともあろう方がこれらの事実を知らないわけはないだろうと思うのだが、本書の解説でもこのことについて言及はなかった。いい加減に海外の先生方は刈谷を引用するのをやめてほしいのだが…

引用文では分からないと思うが、この章の記述は刈谷の考える「ゆとり教育(89年改訂以降)」と著者の知っている「ゆとり教育(98年改訂)」の用語が明らかに混乱している。このことは教育議論に大いなる弊害を齎しているのだがあまり知られていない。以下の記事を参照してほしい。丁度刈谷調査についても取り上げている。

hajk334.hatenablog.jp

 

PISAの結果が出されるたびに起こる、このような熱狂の中ではめったに考慮されることはないが、国際テストにおける日本の成績はゆとり教育の導入前から下降気味だった。それに、二〇〇三年の結果は、ほかとくらべてみても、そう大きな下落ではなかった。

下降気味だった、というのはおそらくTIMSSのことだろうか。順位は低下しているが得点の有意な低下はない。ほかとくらべてみても、というのは良くわからない。数学的リテラシー・科学的リテラシーについては共通領域における得点の有意な低下はないし、読解力の低下については得点が有意に低下した国の中で最も大きな下落幅だったはずである。著者も誰かからの受け売りで書いているだけではないのか。嘆かわしい。

 

二〇〇〇年と二〇一二年に子どもたちを対象に行った調査によると、学校に対する満足度はこの期間に、世界のどの国より増加している。そして問題解決のテストでは、日本の生徒は、PISAのトップだった上海をはじめ、他のほとんどの国より優っていた。私には、ゆとり教育が成し遂げようとしたことは、ちゃんと成し遂げられたように見える。

日本の問題解決能力の高さとゆとり教育(zest for living)を関連付ける主張はPISAの報告書にも記述されているだけあって認知度が高いが、ゆとり教育以前と比較した結果ではないので妄想の域を出ない。

 

学習内容の三分の一削減、刈谷説の盲目的引用、ゆとり教育(89年改訂)とゆとり教育の(98年改訂)の取り違え、PISA調査の誤読、いい加減にしてくれ。海外の研究者だから仕方ないかもしれいないがそれ以前に国内にまともな資料が少なすぎる。いや資料はあるのだがそれを精査する人間が少なすぎる。人間は言葉によって物事を認識するのだからいい加減「ゆとり教育」という混乱の元凶である馬鹿向けの用語を使うのはやめたらどうだ。

 

b.hatena.ne.jp

500以上のブックマーク数、一体どこで差がついたのか。収拾がつかない伝言ゲーム、どうすれば良いのか。