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濫用され得る薬物の有害性を評価するための合理的な尺度の開発 〈私訳〉

大麻がどーたらの議論でよく見るコレ↓ 一体いかなる理屈でこの画像が生み出されたのか、後学のため出典の拙訳を載せておきます。
Nutt, David, Leslie A King, William Saulsbury, Colin Blakemore. "Development of a rational scale to assess the harm of drugs of potential misuse" The Lancet 2007; 369:1047-1053.

要旨

薬物の不適切な使用や乱用は重大な健康問題である。現在、有害な薬物はそのリスクや有害性に基づくとされる分類システムによって規制されているが、その分類システム構築に係る方法論や手続きは概して曖昧であり透明性に欠けている。したがって、その規制やシステムの正確性は保証されておらず、それによって薬物の啓蒙活動も説得力が低下している。

我々は、エビデンスに基づき様々な違法薬物の有害性を評価するため、デルファイ法により九つのカテゴリを持つ有害性評価マトリクスを開発し、その実用可能性を調べた。参考のため、我々の調査には五つの合法的な薬物(アルコール、カート、有機溶剤、亜硝酸エステル、タバコ)及び調査後に違法薬物に指定されたケタミンを含めた。

この評価プロセスは実用可能であることが証明され、二つの独立した専門家グループによる得点と順位の評価は概ね一致していた。また、我々が順位付けした薬物の有害性と現行の法規制による違法薬物の分類には差異が見られた。我々の方法論は、各国の規制当局が、現在及び将来の薬物乱用の有害性を評価するための体系的なフレームワークと手続きを提供する。

序論

薬物乱用は、現代社会における社会的、法的、及び公衆衛生上の主要な課題の一つである。イギリスでは、薬物乱用による健康問題や社会問題、犯罪への対処にかかる総負担額は年間で10億ポンドから16億ポンドと試算されており、世界規模での負担はこれに比例して莫大なものとなっている。

薬物乱用に対する現在の主要な対策は、(警察と税関による)供給の禁止、教育、そして治療の三つである。これら三つのアプローチ全てが、それぞれの薬物の相対的有害性について明確な基準を必要としている。

現在イギリスでは、違法薬物の取締りや刑罰は1971年薬物乱用法の規定に基づいており、教育や医療の提供は、名目上、特定の薬物の既知の作用とその有害性に合わせたものとなっている。殆どの国や国際機関(国連やWHO)がそれぞれの違法薬物の分類システムを持っているが、その基準は多くの場合公開されていないか、公開された場合でも曖昧かつ不透明であり、一見恣意的に見えるものも多い。

この明確性の欠如は、有害性の推定について考慮しなければならない要素の膨大さと複雑さ、及び科学的根拠が多くの関連分野で制限されているだけでなく、漸進的かつ予測不可能な方法で発展していることを原因の一部としている。

現在のイギリスの薬物乱用法も同様であり、違法薬物はその危険度の順にクラスA、クラスB、クラスCに分類されている。また、この分類に基づき違法薬物の輸入・使用・所持に対する刑罰の軽重や取締りの厳しさが決定されているが、現在の分類は非体系的かつ恣意的であり、その科学的根拠は殆ど無いように見える。

そこで我々は、事実と科学的知見に基づいた、個々の薬物の潜在的有害性を評価するための新しいシステムを提案する。このシステムは、既存の薬物の有害性について、その研究の発展に対応することができ、新たに登場するストリートドラッグの危険性なども評価することができる。

有害性のカテゴリ

いずれの薬物にも共通して決定できる有害性の要因が三つある。:薬物使用によって引き起こされる身体的有害性:薬物の依存を引き起こす力の強さ:家族や社会に与える影響の大きさの三つである。

身体的有害性

薬物の身体的有害性、すなわち、臓器や身体組織に対する有害性の評価は、その安全域だけでなく、長期の継続的摂取によって生じる健康問題も考慮しなければならない。生理学的機能(たとえば心臓や呼吸器官)に対する薬物の影響は、身体的な有害性を判断する上で主要な評価基準である。

薬物の投与経路もまた有害性の評価に関連している。静注可能な薬物(たとえばヘロイン)は、呼吸抑制によって突然死を引き起こす危険性があり、それ故、これ等の薬物は急性の有害性を表すいずれの指標でも高得点を示す。

他方、タバコとアルコールの常習的な摂取は将来の疾患や死亡を引き起こす高い危険性を持っており、近年提出されたエビデンスによれば、紙巻きたばこの長期摂取は平均して寿命を10年縮めることが示されている。また、イギリスでは薬物関連の死亡原因の90%をタバコとアルコールが占めている。

医薬品・医療製品規制庁(MHRA)及びそれに類するヨーロッパ、アメリカ、その他地域の各機関は医薬品の安全性を評価する確立された手法を持っており、これを危険性評価の基礎とすることができる。実際、乱用薬物のいくつかは医薬品としての認可を受けており、その安全性も既に評価されているが、殆どのケースにおいてそれは何年も前のことである。

ここで、身体的有害性の三つの側面を定義することが出来る。第一に、急性の身体的有害性(即効性のものであり、たとえば、オピオイドによる呼吸抑制やコカインによる急性心臓発作、中毒死)である。薬物の急性毒性はしばしば致死量に対する治療量の比率(安全域)で測定される。我々が調査した殆どの薬物でこのデータを利用することができた。第二に、慢性の身体的有害性(常習的使用の結果であり、たとえば覚醒剤による精神病、大麻による肺疾患)である。そして最後に、静脈注射に関連する特定の問題がある。

薬物の投与経路は、急性毒性だけでなく所謂"secondary harms"にも関連している、たとえば、静脈注射による薬物使用は肝炎ウイルスやHIVの感染を拡大させる可能性があり、これは使用者個人だけではなく社会全体の健康問題となりうる。静脈注射の問題は現在の薬物乱用法でも考慮されており、我々の調査においてもこれを個別のパラメータとして取り扱っている。

依存性

この有害性には相互依存的な要素、すなわち、その薬物の快楽の強さとその薬物自身の依存形成力が含まれる。一般に、オピオイドやコカインのように強い快楽をもたらす薬物は乱用されるのが常であり、薬物の市場価格はこの快楽の強さによって決定されている。

快楽を引き起こす薬物の作用には二つのものがある。一つは、薬物投与後に急速に生じる効果(通称"ラッシュ")であり、もう一つが、これに続いてしばしば数時間持続する多幸感(通称"ハイ")である。薬物の成分が脳に届く時間が早いほどラッシュの効果も強くなり、これがストリートドラッグの摂取において喫煙、静注が好まれる理由でもある。どちらの摂取方法も投与から30秒以内に脳に届く。

ヘロイン、クラックコカイン、タバコ(ニコチン)、大麻(テトラヒドロカンナビノール)といった薬物はこれらの迅速な経路によって投与されている。粉末状のコカインを鼻粘膜から吸収する場合も同様である。経口投与は唯一効果の発現を遅らせる摂取方法であり、一般に効果は弱くなるが、その持続時間が長くなる。

薬物乱用の本質的特質は、その常習性にある。この性質には様々な要因とメカニズムが関わっており、薬物による特別な体験は確かにその理由の一つである。たとえば、幻覚剤(リゼルグ酸、LSD、メスカリン等)の場合、おそらく幻覚体験がその使用の唯一の理由であり、これらの薬物はそれほど頻繁に摂取されることはない。

その対極にあるのがクラックコカインやニコチン等の薬物であり、これらの薬物は殆どの使用者に極めて強い依存をもたらす。身体的な依存には耐性の増加(すなわち、同じ効果を得るために必要とする摂取量が徐々に増える)、激しい渇望、薬物使用を中止した際の離脱症状(たとえば、振戦、下痢、発汗、不眠症)が含まれる。

これらの作用は薬物使用によって脳の器質的、適応的な変化が生じたことを示している。依存性の高い薬物は頻繁に、繰り返し使用される傾向にあるが、それは部分的には薬物に対する渇望のためであり、部分的には離脱症状を避けるためである。

精神的依存も同様に、薬物の繰り返しの使用によって特徴づけられるが、身体的依存とは異なり直接の身体症状や耐性の増加は見られない。実際に、長年の大麻使用を中止してもその離脱症状は数日間しか持続しない。いくつかの薬物、たとえばベンゾジアゼピンは耐性が増加することなく精神的依存を生じ、投与が中止されるという恐怖だけで身体的な離脱症状が生じる。

この種の依存は中毒症状よりも十分に研究されておらず、理解もされていない。しかし、投与する薬物の量を一定に保ったうえで、使用者に投与量を減らしていると説明するだけで身体的な離脱症状が生じることが確認されており、その意味で使用者にとっては本当の体験と変わりがない。

依存と離脱症状を引き起こす薬物の性質は合理的に定義することができる。半減期の短い薬物ほど激しい離脱症状が生じ、また、薬力学的効果の強い薬物ほど強い依存が生じる。そして、耐性の増加が大きくなるほど離脱症状も大きくなる。

多くの薬物において、動物実験で観察された結果と人間に生じる症状には良好な相関がある。また、同じ分子特異性を持つ(すなわち、脳内の同じ標的分子に結合、または相互作用する)薬物は類似した薬力学的効果を持つ傾向にある。したがって、新しい化合物の作用について、それを人間に投与する前にある程度合理的な予測をすることが可能である。

薬物の依存性は、それが古いものであれ新しいものであれ、既に使用している人にしか実験的研究が行えないため、一般に使用される薬物については人口ベースの推定が行われてきた。これらの推定は喫煙が最も依存性の高い一般的薬物であることを示しており、ヘロインとアルコールがそれに続く。他方で幻覚剤の依存性は低い。

社会的有害性

薬物は様々な経路で社会に悪影響を与える。たとえば、その毒性の様々な態様、家族や社会生活への損害、医療費や取り締りに係る費用等である。特に、激しい中毒作用を持つ薬物は使用者や周りの人、財産等に甚大な損害をもたらすことがある。

たとえば、アルコールの酩酊作用はしばしば暴力的なふるまいを引き起こし、車両事故やその他事故の一般的原因でもある。多くの薬物は使用者の家族にも影響を与える。乱用薬物は使用者の生活の動機を歪め、家族を遠ざけ、犯罪を含む薬物に関連した行動に従事させるようになる。

いくつかの薬物は計り知れないほどの社会的損失を生み出す。タバコは病院の疾患原因の最大40%を、薬物関連疾患については最大で60%を説明するとされる。アルコールによる何らかの事故、救急部門、整形外科への入院は全ての受診者の過半数を占めている。ただし、これらの合法的な薬物は税収によってその損失を幾ばくかは補填することができる。

静注可能な薬物にはまた別の問題がある。これらの薬物は針の使いまわしや性交渉によってHIVや肝炎の感染を拡大させることがある。最近になって普及した薬物、たとえば"エクスタシー"やMDMAとして知られる3,4-メチレンジオキシ-N-ヒドロキシ-N-メチルアンフェタミンの長期的な健康・社会的リスクは現在のところ動物実験によってしか推定できない。もちろん、全ての薬物使用は社会的有害性をもたらしうる。

有害性の評価

Table1は我々が作成した評価マトリクスである。これには上述の通り、三つのカテゴリが設定されており、各カテゴリが三つのサブカテゴリを持つことで計九つのリスクパラメータが設定されている。評価者はそれぞれの薬物について、九つのパラメータを4件法(0=no risk, 1=some, 2=moderate, and 3=extreme risk)で評定することが求められる。いくつかの分析では、それぞれのメインカテゴリについて、サブカテゴリの単純な平均を使っている。また、考察のためには、九つのパラメータの全体の平均を使っている。

パイロット版の試行はRunciman Reportのメンバーによって行われた。このパイロットテストにより一度リファインされ後、追加のガイダンスノートを添えて、Table1に基づいた質問票が使われた。評定は二つの独立した専門家グループによって行われた。

最初のグループは英国王立精神科医学に薬物嗜癖の専門家として登録されている精神科医のグループである。評定を求めた77人の登録医師の内29人から返信を受け取り、14の薬物(ヘロイン、コカイン、アルコール、バルビツール酸系アンフェタミン、メサドン、ベンゾジアゼピン有機溶剤、ブプレノルフィン、タバコ、エクスタシー、大麻LSDステロイド)の評定及び分析が実施された。

タバコとアルコールを含めたのは、その過剰摂取のリスクについての信頼できるデータが既に蓄積されており、他の薬物の絶対的有害性を判断することができるためである。ただし、タバコとアルコールを他の薬物と直接比較することはできない。合法の薬物は様々な点で、特にその入手が容易であるという点において有害性の評価に影響を与えているからである。

この評価マトリクスが十分に機能することを確認した後、より幅広い専門性を持つ専門家によって構成された第二のグループによる会議を開催した。これらの専門家には化学、薬理学、法科学、精神医学、疫学を含むその他専門家、及び法律・警察関係者が含まれ、評価はデルファイ法に基づく一連の会議によって行われた。

このアプローチは、問題とその影響が極めて広範であり、正確な測定や実験が困難な分野において、知識を最適化するために広く使用されている方法である。これは医療問題においてコンセンサスを形成するための標準的な方法となりつつある。デルファイ法による分析には、様々な分野の専門家による高度な知識が組み込まれているため、薬物乱用や依存症のように複雑な問題を分析するには理想的な方法である。

最初の評定は各参加者が独立して行った後、会議の場で全員に提示され、外れ値の理由を解明することに特に重点が置かれた。個々の参加者はこの会議の結果に照らしてスコアを修正し、その後、最終的な平均スコアが計算された。このプロセスの複雑さは、1回の会議では僅かな薬物しか評価できないことを意味しており、最終的には4回の会議によって全体の評価が完了した。会議に参加したメンバーの数は各回8人から16人であったが、専門家の多様性は維持している。

この第二セットでは最初の十四の薬物に加えて、完全性を期すため六つの薬物(カート、4-MTA、GHB、ケタミンメチルフェニデート亜硝酸エステル)が追加された(Table2)。いくつかの薬物は違法ではないが、乱用の報告があったために追加している。参加者は知識を更新し、自らの意見を熟考できるよう、各会議では事前に対象となる薬物が伝えられ、最新のレビュー記事が提供された。

特定の薬物の特定のパラメータについて、スコアを付けることができない参加者もいたが、この欠損値は分析では無視している。すなわち、ゼロとして扱っているわけではなく補間もしていない。データはMicrosoft Excelの統計機能とS-plusによって分析された。

結果

このリスク評価システムは、アンケート及び議論の両面で簡便かつ実用的なことが示された。Figure1は20の化合物について、全てのカテゴリスコアを平均したものをランク順に並べたものである。薬物乱用法による分類も同時に表示している。

最も有害性の高い二つの薬物(ヘロイン、コカイン)は薬物乱用法でもクラスAに分類されているが、他の薬物については同法の分類との間に驚くほど相関が無い。我々の評価で上位八つの薬物と下位八つの薬物は、いずれも三つがクラスA薬物であり、二つは未分類の薬物である。

アルコール、ケタミン、タバコ、有機溶剤(いずれも調査時点では未分類の薬物)はLSD、エクスタシー、4-MTAよりも有害性が高いと評価された。実際、薬物乱用法による分類と我々の有害性ランクとの相関に有意差は無い(Kendallの順位相関 -0.18; p=0.25; Spearmanの順位相関 -0.26, p=0.26)。

未分類の薬物では特にアルコールとケタミンに高いスコアが与えられた。興味深いことに、つい最近、薬物乱用諮問委員会(ACMD)がケタミンを薬物乱用法の指定薬物にするべきと勧告し、これが承認されている。

我々は、両方のグループで評価された14の薬物について、その平均スコア(九つのパラメータの平均スコア)を比較した(Figure2)。二つのグループの評価は概ね一致しており、スコアの妥当性と堅牢性が示された。

Table3に示したのは第二グループの評価の結果である。それぞれのサブカテゴリの平均スコアとカテゴリの平均スコアが示されており、各薬物は全体の平均スコア順に並べられている。多くの薬物は三つのカテゴリそれぞれの順位が一致していた。

たとえば、ヘロイン、コカイン、バルビツール酸系、ストリート・メスはいずれのカテゴリにおいても上位5位を占めている。他方で、カート、亜硝酸エステル、エクスタシーはいずれのカテゴリにおいても下位5位の評価しか与えられていない。

いくつかの薬物はカテゴリ間の順位に明らかな違いがある。たとえば、大麻は身体的有害性については低いスコアとなっているが、依存性と他者に対する有害性はいくらか高くなっている。アナボリックステロイドは身体的有害性が高いが依存性は低い。タバコは高い依存性を示すものの、それに比して社会的有害性は明らかに低くなっている。これはタバコの中毒性スコアが低いためである。

また、タバコの身体的有害性の平均スコアは中程度となっているが、これは急性毒性、静注の有害性が低い一方で、驚くことではないが、長期的使用の有害性が極めて高いためである。

静注可能な薬物は概して高い順位となった。これは、単にカテゴリ3(すなわち、静注のされやすさ)とカテゴリ9(医療費)において極めて高い得点が与えられたことだけが原因ではない。仮に、この二つのスコアを分析から除いたとしても、これらの薬物はなお高い順位のままである。したがって、静注可能な薬物は、その他多くの面で極めて有害性の高い薬物であると判断することができる。

考察

我々の研究の結果は、現在の薬物乱用法におけるA,B,Cクラスというはっきりした分類を正当化しない。もちろん、明確なカテゴライズは取締り、教育、社会的支援における優先順位の設定、違法薬物の所持や取引の量刑を決定する上では有用である。

しかし、我々がここで示したより完全な有害性評価は、薬物のランク付けも、それに基づく薬物乱用法の分類も、どちらも支持しない。いかなるランキングにおいても、明確に定義されたカテゴライズは、明らかな不連続性が確認されていない限り本質的に恣意的なものである。

Figure1はそのような不連続性を僅かに示唆しているだけであり、分布のほぼ真ん中、ブプレノルフィンと大麻の間に小さな段差がある。興味深いことに、アルコールとタバコはどちらも上位10位内に入っている。また、アルコール以降の薬物で有害性スコアが加速度的に増加している。

したがって、敢えて従来の区分と同じく三つのカテゴリによって分類するならば、アルコール以上の薬物をクラスA、大麻以下の薬物をクラスC、その中間の薬物をクラスBとすることが考えられる。これは、最も広く使用されている合法薬物であるアルコールとタバコが、それぞれクラスA、クラスBの薬物に匹敵する有害性を持っていることを確認できる点で有益である。

参加者は薬物の有害性を評価するにあたり、その薬物が通常使用される形態での評価を求められた。しかし、いくつかのケースでは、特定の薬物の有害性をその使用方法の干渉要因から完全に分離することはできなかった。

たとえば、大麻は一般にタバコと混ぜた上で喫煙されるが、これが身体的有害性と依存性のスコアを引き上げた可能性がある。多剤併用に係る不確実性はさらに大きく、特に、混合物として一般に使われるGHB、ケタミン、エクスタシー、アルコールを含むいわゆる"recreational group"が主としてその副作用を引き起こしている可能性がある。

クラックコカインは一般に粉末状のコカインよりも危険性が高いと考えられているが、この研究では両者を分けて評価することはしなかった。同様に、ベンゾジアゼピンの評価は、最も乱用されているテマゼパムの使用に偏っていた可能性がある。我々の、或いは別の評価システムにおいても、公式に使用される場合はベンゾジアゼピン系の薬物は個々に評価し、他の薬物についてもその使用形態を考慮することがより適切であると思われる。

独立したスコアが少数であることを鑑みて、九つのパラメータ間の相関は推定しなかった。冗長性が存在する可能性が非常に高い――すなわち、九つのパラメータの値が、九つの独立した測定値を表していないということである。

同様に、パラメータの主成分分析も行わなかった。一つは不十分なデータしか存在しないことが理由であり、もう一つは、さらなる調査によって評価システム全体の妥当性が検証されるまでは、パラメータの数を減らすことは適当ではないと考えたからである。

我々の分析では各パラメータに同等の重みが与えられ、個々のスコアは単純に平均された。このような手順においては突出した急性毒性を持つ薬物の有害性を適切に評価できない可能性がある。たとえば、MPTP(1-メチル-4-フェニル-1,2,3,6-テトラヒドロピリジン)を含むデザイナーズドラッグは、単回投与で大脳基底核黒質を著しく損傷し、重度のパーキンソン病を引き起こす。

実際、この単純なスコア算出方法では、一つの側面だけが著しい有害性を持つ薬物を適切に評価できない可能性がある。タバコを例に挙げると、30歳以上での喫煙は平均余命を最大で10年縮めることが示されている。喫煙は薬物関連の死亡の最も一般的な原因であり、医療サービスに大きな負担を与えている。しかし、タバコの短期的な有害性と社会的な影響はこれに比して大きなものではない。

もちろん、特定のリスクを強調するために、その重要度に応じてスコアの重み付けを変更することもできる。多基準意思決定分析など他の分析方法を使うと、異なるパラメータ間の順位の違いを説明することができるようになる。これらの解釈についての留保、及びパラメータの重みづけについての考慮の必要性にも関わらず、各スコアラー間でパラメータの値が概ね一貫していたことは特筆すべきである。

我々の調査結果は、薬物乱用法の分類が名目上は使用者と社会に対する危険性から決定されているという事実に疑問を投げかける。特に、幻覚剤の評価についてその食い違いは顕著なものとなっている。また、我々の調査結果は、アルコールとタバコが薬物乱用法から除外されていることは科学的観点から恣意的であることも強調している。

我々は、社会的に許容されている薬物と違法な薬物の間に明確な区別を見出すことはできなかった。この二つの最も一般的に使用されている合法的な薬物が、我々の評価では上位半分に位置しているという事実は、違法薬物についての公開討論でも考慮されるべき重要な情報である。先入観や仮定ではなく正式な評価に基づいた議論は、社会が薬物の相対的な危険性についてより合理的な議論を行う上での助けとなる。

我々は、専門家の評価による科学的根拠に基づいた分類システムが推奨されるべきであると考える。我々のアプローチは、薬物の危険性について包括的かつ透明性の高い評価システムを提供している。また、このアプローチはこれまでの研究の蓄積の上に構築されているが、デルファイ法を通じて幅広い分野の専門家による知見を利用することで、より多くの薬物の様々な危険性を考慮することができている。

このシステムは厳格かつ透明であり、薬物の有害性について正式かつ定量的な評価を含んでいる。また、研究の進展によって得られた結果を再適用して評価を更新することも容易である。MacDonaldらも薬物の有害性評価システムを考案しており、彼らのシステムは我々のスキームを補完するものとなっているが、まだ特定の薬物に適用されたことは無い。

その他の組織(たとえば、欧州薬物・薬物依存監視センター、オランダ政府のCAM委員会)は現在、それぞれのリスク評価システムを開発中であり、そのいくつかは数値ベースのものである。他にもデルファイ法を利用しているシステムはあるが、我々ほど幅広い薬物について、包括的なリスクパラメータを使っているものは無い。我々のシステムは、薬物乱用諮問委員会や欧州医薬品庁などの規制当局が、薬物の分類についてエビデンスベーストな決定を行うのを助けることができると考える。

全国学力テストの事前対策はなぜ許されないのか?

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221014/k10013858211000.html
先日、全国学力・学習状況調査(以下単に「全国学力テスト」と呼ぶ)において、石川県で「行き過ぎた事前対策」が行われていたことがNHKで報じられた。これに対するブコメの反応は二分されており、少なくない人がこの事前対策を肯定的に捉えたようである。以下にその一例を示す。

全国学力テスト 行き過ぎた事前対策 トップクラス石川県で何が | NHK

私は「別に構わない」派。学校より学習塾の授業の方がよいと小学生の時からずっと思っている。多くの場合、学科はまず「苦手でなくなる」ことが「好き」への道だ、とも確信しているし。テストで点を取る訓練を支持。

2022/10/14 12:47
全国学力テスト 行き過ぎた事前対策 トップクラス石川県で何が | NHK

これ中等教育の学生が学習をするモチベーションをテストによって確保されているという当たり前の話では?これではだめだという人は自分の学生時代を振り返ってみたら。

2022/10/15 08:16
全国学力テスト 行き過ぎた事前対策 トップクラス石川県で何が | NHK

過去問を解くのは、むしろ学力を上げるための鉄則だと思うが。過去問を解くと目的意識がハッキリする。その後の学習の集中力が上がる。自分に何が足らないかが明確になる。

2022/10/14 18:18

結論から先に言えば、こうした素朴な学習論は大規模学力調査と著しく相性が悪い。個人に対するフィードバックを大きくすることと、正確な集団統計量を計算することは基本的に両立せず(信頼性の問題)、また、学力の経年比較も不可能になるからである(比較可能性の問題)。加えて、「テストをすれば学力が上がる」という素朴な言明は、往々にして「何を測定しているのか」という問題を覆い隠す(妥当性の問題)。

もちろん、現行の制度設計において、各自治体が最善を尽くすことが否定されるわけではない。制度が糞であることに彼らの責任は無いからである。問題は、彼らの努力を肯定する論理が、正に糞みたいな現行制度が肯定される論理となっている点である。この点、以下順を追って詳しく説明していこう。

信頼性の問題

"PISA Data Analysis Manual"では、教育評価(Education assessments)には大きく分けて二つの目的があるとされている。一つは、個々人のパフォーマンスを測定することであり、この場合は各個人に関連する測定誤差を最小化することが重要となる。もう一つは、各集団のパフォーマンスを測定することであり、この場合は個々人の測定誤差を縮小することよりも、調査の対象集団の誤差を最小化することが目指される。基本的に、国が実施する、或いは国際的な教育調査は後者に属する。

つまり、各個人を評価することと、各集団を評価することはトレードオフの関係にある。その原因の一つは、このマニュアルでも説明されている通り、集団の統計量を計算する場合、個々人の単純な平均を用いるよりも、個々人の得点を何らかの分布を持つ連続変数として捉えたほうが正確な計算が可能になるからである。

ただし、この場合は個々人の得点自体は記録されているので、(測定誤差が配慮されていないとしても)その結果を個々人のパフォーマンスとして利用すること自体は可能である*1。各個人と各集団がトレードオフの関係となる、より実際的な原因は、前者を優先する場合、予備調査の実施が困難になるという点にある。

この点を説明する前に、まずは、テストを個々人の学習に利用する場合、必然的に全数調査が要請されるということを確認しておかなければならない。第一に、テストが個々人の学力に影響を及ぼすならば、一部の生徒しか利用できないのは公平性の観点から問題がある(フィードバックの問題)。第二に、抽出調査の場合、各学校の規模や地域を考慮しても対象母集団の1%も必要ではないため、テストの成績向上を目的として指導するインセンティブに欠ける(事前対策の問題)。

したがって、冒頭に引用した学習論が正しいとしても、その場合は全数調査が要件となるのである。実際に、平成22年の「全国的な学力調査の在り方等の検討に関する専門家会議」では次のような意見が出されている。

調査の視点なら抽出調査がよいが、指導の視点なら悉皆調査がよいというコンフリクトがあるが、後者は自治体に委ね、必要があれば国が支援をする形がよいと思う。
抽出調査では大きな政策は変えられるが、悉皆調査による支援をしないと、個々の先生は関心を持たない。
抽出に変わり、調査に関係ない学校は、雰囲気がだれている。学力向上が盛り上がらなくなっているという厳しい現状を考えると、4年に1回は悉皆にして、しかも教科を増やすべき。
教育学的には悉皆が望ましいと考えている。全国および県別の状況把握では抽出調査でもよいが、悉皆調査では、個々の子どもの症状が把握できる。全体としての傾向ではなく、個人レベルで把握できる。それにより、義務感、使命感を醸成することが極めて重要である。教材研究も切実感をもって指導改善することが必要。

会議では抽出調査の方が望ましいという意見も少なくなかったが、その後に実施された全国学力テストは結局全数調査となった。全数調査の場合、各テスト項目の性質を把握するための予備調査は殆ど不可能となる。皮肉なことに、個々人のテスト成績の向上に対するインセンティブが高ければ高いほど、問題が漏洩する可能性が高まり、したがって予備調査の実施が困難になる。

実際に、全国学力テストではこのような予備調査は行われていない。2006年に実施された予備調査では本調査とは全く異なる問題が出題されており、2018年に実施された英語予備調査に至っては中学校3年の全生徒がその対象となっている(当然本調査では異なるテスト項目が用いられた)。

結果として、全国学力テストの信頼性は低い。不適切なテスト項目は(発見できるとしても)本調査によって発見するしかなく、しかもその知見は次の調査に引き継がれることもないからである。これが「学力テストを指導に生かす」ことの必然的帰結である。

比較可能性の問題

テストの結果を経年的に比較することは、殆どの大規模学力調査の主要な目的の一つだが、全国学力テストではこの目的を達成することができない。複数の異なるテスト結果を同一の尺度で評価するには、古典的テスト理論に基づいたテストならば各年度で同一のテストが、項目反応理論に基づいたテストならば各年度で共通するテスト項目が必要となるが、全国学力テストは異なる年度で異なる問題しか出題されないからである。

ここで古典的テスト理論と項目反応理論について簡単に説明しておこう*2。古典的テスト理論によって運用されているテストを一言で言えば、われわれが日常的に受けているテストそのものである。つまり、全ての受験者が同一の問題を一斉に解き、その結果として得られたテスト得点から平均値や偏差値、識別力といったものが計算される。

また、それらの統計量から、テストの性質や受験者の能力、テスト項目の特性などが分析される。多くの人にとってはお馴染みのテスト形式であり、教室で行われる小テストから高校・大学の入学試験まで、日本においては基本的に古典的テスト理論によってテストが運用されている。

しかし、古典的テスト理論によるテスト得点、或いはテスト項目に対する意味付けには理論的な限界が存在する。それは受験者の性質とテストの性質が分離できないことだ。素点や偏差値、或いは通過率や識別力といった古典的テスト理論による分析は、受験者集団の特性分布と項目の特性の双方に依存している。

これを学力の比較という観点から考えるならば、二つの集団に異なるテストを与えた場合、テスト得点の変化が受験者集団の変化に起因しているのか、テスト項目の変化に起因しているのかが原理的に区別できないということだ。

したがって、古典的テスト理論において得点の意味付けが可能となるのは、同一の受験者集団が異なるテストを解いた場合、異なる受験者集団が同一のテストを解いた場合、同一の受験者が同一のテストを解いた場合に限られてしまうのである。

これが、通常のテストにおいて経年比較が難しくなってしまう大きな理由である。異なる年度で異なる受験者が解いたテストの結果を比較可能なものにするには、テストを同一の問題にしなければならない。そのためにはテスト問題を秘匿する必要がある。しかし、テスト問題を完全に秘匿するのは現実的には難しい。

第一に、受験者は当然にそのテスト項目を知っているのだから、彼らの口をふさぐ何らかの手段を用意しなければならない。少数の集団であれば口頭での注意で足りるかもしれないが、大規模な学力調査ではまず不可能である。

第二に、一部の問題が漏えいしても、出題者側にどの問題が流出したか知られていなければ対策をとることも難しい。また、漏えいした問題を特定してテストから除外しても、それを繰り返せばテストの項目プールは早々に尽きてしまう。

第三に、日本ではテスト(特に学生を対象とするテスト) は、学習のフィードバックのために利用されることが多い。たとえば、センター試験の問題は毎年新聞にも掲載され、受験生はその公開されたテストを利用して学習を進めている。いわゆる「過去問」の利用である。そのため、テスト項目を秘匿することは教育目的から反発されることもある。

他方、項目反応理論によってテストを運用する場合、各年度のテスト結果を比較するには、テスト間で共通する問題が含まれていればよい。これは単にテスト項目の秘匿が容易になるというだけでなく、測定対象である能力の幅広い領域を調査することを可能にする。たとえば、以下に示したのはPISA調査におけるブックレットデザインの一例である。

PISA2003では、全ての領域を合わせて167問が出題されているが、それらの問題は分野ごとにいくつかのクラスターにまとめられている。上の表のM,S,R,PS はそれぞれ、数学的リテラシー(Mathmatics literacy)、科学的リテラシー(Science literacy)、読解力(Reading literacy)、問題解決能力(Ploblem Solving) の四つの分野を意味している。

それぞれのブックレットには他のブックレットと共通する問題が含まれており、各受験者はこの13冊のブックレットの内、いずれか1冊のみを選択し受験することになる。こうすることで、生徒・学校側の負担を少なくしたうえで、より多くの項目を実施することが可能になるのである。

ただし、この実施形態からわかるように、重複テスト分冊法を用いたテストは集団の能力を推定することに重点を置いている。個々の受験者はテスト全体の半分も解いていないか、場合によっては全く解いていない。これは「テストの結果を指導に生かす」目的からすれば、公平性に欠けるように見えるのか、全国学力テストにおいては項目反応理論も重複テスト分冊法も導入される気配はない(議論はある)。

妥当性の問題

最後に妥当性の問題を取り上げる。が、この点に関して全国学力テストは論外の一言で済ませても良いかもしれない。何故ならば、全国学力テストの調査報告書をどれだけ見回しても測定しようとする学力の定義がなされていないからである。

本来、学力の定義というものは単にテストが測定しようとしている能力を意味するだけでなく、学力という曖昧模糊とした概念を現実に測定することを可能たらしめている、テストの根幹である。学力を定義せずに学力調査を実施することは不可能であり、とりもなおさず、学力の定義を抜きにして学力調査の結果を語ることもできない。

学力は人の身長や体重などと違い、目に見えるものであったり直接測定することができるものではない。こうした「確かに存在していると思われるが、直接的に触れることができないもの」を構成概念と呼ぶ。学力の存在は多くの人が肯定するだろうが、それは目に見える形で実体を伴うものではない。

しかし、構成概念がもたらすと思われる実体的な行動を測定し、数値化することで構成概念を間接的に測定することはできる。たとえば、学力というものは目に見えず、何らかの実体に還元することは(現時点では) 難しいが、学力テストの「点数の違い」の背景には、「学力」という潜在的な概念が存在することは多くの人に想定されているはずだ。この場合、現実のテスト得点が「学力」という構成概念を数値化したものとなる。

ただし、一概に学力といっても、その言葉が意味するところは一意ではない。たとえば、「国語の学力」といっても漢字の習熟度や文章読解能力、表現能力など様々な学力が考えられる。通常のテストでは、測定したい能力をこうしたいくつかの下位概念に分けて、その下位概念を測定する項目に対する得点から学力の分析が行われる。

たとえば、数学の学力を測定したい場合、それをいくつかの領域、「量」「空間と図形」「変化と関係」「不確実性」などに分け、それらを測定する問題項目の集合としてテストは作成される。そして、テストの結果は平均点や偏差値などによって代表されることになる。

しかし、構成概念を下位領域に分解しただけでは、学力の定義は十分ではない。学力には知識量であったり、応用能力といったように、異なる次元の学力が考えられるはずだ。或いは、問題が出題される文脈や状況に応じた学力というものも考えられるだろう。

こうした学力の様々な側面を考慮して、測定したい学力が定義される。逆に、単に「学力を測定します」としか言っていない学力調査は、まずまともなものではない。それはつまり、測定する構成概念についての妥当性を検討する作業を行っていないということを意味しているからだ。

たとえば、先述のPISAやTIMSSのような大規模学力調査では、下の図 のように学力の定義が、或いはその構造が示されている。

TIMSS2003では「数学能力」が測定されているが、「数学能力」はその内容によって「代数」「測定」「数」「幾何」「データ」というさらに小さな領域に分けられている。さらに、それらの内容領域、たとえば「数」という内容領域は、それに関連する領域として「自然数」「分数・小数」「整数」「比率・割合・百分率」といったさらなる下位領域に細分することができる。

したがって、これらの下位領域について問題を作成し、その結果から「数学能力」が数値化されることになるが、TIMSSではさらに、認知的領域として「事実と手順についての知識」「概念の利用」「ルーティン的問題解決」「推論」という4 つの能力も設定している*3。たとえば、「事実と手順についての知識」ならば、単純な四則計算ができるかどうか、数学記号の定義を覚えているかどうか、といったことが問われている。

また、PISA2003で測定されている「数学的リテラシー」は、TIMSSのそれよりも複合的なものとなっている。図では説明の便宜上、「内容領域」「プロセス」「状況」の順に矢印が伸びているが、実際にこの順番で学力が定義されているわけではない。

PISAにおける数学的リテラシーは、特定の内容領域、問題解決のプロセス、問題が出題される状況という三つの側面から学力を定義し、測定している。たとえば、「科学的な状況で出題される不確実性についての熟考」を測定するような問題が、実際のテスト項目として具体化されることになる。

長々とPISAやTIMSSにおける学力の定義を説明したが、国学力テストにおいてはこのような定義は一切示されておらず、それに対する一般の反応も薄い。その原因の一端を担っているのは、われわれの「学力」という言葉に対する素朴な自明視だろう。

「学力テストをすれば学力が上がる」という素朴な言明はこの自明視に拍車をかける。勉強をすれば学力が上がるという因果関係は確かなように思えるからだ(実際に確かである)。それによって「学力」の内実は棚上げされ、莫大な予算と教員や生徒の労力を空費して全国学力テストは今年も元気に実施されるのである。

*1:PISAの場合はPVsを利用しているため個々人の実際の得点は不明である。

*2:より詳細な説明は次の記事を参照してほしい。https://hajk334.hatenablog.jp/entry/2022/02/21/094657

*3:作図の都合上、関連領域の下に認知的領域を置いているが、実際にはそれぞれの内容領域について、各認知的領域を測定する問題が出題される。そのため、各関連領域についてすべての認知的領域に対応した問題が出題されるわけではない。

社会生活基本調査における在学生の学業時間推移について

ここでいう「学業」とは、「学校(小学・中学・高校・高専・短大・大学・大学院・予備校など)の授業や予習・復習・宿題 校内清掃 ホームルーム 家庭教師に習う 学園祭の準備 学習塾での勉強」を指す*1(令和3年社会生活基本調査 用語の解説 別表2)。

なお、「大学・大学院生」の数値はそれぞれの推定母人口による加重平均値だが、なぜか平成28年版報告書より在学生の学業時間推移が掲載されなくなったため、平成28年, 令和3年の数値は自分で計算しなければならない。それぞれの数値はH28:大学生231分・2,843千人, 大学院生333分・214千人, R3:大学生204分・2862千人, 大学院生196分・257千人である。というわけで、令和3年の大学院生の数値が明らかにおかしい。



単純に大学生より少ないという時点でおかしいのだが、その内訳を見るとますます意味不明である。上表の通り、スマートフォンの使用者:198分/不使用者:226分に対し何故か総平均は196分である。加えて、スマートフォン使用者のうち「1時間未満」から「12時間以上」の学業時間を見ても明らかに計算が合っていない。

なお、「総数」には「分類不能」「不詳」も含まれるため、サンプルサイズの内訳と総数は一致しない。また、表中「…」となっている箇所はサンプルサイズが10未満で、結果精度の観点から表章していない箇所とされている。

そこで、スマートフォン使用者のうち(分類不詳の)選ばれし17名(307-290)の学業時間を0、表章されていない8名の学業時間も0とすると、スマートフォン使用者の学業時間加重平均値は231.4分…と、やはりどういじくっても計算が合わない。「…」が何か悪さをしているとしか思えない。現在問い合わせ中である。

↓以下返信

お世話になっております。
総務省統計局の〇〇と申します。

ご連絡が遅くなり、申し訳ありません。

ご質問いただきました、
大学院(在学者)の学業時間が少ない件につきまして、
具体的な原因についてはわかりかねますが、
大学院(在学者)は発生件数が少なく、
これに関する数字は誤差が大きいと考えられます。

また、スマートフォン等の使用時間による加重平均値との乖離の件ですが、
「総数」及びスマートフォンなどを「使用した」の総平均時間は、
総平均時間を算出する分母の属性別人口にスマートフォンなどを
「使用した」「使用しなかった」の不詳が含まれるため、
スマートフォンの使用時間別総平均時間の加重平均値と乖離が
生じることも考えられます。

ちなみに、スマートフォン等の使用時間の結果につきましては、
前回とスマートフォン等の使用についての定義が異なる
(前回は学業や仕事として使用した場合を除いている)ため、
比較できないことにご留意ください。

そんなわけで総務省的には特に問題はないという認識らしい。うーんこの。
id:businessart

*1:必修科目として行うものでないクラブ活動・部活動はその内容により「趣味・娯楽」または「スポーツ」に分類される。

【メモ】ダンプカー規制の歴史的経緯について

この増田に同意するわけではないが、実際日本における(恐らくは海外も)交通規制は、実証的な調査に裏付けられた建設的な議論…ではなくして専らマスコミの扇情的な報道とそれに首尾よく煽られた市民感情によって推し進められてきたという経緯がある(それが悪いと言っているわけではない)。

最新の事例としては「ながらスマホ」や「暴走老人」、一昔前なら「飲酒運転」、最古の事例としては「神風タクシー」が挙げられる(栗山 1994)。ここでは、かつて「一姫、二虎、三ダンプ」と呼ばれ、交通戦争の主役でもあったダンプカーが規制された経緯について簡単にメモしておく。

というわけで、読売新聞データベース(ヨミダスパーソナル)から、60~80年代におけるダンプカー報道の見出しを確認する。検索期間は大雑把に1950~1989年、検索キーワードは「交通戦争 ダンプ」「暴走 ダンプ」「殺人 ダンプ」とした。ある一時期に報道が集中していることが分かる。

酔いどれダンプが暴走 停電や交通マヒ騒ぎ 板橋でバーの“つけウマ”乗せ 1961.06.24
無免許ダンプ暴走 雨ですべり工場こわす/東京都大田区 1961.06.26
ダンプ、バスに追突 暴走し店先もこわす/東京・杉並 1961.08.16
無免許ダンプ暴走 浦和、2人死に2人ケガ 1961.09.04
[交通戦争]=11 ダンプに特別免許(連載)1961.12.18
祝い酒で暴走4件 ひき殺し、追突、食堂へ▽無免許ダンプ 店に突っ込む 1962.01.03
酔いどれダンプ暴走 江戸川 電柱折り1000戸停電/東京都江戸川区小松川 1962.01.09
“交通安全日”雨でさんざん トラック衝突、死ぬ▽ダンプに追突して死ぬ/東京 1962.01.10 
ダンプ斜めに暴走 突っ込み2軒こわす/東京・板橋区 1962.01.19
ひき逃げ見物の6人ひき逃げ 平塚でダンプ2台暴走 1962.03.18
パトカーの“壁”も突き破り 盗んだダンプで暴走 横浜-都内35キロ 1962.03.19
ダンプが歩道暴走 街灯、標識折り2人ケガ/東京・五反田 1962.06.10
坊やダンプにひかる 葛飾 1962.12.21
酔いどれダンプ暴走 車6台に接触や衝突/東京都渋谷区 1963.02.01
杉並の“殺人ダンプ”つかまる 板橋でも学童ひき逃げ▽お手柄の通行人/東京 1963.02.16
愛されるダンプ運転手に 70人が安全運転誓う 会社側も負担かけぬよう協力 1963.03.14
交通安全運動 さんざんな最終日▽ひき逃げして追突▽酔っぱらいダンプ/東京都 1963.05.21
[キミだけの世の中ではない]第4次交通戦争=2 スピードに酔って(連載)1963.09.10
ダンプ、民家への無情の暴走 内職の主婦即死 東京・墨田 通行女性らも死傷 1963.10.15
居眠りダンプが暴走 車に衝突、信号機こわす/東京都品川区 1964.01.20
ダンプ暴走3人死傷 2晩連続運転の末 居眠りで屋台なぎ倒す/東京都目黒区 1964.02.08
こんどは無人ダンプ暴走 京橋の工事場/東京 1964.05.08
[気流]中小企業の倒産に思う▽暴走ダンプに根本的対策を 1964.05.09
[気流]お手盛り撤回区議会見習え▽「ダンプの走らない日」提唱 1964.05.22
暴走ダンプとタクシー 深夜のオニごっこ 電柱折ったり砂まいたり/東京 1964.07.11
また歩道へ暴走 小岩でダンプ 黄色い旗もつ少女重体▽神田では乗用車衝突 1965.09.13
バス停の11人死傷 大阪 ダンプ衝突し暴走 1966.07.10
ダンプが奪った始業式 黄旗の少女ひかれる 青梅街道 夏休みの作品が散乱 1966.09.01
相乗り幼女即死 おかあさんも気をつけて 自転車から転落 ダンプにひかれる 1966.10.07
園児や学童3人死ぬ 横浜 横断の列へダンプ/横浜市 1966.12.05
違反常習のダンプ 横浜の園児らなぎ倒し/横浜市 1966.12.06
「歩道橋すぐ作れ」 横浜のダンプ事故現場 建設相、異例の指示 1966.12.08
園児ら10人が死亡 20人重軽傷 愛知 横断の列へ殺人ダンプ 1966.12.15
あまりにむごい 愛知の交通惨事 行儀よい園児の列へ 襲いかかる“凶器” 1966.12.15
ダンプ取り締まれ 警察庁が緊急通達/園児交通惨事 1966.12.15
ダンプの規制強化 免許年齢引き上げ 通学路は通さぬ 首相きょう指示 1966.12.16
[あとをどうする]=7 殺人ダンプ 事故の元凶、零細企業(連載) 1966.12.16
無法、殺人もう許せぬ ダンプ緊急取り締まり けさ38か所で警視庁 1966.12.17
[サイドライト]野放しダンプカー 1966.12.20
ダンプ、こんどは登校の列へ 学童4人がケガ 雪の県道で“暴走”/青森市 1966.12.21
[吹きっさらしのまちかど]=6 おそすぎた信号機 母が涙の渡りぞめ(連載) 1966.12.21
暴走ダンプを追放 警察庁が通達 殺人罪も適用する 市民の通報制設け検挙 1966.12.23
さっそく市民通報 ダンプ取り締まり ナンバーの確認を 1966.12.23
ダンプ業者立ち入り監査 1966.12.23
街頭抜き打ち検査つづける/ダンプ・砂利トラ取り締まり 1966.12.28
違反は管理者も責任 取り締まり当局の態度/ダンプ・砂利トラ検査 1966.12.28
またダンプが殺人 2人にケガ 巣鴨の横断歩道、札つき運転手/東京 1966.12.28
“新入りが運転”と偽証 雇い主ら口裏あわせ/足立ダンプ惨事 1966.12.28
ダンプ暴走に自主規制 トラック協会 1966.12.28
ダンプ対策に1億円 政府 きょう閣議で支出決定 1967.01.06
[果たせ公約]=5 ダンプには岩を(連載) 1967.02.10
それでもダンプは笑う 「罰則?!関係ないネ」 助手台の同乗記 1967.02.27
子供の死、ムダにしないで 愛知ダンプ事故のおかあさんら 佐藤首相に涙の訴え 1967.03.30
横断歩道橋 もう待てない 同じ場所で幼女重傷▽中学生3人を殺す 暴走ダンプ 1967.05.14
あすから春の交通安全運動 暴走ダンプ追放 通学の安全守ろう 1967.05.21
ダンプ事故業者 入札しめ出す 福井で7社処分 1967.05.25
ダンプ規制立法は絶望 交通戦争絶滅の期待よそに 与野党が調整難 1967.07.12
ダンプ規制なぜできぬ 望み薄の法案成立 建設業者が圧力? 1967.07.12
酔いどれダンプ暴走 地下鉄工事の3人死傷/東京・千駄木 1967.10.04
突入ダンプと3か月 泣き寝入りしないぞ 師走のすき間風にたえて/熊谷 1967.12.12
暴走ダンプ締め出し 1日から規制法実施 車の長期使用禁止も 1968.01.30
“無法ダンプ”相変わらず 非力な警察の摘発 「規制法」1か月 1968.02.29
バス停の3人死傷 東京・練馬 大型ダンプが暴走 1969.01.08
ダンプ規制強化 10月から 1969.07.11
[気流]積載オーバーの暴走ダンプ 1970.04.11
横断歩道へ暴走ダンプ 老女と孫即死 南品川 車を縫って突っこむ/東京 1970.09.17
[気流]ダンプが憎い 1970.11.07
[気流]ダンプの走行規制で提案 1970.11.15
歩道の3人はね飛ばす ダンプ暴走/東京都葛飾区亀有 1971.05.15
ミキサー車に衝突、死ぬ▽幼女、ダンプにひかれ死ぬ/東京 1971.09.05
ダンプ交差点で“大の字” 九段 信号待ち2台に砂利の雨 1972.12.26
11トンダンプ、2店刺す 居眠り暴走 スナック客けが/東京都板橋区 1974.03.31
捜せ!人殺しダンプ つぶれた自転車と坊や 立川/東京 1975.04.16
狭い市道でダンプ暴走事故 「坊やの死、市も責任」 千葉地裁 親の訴え認める 1975.06.26
下り坂駐車のダンプが暴走 アッ子供が…、仁王立ち死ぬ/横浜市鶴見区 1975.12.15
ダンプ暴走 1500世帯停電/東京都大田区 1977.04.20
[気流]夜道、暴走のダンプ 1978.06.21
狂気のダンプ大暴走 民家壊し、主婦殺す パトカーなど14台に衝突 鹿児島 1979.09.05
暴走ダンプ12台壊す 妄想の運転?9人重軽傷/東京都文京、豊島区 1982.04.26
バスに暴走ダンプ 36人けが/神戸 1982.08.20
暴走ダンプが信号へし折る/東京・調布市 1985.07.15
ダンプ暴走、1人死ぬ 信号無視で衝突/東京都練馬区 1988.06.30
青梅街道ダンプ暴走 街路樹なぎ倒す 1988.12.10

注目するべきは1966年12月に起こった横浜市と愛知県の事故からの一連の流れである。印象的な事故が世論を大きく動かし、それによって法規制が進んでいくプロセスが見出しにも表れている。(ちなみに、後者の「猿投ダンプ事件」はダンプ規制の要因となった歴史的事故として今でも言及されるが、その10日前に横浜市で起こった前者の事故は今では殆ど知られていない)

また同時に"ダンプ規制立法は絶望"だとか、"ダンプ規制なぜできぬ"だとか、マスメディア様の逆張り悲観無責任煽りテクニックも確認することができる。もちろん、その後の展開を見ても分かる通りダンプ規制法は問題無く成立しているわけであり、当時の関係者もこの報道には大いに困惑したようである。第055回国会 交通安全対策特別委員会 第14号

石井光太 『ルポ 誰が国語力を殺すのか』におけるゆとり教育に関する記述について

同書では「ゆとりに至る道」「ゆとり教育の裏で何が起きていたのか」「社会が求める要求の肥大化」と三節にわたってゆとり教育が論じられているのですが、例によって例の如しだったので、いつものように一人虚しく添削していこうと思います。

ゆとりに至る道

さらに、教科書の内容が三割削減されるとか、円周率を「およそ三」として教えるといった話まで飛び交うようになると、文科省のへのバッシングは一層厳しいものになっていく。

三割削減

ゆとり教育を説明する上で必ずと言って良いほど言及される「三割削減」だが、一方でその出典が明示されることは稀である。それもそのはずであり、実は三割削減を明記した公式な資料は存在しない。それではどこからそんな数字が出てきたのかと言えば、以下の記述がその大本である。

児童生徒にとって高度になりがちな内容などを削減したり,上級学校に移行統合したりなどして,授業時数の縮減以上に教育内容を厳選する。例えば,算数・数学,理科などは,新授業時数のおおむね八割程度の時数で標準的に指導しうる内容に削減(『教育課程の改善のポイント』 教育課程審議会 1998)


この「新授業時数のおおむね八割程度」というのは具体的にどの程度なのか、という問いに対する答えが「三割削減」なのである。たとえば、読売新聞が三割削減について初めて言及した記事では次のように書かれている。

学校週五日制時代の幼稚園から高校までの教育内容について検討してきた教育課程審議会(文相の諮問機関、三浦朱門会長)は二十二日、審議のまとめを公表した。小中高校とも授業時間数を週当たり二時間(単位時間)削減するとともに、基礎・基本を確実に身につけさせるため、小中学校では教育内容を厳選し、現在の内容から約三割削減する。

(中略)
これについて文部省は、「約三割の削減となる。五日制で減る授業時間数以上に内容が削減されており、現在の八割程度の時間で教えられる内容(ママ)」と、子供たちのゆとりの確保になることを強調している。

読売新聞, 1998.06.23, 朝刊, (1)7


ただし、三割削減が実行されたことを示す定量的な根拠や何らかの実務的基準は存在していない。たとえば、文科省次官であった小野元之は、ゆとり教育による三割削減説について次のような証言を残している。

二つ目の誤解は、教育内容の三割削減という話です。これは、たしかに文部科学省も三割削減と言ったのですが、私が事務次官の時に、教科書の活字の大きさなどを含めていろいろと調査しましたところ、私の結論では一割削減なんです。削減したということには間違いないのですが、三割もの削減ではありません(岡本・佐藤 2014 p.131)。


小野の発言は調査手法が明示されていないため、その信憑性には疑問が残るが、同じように三割削減という数字も定量的な調査が行われた結果としての数字ではない。ちなみに、教科書のページ数はゆとり教育の前後で殆ど変化は無く、中学校国語で採択率一位となっている光村図書の教科書では、三学年合計で948ページ(1997~2001)から970ページ(2002~2005)へとむしろ増加している。

円周率が三

「円周率がおよそ三」については端的に言ってデマである。断定的な記述ではないので著者がデマと承知していたのかどうかは判然としないが、仮に承知の上で当時の世相を客観的に記述したのだとしても、デマには何かしらの注釈が付されてしかるべきだろう。

ゆとり教育の裏で何が起きていたのか

ゆとり教育における選択教科

「選択の授業が増えたのも困りました。国語力をつけるには国語の授業だけでは不十分で、そこで培った共感性を社会や理科の授業で活かすなど他の教科とのつながりの中で成長するものです。でもそれらの授業時間が軒並み減ったのに加えて、選択が増えたため、午前中勉強したら、午後は体育や美術ばかりでほぼ遊びという状態になったんです。国の言い分では、体育や美術でも国語力を伸ばせるということなのでしょうが、実際は体育館や美術室で騒いでいるだけでした」

この証言が事実ならば極めて特殊な事例である。選択教科と言えば一般に主要五教科以外の教科だと思われているが、ゆとり教育では全ての教科を選択教科として設置することが可能となっており、中教審が平成十九年に出した指導要領改訂の「審議のまとめ(中間報告)」によれば、平均して約三分の二(144/225)の選択教科時数が主要五教科に充てられている。

PISAショック

日本の子供の学力の低下を示したのは、二〇〇〇年からはじめられたPISAだった。図11を見れば、ゆとり教育の開始と同時に順位が低下しているのがわかるだろう。特に読解力の低さが著しく、これは「PISAショック」と呼ばれた。この点数とゆとり教育の因果関係は定かにはなっていないが、教育業界を震撼させるには十分な結果であり、これが後の国語教育の改革へとつながっていくのである。

国際順位の変動によって学力を経年比較することは不可能である。また、著者の作成した図には数学的リテラシー・科学的リテラシーの結果も併せて提示されているのだが、得点の経年比較が可能となるのはその分野が調査の主要分野(main domain)となった後に限られる。著者はPISAの基本的な設計も理解していなかった可能性が高い。

また、PISA2000-2006サイクルの日本の読解力低下について、PISA調査の設計者からはテスト設計の変更が原因である可能性が指摘されており、これを受けてPISAの報告書では日本の読解力得点低下について慎重に解釈する必要があることが注記されている。

PISA調査の設計やその結果、特にゆとり教育との関連については以下の記事で詳述している。

社会が求める要求の肥大化

最低基準性と確かな学力向上路線

社会的には批判を浴び、成果も乏しかったゆとり教育だが、文科省の中でいの一番に反対の狼煙を上げた人物がいた。時の文部科学大臣遠山敦子(在任は二〇〇一年四月~二〇〇三年九月)だ。〔…〕彼女は文科省のトップにいながら、ゆとり教育の行き過ぎに危機感を募らせ、それがはじまる直前の二〇〇二年一月に、文科省の方針と逆行するかのような発表を「学びのすすめ」と題して行った。〔…〕これまでは学習指導要領の内容を再現するのが授業だったのだが、遠山はそれを「最低基準」とした上で、そこからの上積みを「確かな学力」という表現で現場に求めたのである。

市川(2002)が指摘する通り、指導要領の最低基準性は学力低下論に押された文科省が事後的に打ち出した方針ではなく、ゆとり教育を巡る議論のごく初期の時点で文科省側が積極的に明示していた方針である。

また、著者の認識に反してゆとり教育前後に実施された経年調査は総じて学習態度の改善や学力の向上を示しているのだが、これを「(90年代)ゆとり路線」から「(00年代)確かな学力向上路線」への変化と(事後的に)解釈することで、それらの調査結果が「ゆとり教育失敗の証拠」とされたことは以下の記事に示す通りである。

実感至上主義

実は、今回インタビューをした人物、特に大学の研究者の中には、「国語力が落ちているかどうかはわからない」と回答する人もいた。東京学芸大学の犬塚美輪教授が、その一人だ。〔…〕犬塚は次のように答えていた。


「子供たちの能力が劣っているかどうかはわかりませんし、そうしたデータがあるわけではありません。少子化が進んでいて、学力的に劣っている子がそれなりの大学に進学してくる現実はあるので、そういう意味で教員の側が大学のレベルが低くなったと感じることはあるかもしれませんが、だからといって全体的に能力が低下しているとは断言できないのです(後略)」


現代の子供たちの能力が落ちているのかどうかを定量的に立証するのは実質不可能だ。東京学芸大学に進学できるのは、トップレベルの成績の子供たちだ。中でも私立の中高は公立との差別化を図って創意工夫を凝らした教育を行っているため、そこから上がってきた生徒を中心に見れば、大して変化しているようには感じられないだろう。

どのような命題であろうと定量的に「立証」するのは実質不可能だと思うが、定量的に評価・測定することは十分可能である。特に教育分野におけるそれは教育測定と呼ばれており、その専門的知見に基づく経年比較可能な学力調査の結果は上掲記事の通りである。教育測定の理論については以下の記事を参照されたい。


また、「教員側が能力低下を(必然的に)実感していたとしても、そこから(世代)全体の能力低下は導けない」という説明に対して「学芸大に進学できるのはトップレベルの成績の子供たちだから大して変化は感じられない」という主張は噛み合っていない。先のPISA調査に関する説明もそうだが、著者の論理的思考能力を疑わせる記述である。

好意的に解釈しようにも、別の箇所では

各界からの批判に呼応するように、一般の人々もゆとり教育を頼りにならないものとみなし、わが子を私立中学へ進学させる傾向が高まった。実際一九九九年からリーマンショックの二〇〇八年までおおよそ一〇年にわたって中学受験率は右肩上がり、私学側もあの手この手をつかって生徒集めに躍起になった。

という記述を残しているため擁護ができない。大学のレベル低下と同様に、中学受験率が上昇すれば私立・公立ともに学力低下が生じるのは必然であるにも関わらず、それについての説明が一切見られないからだ。犬塚氏の説明を理解していないと考えざるを得ない。

氏が説明しているのは"サブグループの水準から全体の水準を導くことはできない"という事実であり、中でも"全てのサブグループの平均水準が低下(向上)しているにもかかわらず、全体の平均水準は向上(低下)する"ような状況は「シンプソンのパラドックス」と呼ばれている。それほど難しい話ではないのだが、理解できないという方がいれば以下の記事を参照してほしい。

引用文献

市川伸一. (2003). 学力低下論争. ちくま新書.
岡本智周・佐藤博志. (2014). 「ゆとり」批判はどうつくられたのか―世代論をときほぐす. 太郎次郎社エディタス.

「先輩と青年は如何にして調和す可きか」, 1909, 大隈重信, 『実業の世界』6巻4号

現代の大問題
社会に於ける先輩と青年との関係は恰かも一家に於ける夫婦関係の如くなり。夫婦相軋轢すれば到底円満なる一家の発達を望まれざるが如く先輩と青年と相調和するにあらざれば完全なる社会の発達は期し難し而も今の先輩と青年との関係を見るに青年は先輩を頼むに足らずとなし先輩は青年を用ゆるに足らずとして両々相反目せり。此の如くんば国家の前途如何誠に憂慮すべき次第ならずや。吾徒幸に其調和策に就きて社会の先覚者たる伯爵大隈重信氏の意見を聞き得たり掲げて以て江湖反省の資となす。

(※引用にあたり、旧字体新字体へ、歴史的仮名遣いは現代仮名遣いへ改めています。また、下線部は原文で強調されている箇所です。)

△徒らに過去を追懐するは健全なる思想と云う可からず

如何にして社会の先輩と、後輩とが円満に調和す可きかと云う問題と、私が平素信じて居る人間の長寿法との間には実に密接な関係がある。ツイ近頃の事である、ナイアガラ瀑布保存会の会員が来訪して、私の長寿法に就いて種々質問する所があった。

それは其人の父なるものが私と同じように人間の長寿法と云う事に就て信ずる所があって、九十九箇年、九箇月九日目まで生きて、遂に熟した林檎が地に堕るように自然の大往生を遂げて仕舞った。其老人が、自分の信ずる長寿法を小さい冊子に綴って、死ぬ少し前、即ち九十九箇年八箇月目に出版した。

其子供が私に其小冊子を呉れて貴下の長寿法と、自分の父の説とは殆ど符節を合するが如くに一致して居ると云うて、非常に喜んで帰った。今其小冊子を見ると成る程、私の信ずる所と少しも違はない、う云う点が似て居るかと云うと先ず第一、人間が徒らに過去を追懐顧望して其処に生ずる一種眷恋の情に耽るのは決して健全な思想ではないと云う事が全然同じである。

△余が長寿法の根本は将来に希望の光輝を認むるにあり

私の長寿法の根本義は即ち之である。止むを得ない場合の外は決して過去を語って愚痴らしい事を云わない。過去の歴史は、過去の歴史として、人間は常に将来に美しい愉快なる希望を持って進まなければならない。それには先輩が常に時代の推移、社会の進歩という事に注意して居なくてはならぬ。

即ち一定の見識がなくてはならぬ。凡そ、社会に善を為そうと云うものは、時代や社会の黙移暗遷もくいあんせんする状態に通達して居なければならぬ。それが分らないで唯、昔の儘の智識で現在の社会に事を為そうとすると其処に間違が生じて来る。即ち過去の事は非常に美しく立派に見えるけれども、現在の事は何うも面白くない。

其処で愚痴が生じて来る。ヤレ現代の青年は腐敗したとか、堕落したとか云う。うかと思えばもう澆季の世であるというような嘆声を発する。う云う先輩は社会に何事をもなし得ないで早く死んで仕舞う。爾うして徒らに先輩と後輩との間を益々隔離せしむるに過ぎないのである。

其処で人間は常に将来に美しい希望の光輝を認めて、終始、愉快に、幸福に進んで行かなくてはならぬ。社会に處して青年と調和して行き得ないような老人は到底長く此世に生存する事は出来ない。

△今日の先輩は毫も時代の変遷を知らず

社会に於ける先輩と、後輩との関係は恰も一家に於ける夫婦の如きものである。夫婦和合しない家庭は到底繁昌して行く事が出来ないように、老人と青年とが調和しない社会は所詮進歩しない。

今日の先輩はややともすると、現代の社会は澆季であるとか、青年が腐敗したとか、学生が堕落したとか云うて罵倒する。其処で青年の方でも、老人に対して非常な反感を持って来ると云う有様であるけれども、之は要するに今日の先輩が時代の推移社会の変化という事を知らないからして生ずる感情の齟齬に相違ない。

例えば或る人の云う今日の青年は維新当時の書生に比べて大に退歩した、意気地が無くなったと云うような事でも、先ず時代と云う事からして考えて掛からなければならぬ問題である。維新の当時は社会に秩序の無い、新習慣、新道徳が固定しない一種の動揺時代であった。

此動揺時代に處した青年の気概と、今日のように社会の秩序、組織が固定した時代の青年の素行とを比較して昔の書生は元気があって偉かったけれども、今日の書生は意気地がないと云うのは甚しい短見浅慮と云わなければならぬ。

実際維新当時の書生が行ったような事を、今日多数の学生が演じたならば、それこそ警視庁が十あっても二十あっても足らない訳である。それを何処までも志那流儀に解釈して、昔は好かったけれども、今は駄目である。最早世も末だというのは畢竟先輩が無学である所から生ずる誤謬に外ならぬ。

昔から隣村の庄屋を悪いと云うた事は無い云うが、真に爾うで社会が腐敗した、堕落したと云う慨嘆の声は蓋し何時の世、如何なる時に於ても絶ゆる事は無いのである。素より此の嘆声は大に喜ぶ可きである。けだし嘆声は向上を欲する声である。人間はべて前途の光を認めて現在の進歩を計って行かなければならないのである。

△先輩の干渉度に過ぐるは社会の進歩を阻害するもの也

無病の時に服薬すれば、何んな良薬でも其人を毒する事になる。先輩が余りに青年の事を心配し過ぎて、必要もないのに干渉するようであると、青年は決して発達しない。爾うしてそれが延いて社会の進歩を阻害する事になる。青年は例えば草木の若芽の生い立つようなものであって、自然の儘に生育させて置けばそれで好い。別に大した欠点はない。それが古い大木になるとナカ/\爾うでない、欠点が多い。

之は要するに自然の勢である。見給へ、若芽は常に、古い幹の上に生ずる。爾うして古い幹の上に緑の葉を広げる。此英気勃々このえいきぼつぼつたる青年は非常に進取の気象に富んで居る、破壊力も強い、喧嘩もすれば、だだも捏ねる、此天性を教育と云うものが或る程度までめるのである。

それを余り干渉し抑圧し過ぎると遂に不良少年を拵える事になる。之には四辺の境遇とか、家庭の事情とか、教育の圧迫というような事が非常に影響するものであって、要するに自然の心に随って青年を導けばそれで好い。例えば水の流れるのを見ても分かる。自然に流れる水を強て堰き止めようとすると其水が氾濫して恐ろしい洪水となる。

又熟ら自然界を見ると、年老ったものは何の点から云うても若い者には勝たれない。第一腕力が弱い。如何に常陸山でも七八十になれば二十位の子供にも負かされるようになる。又如何なる学者でも老ゆれば自然に記憶力というものが減退してくる。

例えば、同じ百頁の冊子を読んでも、記憶は若い者の方が強い、何うしても物質上から老人と青年との競争は出来ない。それを無暗に偉がるから、其処にお互の間に感情の齟齬が生じて来る。殊に老人は記憶力が減退して居るから一度云うた事を二度も三度も繰り返して云う。

其処で青年の方でも大に癪に障って黙って居られなくなる。人間と云うものは、自然に長老を尊敬する気風を備えて居るものである。それを強て長老に反抗させるように仕向けるのは、先輩の方に悪い所が多いからであろうと思われる。

△先輩は新思想を了解する為常に読書を怠るべからず

前にも云うた如く、老人は動ともすると、希望を将来に持たずして徒らに過去を追懐して愚痴をこぼすという傾向を有して居る。床に入って寝ると、昔はこうであったとか。ああ云う事を遣った為に、今はこんな事になって仕舞った、彼の時にうまく遣って居れば、今頃は立派に出世が出来て居たろうとか、金も出来て居たろうとかいうような事ばかり考えて居る。

之が現在の社会にとって、何うも有害無益の事である。自分も働こう、若い人と一緒に働こう。何でも将来は好くなり、好く為そうと云うような覚悟がなくてはいかぬ。凡て先輩と青年とが一緒に働かなくては到底国家社会の経営は出来ない。

例えば、家を建てるにも大工ばかりではいけない。大工も左官も植木屋も共同して働かなくては、完全な家が出来ないようなものである。其処で老人も奮起して青年と一緒に働かなくてはいかぬ、それには、時代の推移に連れ、社会の進歩に伴うて青年と一緒に進んで行こうと云う用意がなくてはならぬ。

であるから常に心掛けて新聞も見るが好い。雑誌も読むが好い・爾うして読書と云う事を怠らぬようにして行かなければならぬ。年を老るに連れて身体は漸々衰えて行く、けれども頭脳には常に新思想、新智識を注射して行かなくてはならぬ。頭脳は使わないと固くなって、記憶力が減退する。記憶力が減退すれば自然、愚痴が多くなる。繰言が多くなるという訳である。

其処で常に新智識を注射して、研究的態度をとって行かなくてはならぬ。爾うして青年の言うことを喜んで容れて行くと云う態度でなくてはいかぬ。自分の気に入らぬ事を云う青年を愛して、それを用いて行く位の雅量がなくては社会に處して先輩としての義務を果たして行く事は出来ない。

△青年も亦服従の美徳を修養せざる可からず

私は以上、重に社会の先輩を鑑戒して青年に対する道を説いた。けれども、私が恁う云うたからと云うて、青年は妄りに起って先輩に反抗する事を以て得意とするような傾向があってはならぬ。全体物には秩序というものがある。此秩序を無視して事を行っては社会の善良なる組織が保たれない。其処で青年は或る点まで服従という美徳を修養して行かなくてはいかぬ。

即ち如何なる境遇に在る者と雖、一度は人に使われて見なければ将来人を統御する才能を得る事が出来ない。人に使われて奉公の苦労を甞める。其処で経験と云う無形の資産が得られる。此無形の資産は、何ものにも代え難き個人の財宝である。

斯くの如くにして、青年は或る点まで先輩を尊崇し服従して行くようにする。又先輩は前に私が述べたような点に注意して行ったならば、ここに渾然相互の感情が融和して、社会国家の発達は期して俟つ可きものがあろうと思われる。


若者論の歴史・概略版 そして劣化言説へ…

まえがき

若者論にはどこか牧歌的な雰囲気が付きまとっている。小説やドラマに登場する若者に管を巻く哀れな中年という手垢のついた表現がその一因かもしれない。いつの時代も大人たちは若者論によって溜飲を下げ,当の若者自身はそれを右から左に聞き流す。そうであれば,若者論も取るに足らない日常の営為というものだろう。

しかし,現代の若者論はフィクションで描かれるほど牧歌的ではない。現代社会における若者はれっきとした「社会問題」であり,彼らの「実態」を明らかにする若者論は確たる「証拠」と「社会的意義」をそなえた現代社会論なのである。

飲み屋のおっさんが思いつきに若者を愚痴るというステレオタイプなイメージは通用しない。学識や年齢,社会的立場といった垣根は若者論にはない。誰もが若者を語り,日本の将来を悲憤慷慨し,或いは時に優越感を満たす。若者論において言及されている,当の若者自身すら例外ではない。

一方,若者の「問題」は侃々諤々に議論されながら,その解決が真剣に目指されることは殆どない。若者の問題性が自明視されている一方で,彼らの振る舞いは面白可笑しく喧伝される。「俺が若者の根性を叩き直してやる」と息巻く人間が,若者の問題を社会構造や経済的要因から仔細に検討することはない。

現代の若者は憂慮すべき社会問題であると同時に,社会に笑顔と活力を与えてくれる一服の清涼剤なのである。若者の問題は次から次へと「発見」されるが,それらの問題はいつまでも解決されずに積み上げられ,「劣化した若者」という認識だけが強化されていく

こうした若者論の性質は一朝一夕に形成されたわけではないが,かといってそれほど歴史が古いわけでもない。そこで本稿では,若者論の歴史を概観することで現代の若者論が備えている性質を明らかにしてみようと思う。糞の役くらいには立つだろう。

60・70年代の社会学的青年論

若者論の誕生,すなわち,「若者」が社会的存在として認識され主題化されたのは60・70年代以降とされることが多い。その原因には,産業社会や脱産業社会への転換にともなう若者の社会化過程の非連続化,中等教育の普遍化や高等教育の大衆化によるモラトリアム期間の延長,戦後経済成長にともなう若年労働力に対する期待と危惧,この時期に世界的に普及した若者の「異議申し立て」に対する心理学的説明の必要性,等々が挙げられている(乾 2005; 岩佐 1993; 片瀬 1993; 坂口 1994)。

しかし,とどのつまりはこの時期に,先行世代とは異なる若年世代が社会的に「発見」されたということである。たとえば,二関隆美は70年代において,学問的な研究領域としての「青年」に関心が集められていた背景を次のように指摘している。

かような青年の逸脱性によって,あらためて青年存在が発見され,世代関係の不調が実感される。つまり,青年は成人に対して「こまった連中」という狼狽,「手がつけられない」という困惑,「理解しがたい」という慨嘆をおこさせ,これらの青年性の新型が社会組織に不適合であり,社会体制の統合と安定をおびやかすように成人の眼に映ずるところから,成人社会は何らかの対策にのりださざるをえなくなり,福祉・教育・刑罰などの施策によって調整をこころみようとする。

(中略)
現代におけるかなりの規模(ただし,現代青年のうち多数派をしめるまでにはいたらず,つねに少数派なのである)の青年にみられる逸脱的な新型の出現は,青年史上未曽有のことのようにおもわれ,その発生に関する社会的・心理的カニズムはもっとも重要な研究問題なのである(二関 1975 pp.191-192)。

しかし,若者論の勃興期にみられる「青年像」は決して,今日の若者論にみられるように差異性を強調するものばかりではなかった。特に社会学の領域においては,いかに若者と社会を架橋するのかという目的意識が通底していたのである。

この時期の若者論・若者研究が「若者」という言葉ではなく,子どもから大人への過渡期というニュアンスを含む「青年」という言葉を一般に使用していたのもその表れだろう。いずれは「われわれ」の社会の成員となることが前提されていた。

こうした目的意識は社会学における青年研究の手法にも見て取ることができる。青年を社会との関わりにおいて分析しようとする試みは,必然的にそれぞれの社会構造・社会階層における若者の動態を把握することを要求する。

この時期の青年研究では,家庭や職場,地域における青年,或いは都市部と農村部の青年などがその社会構造・階層との関わりにおいて個別具体的に分析され,それらの「総合」として青年の「実像」を描き出す試みが目指されていた。

岩佐淳一はこうした社会学的青年論に見られた分析枠組みについて次のように言及している。

こうした分析枠組みは当時の社会学的分析の主流をなしている。井上俊は「対象たる『青年』のそうした多様性,異質性を過不足なく押さえ,したがってまた歴史的な連続性―非連続性にも十分に目をくばりながら,現代青年の総合的な姿を描き出すという方向を「『総合的』アプローチ」と呼んだが(井上 1971 p31),この時期の実証調査ベースの社会学的青年論,青年の社会学には,全体として井上のいう「『総合的』アプローチ」への指向が認められる(岩佐 1993 p.15)。

この時期の青年論は社会や大人と断絶した異質な若者を前提してはいない。若者が変化しているというのなら,それがどこに,どのような態様で表れているのか。また,それらの変化が社会と遊離した局所的・逃避的なものであるのか,或いは「対抗文化」のように既存の社会構造に根ざした変化であるのか。何が同じで,何が違っているのか,またその違いをどのように区分しうるかが,この時期の青年論の関心領域であり,その目的でもあったのである。

70・80年代の心理学的若者論

しかし,こうした実証的・社会学的アプローチが以降の若者論に引き継がれることはなかった。代わって,70年代半ばから台頭する心理学的アプローチが以降の若者論を規定することになる。中でも,中野収の「カプセル人間」と小此木啓吾の「モラトリアム人間」が現代の若者論に与えた影響は大きい。これらの言説は若者に「社会から隔絶された異質な存在」と「社会の変化の代表者・先駆者」という地位を与えたのである。

社会から断絶された存在と,社会の変革者という存在は一見矛盾しているように思える。しかし,この二つが結び付けられるところにこそ,現代若者論の特徴がある。まずはモラトリアム人間とカプセル人間について,小此木や中野がどのように説明していたのかを確認しよう。

しかし今や青年は,既存社会のいかなるものに対しても,同一化するよりは一歩距離をおいて隔たり,論評者,批判者,局外者たろうとする。

(中略)
青年たちは,現実社会に対して,魔術的な力をもつマスコミに同一化して自己を全能視し,既成社会の継承者であるよりもむしろ論評者であることを理想像にする。その社会の中に自分も存在しているという自己の現実を否認し,実行力を伴わぬ口先の論評にたけて批判力ばかり肥大するという,マスコミと同様の自我分裂が,青年たちにも共通した心理構造になっている(小此木 1975 p.25)。

若者は,個室を装置化し,自分を外界から遮断する。他人を,密室の入口をあけて招き入れることは稀である。むしろ,人間関係は,装置ごとのドッキングの状態である。心理的にも,隔壁を用意した上で関係をとり結ぶ。
若者の好むコミュニケーションは,こうした結合の集合体であって,赤裸々な自我の直接的結合の総体ではない。隔壁を介した結合こそが望ましく,それは「やさしさ」ということなのだ。したがって,ほとんどの人間関係において,密室性が保持される(中野・平野 1975 p113)。

社会から孤絶する若者という概念が登場したのは,歴史上初めてではない。たとえば,先述の二関(1973)は,現代の青年期特性に見られる特徴の一つとして「『局在』的な青年性―大衆社会のなかで浮遊する自閉的な独自性」を挙げている。

しかし,こうした青年特性はあくまでもあり得る青年類型の一つとして記述されているに過ぎず,他にも「『役割』的な青年性」,「『脱出』的な青年性」,「『反抗』的な青年性」などと並置されている。また,局在的な青年性がもたらす社会的影響については「消極的には一過性の泡沫効果。積極的には第一次集団場面から第二次集団への進入における準備経験,あるいは中継ステップ」としているに過ぎない。

しかし,モラトリアム人間論やカプセル人間論に見られる若者の特異な心性は,青年期特有の一過性のものではなく,かえって社会全般に敷衍された「社会的性格」として主張されるのである。たとえば,小此木は次のように述べている。

彼ら青年たちは,実は,今現在われわれの心に浸透し汎化し日常化してしまった「モラトリアム人間」を,きわめて敏感な形で先取りしていたのである。ヒッピーも全共闘運動も,他動的・受身的にわれわれを「モラトリアム人間」化する,現代社会のもの的な動向を”言葉”にし,能動的・主体的なものに選び返す一つの表現行為,一つの象徴的実現であった。またそれは,「モラトリアム人間」の存在権を,この社会に確立しようとする先駆的努力をも意味していたのである。本来は,現代の青年心理の特性として,その認識が得られた「モラトリアム人間」は,今や現代人の心性全般を規定する「社会的性格」になろうとしているのである(小此木 1975 p.13)。

また,1975年に「カプセル人間」を提唱した中野収も,80年代の半ばには小此木と同様に,「カプセル人間的性格」が既に日本社会の一般的性格になったとしている。

とにかく,人と人との間は,間接化し疎遠になった。人にとって孤絶状態が常態になろうとしている。この傾向は,少なくとも,この二十年間,遅滞することなく,着実に進行している。さまざまなリアクション,回復の試みはあったが,今のところ進行は停止しないばかりか,むしろ加速されている。

(中略)
つまり,孤立・擬人化・間接化は,正常な人間の状態からの病理的逸脱ではないし,パソコンとの「対話」は「情報化」の必然的な帰結であり,今日における人間の条件,ということである。こうして,新しい形態の情報・メディアとのかかわりと孤立化は一体であり,そして,ライフスタイルになった(中野 1984 pp.310-311)。

小此木や中野の言説に見られるような現代社会論と若者論の密接な結びつきは三つの副産物を生み出した。

一つ目は,若者論から「社会に接続されるべき青年」という視座を奪ったことである。小此木も中野も,現代の若者に見られる心的傾向がもはや「社会的性格」と呼べるまでに普遍化していることを指摘している。

発達段階的な「青年」という概念には必然的に,既存社会の成員である「大人」という概念が対置されていなければならない。しかし,社会の成員がみな「モラトリアム人間」になり,「カプセル人間」となったのであれば,もはや青年が移行すべき対象は失われてしまう。

二つ目は「社会と青年の架橋」という視座が失われた結果として,大人と若者の非連続性が強調されるようになったことだ。70年代以前の社会学的青年論が若者と大人の連続性・共通性にも注目していたのは,ひとえに若者と社会の接続を円滑にすすめるためであった。しかしその目的が失われた今,もはや若者論にとって先行世代との連続性・共通性は必要とされなくなったのである。

そして三つ目が,若者が社会を説明しうる存在としてクローズアップされるようになったことだ。若者という存在はもはや社会における単なる一集団ではなく,現代社会の変化を直接的に反映する写し鏡としての役割を期待されるようになった。社会の変化(とされるもの)は、すなわち若者の変化であり、若者の変化(とされるもの)もまた、社会の変化と同一視されることになったのである。

ここにおいて青年論は,現代社会の説明装置としての「若者論」へと変質した。小谷敏(1993)によれば,70年代以前に一般的に使われていた「青年」という言葉は,80年代に入って「若者」という言葉に置き換えられることが多くなったという。若者論においては若年層の発達段階という問題はもはや問題とはされず,代わって,彼らの「生態」にその注目が集まるのである。

80年代半ばの若者論―新人類言説

こうした差異性を強調する若者論は,わかりやすく明快であり,また,大衆の好奇心と恐怖心を刺激するものでもあった。若者論が通俗化するのは必然であったと言える。その結果が80年代に爆発的に流行する「新人類論」である。

2000年代以降,膨大な若者論が日々生み出されては死滅していく様は別稿で述べることになるが,その萌芽は新人類論にある(もっと遡れば大正青年論にある)。ゆとり言説以前において新人類ほど「研究」されつくした世代はいない。

一方で(或いはだからこそ),新人類という言葉に明確な定義を与えるのは難しい。一般に1960年以降に生まれたのが「新人類」とされていたが,そこに何らかの根拠があったわけでもない。「新人類」という言葉は80年代に自然発生的に誕生し,86年に流行語大賞を受賞することで一つのピークに達した流行語であり,そこには実に雑多な意味内容が含まれていた。

そこでここでは,若者に対する社会の認識が最も端的に表れるであろう「新入社員」へのまなざしから,「新人類」が当時どのように認識されていたのかを確認しよう。以下の表は論文,図書・雑誌データベースである『CiNii』を利用して,80年代に出版された「新入社員としての新人類」について記述されたと思われる論文,雑誌のうち,一部のタイトルを出版順に並べたものである。

どこか見慣れたタイトルである。実際に,「新人類の価値観」言説には以降の若者論とほぼ同様の主張が見られる。「社会よりも個人」「競争よりも協調」「仕事よりもゆとり」「強制よりも自由」を重んじているとされたのが新人類だったのである。

或いはまた,「困難な課題を与えられると,すぐにくじけて逃げ出す」(今井 1988),「それ以前に生まれた者より圧倒的に骨が弱く,特に顎の強度が弱いという共通点」(小林 1988)など,新人類の精神的・身体的「弱さ」「情けなさ」を強調する言説が多い。

こうした「情けな系言説」に対する考察もまたいつかどこかで書くとして,ここでは新人類言説の顕著な特徴であり,また,以後の若者論にも引き継がれることになった「企業と若者論の結びつき」に焦点を当ててみよう。

非常識な,理解できない新入社員といった言説はもちろん新人類言説以前にも見られたが,新人類言説におけるそれは,以前のものとは質・量ともに圧倒している。多くの企業で「新人類をどう扱うか」が主要な問題となり,その解決策が模索されたのである。

たとえば,小谷敏は「カプセル人間」の主唱者であり,新人類を「エイリアン」とも呼んだ中野収に,「新人類言説」が流行した原因を聞いている。それによれば次のような答えだったという。

中野収は,80年代に「新人類論」が流行した背景を,かつて次のように筆者に語ってくれた。
「80年に入ると,明らかに若者は変質していった。それを最も敏感に感じたのが,企業の人たちだった。何の挨拶もなく,唐突に会社を辞めていく。そんな若者の出現に戸惑った企業人のなかから若者論への需要が生まれ,それが新人類論のブームにつながっていった」(小谷 1997 p.28)

先にも述べたが「新人類」という言葉自体は自然発生的に生まれ,ブームとなったものである。モラトリアム人間やカプセル人間のように社会学者や心理学者の主張によって定義が与えられていたわけではなかった。

新人類言説の場合,企業がその火付け役(と「実感」する場所)となり,それをマスメディアやジャーナリズムが煽り,ボードリヤールバタイユ,或いはマクルーハンなどの舶来の理論が後付けでそのお墨付きを与えたのである。

企業と若者論の結びつきは若者論を実体化させるのに一役買うことになった。それは「対策」が「問題」を実体化させるという意味においてである。80年代半ばには多くの企業で新人類の「問題」が認識されると同時に,その「対策」も盛んに議論された。

曰く「厳しく躾けて甘えた根性を叩き直してやれ」,曰く「今の若者は怒られると萎縮するから優しくしてやれ」といった具合である。そこでは「新人類問題」の真偽が疑われることはなく,問題を所与としてその対応に迫られていた。

しかし,これらの解決案が真に問題の解決を目指していたのかは疑わしい。この時期に見られる「新人類の取り扱い方」言説に見られる特徴の一つは「若者の不在」である。新人類と上手く付き合うにはどうすれば良いのかが盛んに議論されながら,当の新人類はその議論から疎外されていた。まるで恋愛セミナーである。

或いはまた,こうしたセミナーは「ネタ」として消費されていた可能性もある。セミナーの「先生」や他の受講者との間で,いかに我が社の新人類がおかしな生き物であるのか,その対応にいかに苦慮しているのか,そうした体験談に花が咲いている光景は想像に難くない。微笑ましい交流だ。

こうして実体化された「新人類」という存在は,必然的に若者論者の低年齢化をも引き起こした。新人類言説において何よりも強調されていたのは,そのネーミングからもわかる通り「差異性」である。「新人類」と「旧人類」は一切の連続性を持たない,完全に異質な存在と認識されていたのである。

そこに「1960年以降に生まれた若者」というわかりやすい了解事項が加わった結果,わずかな年齢差しかない人間でも新人類言説を主張することが可能となり,またそう主張することこそが「旧人類」であることの「証明」となった。

たとえば,NHK世論調査部が1985年に行った『日本の若者―その意識と行動』という調査の報告書では次のような描写がある。

「近ごろ入社の若いもんは……」と,みれば三十歳前の入社七,八年の若者がいう。ものの考え方が,すでに違っている,という。そうなると,今の中・高校生とは,もっと違いが大きいことだろう。そこで企業の人事・労務担当者を集めて,「新人類をどう活用するか」というテーマのセミナーが行われている時代である(NHK世論調査部編 1986 p.80)。

1980年代は新人類言説百花繚乱の時代であった。老いも若きも,猫も杓子も,「新人類」に期待し,失望し,恐怖し,軽蔑した時代だったのである。この時に生み出された若者論の類型は今日においてもその命脈を保っている。

しかし,大抵の若者論には賞味期限というものがある。問題のある若者もいつかは大人になる。新人類言説が真実であろうとなかろうと,新人類は既に日本社会の中核を担う「スタンダード」となった。かつては異星人と揶揄された彼らも,年月が過ぎた今では地球人の一員と認められたのである。

90年代の若者論―劣化言説

それでは新人類亡き後,90年代以降の若者論では誰が主役となったのだろうか。小谷は新人類言説も落ち着いてきた90年代前半において,以降の若者論の展望を次のように示している。

今後の若者論はどういう方向に進むのだろうか。(中略)九〇年代においては,若者論が大きなブームを起こすことは,もうないのではないか。若者に関心の向かう社会は,若く活力に富み,成長の可能性をもった社会である。しかし,一.五〇という合計特殊出生率が示すように,今後の日本社会は,好むと好まざるとによらず,停滞と成熟に向かわざるをえないだろう。だから若者が切り開くフロンティアに期待をかけ,彼らに熱いまなざしを注ぐ時代では,もはやないと思うのだ(小谷編 1993 p.141)。

現在の目から見れば小谷の展望は半分は正解であり,半分は不正解だったと言えるかもしれない。新人類言説は小谷がいうように「大人たちの,若者への畏怖と侮蔑と羨望の念をあらわす」(同上 p.84)ものであった。

新人類の特徴と信じられていた,従来の伝統に縛られない価値観,高度化する情報メディアへの対応力,消費社会に適応する洗練された感性,これらのものは新人類の否定的側面であると同時に肯定的側面でもあり得たのである。それは若者に対する羨望でもあったし,また未来の社会に対する期待でもあった。

しかし90年代以降,こうした若者の肯定的側面が語られることは少なくなっていく。この点は小谷の予測が当たった。90年代以降,もはや若者に「熱いまなざし」が注がれることはなくなったのである。少子高齢化が喫緊の,かつ解決困難な社会問題とされ,「日本の停滞」が自明のものと認識されている現在,日本社会がかつての繁栄を取り戻すことはもはや不可能だと考えている人間も少なくない。現在では若者の活力に期待する者も,若者を羨ましがる者もいない。若者に対する「畏怖」も「羨望」もなくなったのである。

かくして「侮蔑」だけが残った。90年代以降の若者論を支配するのは「若者劣化言説」である。90年代における若者劣化言説の成立とその背景については,後藤和智の『「あいつらは自分たちとは違う」病』(日本図書センター 2013)や,同書でも引用されている,立教大学の是永論のグループが行った『日本社会「劣化」の言説分析―言説の布置・展開およびその特徴と背景に関する研究』を参照してほしい。(丸投げ)

2000-2010年代の若者論

2000年代半ばから2010年代に猖獗を極めたゆとり言説については当ブログで屡述の限りを尽くしているのでここでは割愛する。

2020年代の若者論

「進行中の事象を歴史として記述することはできない」みたいなことを偉い学者先生が言っていた気がするので,ここでは2020年代に入り2年ほど経過した現在の,私個人のしょうもない雑感でも書いておこう。糞の役にも立たないと思う。

まず確実に若者にとって良かったと思えるのは,彼らに「Z世代」という名前が付けられたことである。この用語は日本独自のものではなく,アメリカにおける主流の世代論である"Boomers", "GenerationX", "GenerationY(=Millennials)"に続く世代として定義された"GenerationZ(=Zoomers)"をそのまま借用しているだけである*1

そのため,大方の日本人はZ世代という言葉から何かを想起することはないし,むしろ言葉それ自体は何やらカッコよくて先進的な響きすら伴っている。これが「さとり世代」なら否応にも「ゆとり世代」を想起させるし,「デジタルネイティブ」もこの四半世紀に大量生産された(そしてされ続けている)「デジタル」に関するネガティブな言説を想起させてしまう。

その点,「Z世代」はこれまでに考案されたどの若者ラベルよりも価値中立的な用語である。とは言っても,懸念が無いわけでは無い。言葉自体から意味を引き出すことはできなくとも,意味を付与することは如何様にもできるからだ。というか,基本的に世代論とは(或いはあらゆる言論は)その名前に意味を付与する行為である。

たとえば,日本の某掲示板に影響されたアメリカの某掲示板では,"Zoomer"という言葉がかつての2ちゃんにおける「ゆとり」と殆ど同じ意味あいで使われている。2ちゃんでは韓国人や女性に対する蔑称と「ゆとり」が蔑称三種の神器であったのと同様,某掲示板では黒人と女性に対する蔑称と「zoomer」が三位一体の蔑称となっている。

とはいえ,私も小谷が90年代に予想したように,これからは若者論が大ブームを起こすことは無いのではないかと思っている(流石にゆとり言説の大流行までは小谷も予想できなかったろう)。その理由は小谷と同じ部分もあれば,違う部分もある。それをこれから説明しよう。

若者論の本懐とは

"エジプトの壁画には若者を嘆く古代のエジプト人が描かれている"という小噺が嘘か真かは知らないが,少なくとも本邦においては今と変わらない若者論を一世紀以上前から見出すことができる*2ある程度持続的な社会共同体において,若者論は必須の要素だったのではないか。

だとすれば,その意義は(60・70年代の青年論が目指したように)恐らく若者を「われわれ」の社会へ馴致させること,もう少し妄想をたくましくすれば,「われわれ」がそうだと信じ込んでいる妄想の理想社会に,若者を導くことだったのではないか。

日本語がややこしくなったので直截に書こう。基本的に「われわれ」は「勤勉で節度を保ち,他者への共感と感謝は常に忘れない,優秀で道徳的なわれわれ」を多かれ少なかれ,心の内に飼っている。若者論とはその理想を実現させる方途の一つなのではないか。

学業時間,犯罪件数,交通事故,飲酒トラブル,喫煙マナー,性的モラルの低下,大量消費,ブランド信仰等々(他にも多分あるが思い出すのが面倒くさい),一度は「若者問題」として立件されたこれら各種の問題について,統計が示しているのは現在においてそれらの問題が劇的に改善しているという事実である。

以前,若者論には「矯正的若者論」「娯楽的若者論」の二つがあると書いたことがある。この言葉が何を意味するかは字面から分かると思うので説明は割愛するが,恐らく若者論の本義は前者の矯正的若者論だろう(娯楽的若者論はそのおまけみたいなものである)。私が言いたいのはその「矯正するべき若者」が最早いなくなってしまったのではないか,ということだ。

もちろん,これは単なる誇張表現であってゼロになるはずはないが*3,今の若者がかつての若者問題の多くを克服しているのは確かである。つまり,今の若者は理想(妄想)としての「日本人らしい日本人」に史上最も近づいた世代ではないのか。その意味において,現代の日本ほど若者論の本懐が遂げられた社会はないのかもしれない。

引用・参考文献

[1] 浅岡隆裕 (2012) 「メディア表象の文化社会外―<昭和>イメージの生成と定着の研究」, ハーバスト社
[2] 井上俊 (1961) 「青年の文化と社会意識」『社会学評論』, 22巻2号 pp.31-47
[3] 岩佐淳一 (1993) 「社会学的青年論の視角―一九七〇年代前半期における青年論の射程」, 『若者論を読む』, 世界思想社
[4] 乾彰夫 (2005) 「青年期ルネッサンス?: 若者・青年研究をめぐる今日の問題点と課題」, 『日本教育学会大会研究発表要項』64回, pp.250-251
[5] 今井靖親 (1988) 「『新人類』考」『保健センターだより』11号, 奈良教育大学保健管理センター, pp.2-3
[6] 小此木啓吾 (1978) 「モラトリアム人間の時代」, 中公叢書
[7] 片瀬一男 (1993) 「発達理論のなかの青年像―エリクソンとコールバーグの理論を中心に」, 『若者論を読む』, 世界思想社
[8] 小谷敏編 (1993) 「若者論を読む」, 世界思想社
[9] 小谷敏 (1997) 「若者文化のハルマゲドン: あるいは,『新人類』たちの運命について」, 『季刊社会学部論集』, 16巻1号 pp.1-44
[10] 後藤和智 (2013) 「『あいつらは自分たちとは違う』という病―不毛な世代論からの脱却」, 日本図書センター
[11] 小林恭二 (1988) 「新人類の職業意識(先端産業と産業保健, 第61 回日本産業衛生学会・第44回日本産業医協議会)」, 『産業医学』, 30巻7号 p.579
[12] 坂口里佳 (1994) 「現代青年論再考: 多元的生活世界における青年社会学に向けて」, 『本教育社会学会大会発表要旨集録』, 46回 pp.30-31
[13] 中野収 (1984) 「高度情情社会と文化変容」, 『社会学評論』, 35巻3号, pp.308-318
[14] 平野秀秋中野収 (1975) 「コピー体験の文化―孤独な群衆の後裔」, 時事通信社
[15] 二関隆美 (1973) 「現代社会状況への青年の反応パターン」, 『日本教社会学会大会発表要旨集録』25回, pp.61-62
[16] 二関隆美 (1975) 「青年文化の問題: 青年社会学のための序説」, 『大阪大学人間科学部紀要』第1巻, pp.187-249
[17] 本田由紀内藤朝雄後藤和智 (2006) 「『ニート』っていうな!」, 光文社新書
[18] NHK 世論調査部編 (1986) 「日本の若者―その意識と行動」, 日本放送出版協会

*1:ちなみに,Millennialsに続く世代概念としては他に"i-Gen", "Post-Millennials"などが考案されていたが,最終的にはGenerationZが圧倒的勝利を収めた。

*2:一例を挙げる。「然るに近年西洋の教育風俗の我邦に入来たりしより,誰言ふなく,少年を抑制する時は其活動の気力を失ふを以て,厳格なる規則を以て之を制せざるを善しとすと云へる議論起り,此説いつとなく世間に行はれ,是より父兄師長も子弟を検束すること従前の如くならず,子弟の父兄師長に仕ふることも大に其恭敬を欠き,従って我儘驕恣の風を長じたることは,以前に比すれば著しき相違あり,偖,此の如くして成長したる子弟の状態如何なるかと察するに,其父兄の望みたる所とは全く反対の結果を来し,活発有為の気力は少しも発せず,唯我儘勝手のみ増長し,学問は勉強せず,父兄師長の言は聴かず,他人に対しては傲慢となり,成るたけ我身を逸楽せんことを欲し,或いは美食美服を好み,或は悪友を求めて之と交はり,遂に学業は成就せず,遊蕩を以て財産を浪費し,其極は社会に軽蔑排斥せられて止むに至る」 学習院生徒進業式の演説(明治二十年七月) 『泊翁叢書. 第2輯』 p.172

*3:たとえば,戦後最低を記録した2011年の少年犯罪検挙人員は77,696件だが,これが2020年では更に17,466件まで減少している。恐ろしいほどの減少率だが,それでも1日50人の少年が検挙されているわけである。 年間の犯罪|警察庁Webサイト